4-7 神性剥去/ルスラ
Δ
静まりかえった議場の中。
衆目は集めるはただ一人の青年だった。
「もちろん、弾劾決議を採るようなことは致しません」
会議が始まるやいなや、議場の中心でルスラは朗々と語った。
「都主ローレン殿下の為されたことはあくまでも単なる行き違いに過ぎず、皇族と貴族の間での無益な争いを生じさせるつもりなどありません。何より、我らは先の戦争で多大な過ちを犯しておりますから、良識ある貴族や皇族の皆様に疑いの目を向けられるのは栓の無いことだと承知しております。故にローレン殿下にはわずかな非もありません」
ルスラの反論を許さない有無を言わせぬ言葉は、場の流れを味方に付けていた。もはや都主派貴族はローレンの過ちめいたものを認めていたし、何か公然の秘密のようにローレンは失敗者と見做されていた。
そして恐ろしいほど厄介なことに、その上で、ローレンを糾弾せぬことがまた一つの了解ともなっていることにルディオは気付いた。
反論をさせず、かといって糾弾もしないことによって、皇族の持つ暗黙の権力が表立つということ。それをルスラは熟知していた。権力は見えなければ気にもならないが、一度見えてしまえば不信感を抱かれてしまうものである。この流れが続けば現都主派の支持者は目減りすることが予想された。
ルスラがほんの少し顔を伏せた。
そのことで衆目が彼に集中し、一瞬だけ空気が止まった。そこから目を逸らすことが出来たのは、四名家の当主たちとオルンドラ=リディア、そして数人の老人たちだけである。ルディオは視線が引き込まれるのを感じながら、必死にそれに抗おうとしたが、乾いた喉からはなんの言葉も出なかった。
「しかしながら、そのことと……」
ルスラが言葉を溜めて、
「皇国の未来は別に考える必要がありましょう」
そう、涙ながらに言った。心底の悲しみ、敬愛する都主ローレン=ノーランを糾弾せねばならない悲しみ、皇都に住む数万の市民と皇国中の民衆を救わねばならない気持ちがそこには籠っていた。ぽたりと何かが落ちる音がして、貴族たちは自分たちが大きな決断を目の前にしていることを知った。
「この皇都を十年以上に渡って支えてこられたローレン=ノーラン殿下。我々は全ての責務と任を押し付けて、殿下を今まで責め苛んできました。この二十年に渡って大陸湿部では数えきれないほどの動乱があり、その最たるもの、乾湿戦争の傷跡はなおも色濃く残っています。
三年前の『機両戦争』でトルリアとクレリアの対立がノーラン皇国にまで波及したことを忘れた方はいらっしゃらないでしょう。最も近いところでは神聖トルリア教主国内の内乱、これは復興に向かっていた小都市群を再び困窮させ、移動商人たちの命を奪いました。そして我々は、これら全ての苦難の原因を、ローレン殿下に科したのです。何か困難があれば『治政が悪い』と文句を言い、戦争が起これば『外交上の失策だ』とあざ笑い、病の兆しがあれば『天意が怒っている』などと愚にもつかないことを言う。
下らぬ人々の戯言にローレン殿下がどれほどお心を痛められたか。そのようなことを言う者に都主をやらせてみれば、どれだけの結果が出ると思われますか。私は断言いたしますが、この十年あまりをローレン殿下以上に優れたものにすることが出来たものは恐らくいなかったでしょう。そうは思われませんか?」
長口上に口を挟む者はいない。
「新たなる皇国の礎は皇王陛下によって築かれ、そして皇太子殿下によって発展していく。そのことを私は少しも疑いません。しかし諸国家の動乱は未だ収まらず、傷跡も未だに癒えてはいない現状もまた事実だ。はっきりと申し上げましょう。現状の大陸情勢を鑑みるに、広大な皇国領土を現都主ローレン=ノーラン殿下が一人で治められるのは困難なのです。
無論、各位が様々な意見をお持ちであることは存じています。しかし、今までの国家体制やローレン殿下に固執するばかりでは皇国の未来は見えては来ません。殿下お一人に重荷のすべてを背負わせることがより強い皇国のための最善の方策でありましょうか。いいえ、それは自己の保身だけを目論んだ臆病者による愚策です。
そればかりか、そのように唱える方々はローレン殿下自身のご意思をも踏みにじっています。皆さんは、殿下がすべての苦しみを望んで背負っていると思われますか。殿下が負うている都主の重みを、少しでも軽くしてさしあげたいと思う者はここにはおられないのですか。
そもそも、ローレン殿下は若くして魔法の才を示され、戦場にて数多の敵を屠る『雲指』であったお方です。その力と知は、扱うものが『術式』に変じても変わらずに示され、数年足らずで国内有数の研究者となられました。ローレン殿下はまさに魔法と術式の申し子、この国の英雄でさえあるでしょう。そのようなお方に我々は不慣れな政治を任せきりにし、どれほど辛辣な言葉を投げかけてきたことか!!
