4‐8 文脈自在/アランド
Δ
ローレンは眼前で飛び回る眼球状の霊体を前に、その眦を歪ませた。
疑問は数限りなくある。どうして『陰迷』がイルファン=バシリアスと手を組んでいるのか、どうして乱れた呪界のなかで霊魂飛ばしに類する術を使えるのか、そしてどうして、その男が提示する案のほかに取りうる策がないのか。
「ローレン=ノーラン殿下、お聞きになられてますかい? あっしの築いた呪界通信網はありがたいことにまだ侵食されてねぇ。これを使えば、珍妙なこの機械ごとエルトリアムへまっしぐら、障害ひとつなく到着できまさぁ」
「流石はラフィーね」イルファンが言う。
「調子のいいことを言いおって」男は舌打ちをした。
ローレンにとって最も重要なのは、エルトリアムにおいて自らの地位を盤石にすることではなく、術式に関する研究を最大限に行うために安全な地位を手に入れることで、その思考回路からすれば、このラフィーという闖入者が、場の術式オタク成分をかっさらっているのは我慢ならなかったのだ。
「馬鹿どもめ。皇都には私とエルミスタットが張った四重の術式結界が存在している。いかに無法の蟻人製だろうと結界に穴をあけるのは不可能だ。つまり、ラフィ―とやらの方法を用いても、皇都の中まで入るのは無理だ」と、ローレン。
「外周まで着けるだけで十分でしょう」ルハランが言う。
「門がなければ、防衛術式に接触する。呪界の藻屑と消えるだけだぞ」
何を隠そうローレン自身が築き上げた防壁だ。それに触れればどうなるかは親の顔よりもよく知っている。まず第一段階の拒絶能が作動し、呪界とのあらゆる接続、呪体間の連結がすみやかに遮断される。その後、特定能によって実界上の位置情報と来歴をつまびらかにされた対象は、第三段階の除去能によって、ゆっくりとその存在情報を解体され、呪界の汚泥の一部となるのである。
では同等の技量をもつ術式士が外部から解体すれば? ローレンはその可能性も事前に想定していた。エルミスタットと共同で造り上げた防衛術式は、その書き換えに備えて、内外の双方向からお互いを監視しあっている。仮に術式情報に齟齬が生じた場合は、より古い情報を参照し、元の状態に復元できるように。
それゆえ、常識的に考えて、防衛術式の解体を外部から行うのは不可能だった。たとえイルファン=バシリアスの『絶気』という異能があったとしても。
「結界なら問題ねぇ」だがラフィーは軽い口調で男の危惧を退けた。
「なんだと」ローレンが問う。
「術式皇子様は己の防御に絶対の自信があるみてぇだが、でもま、それには大きな盲点がありまさぁ。あっしの通信網は、結界の影響を受けねぇ場所を通ってる、あんた、なんにも気にする必要はねぇのさ」
「待て。それは何処だ」
「深青宮の地下、ローレン=ノーランの研究室さ。あそこにゃ穴がある」
「処刑してやる」
ローレンはすかさず視鏡を胸元から取り出し、簡易の魔法を発動させようとしたが、その手をイルファンがぱしりとはたいた。
「いい加減にして」
「あんただって分かってるはずさぁ。鍵なしで通過できる入り口がそこしかないってことは。なのに、殿下謹製の移動網は熱部の余波で使えねぇ。だったらどんなにあっしが憎くても、あっしに従うしかねぇ。争っても仕方ねぇでしょうよ」
「くそ。私の『副脳』さえ無事なら貴様など」
「ほう! 驚いた。既に完成させてたんですかい」
「口が滑った」ローレンが頭を抱える。
ラフィーがかかか、と笑った。
「いや、僥倖さぁ。あんたがあれを作れるのならデルフォイの連中は最悪、ここから脱落してもいいってことになる。十界法則からすりゃこれ以上ない良手。あんたやっぱり、腐っても天才魔導士だと言わざるをえないですぜ」
「お前のような奴に評価されるつもりはない。私の凄さが分かったならとっととこの船に経路を接続しろ。いつまでも馬鹿の掛け合いをする気はない」
「そこに一つ大きな問題があるんでさぁ。先ほどまでの無礼を詫びざるをえねぇんですが、実はあっしには呪界での経路接続ができねぇ。この呪界を高速移動する呪体もどきを掴んで、蟻人の網に乗せ替えるなんて到底無理でさぁ」
ローレンはまたしても頭を抱えた。それは蟻の頭の不手際に対する脱力であると同時に、そんな男に自分がまんまと踊らされていたということへの悲しさでもあった。なんのことはない、このラフィーは術式などろくに扱えない傭兵頭にすぎないのだ。と、もちろん、そう思わされている時点でローレンはやはり手玉に取られているのだが、そのことにまでは考えが至らなかった。
「待て、まともな術式士はそちらにおらんのか」ローレンが問う。
「残念だがこっちの脳みそはアラエドだ。現場対応にすこぶる鈍いのさ」
アラエド=ニール=ネーブルセン、彼もしくは彼女は、ノーラン皇国の地下組織すべてに片脚を突っ込んでいるはぐれ術式士であり、その異名は『百目鬼蜘蛛』。アラエドが使用する糸は極めて細く、そして粘り強い。一時は、ラングリアで働く者の半数以上が蜘蛛の糸にかかっていたことさえあった。
だが、その手広さを維持するためなのか、あるいは単純に興味が持たないのか、アラエドの糸はたとえ切られようとも大した反応を見せないことが常だった。「とりあえず張ってはみた」ものの、それをどう活用するかという点にはとことん無頓着なのである。すなわち、アラエドという『呪氏』は扱いにくい。
それゆえ、ラフィーからその名が出たことは意外だとも言えた。情報操作、即時行動、裏工作が得意技の蟻人兵が、あれほど不安定な脳みそを、嫌々ながらも使っているというのは、いかに裏社会において使える術式士が少ないか、ということの証左だ。ローレンやロンティエルが有能な者を自らの陣営に引き込んでいることが原因の一つでもあるが、地下術式士の人材不足がまことに嘆かれる。
こと、こういう状況においては。
「あの役立たずめ。分かった、私が繋ごう」ローレンが言った。
「たぁいえ、常に変動する呪界のなかでこっちを捉えるなんて至難の技でもまだ足りねぇ。たとえるなら飛び回る竜の背中から矢を射るようなもんで、よしんば命中したって繋いだ糸が切れちまったらおしめぇってくらいの難事ですぜ」
ラフィーが軽口を叩くが、その声色は決して軽くはない。事実、彼のたとえはそれなりに的を射たものだった。大規模変動が生じている現在の呪界で、たったひとつの狙った回線に乗り換えるなど、それも内部を流れる小さな芥子粒から繋ぐなど、普段のローレンならば実行したいとも思わないだろう。だが今はそんなことを言っていられる事態ではなく、やりようがないわけでもなかった。
「ふん。悪いがその程度なら目を瞑ってもできる」無論、強がりにすぎない。
「強がりはかっこいいですが、やってやれねぇと困るのは結局あんた、」
「だから、矢を突き刺しにいくのは難しくもなんともない。貴様の端末から逆に辿っていけば、場所くらいはすぐにわかる。あとは、船を移し替えるだけだ」
そう言うと、ローレンはゆっくりと地面に腰を下ろして、その瞳を閉じた。その存在の気配がみるみる薄くなるにつれて、あのラフィーでさえもが狼狽した声を挙げながら、くるくると、きゅるきゅると、興奮したように宙を回転した。
「ひぇ。この男、狂ってやがりまさぁ」
「兄上は何をしているのだ?」ルハランが問う。
「霊魂飛ばしでこの呪界をうろついてやがる」
「それって危険なの?」イルファンが問う。
「嵐の大海原を裸で泳ぐよりも滅茶苦茶でさぁ」
ラフィーがそう言った瞬間、ローレンが止めていた息をぷはぁと吐いて、喘ぎながら地面をのたうち回った。介抱するルハランが三度、男の名前を呼んだとき、ようやく皇太子は瞼を開いて、苦しそうな顔で唇をゆがめた。
「刺してきたぞ」
「こりゃあとんでもない狂人に手を出しちまったかね」ラフィーが言った。
「やっと皇都の通信網が使える。よくやった、蟻人の頭」
よくやったのはラフィーではなくローレンであるが、呪界に単身遊泳を試みた男の精神はやたらに高揚していて、些細なことなど気にもなっていないらしかった。やけに機嫌のよくなった男は、少女に気味悪そうに見られながらも、術式板を軽快に操り、彼がずっと欲しかった情報を次々と引き出していった。
「ローレン殿下、こっちの回線を使うのはいいんですがねぇ」
「すこし黙れ。お前らの造った出口ならもう視てきた。お粗末だがアラエドにしては悪くない仕事だ。欲を言うならば、門の防衛をもっと緻密にしろ」
「そうじゃねぇ、皇宮の記述樹に繋いだらあっしの通信網が全部芋づる式に吊り上げられちまうかもしんねぇってことでさぁ」ラフィーが言う。
「五秒毎に糸を変えて接続している。そもそも、今のところ探知はない」
