13.詭計と密謀 3
裏社会の情報屋。
テンレックという男に、どこまで打ち明けるべきか。
酒場『詩の蜜酒』に来ると決めてから、リリアナは考えた。
だが、それほど悩むことはなかった。
アルヴァルディの子孫──それは、全てを凌駕する繋がりだ。
それを知っているからこそ、ある面については隠し立てをする必要がなかった。
むしろ、打ち明けることで協力を得られる。
その確信が、リリアナにはあった。
「ジルドが隣国に捕らえられ、処刑の日を待っていると、ご存じでしょうか」
それは、テンレックにとっては寝耳に水だったらしい。
「──は?」
既に取り繕えなくなっていたが、今度こそテンレックは素の口調で呟いた。
普段よりも低く、響くような声だ。
掛かったと、リリアナはひっそりと目を細める。
これこそ、リリアナの望んでいた反応だった。
「やはり、一族が絡めば情報は秘匿されるものなのですね」
テンレックは裏社会の情報屋だ。その彼が把握していないなど、普通はあり得ない。
つまり、ジルドを捕らえた大禍の一族は、まだ情報を隠すべきだと考えているのだろう。
リリアナたちがジルド捕縛を知ったのは、北の外交官オルヴァー・オーケセンが伝えに来てくれたからだ。未だに皇国は、第一皇女ヴァネサを、王立騎士団傭兵部隊隊長が殺害したとは言っていない。
時間の問題とはいえ、未だに皇国が沈黙を保っているのも奇妙だった。
その裏には何かしらの考えがあるに違いない。とはいえ、その計画が全て詳らかになってから動くのでは遅いのだ。
全ては、先手必勝である。
「その──あんたは、その情報を、どうやって」
テンレックはどもりながら尋ねた。その双眸には、リリアナに対してほんのわずかに芽生えた畏怖が宿っている。
裏社会の情報屋としての矜持が、テンレックにはあった。だが、リリアナはそのテンレックの情報網を越えた。
ジルドが王立騎士団隊長で、元リリアナの護衛を務めていたとはいえ、王太子妃がテンレックよりも早くユナティアン皇国の情報を入手できるなど、到底信じられない。
だが、確かにテンレックの店には王太子妃が居て、ジルドの窮状を口にしている。王太子ではなくリリアナが、供もつけずに単身で来ていることが、全てを裏付けていた。
つまり、王太子やスリベグラード王家を越える独自の情報網を、リリアナは持っているのだ。
それはテンレックの人脈ですら凌駕している。
普通の貴族令嬢はおろか、王太子妃としてはあり得ないことだった。
もちろん、リリアナの人脈は限られている。
ただ、彼女は自分の手の内を最大限に生かす知能と能力があるだけだった。
とはいえ、手の内を明かす気は毛頭ない。
リリアナは薄く笑った。
「わたくしにも、わたくしなりの伝手がありますの」
穏やかながらも、断固とした口調だ。
テンレックは、この短時間でリリアナに対しての認識をすっかり改めていた。
ずっと、王太子に愛され守られているばかりの王太子妃だと思っていた。
ジルドを懐柔するくらいだから、貴族にしては多少毛色が違うのだろうとは思っていたが、何のことはない。
この王太子妃は、本物だ。
この地を支配する王者に相応しい。もしかしたら、国王や王太子を越えるかもしれない。
そんな気持ちさえしてくる。
テンレックは、ゆっくりと息を吐き出した。
「なるほど。それで、俺にどうしろと? 一族が絡んでるんじゃあ、あの爺にも手出しはできねえだろう」
「それは承知しておりますわ。同業者を売ることはできませんでしょう」
あっさりとリリアナは答える。
テンレックは、肩透かしを食らったようすできょとんと眼を瞬かせた。
だが、リリアナにとっては当然の理解だった。
裏社会とはいえ、そこにはリリアナが暮らす世間と同じように、規律や暗黙の了解がある。
情報屋や暗殺集団という物騒な名前ではあれども、それぞれが商売だと考えれば、関係性やできること、できないことは容易く想像できた。
特にテンレックは情報屋なのだから、大禍の一族とは付かず離れずの関係を保ち、上手くやっているのだろう。そうでなければ、とうの昔に一族の手で亡き者にされているに違いない。
「ですから、これは貴方が知る必要のないことです。わたくしが、あの方を説得いたします」
「説得できるとでも思ってんのか? カマキリの爺は、俺が言うのもなんだが曲者だぜ」
「存じておりますわ」
テンレックは眉根を寄せる。
もちろん、テンレックはカマキリとリリアナの関係を覚えていた。
あのジルドが、珍しくテンレックに大禍の一族に所縁のある者と自ら関わりを持ったのだ。面倒ごとを嫌い、一族と聞けば反射的に顔を顰めて聞かなかった振りをするジルドが、である。
それも、当時はまだ公爵家の令嬢だったリリアナのためだったのだから、テンレックの衝撃はひとしおだった。
「確かに、あんたの所に行った爺は思ってた以上に楽しそうだったが──今回は話が全く違う。曲がりなりにも、カマキリの爺は連中の仲間だ。ジルドが皇国に捕まったのに一族が関係あるなら、爺はあんたの仲間にはならねえ」
「そうでしょうね」
柄にもなく、テンレックはリリアナを説得しようとする。
貴族などどうなっても良いと思う。だが、テンレックにとってリリアナは子供のような年頃だ。さすがに、自分がカマキリを紹介した結果、リリアナに死なれては寝覚めが悪い。
そう思って不器用に言葉を重ねるが、心を決めたリリアナは全く動じなかった。それどころか、微笑を浮かべたままテンレックを見つめ、圧を強める。