私はここに宣言する。この不肖デルフォイがローレン殿下の代弁者となって、あの方に英雄に相応しき場所と歓喜を与えると。あの方に真のお力と天命を自覚していただくと!!」
ルディオはその意図に気付いてしかめ面をした。
この長口上が行きつく先、その終着点には明らかにローレンを都主から引きずり降ろそうという流れがある。誰もがルスラの雄弁っぷりに魅入られて彼を話させるままにしていたが、流石にルディオだけはこの演説を無理矢理にでも止めさせねばならないと考えた。
「待て、ルスラ=デルフォイ!」ルディオが言う。
「何でしょう」青年が答えた。
ルディオはあらためて髪を撫でつけるとすくりと立ち上がり、なるべく多くの貴族たちに自分の姿が見えるようにした。しかしその効果があったとは言えない。先ほどの敗北によってルディオの存在位格は並の貴族よりも下がってしまっていた。もはやその言葉にこれまでのような威厳はなかった。
「何が殿下の代弁者だ。貴様の演説はどこを切ってもローレン殿下に対する反逆の意を取り含んでいる。典範に則り、皇国転覆罪のかどで牢屋に送り込んでやる」ルディオが恐ろしい顔で言った。
「はて。殿下に望まむ仕事を押し付けているのは貴方では」ルスラが首を傾げる。
「望む望まぬなど関係ない。これは明らかに国体を揺るがす扇動行為だぞ。皇国の継承者がローレン殿下でなくなれば、国が分裂して数多の争いが起きるだろう」ルディオが答える。
歴史上、ノーラン皇国が分裂したことは一度たりとてない。だがそれ以外の国家に目を向ければ、継承権を巡る争いが内乱に発展したことは幾度となくあった。中でもバルニア帝国の四十三代皇帝シドラレア=ヴァルニスと四十四代皇帝トラストア=エグリ=ヴァルニスの争いは有名である。
§
バルニア帝国最後の皇帝『暴君』グド=ヴァルニスは絶大な権力を握った。その性格は恐ろしく残忍で情け容赦なく、失態を犯した者を一切の憐憫もなく処刑したという。また、自身の悦びの為に多くの女子どもを攫っては惨たらしく殺した。グドは、誰の目にも明らかなように狂人であったので、父である前代の皇帝トラストアは、生まれたばかりの彼を殺してしまおうとしたほどであったという。
しかし、その魔物のような男が皇帝になる遠因を作ったのも皇帝トラストアであった。彼の前代であるシドラレア=ヴァルニスの治世では、大バルニア帝国は皇帝だけでなく、元老院と貴族院によるを通して政治を行っていたが、シドラレアの弟であるランドア=カスタートが息子トラストアは、これら皇帝権力の制限と、財力を持つ商人や新興貴族の台頭を嫌った。結果としてシドラレアとトラストアは宮廷内部で対立したという。
バルニア暦九百七十二年、トラストアは皇帝権力の強化を是とするアスラン派貴族と剣帝を率いて宮廷を占領したのち、シドラレアとその一派の殺害を試みた。しかし皇帝シドラレアがその特権によって召喚した九十八の魔神によって謀殺は紙一重で失敗。逃げ延びたシドラレアはバルニア帝国冷部のルグルディークを『真都』とし、『真帝』を名乗った。
一方でトラストアは『正帝』を名乗り、古き都アスラーンを支配した。これ以後、大バルニア帝国は『真バルニア』と『正バルニア』に分かれて二十年もの長きに渡る戦争を行うこととなったが、そのために国土はひどく荒廃し、深魔や魔獣が国中に溢れかえった。
また、四十四代皇帝トラストア=エグリ=ヴァルニスは皇帝に絶大な権力を持たせ、中枢貴族や元老院の力を大きく削いだが、このことは帝国にとって致命的であった。なぜならば次代の皇帝であるグドがその凶暴さのままに治政を行うことを許し、数多くの残虐な命令を拒否する術を良識ある貴族たちから奪ってしまったからである。驚くべきことに、皇帝トラストアは貴族と商人に『術式陣誓約』を結ばせていたのであった。
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しかしルスラはやんわりと否定した。
「いいえ、問題ありません。ノーラン家を中心とした貴族枢密院を設立します。この機関が皇国を継承していけば、各派閥のなかで最も有能な人間たちに最終決定権をもたせることで私情や利己に左右されない最善の選択を行うことができます」
過去にそのような政治体制が取られたことがなかったわけではない。まさにルスラが手本としているのは、バルニア帝国中期の十二元老院制である。しかしこの体制が完璧に機能したことは過去一度としてない。十二元老院制は従来の帝政よりも意思決定に多くの時間と手間を有しただけでなく、元老院貴族の腐敗を招き、また皇帝に対抗する権力の存在は国内に幾度も内乱を起こした。
それゆえ、ルディオにも、もちろん他の多くの貴族にもそれがルスラの本音ではないということは明白だった。むしろ青年が意図しているのは、ノーラン家ではなくデルフォイ家を中心とした枢密院を立てることであり、最終的には皇国の最高権力を彼らが握ることに他ならない。
だが、それをおくびにも出さないルスラに対して、ルディオは無暗に嫌疑をかけることはできなかった。なにせ、否定されてしまえばどうしようもないのだ。ならば別の攻め手を打った方が良い。
「神聖なるハオンの末裔から王の冠を奪うと?」
ルディオの手は奇しくも、典範の管理者である老人のものと似通っていた。王が持つ神聖さ、その血脈の正当性による攻撃は、その神聖性を受け入れている者にとっては絶大な力を持つだろう。しかしルスラはそのような人間ではないし、時代がルディオの味方ではなかった。