ローレンが端末から顔も上げずにそう言うと、ラフィーは参ったとばかりにイルファンの元へと飛んできて、その眼球だけの身体だというのに、器用にも「あいつの頭はくるくるぱーだ」という素振りをして見せた。
イルファンがそれに心から同意したとき、ローレンが叫んだ。
「ベルメーラから通信がある、くそっ、あの女負けやがった! 私の研究室にルスラの部下が入ったようだ。結界の穴を塞がれるかもしれん。いや、それどころか出口を探知されるぞ。仕方ないヤケクソだ、ラフィー、出口を変えろ」
「出口を変えても意味はねぇでしょう。経路自体を補足されてるなら」
「いや。私が研究室に造った穴はそんなに柔じゃない。あそこから乗り込むにはたっぷり二日掛かるはずだ。代わりに奴らが何かするとすれば、」
「なぁるほど、この回廊の出口を辿って先回りか」ラフィーが呟いた。
皇都内外を密かに行き来するため、ラフィーとアラエドは回廊をいくつも造り上げていたが、皇都内の出口はわずかに一つしかない。貴族街に設けられた『裏門』である。皇都貴族シェルバーニュ=フーラが愛人と葡萄酒を隠すために買い上げた小屋敷、その地下室こそが蟻人たちの拠点であり、出入口だった。
その位置がばれたとなると、ローレンたちもこのままラフィーの回廊を通るわけにはいかない。『呪界通路』内部の他の回廊を通って、別の出口に出るしかないが、その出口というのがこれまた厄介なことに二つしかないのであった。
「こっちの出口は閉じさせやした。次はなんにしやすか?」とラフィー。
「使えるのは皇宮内の正規移動用術式門か、私用の門だけだ」
「正規門は封鎖されてるとして、私用ってのはどんなもんでさぁ」
「術式機械を運搬するために皇宮の庭園上空に設置した。私以外の者が封鎖できるような高さでもないし、物理的に閉鎖することも不可能だが、問題が三つある。まず、今は皇貴会議のただなかでラングリアの警戒度は最高だ。出れても無事に済むとは思えない。次にラングリア自体の防衛術式までは解除できない。そして、最悪なことに、その出口は私が一年前に封鎖したままなのだ」ローレンが言った。
「なんで閉めたのよ?」イルファンが問う。
「呪界生物が皇都外から侵入する経路になっていたからだ」
その言葉にラフィーが呆れたようにため息を漏らしたが、逆に言えば、己で閉じたということは己で開けられるということで、問題は少ないように思われる。だが、最高警戒度にあるラングリアの防御を無事に突破して、安全圏にたどり着けるかどうかは極めて怪しい、術式音痴のルハランでさえそう思った。
「なんとか、別の場所に出口を作れないのか」ルハランが問う。
「やろうと思えばできる。皇都結界を突破したのち、『呪界通路』を即時構築しながら前進し、有効位置で呪界と実界の境面を破れば実体化できるはずだ」
言うは易いが滅茶苦茶な理論だった。
ローレンの技量をもってすれば呪界通路の即時構築は不可能ではない。しかし、『界境』を強引に破って現出するなど、よほどの魔力を持つ限定魔術士でなければできず、また仮に実体化したとしても、一度呪体化した実体を、それも魂を、術式陣なしに復元するのはたとえローレンでも難しかった。
「そりゃいくら何でも無理がすぎるってもんですぜ」
「分かってる。これは一番無理な案だ。次善策は、ラングリアの門自体を別の場所まで移動させることだ。これなら俄然できる気がするんじゃないか」
先ほどの案を聞いたうえであれば、まだマシな方法ではあった。門自体を移動させ、どうにかして封鎖を破れば、術式陣を通って実体化できる。難しいとすれば、肝心の門を移動させる工程だった。普通、術式門は座標を変えられないのだ。
だが、ローレンという男にしてみればそんなことは難事でもなんでもない。元から空間中に『無形』で刻み込んだ術式陣の位置を変えることなど、己が魂をひらりと飛ばしてみせれば、ただ両の手で引っ張ってやるだけの話だからだ。
「むしろ厄介なのは封鎖のほうでさぁ。ローレン=ノーランともあろうお方が呪界生物を絶対に通さないように試みた術式陣とくりゃぁ、外から破れるどうかは、疑わしいねぇ。たとえその本人が破る気だとしても何時間かかることやら」
「自分で閉めたんじゃないの?」
「簡単に開けられるなら、最悪なんて言わねぇと思いますがねぇ」
ちらりと眼球がローレンの方を向く。さすれば、ローレンは頬の肉を引きつらせて、口をもごもごと動かすと、ひどく言いたくなさそうに誉め言葉を発した。
「その通り。開けられん。見事な洞察だなクソ傭兵。だが計画に抜かりはない」
「へぇ! とんだ度胸の持ち主だが計画までヤケクソだったら乗れねぇですぜ? あんたらの船にはこっちの主も乗ってるんでさぁ。具体案を寄こしなせぇ」
「単純明快! このガキの特質で閉鎖を破りぬける!!」
「ほう。結局はリアト姐さんと同じ考えってわけですかぃ」
ラフィーが鼻で笑い、ローレンが舌打ちをした。が、その瞬間、立ち上がった少女が皇太子の滑らかな青髪を強めに引っ張った。男が痛みに飛び上がる。
「なんだ!」
「ちょっと。勝手に私を計画に入れないでくれない?」イルファンが唸る。
「じゃあ、一人で結界に突っ込んで死ねばいい!」
「残念。私は結界を破ればいいだけだもん」
イルファンが言うように、『絶気』はおそらくローレンの結界術式すらも断ちうる代物だ。だがランツの言葉を信じるならば、結界術式の構造は剣が接触した瞬間に瓦解し、その構造崩壊の余波は門全体を壊してしまうだろう。
すなわち、イルファンがローレンに先んじて脱出を目論んだりすれば、飛蟲船は呪界からの出口を失うことになる。安全に門から抜け出るためには、ローレンと少女の完璧な連携が必要になるのだ。忌々しいことに。
「結界術式に大規模干渉を仕掛けてこじ開けるのでは?」ルハランが問うた。
「できなくはないが、熱部の呪界を歪めた私がそんなことをしてみろ。今度こそ皇都への攻撃を仕掛けたかどで敵対認定されかねん。それに、あの防衛術式なら三秒歪められるかも怪しい。そんな賭けは却下だ」ローレンがまくし立てた。
「じゃあやっぱり私がいないと駄目ってことね」イルファンが得意げに言った。
「ちっ。協力すれば見返りをやる。手を貸せ」
「見返りってなによ」
「何でもだ。私が与えられるものならな」ローレンが疲れた声で言った。
「へぇ」
少女がしてやったりとばかりに笑う。意外にも、イルファンはその言葉を引き出すために会話を紡いでいたらしかった。常識外の力をもつこの少女の望みとはなんなのか、想像してローレンはぶるりと震えた。
たとえば術式技術、その根幹たる技法の共有、もしくは専有。記述樹への常時接続権、法外な契約の締結、紋章板への干渉、どれも国体すら揺るがしうる。いや、いや、いくら怪物的な力を持つとはいえ、あれはまだ少女だ。望みも少女の考える範疇におさまっているはず。そうでなくては困る。
となれば、年頃の女が考えそうなことだ。美しい王子との婚約、とそこまで考えてローレンは自分の行き過ぎた考えの手綱を引いた。それはない。
「何が望みだ。あまりにも無礼なものはいかんぞ」
「分かってる。一つだけ。エルミスタットって人に会わせて」少女が言った。
「何だと。なぜそんなことを望む?」ローレンが口をぽかんと開けた。
「それが私にとって死ぬほど重要だからよ」
エルミスタットがどのような存在であるかはおろか、その名前さえも民草の間ではほとんど知られていない。無論、皇宮に出入りするような兵や商人は知っているが、彼が、正しく「なんなのか」ということは知られていないはずだった。あれがいくら、見た目だけは麗しい少年であったとしても、この眼前の少女が謁見を望むということは万に一つもありえない。ありえないはずだった。
「あれが何か知っているのか?」ローレンが問うた。
「知らない。会わなきゃ分からないことがあるだけ」
「ふぅむ。お嬢ちゃん、エルミスタットの名をどこで聞いたんです?」
「子どもの頃よ。たぶんリアトに会う前だと思う」
ラフィーとルハラン、それにローレンは唸り声をあげて黙った。後ろで倒れ伏しているリアトやレグルスならば、あるいはこれがいかなる事態であったか分かったのかもしれないが、ローレンには、とんと事情の推察ができない。
そうなると問題は、年頃の少女をあの下劣漢に会わせていいのかというその一点になるわけで、男の脳みそが弾きだした答えは、やがてひとつの質問となった。
「ところでお前、男女のことについてどこまで知っている?」
「キモ」イルファンが軽蔑のまなざしで吐き捨てた。
Δ
