12.緋色に染まる未来 5
ヴェルクの街──その心臓部でもある市庁舎の、最も豪奢な一室。
そこで、神父カスパルは機嫌良く蜂蜜酒を飲んでいた。
ただの酒ではない。カスパルのためにヴェルクの最高権力者たるマルコが手に入れた酒なのだ。一般庶民にはおいそれと手が出せない代物である。
「長年我々も苦渋を舐めて来ましたが、とうとう数えきれぬほどの苦労が報われるというものですな。さすがカスパル殿、咄嗟のご判断とご決断、先見の明、全てが素晴らしくいらっしゃる」
普段であれば鼻につく市長の言葉も、今回ばかりは耳に心地よい。
珍しくも機嫌の良さを目尻に乗せて、カスパルは「いえいえ」と謙遜してみせた。
「大したことはしておりませんよ。しかし、一族もいつまでも歴史の影に埋もれるわけにはいきませんからね」
「いやあ、今後は我々が独占できていた稀有な力も、広く活用されるようになると思うと、惜しい気もいたしますなあ」
「遍く人々に力を貸すわけではありませんよ。変わらず我らの力は、選ばれし者だけのために存在しています」
市長の追従するような物言いを歯牙にかけることなく、カスパルは念を押す。
思いがけず強い口調になったせいか、市長は少し恐れ慄いて、慌てた様子で媚びへつらうような表情になった。
「ええ、それはもちろん、そうでございましょうとも」
カスパルは溜息を堪える。
釘を刺しておかなければ、この男は金に目が眩んで誰にでも彼にでも一族の名を大っぴらにしかねなかった。
これまで彼がヴェルクの最高位者としていられたのは、偏に彼が身の程をわきまえ、金より己の命が大事だと理解していたからだ。
だが、今回、大禍の一族が方針転換をしたことで、マルコは少し勘違いをしたようだった。
つまり、自身はユナティアン皇国第二の都市であるヴェルクのしがない長ではなく、皇国の中央政府にも口を出せる権力者になったのだ、という驕りだ。
もちろん、そんな現実はない。
マルコはあくまでも表向きのヴェルクの支配者であり、実際にこの街を支配しているのはカスパル率いる一族だ。マルコはカスパルたち一族に選ばれた顔に過ぎなかった。
それでも、マルコは自分が特別に一族へ迎え入れられた存在なのだと信じて疑わない。カスパルも、そんな彼の勘違いに気が付きながら、正そうとはしなかった。
そんなマルコだからこそ、カスパルは重宝しているのだ。
実際に、今日わざわざマルコの誘いに応じて彼の館に足を運んだのも、その価値を存分に発揮してもらおうと考えたからに他ならない。
「ですが、そんな我らの力を更に強大なものにできると、あなたはご存じでしょうか?」
気を取り直して、カスパルは意味深に口を開いた。
マルコは機嫌よく酒を飲んでいたが、カスパルの問いを聞いてきょとんと目を瞬かせる。そうすると、少し間抜けに見えた。
「と、言いますと?」
当然、マルコは聞いたことがないはずだ。それは、一族の中でもごく限られたものしか知らない事実だった。
マルコに伝えられたことはないと知りながらも、カスパルは平然と、顔を驚き一杯にしてみせた。
「なんと、もしやご存じありませんでしたか。これは大変失礼いたしました、すでに伝わっているものだと思っていたのですが──」
「いやいや、もしかしたら、ええ、伺ったやもしれませんな。ですが、えー、あいにくとこう、ぽっかりと失念してしまいましたもので」
マルコは気まずかったのか、それとも自尊心を傷つけられたのか、どもりながら目をうろうろとさせ答える。
あまりにも分かりやすい反応に、カスパルは内心で呆れ返った。腹芸の一つさえもできない男だ。
だからこそ、カスパルはマルコの側近に、優秀な部下を配置したのだが──神輿に担ぐとしても、もっと他に良い選択肢があったのではないかとさえ思う。
だが、こういう男だからこそ、カスパルは何の感慨も抱かずに切り捨てることができるのだ。