「どうも頭が固いらしいですね。詩人めいた言い回しはやめてはいかがですか。巨大化した都市国家を一人の人間が治められるわけがないでしょう。現在の制度はすでに限界です。現にローレン殿下は先日のトルリアの件を把握できていなかったではないですか」
円を描くように広間を歩きながらルスラが言った。衆目は再びルスラとルディオの討論に向けられている。それを自覚しながら、熱部の青年は己の正しさに一片の傷もないことを示すように微笑んだ。ルディオ=ペンドランはそれに対して表情を変えずに答える。
「今の申し立ては、情報伝達の不備にすぎない」
ルスラはその答えをもちろん予期していた。はっきり言って、彼にとってルディオの考えるようなことはどれも単純に過ぎた。青年には遥か先まで議論の行く末が見えており、また論理だけでなく人々の心までもが見えている。何をどう言えば人間を動かすことができるか、そのことを青年は理解していたのである。そしてそれこそが呪術士の資格なのであった。
「閣下、違います。『青宮』そのものは健全に機能していますが、その終点である『都主』という役割が機能していないのです。その結果として外交も内政も後手後手に回り続けています。これは事実ではないですか、顧問官」ルスラが言った。
もちろん、ルディオも凡百の男ではない。若き頃にはエルトリアムの大学を優れた成績で卒業し、また魔法大国クレリア、商国マガリカで諸学を学んだ秀才である。男は、今でこそ無能呼ばわりされているものの、その博識においてはノーランでも五本の指に入るほどの頭の持ち主であった。
もっとも、『記述樹』や『端末』がありふれた世の中ではそもそも博識などということが意味をなすことなど大してなかったのではあるが、瞬発力を要する事態においては、智慧を生むにも肥沃な土壌が必要である。ルディオは頭の中で多くの国々の興亡を思い出し、ルスラの答弁に対する最適な例示を思いついた。それはファンドルスという古い国の話だった。
「では、王制を保ったままで大臣を立てればいい。ファンドルス都市王国の制度を流用し、権力構造を専門性の高い判断機関に分散するのだ。王は軍事と法にのみ携わり、それ以外は各機関の長である大臣に一任する。これでどうか」ルディオが得意げに言う。
しかしルスラはそれも一笑にふした。
「ははぁ、閣下は私どもが問題を十分に考えていないと思っておられるのですね。それは嘆かわしい。我々とてファンドルスの政体は考えましたとも。しかしそれを採用しなかったのは、ひとえにローレン殿下を『都主』の重荷から解放せんとする心ゆえです。ルディオ閣下の案では、仕事こそ分散されるでしょうが、権力の重圧はローレン殿下おひとりにかかりましょう。なんとひどい考えか」
ざわつきがにわかに沸き起こる。
ルディオの額に玉のような汗が浮かんだ。
「何を言うか。それが王たるものの責務ではないか」男が思わず口走る。
待っていたとばかりにルスラがほくそ笑んだ。
「ぼろが出ましたね。やはり貴方は皇太子殿下のことなど何一つ考えてはいない。貴方が望んでいるのは強大な権力を陰で操って、うまい汁だけを吸うということなのでしょう。しかしそんなことはここにいる方々が許しませんよ」ルスラは語調を強めてそう言った。
「なにを。私を貶めるのは構わんが、殿下を見くびられては困る。あの方は王となる素質を十分に備えておられる。時流と十界が合わなかったにすぎん。貴様の勝手な押し付けで、ローレン殿下が脆いかのように扱うことは許さん」ルディオは憎々しげに言った。
それは、ルディオ=ペンドランの本心でもあった。彼が本当はどのような人物であるか、それを知る者は少ない。ある者はルディオを堅物で融通の利かない男だと言い、ある者は臆病で下らない腰巾着だと言う。そしてまさにルスラが言ったように、男を権力にたかるハエだと見做す者もいた。しかし実のところルディオという男は、誰もが考えているよりもずっと、ローレン=ノーランの庇護者であった。
「それ以上は滑稽ですよ、ペンドラン閣下」
ルスラがそう言うと、場にくすくすと忍び笑いが漏れた。熱部席だけでなく皇都貴族の席からも生じた嘲りは、ルディオの心を押し潰した。自分はローレンに任されてこの場所に立ったのだ。しかしそれは今やローレンに対する貶めとしてしか機能していない。己の無力さをこれほど痛感したことはなかった。そのためルディオは、これが何かの呪術なのではないかと思わず疑うほどだった。
もちろん、夢を見ているなどあるはずもない。しかし、この場に自分の仲間がたったの一人もいないということが、彼には信じられなかったのである。頼れるのは背後に立つマルス=ルーリアだけ。だが彼は剣術士であって、いかなる爵位も持ってはいない。貴族でなくとも皇都騎士団の長とはなれるが、このパリィで発言することは決して許されることではなかった。
だが、だがしかし、あのオルンドラ=リディアはどうしたというのか。ローレンを愛し、その身を彼に捧げる女はじっと俯いて、リオラーン=リディアの隣に控えている。それはまるで罪人のような姿ですらあった。彼女は裏切ったのか、それとも裏切らされたのか。それすらもルディオに知る術はなかったが、ただ、己の窮地をもはや乗り切ることができないというのは確かなことだった。
もちろん、デルフォイがこの国を乗っ取ろうとしている、と糾弾することはできる。しかしそれを発言したとしても味方がいなければ意味がない。ただ単に疑いを向けるだけでは芸がないのだ。勝算は皆無だった。ローレンという後ろ盾がいない今の自分に、誰が手を貸すだろうか。頭の中でこの盤上の流れを空想しながら、ルディオは目を細めた。