ルディオを脇に置いて、舞台の中央に立つは再びルスラであった。だがその笑みには先ほどの余裕と合わせて、わずかな迷いも垣間見える。青年は自らの父であるアランドの内心と、その目的を推し量っていた。
「さてさて、次に議題に挙げられているのは我々熱部が行っている術式研究の是非、ということでしたが、これを議論されたい方はどなたです?」
「私だ」名乗りをあげたのは、意外にもテルメア=フォンドランであった。
乾部の英雄にして現国属軍三大将が一人、テルメアは、その冷酷無比な作戦指揮と、戦時下においては強力すぎる能力『統気』で名を知られる男である。彼の力をもってすれば、戦場の斥候から一兵卒、武官、文官に至るまでが中級剣術士に比する靈力を発揮し、機械のごとく統率された動きを見せると言われる。
「フォンドラン閣下も術式研究に興味がおありで?」
男は小ばかにしたような笑みを浮かべるルスラを睨みつけた。
「茶番はやめたまえ。私個人ではない。私と私に付き従う五万の兵たちの総意だ。先の機両戦争では、多くの兵たちが為すすべなく術式機械のまえで挽肉にされたそうではないか。それほどの力を貴様ら一家が有しているというのならば、明らかにせぬは叛意。戦に役立てぬというのならそれも叛意。以上が軍部の見解だ」
テルメアがこのように強い言葉を使うのは初めてではない。テルメアは幼い頃に父から受けた教育をそのままに、フォンドラン家の男としてまったく正当な振る舞いをおこなうことを心掛けていた。もちろんルスラはそれを知っている。
「なるほど、閣下は我々の術式技術を軍部に明け渡せと仰る」青年が言った。
「そも、貴殿は皇王陛下より軍全体の指揮権をわずかながらも与えられたる男。私に言わせれば軍部の第三の脳だ。無論、すべてを我々につまびらかにせよとは言うまいが、その力を、同じ組織の人間にひた隠しにすることはなかろう」
「当然です、フォンドラン閣下。しかしながら、私にとって極めて不思議に思われるのは、なぜそのような当然至極のことを貴方がわざわざ、皇族貴族過半数の票を搔き集めてまで、この皇貴会議の議題となされたか、ということです」
テルメア=フォンドランは焦っている。それは少し情勢に詳しいものならばすぐに分かることだった。神聖トルリアの内乱にともない、同国との関係は悪化の一途を辿っている。仮に戦でも起きようものなら、その軍を指揮するのはテルメアを含む三将軍だ。だが、実際に勝利の栄誉を獲るのは、彼らではない。
美酒を飲むのは、皇属軍の第一管理官たるラハリオその人であり、第二管理官であるミアド=ベリフェスである。そして、その補佐である第三管理官ルスラ=デルフォイだ。その局面に至った場合、フォンドラン家は目障りなデルフォイ家を軍部から排除できなくなる。そしてもちろん、テルメアに敗北の予定はなかった。
テルメアは考える。そもそも、なぜラハリオ=セン=ノーランは、皇属軍の補佐管理官という重大な役どころを、他の無天皇族やメイン家ではなく、デルフォイ家の若造に任せたのだろうか。ルスラという男は確かに、天性の十界繋者と呼ばれている。だが、彼でなければならない理由は、万に一つもありはしないのだ。
ルスラが必要であるとすれば、その理由は彼自身ではない。ただ一つ。デルフォイ家という皇国の異物を、目の届くところで管理するためでしかありえない。であるならば、皇王はどこでデルフォイを潰すつもりなのか? 現情勢が続けば、熱部人はどこかの段階で、皇国を内側から蝕んでいくはずなのである。
テルメアは己が皇国の真の剣となることを望んでいる。それゆえに男は、この皇貴会議の場で、信用ならない味方を暴くことを選んだのであった。もっとも、彼にとっての皇国とは、フォンドラン家がハオンの御子となることであったが。
「では私からも尋ねよう。なぜ研究を開示するのを嫌がる?」男が言った。
「嫌がっているように見えましたか」ルスラがまた微笑む。
「なにを。こう軽んじられては面子も立たんな。嘲ざ笑うのが好みか?」
「いえそのつもりは。しかし、ここまで敵視されてしまってはどうにも」
デルフォイという家を多くの貴族が敵視しながらも、表立って声をあげなかったのには、二つの理由があった。一つは言うまでもなく、同家が乾湿戦争中の反逆行為によって苛烈な制裁を受けたからであり、そしてもう一つは、そうであるにもかかわらず、デルフォイがラハリオの庇護を受けていたからである。
とはいえ、テルメアのような男は物事を都合よく解釈し、皇王の思惑さえも己の思うがままに作り出してしまう。彼にとっては、デルフォイ家は今までもこれからも、皇国の敵であり、そしてまた皇王ラハリオの敵であった。
皇王ラハリオに対する愛憎入り混じる思いを言葉にするのは難しい。乾湿戦争で鬼神のごとき力を見せたラハリオに対して、テルメアは心底から畏敬の念を抱いていたが、その男が、フォンドランの道を妨げていることは憎らしい。ノーランもデルフォイも敵視しつづけた男に、真の味方といえる陣営は軍部だけだった。
「はからずしもローレン殿下と意思を同じくするが、我々軍部の三将は、まさしく、デルフォイの術式研究に懐疑的だ。言い換えれば、信頼を著しく欠いている」
「お三方すべてがですか?」ルスラは微笑みを崩さない。
「あぁ。三将すべてが、軍から貴家への援助を打ち切ることに賛同している」
軍部三将、フォンドラン家テルメア、ニゴット家ランカ、カリヨン家エルデン。彼らはそれぞれが異なる派閥に属する皇都貴族であるが、皇国軍備に関する考え方においては、さほど違えるところはない。唯一、その母を乾部守護リディア家に持つランカ=ニゴットだけは非戦を唱えているが、それとて、リディアが有する大鉱山の資源利権を独占し続けたい乾部貴族の思惑が働いているだけである。
彼らはみな、軍備の側面においては、合理的に鑑みて、人間から術式兵器への転換を、その注力を、積極的に進めないわけにはいかなかった。その鍵を握るのはデルフォイ家、そしてローレン=ノーランだ。このどちらかを取り込まねば、軍部はいずれ術式兵器を有する家によって、弱体化を余儀なくされるだろう。
だが、ローレンもデルフォイも、取り込むにはあまりにも強力すぎる毒を持っていた。どちらと手を組むにしても、それは軍部が皇都における対立の天秤を大きく傾けるということであり、その影響は計り知れない。ローレンを選んだがために熱部貴族の信頼を失うことも、デルフォイを選んだために皇族の覚えが悪くなることも、三将としては避けなければならなかった。
しかし、それでも一方を選ばねばならないとすれば、テルメアはその私情を抜きにして合理的な判断を下す。ローレンとの同盟である。ノーランの権威を更に強めることとなろうとも、アランドの手に権力を集めるのは些か危険すぎた。とはいえ、これは単に、ローレンを生かさず殺さずにデルフォイを排除するという、まさに殺しの順序においてのみ意味を持つのであり、結末は端から決まっていた。
「『飛浮機』、『角鬼機』、『機両』、各国が副脳兵器を揃えはじめているというのに、我が国が持ちうる兵器はいまだ旧式の術式機械のみ。その開発を一任されている汝らデルフォイからは、いまだ音沙汰なく、『飛竜船』を作っているかと思えばその情報を自ら否定し、代わりに禍物機械の図案を示すときた」
「禍物機械」ルスラが笑みを浮かべる。
「先に都主付きのペンドラン家より提出された書類があったろう。その中に記されている魔獣のような形をした飛行機械のことだ。まったく殿下のおかげで、汝らに提出させる手間が省けたわ」テルメアもそう言って微笑んだ。
熱部席からは気味が悪いほど声が上がらない。あのスタラド=リベーツでさえも、このテルメアの独壇場には沈黙せざるをえなかった。軍の中枢であるテルメア、彼に意見するということは国属軍の四分の一近くが敵に回るのと同じこと。他の将軍たちが意見を同じくするというならば、実に十万の剣先が己を向く。
意見できるとすれば、軍自体を取り崩しうる四名家か、あるいは強大な力を持つ無天皇族のみ。ベリフェス家ほどの格がなければならなかった。
「そもそも貴家が皇貴会議前に全家に送り付けた『デルフォイ術式研究の総覧』とやらには、この飛行機械のことがろくに載っておらんではないか。構造をみるに、魔獣の生体を利用して、呪体化可能とした飛行機械だろうが、あれは明らかに禍忌魔術の応用と思わしき技術。あんなものが認められると思うか」
テルメアは端末を取り出すと、それを壇上の『枝』に接続する。『パリィ』の天蓋にいくつもの光が点り、黒線によってびっしりと埋め尽くされた術式兵器の設計図が映った。見るもおぞましいその設計の根幹は、魔獣の骨肉である。