テンレックは顔を顰めて更に言葉を重ねようとしたが、リリアナの断固とした態度を見て天を仰いだ。
諦めたように首を振る。口の中で小さく諦めの言葉を呟き、改めてリリアナの顔を見た。
リリアナの耳には「頑固な嬢ちゃんだ」と聞こえたし、王太子妃に対してはあまりにも不敬すぎる言い回しだったが、責めはしない。長年、ジルドとの付き合いがあるのだから、リリアナは慣れっこである。
「──分かった。カマキリに声を掛けることはしてやる。だが、あんたに会いに行くかどうかは、俺の感知するところじゃねえ。全部、カマキリの爺が決めることだ。それでいいな?」
「構いません。声を掛ける際に渡していただきたい物があります」
念を押したテンレックに、リリアナは最初と全く変わらない態度で鷹揚に頷いた。
そして、条件を付けたす。
テンレックは眉根を寄せたが、無言でリリアナに続きを促した。
リリアナは、手を差し出す。
手入れの行き届いた白魚のような掌には、いつの間にか小さな石が載っていた。まるで手品だ。
ぎょっとしたテンレックだが、恐る恐る石を受け取る。
ひんやりとした、何の変哲もない小石だ。そこら辺に転がっていそうなものだが、情報屋のテンレックは知識としてその石の存在を知っていた。
「これは、クズ石か?」
魔導士が作る、魔力を込めた石──魔導石。そこに術式を刻めば、魔導具にもなる。
だが、石であればなんでも魔導石になるわけではない。魔力を封じ込められない石は、クズ石として捨てられる。
ジルドと同じアルヴァルディの子孫であるテンレックは、魔術を使えない。
当然、魔導石とも縁がない。それでも、情報屋としてはその存在を知っている必要がある。見分けるのは苦労するが、良く見れば判別が付く程度には目を鍛えた。
テンレックがクズ石だと気が付くと思っていなかったリリアナは、珍しく緑の目をきょとんと瞬かせる。
しかし、すぐに満足そうに頷いた。
「そうですよ。良く分かりましたね」
「こんなクズ石を、カマキリの爺に?」
カマキリは優秀な元刺客だが、スリベグランディア王国やユナティアン皇国で魔導士が使うような魔術は使わない。
だから、当然クズ石を貰ったところで戸惑うに違いない。
テンレックが躊躇するのも当然だったが、リリアナは譲らなかった。むしろ、その石をカマキリに渡すことで間違いなく彼はリリアナの元に来る──そう確信しているようでもあった。
「そうです」
理由は告げないまでも、リリアナは堂々と肯定する。
テンレックは訝しげだが、追及は諦めたようだ。多少、リリアナに対しては彼の信条を破って小うるさく忠告をしたが、これ以上の介入は無意味だ。それに、元来テンレックは依頼主の事情に深く立ち入らないものである。
「──分かった」
結局、テンレックは折れた。
「ジルドの話も、俺からはしねえ。俺はただ、このクズ石をカマキリの爺に渡して、あんたが会いたがってた──と伝えるだけだ。それで良いな?」
「十分ですわ」
満足そうに、リリアナは頷く。そして、懐から取り出した袋をテンレックに差し出した。
反射的にテンレックは受け取る。小袋はずっしりと重たい。袋を開けたテンレックは一瞬ぎょっとして、すぐに呆れ顔になった。
「礼金にしちゃあ、気前が良すぎるんじゃねえか」
小袋の中には、平民が滅多に見ることのない銀貨がずっしりと入っている。
金貨でないだけ、リリアナはテンレックに配慮したのかもしれない。だが、テンレックにとっては、さすが貴族は庶民と感覚がズレてやがる──という感想にしかならなかった。
そもそも、銀貨を使える庶民の店などほとんどない。
とはいえ、助かるのは間違いがなかった。
今回のリリアナの依頼で、テンレックが大禍の一族の計画を破綻させるきっかけを作ったと思われたら、テンレックは一族に命を狙われる。身を隠すためには金が入り用だ。
もしかしたら、リリアナはそれすら見越して、テンレックに逃走用資金を与えようと考えたのかもしれない。そう思うと、テンレックは少しばかり、リリアナを見直した。
そんなテンレックの内心を知ってか知らずか、リリアナは当然のことのように断言する。
「そうでしょうか。わたくし、能力のある方は公明正大に評価することにしておりますの」
それはつまり、言外にカマキリを呼ぶという依頼も必ず遂行しろと告げていた。
僅かにテンレックの頬がひきつる。
そんな情報屋を見て楽しげに目を細めると、リリアナは優雅に立ち上がった。
踵を返して、店の戸口に立つ。
話はそれだけだと、態度で示すかのようだった。
だが、扉の把手に手を掛けたところで、リリアナは振り返る。
椅子に座ったままのテンレックに向けて、優美な表情を浮かべたリリアナは最後に一言だけ、告げた。
「あの方には、王宮の道を開けておくと──そう、お伝えくださいな」
今の王宮は、以前の王宮と違う。
かつての王宮は、魔導省の魔導士が万全を期して結界を張っていた。
今の王宮には、その上にリリアナの結界が掛けられている。
だから、どんな玄人であろうと忍び込むことはできない。
オブシディアンであれば辛うじて侵入できるが、それはリリアナが許可しているからだ。
カマキリより優秀なオブシディアンでさえそうなのだから、リリアナが敢えて結界を緩めておかない限り、カマキリはリリアナに会いたくても会えない。
──全てはリリアナの支配下にある。
そう宣言したも同様の台詞を残して、今度こそリリアナは酒屋『詩の蜜酒』を後にした。