「貴様はよく口が回る。頭もよい。歴史もそれなりに知っているらしい。万人がその知恵をたたえるだろう。だが、まだ考えが若すぎるように私には思う。こうして、衆目に晒されながら権力の中枢に立とうとするのは、政治を志すものとしてはあまりにも性急すぎるのではないか」
「何が仰りたいのです?」ルスラが眉根を寄せた。
「愚かな大衆や旧き神々が王を選ぶわけではない。王を選ぶのはここにいる歴戦の領主たちなのだ。彼らは生まれた時から己の野心と安全のために、その知性を存分に揮ってきた。そして死ぬまで、彼らは己の欲するものを手に入れるために虎視眈々と座を狙うだろう」
その言葉をルディオが発した途端に、議場には気味が悪いほどの沈黙が落ちた。もはや誰も身じろぎひとつしない。薄ぼんやりとしたパリィのなかで、人々の目が爛々と光っているようにルディオは感じていた。己が愚かなことをしているのは分かっていた。今際の際に予言者ぶることは、ただの悪辣な嫌がらせにすぎない。ローレンのためには何の役にも立たない。だが、そうとは分かっていても、負け惜しみのような言葉をルディオが告げたのは、それが守護名家同士の緊張をもたらすことを期待してのことだった。
「ふむ。ご忠告ありがとうございます。しかし、ここにおられる方々はみなローレン殿下のことを一番に考えておられるでしょう。無意味な内紛で皇国が疲弊することなど決してありませんよ」
「ならば殿下が都主を退かれたあと、誰が皇国を統治するというのだ。誰がトルリアとの戦争を指揮するというのだ。ウルスラ閣下も皇王陛下も前線には立たれないであろう。だとすれば、国属軍の第三位管理官である貴様ではないか。華々しい勝利によって、貴族枢密院でのデルフォイ家の発言力は更に増すだろう。そのようなことをおめおめ許す皇都皇族だと思っているのか?」
「まさか。閣下は侮辱がすぎますね」
「侮辱ではない!」ルディオが叫んだ。
彼自身気付かぬうちに、それは呪術となっていた。男の信念めいたものは場に波及し、ルスラのかけた真綿のような呪を恐るべき速度で解いていく。彼の言葉はまったくの偶然ではあるものの、皇都貴族の胸のうちに火をつけたのだった。
それは正攻法でもなければ、論理的でもなかった。他の集団を嫌うという人間の本源的な性向に言葉が染み渡り、デルフォイ嫌いという価値観をもう一度掘り起こさせたのである。ある意味でこれは退行であった。熱部とノーラン皇国が融和しようとしていたこの時期に、ルディオは分断を強調することによって己とローレンの保身を図ったのである。
「皇都を熱部の人間が牛耳ろうとすることなど、皇都貴族は認めないぞ。熱部の呪術士にこの国を好き勝手にさせると本気で思っているのならば、貴様はこの議場にいる人々を侮りすぎだ。熱部人に国は渡さん! ハオンの子たるノーランの権威も渡さん! この国は、神聖なるノーラン皇国なのだ! 古きグレルトの地ではない! この国を統治することができるのはローレン=ノーランただ一人なのだ!」ルディオが捲し立てると、にわかに皇都貴族が活気づいた。
「確かにペンドランの言うことにも一理あるぞ」リオラーンが言った。
「乾部守護様、それは勘違いです。皇都を我々が牛耳る? 皇族の方々を差し置いて? ははは、そんなことたとえ望んだとしてもできますまい。民衆も商人も、エルトリアムの人々は古くから皇都を支え続けてきた方々のことを忘れはしないでしょう。我々がそこに入り込むなど夢物語もはなはだしい」
「それはどうかな、ルスラ君」エルリア=メインが言った。
エルリアは美しい青髪を撫でつけながら笑みを浮かべている。
「率直に言って、私は、というかメイン家は君の考え方には賛同できないな。ルディオ君が叫んだように、この国はノーラン皇家を中心として建国された都市国家を礎としている。たとえ守護である我々がどれほど力を握ったとしても、その位格は対等ではありえない。となれば、やはり有天皇族には相応の責任と覚悟をもって、独裁してもらわなければならない。つまりファンドルスの政体だ」
「そのためにローレン殿下が苦しもうとも?」ルスラが眉根を寄せる。
エルリアとリオラーン、それにアリィンが破顔した。
「苦しむ? あぁそうとも、それが王の責務だ」
ルスラの頬がほんのわずかに引きつる。
「ただしルディオ君が言ったような意味ではない。王は単に耐えなければならないというわけではないのだ。そうではなく、あらゆる王国がその神秘を維持するための呪術が『責務』なのだよ。君ともあろうものがそれを分からないわけはあるまい。枢密院は諦めたまえ」
「なるほど。確かに私も事を急ぎすぎたようです」ルスラが笑う。
「よし、では前向きな話をしよう。エルリア」リオラーンが言った。
「勿論だとも。ルディオ君、少し下がりたまえ」
そう言うと、エルリアはふわりと飛んでパリィに着地した。
男の両足が音もなく、接地する。
「さて、ローレン殿下がいない今、この会議の代理執行者として私が立つことを許していただきたい。ルディオ君は頑張ってくれたが、ここからは私に任せてほしい。なにせ、話したいことがある」
会場は奇妙な沈黙に包まれた。
冷部守護たるエルリアが一体何を改まって話そうというのか。
しかし、口を開けば大したことではなかった。
「熱部で先ほど起きた呪界変動のことだ」
ルディオの背筋を嫌な汗が伝う。
メイン家にこの場を掌握されたのはもはや仕方ない。
だが、ローレンが糾弾されるのは避けたかった。