ルスラは沈黙を貫く。テルメアの声はそのために、すんなりと貴族たちのあいだを抜けていった。禍忌魔術、その言葉が浸透していくにつれて、頑迷な皇都貴族らがざわつき始める。もちろん、デルフォイの禍忌性は周知のことであった。だが、いざ実際にそれが身に迫ってくると、急に恐ろしく感じられたのだ。
禍忌、それが意味するのは、生物の肉体や魂に干渉する魔導ということに他ならない。デルフォイ家にある『飛船』が仮に禍忌だとすれば、その素材は果たしてなんなのか。まるで魔獣をそのまま船にしたようなかたち、その材料のひとつに人体素材が一片も「入っていない」とは、熱部人ですら信じてはいなかった。
「元より、貴殿らデルフォイの技術はすべて忌まわしきグレルトの呪術に則ったものではないのか、そういった懸念も軍部内で噴出していた。此度のことでようやくそれが明るみに出たのではないかと、我々は考えている」
熱部人たちの多くは、それを聞いて三つのことを想った。
まず、その忌まわしき技術を戦場で用いて戦ったのはまさにテルメア率いる皇国軍であること。その技術をほんの数年前まで禁忌とせずに研究していたのも皇国軍部であること。そして、その中心にはテルメアがいたことである。
デルフォイを糾弾するテルメアの目的は、結局、ローレンと同じで、デルフォイの失脚と術式兵器技術の収奪なのだ。そして、最終的には皇属軍を取り仕切る管理官となり、そして、そして、そのあとは、もはや一つしか道はなかった。
だが、そうした疑いをテルメア、いや軍部組織に向けるほど度胸のある者はいない。あのエルリア=メインでさえも微笑みを浮かべず、リオラーン=リディアでさえも嘲笑を挟まなかった。フォイン=バシェル閣下に至っては、テルメアの戯け事をまるで皇国のための最良の術とばかりに聞き入るばかり。無能である。
もちろん、ルディオ=ペンドラン、ローレンの最後の守り手である男だけは、必死に考えを巡らせていた。この無益にして愚昧な議論のただなかから、都主に有利となる交渉を引き出せないかと、ずっと唸っていたのである。しかし、流石のルディオも、この緊迫した空気のなかにもう一発の爆弾を放り込む気にはなれなかった。ここはテルメアに任せるべきだと、そういう雰囲気ができていたのだ。
期待を寄せられたテルメアは、いよいよ語気を強めた。
「ひいては、デルフォイ術式研究の完全開示と譲渡を要求する」
「そのつもりはないと先ほど仰ったはずでは?」
「貴殿の非協力的な態度が、私の考えを改めさせたのだよ」
テルメアがルスラに迫る。無論、皇貴会議とは、本来このような催しではない。大抵は有天皇族が就く都主に、ハオンの御子としての権威と力を与えるための儀礼であり、そしてまた、その威光を全貴族に知らしめるためのものである。
だが、時を経るにつれて性格は変わり、今では、不甲斐ない都主を、力ある貴族らが糾弾する、あるいは力ない貴族が嘆願を申し出る場となっていた。それだけでも儀礼の側面が薄まったというのに、今回に至っては、祭の中心である都主皇太子が不在、代わりとなる者もおらず、単なる議論、または姑息な弁論のつっつけあいの様相を呈している。そのうえ、まったく落としどころが見えなかった。
「こんな議論をいつまで続けるのだ!」何者かが叫ぶ。
痺れを切らしたのか、はたまた苛立ちを抑えられなくなったのか、一人の男が正面席で立ちあがっていた。老人も熱部人も商人も無能も、皆の顔がそちらに集まる。男の名は、アシュテルド=ニフィル、皇都貴族のなかでも皇家との結びつきが強いニフィル家の当主であり、国属軍の第四管理官であった。
彼こそは、管理官のなかで最も実際上の力を持ち、最も実戦に携わる男である。それゆえに軍の動向を左右しているという意識が強く、テルメアとは因縁の仲であった。彼にとっては、眼前で将軍権力の増強を目論む敵をいかにして打ちのめすか、それが第一の問題であった。もう一つの問題は、無論、ルスラである。
「テルメア=フォンドラン閣下、貴殿の考えは分かるが、軍の第三位指揮官に向かって一介の軍人がそのような口を利くのか?」アシュテルドが言った。
「ニフィル管理官、黙れ。将軍位を何だと心得ている」
「恐れながら、管理官位に従うべき現場階級の最上級かと思っていた」
「それは違う。将軍とはナマモノである軍組織を動かす心臓だ。脳が多少死んでも生命は失われん。だが、強靭な鼓動なくしては誰も生きてなどいけんだろう」
「は、心臓の高鳴りを当てに生きるか。寿命がどれだけあっても足りんな」
アシュテルドは嘲笑うが、テルメアの武人らしい言葉は軍人貴族らの心を確かに揺さぶった。確かに、軍組織は管理官が統括している。だが、実際に戦場で己を指揮するのは将軍たちであり、その命を懸けるのも将軍ではないか。
果たして、己の上に立つ者としてふさわしいのは、天幕のなかで戦略を練る脳みそであるのか、将兵を鼓舞する強き心臓であるのか。実際に戦場で兵を率いる者たちは、脳みその重要性を理解していたが、そうではなく、率いられる者たち、年若く、まだ大役を得ていない者ほどテルメアの姿に惹かれた。
そして何よりも悪いことに、アシュテルドという男は、平素より疎まれていた。管理官の地位をほしいままにし、強引かつ苛烈な作戦で勝利を掴む男。青宮内では高く評価されているものの、軍内部では蛇蝎のごとく嫌われている。
それゆえにか、テルメアは心を揺るがす様子を見せない。
「管理官という制度がもたらした国益と、将兵がこの手で勝ち取った国益、比べるまでもなく、現実が制度などに負けるはずがない。だが、物事を考えるにあたって視点は数あるほうがいい。無論、脳みそも、たまには役立つことがある」
「まるで我らが添え物であるかのような言い草ではないか」
「一瞬一瞬を争う戦場の空気を嗅ぎ、怒号に皮膚を震わし、その臭いと熱に火照る。そこにいるのは貴殿ではなく将兵であり、そこがまさに事象の中心なのだ」
「事象の中心がすべてだとでも? 人ごみの中では正しい道も見えん。大嵐のなかでは正しい航路などわからん。鳥の高みからしか物事の筋道は見えんのだ。感じることではなく、正しく視ることが重要。貴殿にそれが分からぬはずがないが」
「ふむ。それではその目をもって、デルフォイ家を量ってみられるがいい」
これにはアシュテルドも黙った。
男の声が、一段低いものへと変わる。
「……貴殿は、デルフォイ家の術式研究が禍忌魔術に通じるものだと仰っている。このノーランの国益を損ねるほどに危険なものだと。しかし考えてもみろ、君ら軍部が呪術を利用しなかった戦いなど今までになかった。会敵前の儀式、暗示術、敵将の呪殺、魔獣躰を利用した特戦兵器の数々、それらとデルフォイ家の研究に本質的な違いがあるとは思えんな」アシュテルドが言った。
「閣下が仰ることは実に正しいことです」ルスラがようやく口を開いた。
しかし男の満足しきった笑みを睨みつけてアシュテルドは言葉を続けた。
「とはいえだ! そうした代物が一貴族家の内部に秘匿されており、その基幹技術が公に明示されていないという状況は、いくらなんでも批判せざるをえまい」
「閣下も、我らに研究を明け渡せと迫られるのですか」ルスラが言う。
「それができんというのは、国益を損ねたいという意味だ」テルメアが言った。
「しかし、もしも仮に当家の術式技術を開示した場合、それによって予期せぬ事態を招く可能性がございます。我々の技術は、まったく新しい部類に属するものであり、暴走した場合の影響が計り知れません。それを専門家でもない軍部に預けるというのは、いささか術式技術を甘く見すぎなのではないかと」
軍部に腕の立つ術式士がいないわけではない。が、事は、技術院でも開発できなかった飛行兵器にまつわる話なのである。おいそれと、手を出すことはできない。あのローレンが脅威を感じて乗り込むほどの力が、おぞましい兵器を造り上げたとするならば、そしてその兵器が有用であるとするならば、ここでデルフォイを叩き潰すのが果たして、真の国益となるのかどうか。貴族らは量りかねた。
この状況、テルメアにとっては単純明快だったが、多くの貴族にとっては複雑極まりなかった。己の役職と領地、派閥、そうしたもろもろを鑑みて立場を表明するなど、それによって最大限の利益を得るなど、計算できないにも程がある。
それゆえにルスラにも、フォンドランにも助力はない。
ただ一人、アシュテルドを除いては。
「では、ローレン殿下に介入していただくか」アシュテルドが言った。
「それは出来ません。殿下は皇王陛下に研究を禁じられた身」
「では、誰が術式技術を公に管理する気なのだ?」
「わたくしどもが」ルスラがかしこまってお辞儀をした。