悲しみはもちろん、同情はおろか憐みも湧かない。
「とんでもありません。恐らく、こちらの伝達がうまく行っていなかったのでしょう。なにぶん、一族の中でもごく数人しか知らない情報でして──万が一にでも口外した者は、己の命を持って償うことになっているのです」
さらっと、カスパルは恐ろしいことを口にした。
これは、嘘ではなかった。大禍の一族には数多くの秘密がある。秘密にも段階があって、最も厳しく守られるべき情報は一族の総代と、彼の腹心の部下を含めた数人しか把握していない。
これからカスパルが伝えようとしているのは、その最重要機密の一つだった。
カスパルは総代の右腕の一人だ。だが、そのカスパルをして中枢部の人間が何人いるのか把握できていない。
権力を持つ者同士が繋がりを持たないようにするという、一族の鉄の掟が理由だった。
腹心の部下は、己がそうであるという自覚と、総代の存在──その二つしか、把握していない。
「は──?」
まさか、そんな重大な秘密だとは、マルコも思っていなかったに違いない。彼は愕然と目を瞠った。
口をぱくぱくとさせて、無意味に首を振る。
もしかしたら、そんな話は聞きたくないと言おうとしたのかもしれない。
だが、カスパルは止める気がなかった。
もちろん、全てを詳らかにするわけではない。基本的な内容は変わらないが、真に重要な部分は別の内容に置き換える。
仮にカスパルがしたことを総代が知れば、カスパルはその瞬間に命を取られるだろう。
だが、もしカスパルの作戦が成功すれば、一族は間違いなく更なる繁栄を約束されるはずだった。そうなれば、カスパルが総代になることもできるかもしれない。
その情報を知った時、潰えかけていたカスパルの野心に火がついた──この大陸の、影の支配者になるという、壮大な野望だ。
「我らが一族の特別な力には、太古の気が宿っているのです」
おもむろに、カスパルは語り出す。
面白いほどにマルコの頬が引き攣ったが、カスパルは昔馴染みの思い出話をするときのような気やすさで、淡々と続けた。
「その太古の気をどこから得るか、あなたには想像ができましょうか?」
普段と変わらぬ穏やかな態度で、カスパルは問う。
当然のごとく、マルコは答えられない。だが、カスパルは答えを期待していたわけではなかった。
「この大地から、得るのです。もちろん、大地であればどこでも良いわけではありません。特定の場所──太古の脈と繋がりのある場から、少しずつ使わせていただいている。それが、我々の力の源なのです」
しかし、とカスパルは声を潜める。
「その場所はあまりにも特殊です。また、永続的に太古の脈と繋がりがあるわけではありません。古代の脈は生きています。そして、今と繋がりのある場は時と共に変わるのです。我々は、それを枯れると表現します」
「──はあ」
マルコは口の中で、曖昧にもごもごと相槌を打った。
カスパルの説明を聞いても、今一つよく想像ができないに違いない。
そうと悟って、カスパルはもう少しだけ、説明を加えた。
「いわば、金脈や鉱脈のようなものです。金や鉱物が採れるうちは良いですが、ある程度の期間、採取を続けていると、いつしか金や鉱物が採れなくなるでしょう。その時、我々は新たな金脈や鉱脈を探すのです」
「いや、まあ──その通りですな」
金脈や鉱脈の例えは、マルコには理解しやすいものだったようだ。
一族に纏わる打ち明け話が始まってから、ようやくマルコは少しばかり理解できたような顔をした。
それを確認して、カスパルは「新しい金脈や鉱脈は、綿密な調査により探索がなされますが」と続きを説明する。
「問題は、大禍の一族が用いている太古の気と繋がる気脈──我々は竜脈と呼びますが、これを見つけるために、多大なる苦労を強いられるということなのです。何分、我々が使っている太古の力は、金や鉱物と違って目に見えぬものですから」