「この手の呪界変動は拠点となる地域から中心人物が移動した際に起こることがよく知られている。熱部で起こったとすれば、やはり原因の一つはボダット伯が皇都に来られたことだろう。そしてもう一つの要因は隠し立てもできないが、ローレン殿下による熱部文化膜の攻撃だ。具体的に何をされたのかは知らないが、おそらくは熱部守護邸にあった象徴物でも確保されたのだろうね。その結果、熱部文化膜と皇都文化膜が接近し、一時的な呪界変動が発生してしまったというわけだ」
「エルリア閣下、しかしそれにしては規模が大きい」ルスラが言う。
「規模は問題ではないし、熱部守護はここにおられる」
アランド=デルフォイが柔和な笑みを浮かべた。
「そうだ。私はここにいる。恐れることは何もない。ローレン殿下が何をされたとしても、取り返しのつかない事態は何一つとして起きてはいない。ルスラも私もここにいる。それに、呪界変動など毎年のように起きている」アランドが言った。
「アランド閣下が仰るとおり、変動自体は大した話ではない。精々、皇国内で通信網や移動網が使えなくなるだけさ。ほんの数日の間だけ使えないとしても特段の問題はない。私が重視しているのは、むしろ、この変動がいかなる事態に向けて打たれた布石かということだ」
「布石?」ルディオが言った。
「そうだ。この皇貴会議の日に、謀ったようにローレン殿下が熱部へと向かい、そして異常な呪界変動が起こったのだよ。まるで殿下がこの場におられては都合が悪いかのようだ。誰かがこの出来事を仕組んだとまでは到底思わないが、どこか奇妙だろう。まるで運命のような力を感じないかね」
「ですからそれこそ、ローレン殿下が自ら招いたことでしょう。あのお方は、我らが留守になるこの日を狙って、熱部を襲撃された。そして致命的な呪界変動を引き起こしてしまった」ルスラの口元がかすかに歪む。
「それも一つの真実ではあるだろうね」エルリアが微笑む。
「実に嘆かわしいな」リオラーンが言う。
「殿下がそうするように仕向けたのだろう!」ルディオが叫ぶ
「ははは。また蒸し返すつもりですか」ルスラが言った。
「落ち着きたまえ、ルディオ君」エルリアが言った。
ルディオにはこのメイン家の男の魂胆がまったく分からなかった。彼は自分をローレンの側近として配置した当の人物であるはずだ。だが、その彼がなぜルスラに味方するのか。あるいはルディオを敵視するのか。
もちろん大局を見据えているという可能性はあるが、だとすればファンドルスの政体を擁護するのはあまりにも遅すぎた。今さら、枢密院制度の採用を見送ったところで、この場に流れたローレン敗北の空気はもはや取り返しがつかないほどのものなのだ。
「そもそも私は、殿下が此度の事態を引き起こしたとは結論づけていないよ」
エルリアが言うと、またも場がざわついた。
当然だ。これではエルリアの立ち位置がまたも揺らぐ。
彼が自分の敵なのか、味方なのか、誰もが量りかねていた。
「この世には避けられない定めというものがある。いつかの魔獣病や乾湿戦争、それによる多くの死者、我々が不幸と呼ぶものの責を誰に押し付ければいいのか。エズアルの皇帝か、殺人者か、それとも病そのものか。もちろん、我々は十五年前にそれを皆で決めた。乾湿戦争の責任については追及しないとね。私が言いたいのは、今のところ、それとまったく同じことだ」
「エルリア閣下、それは看過できないご意見だ」ルスラが言った。
「君が言いたいことは分かる。私が安易な運命論の変種について語っているにすぎないと、そう言いたいのだね」
「まさしくその通りです。この皇国にはいくつもある規範にローレン殿下は抵触なされている。議会の承認を得ない偵察行為が許されてよいはずがありません。そればかりか、熱部の文化膜を揺るがして皇国自体を危険に晒すような行為を行われた。変動が大したものではないと仰られたが、ではこれから移動網が復旧するまでの経済的損失を誰がお支払いくださるのか。それを決めるためには責任の所在を明らかにしなくてはなりません。私の見解では、それがローレン殿下ですがね」ルスラがまくし立てる。
「ルスラ、熱が入りすぎだ」アランドがその時立ち上がった。
アランド=デルフォイが皇貴会議で発言することは極めて稀であった。大抵は意見を求められても当たり障りのないことを言うだけであるが、今日はどうも違っている。ルディオはかつて英雄と呼ばれた熱部の男の、その一挙手一投足に注視した。彼がなぜ今立ち上がったのか、それを見極めたかった。
「エルリア閣下、あなたの意見はよく理解できる。乾湿戦争の責を誰も問うことができなかったとは、ある一連の事象から一部分だけを抜き出して、正しい判決を下すのは難しいという意味だ。大層な話に見えるが、答えのない部類ではない。私が考えるに、エルリア閣下が仰りたいのは、我々はまだ物事の全体像を把握できていないということで、それなしにローレン殿下の責は問えないと考えておられるのだ」
「全体像とはなんのことです?」バラスト=ミードが問うた。
「ひとまず殿下のお戻りを待つということだ」アランドが微笑んだ。
「それはいつまで?」ルスラが問う。
「もちろん儀礼が始まるまでだろう」リオラーンが答えた。
儀礼が始められるのは日没の少し前からだった。
ハオンが隠れるまえに、存在位格を確定させる皇威の儀をせねばならない。
『真言の儀』、『忠誠の儀』、いずれも不可欠なものだ。
もしもそれまでにローレンが戻らないとすれば、その位格は落ちる。
もちろん位格などどうでも良いものではあった。
だが力のない皇太子が生きていくためには必要だ。
ルディオはもはや祈ることしかできなかった。
「殿下は必ずお戻りになります」ルディオが言った。
「ではそれまで退屈な議論でもしましょうか」エルリアが目を細めた。
Δ
ルハラン=ノーランは、窓の外の様子を眺めていた。