それを聞いたアシュテルドは、信用ならないとばかりに鼻を鳴らす。多くの者が感づいていたが、この第四管理官の目的は、やはりテルメアと同じく、ルスラを蹴落とすことだ。そのために、デルフォイ家を遠回しに攻撃しているのだ。
「デルフォイ家に術式兵器を預けるかどうか、決でも採ってみるか」
「その前に、軍部に術式兵器を預けるかどうか、の決を採りましょう」
ルスラの瞳には一切の迷いがない。本気でその決を採れば己が勝つと信じている男の目である。テルメアの心に、ようやく迷いが生じた。もしやルスラ=デルフォイは、いや、その背後にいるアランドはこの展開すべてを見越して、罠を張っていたのではないか。仮に決を採ったとき、本当に自分は勝てるのだろうか。
疑いは毒のようにテルメアの言葉を鈍らせ、アシュテルドの勢いを止めた。これ以上デルフォイを追い詰めるには、罠がないという確証が必要だ。確かに軍部は皇貴会議の場で術式兵器を議題とすることに成功した。だが、それが周到に用意された成功だとしたらどうか。テルメアは己の求心力を信じきれなかった。
それゆえテルメアともあろう者が、話を逸らさざるをえなかった。
「アランド閣下、ご子息には話が通じないようですな」テルメアはそう言った。
話を振られたアランドがテルメアをじっと見つめ、そしてようやくその重い口が開くかと思われたとき、一人の青年が正面席から立ちあがり、両手を広げた。白い長衣をまとった彼は、しかし剣術士ではなく、祭祀者であった。天獣教政治部の若き長は、信仰よりも疑心をたたえたような暗い瞳でテルメアを見た。
「遮るようですが、一つだけ。その術式技術に関しては、我々天獣教会も注視しておりました。あのような兵器が天獣教における禍忌にあたる、となればまずは我々を通していただくのが筋ではないでしょうか」青年が言った。
「天獣教大司祭ウェハ=エムヴィアリス殿、いかがか」ルスラが言った。
「うむ。シェイド司祭の言うとおり、禍忌は我らの領分だ」老人が言った。
「たとえそうだとしても、今は高度に政治的な領分での話をしている。仮に禍忌だとしてもそれで敵兵器が封じられるわけではない。我々軍部の敵は、神ではなく他国であり、異なる文化圏の兵器は、我が国の文化に関係なく使用されるのだ」
テルメアの意見に多くの貴族らが頷く。平和だなんだといっても、たかだか十五年前の戦乱が記憶から消えるわけではない。あのとき国を襲った『飛竜船団』に『付加魔法術式』、『屍生術』に『人造魔獣』、あれらはノーランでは長く存在しないものとして扱われてきたものだった。そしてそれゆえに、対処は後手に回り、多くの街が被害を被ったのである。そのとき信仰は、はなはだ無力であった。
「その言い分は正しい。しかし赦しは得ねばならん」ウェハが言った。
「何の赦しだ。まさか会えもしない天獣の赦しを得られるとでも?」
「ハオンの代理者たる皇王陛下の赦しだ、フォンドラン将軍」老人が呟く。
「それは、皇王陛下がデルフォイ家に研究を命じられたということでは不十分なのですか。我々はこれ以上の赦しをどのようにして得れば良いのです?」
ルスラが小馬鹿にしたように笑うが、ウェハはいたって真面目な表情でパリィを見回した。その瞳はすでに盲いているが、視線は貴族らを貫いた。
「禍忌を、皇国に向けんという保障が必要なのだ。ルスラ管理官よ、皇国と術式陣誓約を結び、その忠誠を捧げねば赦しは得られぬと考えよ」ウェハが言う。
「ははぁ。流石、教会の方々はいろいろな手段をご存じだ。しかし、国のために心血を注いでいる我々に術式陣誓約を結べとは、少々、度が過ぎた思いつきではございませんか。今のは、場が場ならば、抜剣も許される言葉ですよ」
「ふむ。しかしフォルド古神を奉じる熱部の祭祀者よ。どれほど取り繕ってもお主らが祀り上げるものは天獣ハオンではありえない。寛大なる父祖ロームス様の慈愛によって救われた命、再びハオンに捧げることを恐れるか」
やはり公然の秘密となっているデルフォイの祭神について、ウェハは遂に口にした。皇国を護る四名家の一角が、実は皇国に属してはいないという真実。それは若い貴族のみならず、熱部の領主たちの動揺さえも誘った。
彼らの先祖は、グレルト人だけではない。移住したノーラン人の血も少なからず家系に含まれていた。いや、そもそも彼ら熱部人の自認では、彼らは純潔のノーラン人だったのである。いくら口では熱部の結束と叫んでも、その心中にある誇りは、ノーラン人としてのもの。たとえ、異端のデルフォイ家を熱部の盟主として祀り上げようとも、その根本が変わるわけではなかったのである。
だが、こうして熱部デルフォイの異端性がつまびらかにされた以上、もはやデルフォイを味方するというのは、異端の人種グレルトに与するのと同義である。それがゆえのざわめきと囁き声を耳にして、ルスラは遂に顔を顰めた。
「あまりに厳しいお言葉です。では、こう致しませんか。皇国と契約を行うなどあまりにも恐れ多い。せめて、貴族の方々との口頭誓約でお許しいただきたい」
「いかなる内容で?」テルメアが口を挟む。
「相互誓約です。今後互いの身の安全を保障するため、デルフォイ家は術式兵器で皇国を攻撃しないことを誓いましょう。貴族皇族の方々も、その代わりに我々を術式兵器で攻撃しないと誓ってください」
「定義が曖昧だな。術式兵器の意味を教えろ」リオラーンがようやく言った。
「口頭誓約では定義よりも心象が重要です。皆様自身が強く念じられたものが術式兵器であり、それ以外には何も定義などありません」
「ふん。とんだ茶番だが、まぁやりたいものはやればいい」テルメアが言った。
実際、口頭誓約というものは大して役には立たないとされている。精々、存在位格に影響を及ぼすだけであり、生死に直結するわけでもなければ、行動を阻害するわけでもない。ゆえに無用の誓約であるわけだが、その影響力の少なさゆえに、貴族らが信用獲得の手段として用いることは多くあった。
軽々しく口にはできない言葉。
されど、破ったとて大して痛みのない誓約。
「リベーツ家はその誓約を結ぶことに賛成だ」
「ベルディル商会も」
「ニゴット家はこの茶番に付き合う気はない」
「カリヨン家も同じく」
貴族らの反応は二つに分かれた。デルフォイの優勢をみて彼らに協力する者、テルメアらの優勢をみる者、この議論の落としどころがどこにもないことを悟って、無言を貫くもの。そして、貪欲かつ純粋にノーランの国益を考える者。
「フーラ家はこの誓約に反対する。今は国内に火種を残すべきではない」
「同じく。セドリーク家も反対する。異端者の戯言など誰が聞くものか」
「ルディオ=ペンドラン閣下は何か仰らなくてもよいのですか」スタラドが問う。
「私は、殿下の意思に従うまで。あくまでもデルフォイ家が術式技術を専有していることに反対し、互いの攻撃の禁止は取り決めない。そもそも、定義の曖昧な口頭誓約などこの場で締結する必要を感じない。これは単なる茶番だろう」
ルディオが言ったが、その声にはあまり力がない。いつもの朗々たる響きは影を潜め、神経質そうな早口がざわめきのなかに溶けていく。が、そこで割って入ったのは、意外にもテルメア=フォンドランであった。
「珍しく意見が一致した。フォンドラン家はペンドラン閣下に賛成だ。その誓約とやらもローレン殿下がお戻りになられてからで良いのではないか」
「では四名家と皇族の方々の意見を伺いたい」アシュテルドが言った。
「メイン家はこの無用な誓約は結ばない」エルリアの傍付が言う。
「リディア家は不可侵誓約のかたちでそれを結びたい」リオラーンが言った。
「大壁谷の守りに術式兵器を使わせないつもりか」スタラドが問うた。
「というよりもリディア家はデルフォイと手を組んでおきたいのだろう」
テルメアがそう言うと、リオラーンは肩をすくめた。
「訂正だ。リディア家は国内における術式兵器の使用に関して、それがいかなる目的であろうとも反対する。同様に、術式技術の情報公開にも反対する。その立場から、術式を管理するデルフォイ家と誓約を結ぶ」リオラーンが言った。
「では、メイン家の立場も明らかにしよう。我々は術式技術の普及と発展を皇国の次なる戦略と考えている。それゆえ、情報公開もその使用も待さない。術式技術を堅持するデルフォイ家には、まず交渉を申し入れたい。その意味で、この誓約は無用だと考えている。残念ながら誓約以前の問題だよ」エルリアが言った。
エルリア=メインとリオラーン=リディアが何を考えているかはともかく、彼らは術式兵器の取り扱いに関する立場を表明した。いままで、ローレンを慮って語られなかった各家の思惑が、遂に衆目に晒されたのである。ただそのことだけで、この一連の議論には意味があった、とルディオは思った。