目に見えない力を、無限に広がる大地のどこから手に入れられるのか探すのは非常に難しい。
金脈や鉱脈であっても新たな採掘現場を特定するのに時間がかかるが、大禍の一族が最高機密として確保している竜脈を一つ見つけるためには、一世代か二世代が必要だと言われていた。
だが、どこにでも例外はあるものだ。
カスパルは、その例外を手に入れられる伝手があると、マルコに囁いた。
マルコは、息を飲む。
聞いたが最後、後戻りはできない──そんな理性の囁きとは裏腹に、マルコはカスパルの言葉に魅せられていた。
間違いなく、これからカスパルが話す内容は聞かずにいた方が良い情報だ。何も知らないまま、これまでと同じように権力を握り、安穏とした生活を送る。その方が、間違いなく末長い幸福が約束される。
だが、安全に身を浸していては今以上の力は得られない。
自分はヴェルクに収まる器ではないのだと、マルコは思った。
これまでは努めて意識して来なかった、彼の本心だった。
ヴェルクの市長でしかないマルコは、ユナティアン皇国の中央政府で己の力を試してみたくとも、機会がなかった。
どれほどヴェルクで権力を恣にしても、皇都トゥテラリィの中枢に居る貴族に伝手がない。多少の知人は居るが、マルコを引き入れられるほどの立場にはない。
そのマルコが得た唯一の武器が、ヴェルクに根を張る大禍の一族だった。
彼らは自身を選ばれし者だと考えているらしく。どれほど協力しても他人行儀だった。腹が立つこともあったが、一族のお陰でマルコは今の贅沢な生活を謳歌している。それも事実だから、マルコは必要以上の欲を持たぬようにと──否、心にある欲を表に出さぬようにと、己を律して来たのだ。
──その、理性が、少しずつ溶かされていく。
「我が一族は、ユナティアン皇国を真に動かす存在です」
カスパルは、マルコに穏やかだが死に至る毒を注ぎ込む。
「今は、その力をトゥテラリィのとある貴族に握られているため、皇国の道具に徹していますが──」
あとはお分かりですね、と、カスパルは口角を上げた。
無論、その程度の示唆が分からないマルコではない。マルコは俗物だが、頭は回った。
ヴェルクの市長でしかない彼は目を細めて、手にした杯を慎重にテーブルへ置く。
「その力を自ら手に入れられるようになれば、カスパル殿を縛る者はなくなる──そういうことですな」
カスパルは答えない。だが、笑みが深まる。
それが、答えだった。
「それで」
マルコは唇を舐め、低く尋ねる。
「その鍵は、どこに?」
カスパルが話を持ち込むのであれば、既に彼はその在り処を知っているはずだ。
そう確信した問いは、まさにカスパルが待ち望んでいたものだった。
「隣国ですよ」
マルコは、目を瞬かせる。彼にとっては、全くの予想外だった。
「それは──スリベグランディア王国、ということですか」
「左様」
一つ頷き、カスパルは囁く。
「金の卵を産む鵞鳥を、我々は求めているのですよ」
なるほどと、マルコは目を細めた。
施政者に相応しい鋭さが、表情に過る。
マルコはにやりと不敵な笑みを零した。
「鵞鳥は殺さぬように、誘き出し生け捕りにするのが宜しいでしょうな?」
カスパルは、我が意を得たりと目を細める。
そして、何気なく、彼は最後の餌をちらつかせた。
「幸いにも、鵞鳥は自ら足を運ぶでしょう」
「自ら?」
マルコは目を瞬かせる。カスパルは、ちらりと窓の外に目を向けた。
市庁舎の窓から見える尖塔──その地下は牢だ。そこに、鵞鳥を誘き出す餌はある。
「この世に二つとない財宝と共に、鵞鳥はここヴェルクに来る手筈です。そう遠くない、未来に」
不審な表情を浮かべていたマルコは、カスパルの視線を追って、何かに気が付いた様子ではっとした。
勢いよくカスパルを振り返り、マルコは唖然とする。
しばらく固まっていたが、やがて彼の喉の奥からは、堪え切れない笑いが静かに漏れ始めた。