『飛蟲船』は驚くほどの速度で呪界と実界の狭間を飛んでいる。
すべての景色がぐにゃぐにゃと歪んでいき、彼方へと過ぎ去っていた。
この不安定な空間を移動している事実に、ルハランは改めて驚いていた。
普通、高速空間通路を使用する場合は、入り口と出口の双方に『門』と呼ばれる術式陣を設置して空間を安定化しなければならないが、現状ではエルトリアムに門は開けない。そこでローレンは『船』が通過する部分だけを強引に安定化させていた。それは言うなれば、馬で走りながら足元の大地を測量したり耕作していくようなものである。国中の術式士を総動員するより、ローレン一人の方が役に立つというのは冗談ではないのだろう。
しかし、それほどの技術があっても戦争では無力だということもまた事実であった。数万の兵と剣術士、魔法士のぶつかり合いにあっては術式士など何万人いようが役に立たない。ローレンがどれほど呪界を弄ろうとも、必ず剣術士はそれを突破するし、魔法士は呪界そのものを焦土に変えていくのだ。
そのうえ大規模魔法術式陣という切り札も、基本的には極大の魔晶石か大量の魔法士を必要とする代物なのだから運用は簡単ではない。迷宮産の良質な天然魔晶が湯水のように使われたあの乾湿戦争が異常だったのである。
斜め前には術式球に干渉し続けるローレンがいる。
彼を見ながら、ルハランは感慨深げにため息を吐いた。
「どうしたルハラン」
「術式機械が主役となる戦争は起こるとおもうか」
わざと傭兵訛りを用いてルハランは言った。
今更ではあるが、兄との関係性が変化しているような気がしたのだ。
かつては大樹であったローレンは今や自分と変わらないのかもしれない。
そう思うと、何故だか堅苦しい敬語を使おうとは思わなかった。
ローレンもそれを咎めなかった。
男は術式の話を振られたことに心底嬉しそうに返事をした。
「どうしてそう考えるのだ。つい三年前に機両戦争が起こったばかりだと言うのに。あの戦争では機両は活躍しなかったが、月日が立てば技術は進歩し、いずれは機械による戦争が主流になるとは思わんか。お前とてあの兵器や『飛浮機』の価値が分からぬわけではなかろう」
「もちろんや。あの兵器は確かに戦術の幅をバカほど広げる。でも、その為にはもっと簡単に作れるようにならなあかん。こんな複雑そうなもんを大量生産できるとは思えん」
ローレンが悩ましげに唸った。
ルハランのいうことは全く正当だったのだ。
男は制御を副脳へ切り替えると、ルハランに向き直って話しはじめた。
「あぁそうだ。バルニア帝国時代に術式機械が滅びた原因もそこにある。こんな兵器は数を作れないから、戦局を変えるには至らないのだ。移動速度は素晴らしいが、制空権があるとは思えない。それこそエズアル帝国のように本物の竜に乗った方がはるかに安くて有用だろう。それにそもそもな、このノーラン文化膜にあっては剣術士や魔法士は過大な力を持っているのだ。数人がかりであれば下級戦錬士であっても術式機械を凌駕できるほどの力をな」
窓の外を凄まじい速さで呪界生物が飛んでいくのが見えて、それと同時に船は少しだけ揺れたが、二人の皇太子はまったく動じることなく会話を続けた。その様は数時間前までとまるで別人であるかのようでさえあった。ローレンの変質は故あってのことだ。しかしもう一人の男は、彼は何によって変わりかけているのか。自分でも奇妙なものを感じながらルハランは兄に相槌を打ち、問いを返していた。
「なら兄上はなんでこれに執着するんや。トルリアからの『空略』なんて放っておいたら良いやろう。剣王やら特級連中が一人おれば、空なんか飛ばれへん。あのエズアルのときに苦戦したのは、単に竜自体の強さと、対策のなかった術式弾爆撃の所為や。そんなんが一都市に十隻も来たんや。利益度外視で魔晶ばかばか使ってなぁ。そやけどこれからの戦争でそんなもんは無理や。結界もはるかに進歩しとる」
しかめ面でルハランが言った。
§
魔晶とは高純度の魔力結晶のことを指す。
鉱石の中には呪界中の魔力を吸収して結晶化させるものがあり、その中でも特にハマスと呼ばれる無色透明の水晶に魔力が溜まったものを魔晶石と呼称する。大抵は拳一つ分くらいの大きさであるが、この中程度の大きさの石でも、攻城魔術を二回は発動させることが可能である。稀に一抱えもあるような巨大魔晶が産出されるが、これらは大抵の場合、国家機関によって管理下に置かれることになる。
古くはフォルド人の時代から用いられたというこの魔術素材は主に古代魔法陣や術式の動力源として用いられたが、特に有名な魔晶は『迷宮へレニア』から産出されたという『鯨の瞳』である。この極大魔晶はバルニア帝国初期に『大魔獣アクラファモン』を討伐するために使用されたという。
また、予言歴における都市間戦争時代にあっても、多くの都市は防衛機構の中枢部に魔晶を用いることで超都市級の古式結界術式陣を発動したと言われている。これらの古い結界は未だに幾つかの都市に残されており、国家の繁栄と市民の安全を守り続けている。
§
「お前は存外、状況を分かっているらしいな」
「褒められるとは珍しいな」ルハランが苦笑する。
「まぁラツィオとは大違いだ」
ローレンが冗談交じりにそう言ったが、そのラツィオは疲労から座席でぐうぐうと鼾をかいて眠っていた。大柄な剣術士が大の字になって寝ているものだから、その隣のレグルスがうざったそうにしている。とはいえ、現状では皇太子以外はみなが眠っていたのだから、迷惑を糾弾する者はいなかった。
「確かに戦争ではまだ使い物にならん」
男は遠い目をして、言った。