術式技術の普及を目指すメイン家は、今後もローレンにその力を貸すであろうし、逆に術式技術の秘匿を目指すリディア家は、表立った兵器開発を好まないに違いない。彼らはおそらく、デルフォイ流の術式兵器に迎合し、大衆には扱えぬ特別な力として、術式兵器を管理するつもりなのである。
それはローレンの望みとはかけ離れているように思われた。
「ふむ。議場すべてのご理解は得られそうにありませんね」ルスラが言った。
パリィを陰鬱な、それでいて、乾いたような空気が満たしていた。議場にはまたしても口を開くものはいない。テルメアとアシュテルドでさえも、円形討議場の真ん中で呆けたようにルスラを見つめるのみである。なにせ、これ以上に何かを語ることははばかられた。四名家が出張った以上、そこに立ち入る余地はない。
しかしその時、熱部席にて一人の男が立ち上がった。
アランド=デルフォイである。
「それだけ、術式技術は注視されていると、いうことだ。戦争を変えた大規模魔法術式、機両戦争を引き起こした副脳、どれをとっても影響は甚大。エルリア閣下が仰ったように術式技術は国家が扱うべきものであろう」アランドが言った。
「ではわが父、軍部に術式技術を提供すると?」ルスラが眉間に皺をつくる。
「いやそれはできない。ルスラ、下がれ」男は言った。
鷹揚たるその声はまるで底なしの沼。言葉が魔力のように人々のあいだに浸みわたり、その脳みそを犯した。アランド=デルフォイ、彼の声には、自信でも慈愛でも畏怖でもない不思議な響きがあった。男が喋るたびに、場が静まっていくようで、それはまるで、鉛のように重い鐘の音色が呪界を揺らしているようだった。
「何故そのように仰られる」アシュテルドが声を振り絞って問うた。
「我々の使う術が、禍忌魔術そのものであり、皇国が表立って扱うにはあまりにも醜いものだからだ。これまでの議論はすべて正しい。なにもかもすべて」
「なんだと。閣下。血迷われたか」そう叫んだのはテルメアである。
「そのつもりはない。むしろ血迷われているのはフォンドラン閣下ではないか。貴殿は初めに、当家技術の禍忌の可能性を指摘された。しかしそれはニフィル管理官の仰るように公然の秘密というもので、糾弾することは不可能なものだ」
「だが! だからといって」そのテルメアの言葉は、途中で遮られた。
「そのとおり。我々の有する力を野放しにすることはできぬのであろう」
よくわかっていると、まるで幼児を相手取るようにアランドは微笑んだ。その力を感じさせる面には、幾筋もの深い皺がある。あの皇王ラハリオと同世代とは思えぬほどに、アランドの顔には苦悩が刻まれていた。
「だがしかし、呪術を自在に扱えると胸を張って言える者がここにどれだけいるのかね。貴殿は、人々を操り、魔獣さえ造り上げるデルフォイの邪技を、真に掌握できると思うのかね。その力を軍部外に流出させずに、制御しきれると言えるのかね。残念だがそれは不可能だ。我らなしで、あの技術は制御できない」
自らの力を邪技と言ってのけるアランドの攻め口は、明らかにルスラとは違っていた。その強引なやり方は、突破口を開くというよりはむしろ、人々を魔術にかけようとしているかのようであり、何も知らぬものには自棄のようにも見えた。
だが、アランドがそんな男ではないことを知っている少数の者たちは、この熱部の英雄が、自らの言葉をもって、真っ向の戦いを挑んでいることを理解した。アランド=デルフォイはいよいよ、己の保身を投げうって勝負に出たのだ。
そのことを知っている貴族の一人、テルメア=フォンドランは、アランドの異様な気迫に負けじと頭脳を回し、己の語るべき言葉を発した。
「それで我々が貴家に委ねるべきだと仰るおつもりか。疑いの晴れぬ貴殿らに、誰も制御できぬほどの力を預けることがどれほどの脅威かお分かりか」
「もちろんわかるとも。我らは反逆の汚名を背負っている。だが、それはどの家も本質的には同じではないか? 術式兵器などなくても、大規模術式魔法を組み上げれば、都市のひとつやふたつ、容易く消し飛ばせる」アランドが言った。
もはや議論ではない。とルディオは思った。
アランドという男はもっと緻密な言葉回しをする手繰り手ではなかったか。眼前の狂気にまみれた男は、明らかに強すぎる言葉を用いている。淡々とした語り口とは裏腹に、その選語は荒く、野卑であり、そしてまた強靭である。
そのすこぶる情熱的な、それでいて冷えた台詞の目的がどこにあるのか。ルディオには未だ見えなかった。ここまでルスラに舞台を譲っていたアランドが、急にその座を奪い取り、己の導きたい方向へと言葉を紡ぐさまは、まさに謎である。
「それでは反逆の可能性を認めるのと同義ですぞ」アシュテルドが言った。
「いいや。当家は決して裏切らぬ」
アランドは、それに応えて、必然的な動作を行うように右の手を掲げた。
「その保証として我らが出せるものは一つ、この、汚れた片手のみ」
「何が仰りたい」テルメアの額に汗が浮かぶ。
「デルフォイの術式兵器に興味を持たれるならば、この醜い禍忌の手を取られよ。そして、我らのそばで、我らを見張るがよろしい。術式兵器の開発に手を貸して下さるというならば、当家がそれを拒むことなどありえない」アランドが言った。
技術院顧問官リネス=ハートフィルはその言葉に思わず立ち上がった。彼女の表情には喜びと苦しみが入り混じっており、リネスの微妙な立場を伺わせた。
「リネス殿、技術院が協力することは可能かね」アランドが問う。
「技術的にも心情的にも問題はございません。しかしながら我らはあくまでも皇王陛下直属の組織にございます。独断で動くことは致しかねます」
「勿論だとも。しかし禍忌をも恐れぬ胆、情熱ある技術者とみた。あのローレン殿下が兵器部門の開発者と薦じただけのことはある。その魔導工学の知識をもって我らを支えていただき、そして我らに反逆の兆しが見えたらば、この老いぼれを牢にでも断頭台にでも連れていけばよろしい」アランドが冗談交じりに言う。
技術院を統括する王司院は、このリネスの動きに対して一切の口を挟まなかった。皇王の意思が分からぬ以上、下手な介入を避けたのである。
「これまでの言は聞き捨てならぬぞ、フォルドの信奉者よ」ウェハが言った。
「天獣教も変わらねばならぬ。信仰が人々を救った時代は当の昔に過ぎ去った。この世では、確かな現実だけが人々を救い、埃を被った妄言に価値はない」
「看過できん! 貴様は天獣ハオンを愚弄している!」
「まやかしだ」アランドが言い切った。
「ハオンの力を知らぬか愚か者が、その力を与えられたる皇王陛下の勲を、」
「皇王ラハリオ=セン=ノーランが人の身には過ぎたる力を有するというならば、それは陛下御自身の鍛錬と資質の賜物であり、神によって与えられた力ではない。ウェハ殿は己も知らぬうちに陛下を愚弄しているのだ」淡々と男が言った。
「王は、その継承においてハオンを授拝する! 王権を得るのだ!」
アランドはその言葉に何の返答も返さず、静かにパリィへと歩み出た。その超然たる気配に圧されて、テルメアばかりかルスラまでもが、中央を譲った。男の歩みを止める者は、もはや議場内にはいないようにすら見えた。あのエルリア、リオラーン、そして冷部の怪人アリィン=メインでさえも口を噤んでいた。
アランドは議場をさっと見回すと、ウェハに再び目を向け、口を開いた。
「それでは、王権の話をお聞かせしよう。それは次なる議題とも絡む話だ」
「次なる議題? 『格差の是正』が王権にどう関係すると?」テルメアが問う。
「聞けば分かるだろう。さぁペンドラン閣下」アランドが言う。
「お言葉ですが、これは冷部ドピエルの管理官アニエス=マルヴィス閣下が提示した議題であり、恐れながら、閣下にパリィの中央に立つ資格はないかと」
「いや、」アランドはそう言って、初めて笑った。
「私がアランド閣下に頼まれたのだよ」一人の女が言った。
彼女こそアニエス=マルヴィスである。人目を惹く美貌に不気味なほどの痩身長身、針金細工のような女は、その薄青髪をなびかせて立ち上がる。それはある種の呪術。魅了の呪に等しい力である。議場にささやかな緊張が走り、女が笑う。
「あははは。ペンドラン閣下、私はフィロレムの管理者であり、蟻の王ではない。それから、『格差の是正』は私の発案ではない。私が蟻どもをなんとか手懐けるためにアランド閣下を頼ったところ、この会議を提案いただいたのだ」
「では実質的な提議者はアランド=デルフォイ閣下だと?」