「だが術式機械の本当の恐ろしさはそもそもそんなところにはないのかもしれん。私が『副脳』や『飛竜船』に執着するのはな、軍事の側面ではない。むしろ本当に脅威なのは――」
脳を思考が駆け巡った。自分は今何を口走ったのだとローレンは思った。脅威とは何だ。自分が術式に執着するのは何故なのか。これほどに脆く精緻で特殊な技術を、自分は今『恐れて』しまっているのではないか。ローレンは自分が抱いている不可思議な感情に眉をひそめた。
「脅威なのは」ルハランが問う。
「いや、待て。私は術式士で……」
「どうしたんです?」
その瞬間、ローレンは自分の父であるラハリオ=セン=ノーランが何故術式兵器を恐れたのかを理解した。いや、正確に言うならば、前々から分かってはいたが脅威とは感じられなかったことが、今まさに脅威に感じられたのだ。それは皇王が感じていた脅威と同じものなのだと、彼は理解したのだった。
ローレンがそれに辿り着いたのは、間違いなく熱部文化膜のデルフォイ家と衝突し、『グレオン=ラベストリ』を取り込んだことが原因だった。あの文化掌握の経験が、自らもどっぷりとはまっていた『術式機械という文化』を脅威に変えたのだ。ローレンは不意に身震いした。
「なんですか兄上。急に口を噤んで」
真面目な口調でルハランが尋ねた。
「いや何でもない。……あぁ、術式機械が危険なのは『脳子』がいるからだ。あれは着々と術式技術を復元開発しているからな。他国の機械が急に爆発的な進歩を遂げるなんていうことも考えられなくはない。私たちの思いもよらないような兵器が出てこないとは限らないだろう」
ローレンの取り繕うような言葉を聞いて、ルハランは眉根を寄せたが、しかしそれ以上の言葉を彼から引き出すことはできなかった。
黙り込んだ男は、険しい顔のままだった。
声をかけようとした瞬間に物音がして、振り返ったルハランは琥珀色の髪の毛に気付いた。同時に顔面へと飛んでくる小さな掌。ぱちんと小気味いい音を立てて、ルハランは頬をはたかれた。可愛らしい犯人はその眉間に深い皴を作ったままで男を踏みつけて、後部座席から這い出した。
「もうほんと邪魔」イルファンが言った。
「この、謝れクソガキっ」ルハランが叫ぶ。
「なんですってこの役立たず!!」
呆れたようにローレンがため息を吐く。するとイルファンは鬼の形相で男の後ろに回り込むと、座席の後ろから手を伸ばして細首を絞めた。たまらずローレン=ノーランはごほごほと咳をしながら両の手を挙げて降参の意志を示した。
「あんた何したのよ!!」イルファンが怒鳴った。
「文化膜を癒着させて呪界変動を起こしただけだ。心身が弱っているうえにグレルト文化膜に浸りきっていた貴様らはそれで『魂乱症』を引き起こして気絶した。命にも脳みそにも別状はないから安心しろ」ローレンがつらつらと答える。
「安心できるわけないでしょ!!」
「ごほっ!!ごほごほ!」
ローレンが首を絞められてむせた。
§
『魂乱症』は文化膜や地域の移動に伴って生じる魂の乱れのことである。身体や精神にも影響を及ぼすため、旅行者や行商人の間では恐れられている。もっともこの病に罹らない人間は滅多にいないので、それほど神経質になる必要もない。ある種の船酔いや騎馬酔いのようなものであり、ハデゥの実で治療することもある。
この病には主に二種類あり、文化膜の移動に伴う気絶や短期的な体調不良、人格の混乱、軽度の記憶喪失を『移膜変化誘発性・魂乱症』と呼称する。大抵は数日以内に安定するが、極稀に人格分裂を引き起こす者もいる。殆どないが、文化膜自体の変動によって体調を崩す者もいる。この場合には魂の属する文化それ自体が変質するために、通常よりも大きな影響が生じる。
また、地域移動による源素の変動によって体調不良や気絶を起こすものを『源素間差誘発性・魂乱症』と呼称する。低源素地域の出身者が高源素地域で魔力充溢を起こし、死に至る場合もある。逆の場合には軽微な疲労や倦怠感で済むことが多い。こちらはハデゥの実も効かない場合が多いので、魔力送還や魔力補充といった治療が行われる。
§
「貴様、私は皇太子だぞ!」ローレンが叫んだ。
「え、あんたが」イルファンが眼を丸くする。
少女の驚きぶりを見て、男は高慢に言った。
「なんだリアトから聞いていないのか。私はノーラン皇国の第一皇太子にして現エルトリアム都主のローレン=ノーランだ。本来なら貴様如き剣術士が会話できる相手ではないのだぞ。そこのルハランも私の弟だ。もう少し皇族への敬意をもってもらおうか」
権力にはめっぽう弱いイルファンである。
「ひっ。すみませんでした」
「謝られるのも釈然とせんな」
「なんなのよ、面倒くさっ」
「おい!」ローレンが顔を赤くした。
「だってあんまり皇族っぽくないんだもん。私が昔会った皇族ってのはもっと厳かで怖くて危なくて悪い奴だったけど、貴方たちはお間抜けって感じが……あぁまた言っちゃった。ごめんなさい」
それを聞いた男は、相手にするのも馬鹿らしいとばかりに『飛蟲船』の操縦に戻った。イルファンは言い合いに勝ったことに気を良くして、座席から勢いよく立ち上がった。堂々たる出で立ちはまるで少女とは思えない。どこか傭兵然とした表情で、彼女はひとしきり機内を眺めやった。
「さっきより広いのね」
「兄上が内部空間を広げたのだ」ルハランが言った。
「そんなことできるの!?」少女が顔をしかめた。
「まぁこの手の術式機械では標準装備だな。皇族が使う魔導車も可変空間を採用している。もちろん魔力は食うが、乗り物において居心地に勝るものは浪漫だけだからな。限度があるとはいえ、この機能は欠かせないのだ。お前、ひょっとして術式に興味があるのか?」ローレンがまたもや、つらつらと答える。
「ない」少女が言う。
というか、途中からそれを聞き流していたイルファンは、そんなことよりも眠りこけている仲間たちが気掛かりだった。リアトにレグルスにロンティエル、それにラツィオは爆睡している。その上、剣王レアーツすら乗っていない。なんということだろう。自分が剣王とまともに会ったのは僅か四半刻にも満たないではないか。少女は頬を膨らませて不機嫌を表明した。
「ねぇ。誰も起きないんだけど」
「知るか。一日二日もすれば良くなる」
ローレンがぼやけたことを抜かしたが、そんなものは当然イルファンに通用しない。もはや皇族というだけの術式馬鹿に付き合うのが面倒になった少女は、またもや座席の後ろから皇太子の後頭部を小突いた。舌打ちをしながらローレンが振り返ると、イルファンがその間抜け面を睨んでいた。
「あんたもやばいのにそんな悠長なこと言ってられないでしょ。もし追い出されちゃったらリアトも私も剣王様も皇都にいられなくなるじゃない。どうせランツとかロンティエルとかの件も全部おっ被せられて、暗殺士に首を掻かれるってオチでしょ」少女が言う。
「お前、馬鹿ではないらしいな」ローレンが笑った。
「褒められるほど賢くないけど」少女が目を細める。
それから二人はしばらくの間黙りこくっていた。イルファンは窓に顔を押し当てて呪界の奇妙なうねりを見ていたが、いつまで経っても着く様子がないことに苛立って、ポツリと言った。
「はっきり聞くけど、いつ着くの?」
「日没間際だ。もっともそれは、このまま魔力が底を尽きずにかつ呪界の『深魔』に襲われなかった場合の想定だがな」
切れた唇が痛むような表情でローレンが言った。男はそうとは言わなかったが、それは実質的な敗北宣言だった。ルハランが思わずうーんと唸る。イルファンが恐る恐る聞いた。
「待って、いつまでに着けばいいの?」
「日没までだ」男が言った。
「駄目じゃん」イルファンが吐き捨てた。
「兄上、熱部領域を離脱した後に転移術式陣を用いれば皇都まで戻れるんや……いや、戻れるのではないですか?」ルハランが問う。
「う、うむ。それがな」ローレンが口ごもった。
「はっきり言いなさいよ」
「呪界に罠が仕掛けられていたらしいのだ。熱部とノーラン文化膜を衝突させた結果、その余波がノーラン全土に及んでいる。文化のなかに巧妙に撞着するものが混入させられていたのだろうが、困ったことにその影響で呪界が『破裂』している。ノーラン全土で転移が出来なくなっているはずだ」
「兄上……それでは……」ルハランが苦い顔をした。
「自業自得ね。目先の相手を倒そうとして妙なことをやるからそういう風になるんだと思う。前に傭兵の師匠に言われたことがあるんだけど、魔獣狩りでは色気を出すと失敗するらしいよ」イルファンが知ったような口調で言った。
「なんとか時間を短縮できないのですか」
「やりようがないことはない。誰かの仕込みで呪界が狂っているとするならば、仕込みが及ばなかった箇所もきっとあるはずだ。そういう場所を拾い出しながら進めば短縮できる可能性はある。とはいえ、あてもなく呪界を彷徨うのは良い案とは思えんがな」ローレンが言った。
と、そのときイルファンの目が輝いた。
「あてならあるよ」少女は言った。
「おい、こんなときにふざけるのはよせ」
「馬鹿にしてんじゃないわよ」
イルファンは自分を睨みつけたローレンのすねを蹴り上げると、苦しむ男を尻目に、布袋のなかから一枚の薄い板を取り出した。それは金属製で微妙に凹凸がある。表面には極めて滑らかな水晶が張られていた。ローレンにはそれがなにか一目でわかった。連絡用術式板、つまりは簡易端末だ。
「ふ、ふん。そんなものがあっても役に立つか」
「残念だがイルファン、この状況ではそれ自体が使えないんだ」
「それはどうかしらね」少女が端末に魔力を送った。
すると驚いたことにその数秒後、端末から朗らかな男の声が届いた。
それはどこかで聞いたことがある声。
ひょうひょうとしていながら隙のない、悪人めいた声だ。
「しばらくぶりだねぇ、イルファン」
「そんなに前じゃないでしょ」少女が笑う。
「けけけけ。一体この俺になんのようがあるっていうんでさぁ。それも熱部の奥深く、ぐちゃぐちゃに乱れちまった呪界路のなかからさぁ」
「馬鹿な。通信網は復旧していないはずだ」ローレンが言う。
「その声は第一皇太子ですかい?」端末が言った。
同時に、少女の持つ端末に半透明の眼球のようなものが現れたかと思うと、ふわりと浮かび上がって周囲を飛び回った。何かを確認するようにひとしきりくるくると暴れまわると、眼球は再び少女の手の上に戻った。それから奇妙な間を置いて、端末はまた話し始めた。
「まず答えてやりますが、さっきの憶測は間違いだ。落ちちまった通信網はノーラン皇国の緑宮が管理している三本だけ。おいらの管理してる特別製のこいつは復旧どころか落ちてもいねぇのさ。さてローレン=ノーラン、初めてお目にかかる。声だけで悪いがねぇ、あんたの記述樹がたまに繋がらねぇのはあっしのせいさぁ」
「不法侵入……まさか『陰迷』か」ローレンが憎々しげに言う。
正体を明かす必要はないのに、とイルファンがドキドキするも端末は楽しげに画面を光らせた。この男は完全に遊んでいる。少女は頭がどんどん痛くなるのを感じた。頼れる相手はまったくいない。自分のまわりにいるのは馬鹿ばっかりだ。そんな思いも虚しく、端末は自己紹介を始めた。
「どうも。『陰迷』のラフィーでごぜぇます。どうぞ宜しく」
眼球はその表面に張り付く薄い皮でもって、ウインクした。