「愚問ですな。私にも閣下が論じんとすることは分かりません。ただそれが我が街の救いとなるならばよしと思っただけ。ただそれだけなのだよ」
「仕方ありませんな。第二議題はひとまずおいて、次へ行きましょう」
そう、エルリアが言うとそのようになった。
「それでは三つ目の議題を論じるとしよう」アランドが言った。
「その前に私の質問に答えよ! ハオンを愚弄したままで済むと思うか!」
ウェハ=エムヴィアリスにとって、熱部デルフォイは異端者であり、因縁の相手である。普段は声を荒げない盲目の老人を突き動かしていたのは、まさにその因縁、古き神々を信仰する者が場を掌握することへの敵対心。青年のような熱意が老人の胸中より湧き上がり、アランドを倒さんとしていた。
「ハオンへの愚弄は王への愚弄。お主には反逆の色が見える」老人が言う。
「ふむ。ときにウェハ閣下、王の力の源とはなんであろうか」アランドが問う。
「そんなもの、天獣からもたらされる権威に他ならぬ」
「それでは他国の王や教主が絶大な力を持つことの理由付けができない」
「皇王陛下のお力は唯一無二にして、他国とは比べるべくもない」
「そう信じたいなら信じるがいい。私が思うに、まさに王の力とはその信心にこそある。民草が王の権威を信じ、その強大さに身を震わせる事実にこそ、王の王たる呪力が宿り、そして、ラハリオという男を王に変えてしまったのだ」
妙な、沈黙が一瞬奔った。
誰かが立ち上がり、机を静かにたたいた。
その音がやけに響いた。
「熱部守護デルフォイ、正気なのか」エルリア=メインであった。
「至って正気だとも。四名家が隠し通してきた絡繰りを暴くことは世の必然。この術式機械の時代に、王の力がどこから生み出されているか、そしてそれが何をもたらすのかを我々は正しく理解すべきだ。それでノーランが滅びようとも」
「不敬! 反逆! 貴様は守護ではないのか!」ウェハが叫んだ。
「貴殿はもういい。仕えるべき相手を間違われたな」アランドがそう言った。
ルスラの額を汗が流れる。己を作った父親であるはずの男が別世界の魔人のように見えていた。ここまでの流れ、ルスラが造り上げたものに関しては、すべて事前に練っていた計画どおりに運んだ。しかしこの流れはまったくの未知だ。
なぜアランドはこのようなことを、自分にも黙って始めたのだ。父と己を裏切ったロンティエルの言葉が、突然頭のなかで響き渡る。アランドは、自らの家も子どもも憎んでいるのだと。その言葉が急に現実味を帯びた。
「ラハリオ閣下、いえ父上、貴方は何を語るつもりなのです」
ルスラがかろうじて口にした問い。
アランドは即答した。
「ただひとつ。『存在』の格差について」その瞳がいよいよ怪しく輝いた。
そのとき多くの貴族には、存在の格差という言葉の意味は理解できなかった。が、その言葉が呪界にもたらした影響は、後から見れば、甚大であった。アランドが言葉を発した瞬間に、まるで予言されていたかのように、皇都エルトリアム上空に火球が出現した。それは轟音とともに大爆発を起こし、そしてその火炎に続くように、エルトリアムは建都以来はじめての、首都攻撃に晒されたのである。
あるいは、それは単なる偶然であったのかもしれない。しかし、その怒涛を述懐する者たちはみな口を揃えて、「あれはアランドが引き起こしたのだ」と語った。そしてまた、ごく、ごく一部の老人たちは、次のように言ったという。
「あれは予言の成就だ」と。
Δ
「フート様、これ以上は持ちません」ミトルが言った。
フートの眼前には三つの青年の死体が転がっている。それはもちろんすべて、アルト=デルフォイ、熱部デルフォイ家の次男坊である。だが、その死体のすぐそばにもう一人の青年が立っている。それもアルト=デルフォイ。姿かたちをまったく同じくする影。見分けることもできないほどの模倣品。
そして、なお悪いことに、その後ろからもう一人のアルトが歩いて来ているのが見えていた。おそらくこれでも全てではないだろう。フート=マルヴィスは転がっている青年を殺したときのことを思い返して、舌打ちをしたくなった。
「次期特級剣術士と謳われただけのことはある。三人殺すのでも特質を使いすぎた。ミトル、これ以上は足止めもできん。ここで引くぞ」フートが言う。
ラングリアへと向かう二人の前で行われた突然の虐殺。現れた幾人もの刺客は、みな同じ顔をしており、そして騎士団になど目も向けずに市民を殺した。かく乱し、囮となり、なんとか三体を仕留めたが、それに意味があったのかどうか。
「囲まれてなければいいんですが」ミトルの頬が引きつっている。
「前の二人は任せろ。お前は止まらずに走れ」
確実にアルトを殺すために誘い込んだこの路地。それが裏目に出ていた。狭い一本道で前方に敵が二人。『魔法術式板』を用いて道を塞いでも、出口に先回りされていれば袋小路になるだけだ。状況は改善しない。
家々の壁を登り、屋根に出てもいいが、あのアルト=デルフォイの前でそのような動きが致命的な隙にならないとは言い切れなかった。
「最悪、俺を置いて逃げろ」男が言った。
直後、ミトルが駆けだすと同時に、フートの手のなかで魔法が赤く灯り、投げられた術式板がアルトたちの正面で爆発した。∫溶爆《ディアリテス/エクリクス》が象じて、その天獣魔力が呪界と実界に爆裂を引き起こしたのだ。煮え滾る岩石のような火炎が空中で一瞬にして爆ぜると、路地中に着弾し、それがまた爆裂となる。アルトとの間に高温の壁が生じて、その隙にフートは屋根へと跳んだ。
屋根瓦に着地するやいなや、待ち構えたように現れたアルトが鋭い剣を放つ。フートは間一髪それをいなし、《海下》にてアルトの右腕を斬り飛ばした。もはや何度もみた光景だが、青年の腕からは一滴の血も流れず、返す刀には微塵の狂いもない。フートは己の左腕を盾としたが、勢いに負け、屋根から転がり落ちた。
間髪入れないアルトの追撃を靈気弾にて押しとどめると、腕から《瞬避》を放ち、体勢を整えぬまま距離を取る。たどり着いた広場、偉大なる皇王ロームスらを讃えるロームス広場には、まだ多くの市民がたむろしていて、一瞬にしてフートは、そこが一時的な避難所になっているのだと気付いた。
すなわち、ここでの戦闘は騎士団として避けねばならぬ。だが、そんな甘い考えが通用する相手でないことも確かだった。フートは再び両足を肩幅に広げ、己の剣界を展開する。闘気特質『放気』。剣王レアーツの『飛気』には距離で劣るものの、中距離では威力減衰のない靈撃を連続で打ち出すことができる異能である。
ただし、代償としてその場から動くことができない、不動の剣。
フートは追撃に飛び出したアルトを、触れずに四度斬る。左肩、右わき腹、左足、そして頚部。風切り音とともにアルトの身体が空中で分裂し、そして崩れ落ちた。その様はやはり人間というよりも精巧な蝋人形のようですらあるが、アルトはそれを見て、すぐさま剣を構えなおした。死体に右腕があったからである。
もう一体。もう一体がどこかにいる。
そう思った瞬間、石畳に影が落ちた。
上。背後で落下の衝撃が起こるが位置は見えない。人々の悲鳴と混乱のなかでアルトの姿が一瞬消え、フートは仕方なく跳び退った。と、その真下。刹那に死角へと入りこんだ青年は、フートが両脚を地面から離すのを待っていたのだ。
鋭い剣がフート=マルヴィスの脛を浅く傷つけた。二振り目がフートの顎を撫でる。肉が削げ落ちた感覚があったが、痛みはない。男は冷静に、三振り目を避ける。そして、四振り目でようやく、フートの両足は《空歩》に接地した。不動の構え。《放気剣界》の六太刀が即座に展開し、アルトの全身を見事に寸断した。
「ち。髭を返せ」フートが顎をなでる。
愚痴をこぼしたその瞬間、逃げ惑う市民のなかから弾丸のように飛び出す者がいる。長布に身を包んではいるが、その気配、その体躯は明らかにアルト。心の虚をついた青年の剣が、油断していたフートの胸に深々と突き刺さる、かに思われたが、アルトがフートの元にたどり着いたとき、その両手も首も既に落ちていた。
「くそ。何度使わせやがる」フートの額に玉のような汗が浮かぶ。
剣術士の例に漏れず、フート=マルヴィスも闘気特質を無制限に使えるわけではない。連続して使えるのはおおむねニ十太刀といったところだった。すでにこの短時間で彼は十数太刀を用いている。そればかりか、受けた傷や放った靈力のことを考えれば、いつ限界が来てもおかしくはなかった。
そのフートの前に、更に三人のアルトが現れる。斬っても斬っても現れる。まるで数が減っていないかのように。妙だ、と思ったフートの前で、先ほど斬り伏せたアルトがゆっくりと立ち上がった。その全身は驚くべきことに既に繋がりつつある。なるほど厄介なことに、こやつらは自己治癒能力を有していたのだ。
すかさず、剣界で四人を斬り飛ばすが、技を覚えたとばかりに数太刀は躱されてしまった。浅い。このままではいずれ終わりが来る。時間稼ぎもあと数秒といったところだろう。頼みの綱はミトルのみ。オルンドラに連絡を取ることさえできれば、リディアの剣術士を応援に寄こしてくれるかもしれない。
だがその期待を裏切るように、更に二人のアルトが現れた。六人。流石にこうなれば焦りを通り越して笑いが生まれる。こんな自分を相手に、使い魔を六人も送るとは、敵は相当にかいかぶってくれたらしい、という笑いである。
おそらく、これだけの使い魔は無尽蔵には操れないはず。となれば、自分がこれらを引き付けることで、市民や騎士団は多少なりとも救われるかもしれない。諦めかけていたフートの手に力がこもる。これが最後の戦いだ。あの乾湿戦争を生き残った自分の、凡庸な生きざまの、しかしその最後の晴れ場だ。
たとえ何も残せなくとも、誰かの役に立つのならそれでいい。後は、ローレンの野郎の仕事だろう。それくらいは、やってもらわなくては。
覚悟を決めたフートが特質を発動した瞬間、六人のアルトが跳んだ。
「かかってこい」と男が呟いた。
が、六人のアルトは飛び掛かる体勢のままで、
その動きを止めた。
よく見れば全身に、糸のようなものが纏わりついている。
フートはおもわず首を傾げた。
「なんだ? 急に腑抜けやがった」
「見事な戦いっぷりだったな。加勢はいらなかったか?」声がした。
「助力を受けるほど傭兵に好かれている記憶はないが」フートが言う。
「これも仕事でね。二つ名は『現身』。イルグと呼んでくれ」
その顔には、意外にも見覚えがあった。イルグ、彼こそはフートを蟻人頭のもとへと案内した男である。中級傭兵程度の腕と見ていたが、どうやらそれは誤りであったらしい。手から伸びた鋼糸でアルトらを捕縛したところを見るに、かなり熟練の上級傭兵である。靈力を帯びたその鋼糸からは、鮮血が滴っていた。
「まったく相性が悪かったな。フート=マルヴィス。こいつらを相手取った感想を一言でいうなら、不死身の人形だ。斬り殺すのはまったくの無駄なんだよ」
「貴様ら蟻人兵もすでに動いていたのか」
「もう十以上は殺った。意味があるのかは分からんが」
男がそう言うやいなや、動きを封じられたことを悟ったらしいアルト人形は、灰のように砕けて、単なる土くれへと還った。粉となったそれらに、もう二度と再生する様子はない。どうやら、対処法がないわけではなさそうだった。
「死ぬとはいえ、数が減れば減るだけ、術者の負担は減る。とすれば、残った人形はますます強くなる。そのうち本物のアルトとやらになっちまうかもな」
「これは一体、誰の仕業なんだ」
「さぁ。うちの呪術士が探っちゃいるが、どうせデルフォイ家の連中だろう。奴らの目的までは分からんが、わざわざ次男坊の姿を貼りつけて、無関係ってことはないだろうぜ。頭の読みじゃ、何らかの儀式呪術ってことだがな」
イルグの特徴的な緑の瞳が子どものように輝く。子どものように、というよりも子どもそのものだ。この男、服装のせいで大人びて見えるが、実際はまだ成年も迎えていないのかもしれない。フートは少し気が抜けるのを感じた。
イルグの手のなかに鋼糸がしゅるしゅると戻ると、青年は、軽やかに端末を叩いて、それをフートに押し付ける。それはすでに誰かと繋がっていた。
「こちらフート=マルヴィスだ」男が端末に言う。
「さっきは悪かったねぇ、騎士団の旦那」
「『陰迷』のラフィーか」舌打ちしながらフートは言った。
先般の邂逅を思い出すだけで苛立ちが湧き上がる。自分と騎士団をこけにした、このラフィーというふざけた男に好感情などもちろんない。だが、端末向こうからはぎゃあぎゃあと少女の声がしていて、その言葉の端々にはデルフォイだの術式だのという単語が含まれていた。それゆえフートは舌打ちだけに済ませた。
「早速で悪ぃですが、イルグと協力してやって欲しいことがあるんでさぁ」
ラフィーが言った。
その声はまるで猫なで声のようで、ひどく癇に障った。
「アルトの使い魔を片付けるより重要なことか?」フートが唸る。
「もちろんでさぁ。五分後に皇都の上空でちょっとした呪界変動が起きる。あんたにはその援護を頼みてぇ。落下地点はおおきくズレないはずさぁ」
「待て。落下だと。貴様ここで何をするつもりだ」
「いやいやあっしじゃねぇですよ。そんな酔狂を企んでんのは」
「言いなりになるつもりはない。まず状況を説明しろ」
デルフォイとラフィーではもちろん、デルフォイのほうが危険度は上にくる。だが、ここでラフィーに手を貸してよいものだろうか。フートにとって騎士団の剣は、ローレンとエルトリアム市民に向けられる高潔なものであって、断じて、ドピエルの無法者どもに貸し与えるような軽いものではなかった。
「ほんとに手を貸してくれねぇんで?」
「お前を操っている奴に言ってやれ。騎士団を舐めるなと」
「ほんとのほんとに?」ラフィーがふざけたような声を出す。
「しつこいぞ。情報なしでは協力できん」フートがぴしゃりと言った。
「じゃあ仕方ありやせんね」
ラフィーはそう言うと、ごにょごにょと何か喋って、それから誰かを端末前に呼び寄せた。大方、蟻人兵の者であろう。フートは鼻を鳴らして待ち構える。
「私だ、フート」その声には覚えがあった。
「もしや、もしやローレン殿下!? まさかご無事だったとは」
「安心しろ。私にはラツィオも付いている」ローレンが言った。
疑う気持ちはもっていたつもりだった。だが声を聴いた瞬間、フートの胸中には得も知れぬ喜びが溢れた。まだ自分たちは敗北していなかったのだ。主君が生きている限り、どれほど状況が劣勢でも、勝ちの目は残されている。
「心配をかけたな。マルスとミトルはそこにいるか」皇太子が言う。
「いえ、マルスは青宮に。ミトルは……分かりません」
「では少しお前に負担をかけるぞ」声は慈愛に満ちていた。
が、ローレンがそういう声を出すときは、必ず過酷な任務が部隊を待ち受けていたものだった。それは分かっていたのであるが、フートはしかし身構えなかった。たとえどれほど困難な試練であったとしても、命じられたからには、すべて同じ。任務の難度など、成功させるかどうかには一切関係ないのである。
「構いません」フートが言った。
その覚悟の空気を感じとったのか、ローレンは一息に言う。
「今からロームス広場に六馬躰ほどの術式機械を落下させる。お前には特質を用いてその破片を斬り伏せ、市民の安全を確保してもらいたい。同時に、術式機械を攻撃しようとするであろう刺客を食い止めろ。失敗はなしだ」ローレンが言う。
「殿下、少しどころじゃないんですが」
難度は関係ないと思っていたが、流石に想定を超えていた。
フートの頬を汗が流れる。
「優先順位くらい設けていただけないですか」男が言う。
「ふん。お前は自分の能力を過小評価している節があるが、あの乾湿戦争を生き残ったのはまぐれでも、逃げていたからでもない。単にお前が強かったからだ」
「はぁ。そんなことありませんが」困った声で男が言う。
「だが私はいつでもそう思っている」
「あぁもう。マルスが動くまでの時間稼ぎくらいならしてみましょうか」
「蟻人兵も手を貸す。あんた一人で戦うわけじゃないさ」青年が言った。
とはいえ、蟻どもにウロチョロされるのも目障りだった。できることなら騎士団の人間をここに連れてきたかったが、あのアルトの前で、皇都騎士団が五体満足に勝利を収められるとは思えない。もうすでにミトルを危険に晒してしまっているが、欲を言うならば、死ぬのは自分一人で十分なのだ。
「そうだ、状況説明は必要か?」ローレンが楽し気に問うた。
「いえ指令を実行するのに理由はいりません」フートが即答する。
「じゃあ命令だ。今後は蟻人兵の指示に従って行動しろ」
「御意」吐き出しそうな声で男が言った。
「ぎょ……御意だとよ」イルグが含み笑いで繰り返す。
「よし。頼んだぞ」ローレンが言った。
「頼まれました」
「俺からも頼んだぜ」イルグがやけに楽しそうにフートの肩を叩いた。
この状況でふざけたガキだとは思ったが、しかし、彼に命を助けられたのも事実。敵の情報をより多く知るのも事実。フートは葛藤の末、引きつった頬でなんとか笑みを返した。なんにせよ、敵は蟻人兵ではない。デルフォイ家なのだ。
「怒らんのか。フート、さてはあんた良い奴だな」イルグが真顔で言う。
「妙な関係性を築こうとするのを、やめろ」フートは頬を引きつらせた。




