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語る脳子と、綴るは我子  作者: 木ノ倉ラ
四節 熱部霊魂
38/43

4-6 円形討議/ルディオ

Δ


 

 ついに静寂が議場を包んだ。


 音楽がいつかのように止むと、ルディオ=ペンドランは辺りを再び見回した。左手にはベリフェス家をはじめとする無天皇族と数少ない皇都貴族が座っており、右手には冷部貴族と四大守護メイン家のエルリアが、右後方には熱部貴族とその守護デルフォイ家のアランドが、そのまま時計回りに回って、左後方には乾部貴族とその守護リディア家のリオラーンが座っている。


 そして正面には一部の商人や天獣教関係者、それに各都市の代表管理官であるところの都市貴族や御用学者たちが控えていた。その後ろには皇王が座るべき椅子が、空のままで残されている。あの椅子が使われたことは乾湿戦争以来、一度もなかった。


 初めにルディオが確認したのは、乾部席に座っているリオラーンと、彼の傍に控えているオルンドラ=リディアであった。


 傍付きである彼女が乾部側にいるということはローレンが非常にまずい状態にあることと、それを一部の高位貴族が既に知っていることをルディオに悟らせた。つまり、あの女はローレンに付くべきか決めかねているのだと彼は思ったのである。しかし彼女に裏切られた場合、状況は致命的になる。


 そうなる前に流れを掴まねばならない。


「よろしいでしょうか」ルディオは声を響かせた。


 貴族らの目が十分に集まったのを感じると、彼は口を開く。


「先ずはじめに、此度は歴史ある会議への参加の為、お忙しいところお運びいただきましたこと、都主ローレン殿下の名を借りましてお礼申しあげます。都主にして皇太子であるローレン=ノーラン殿下は本日、皇貴会議に向けた準備のために遅れて到着する予定となっております。伝統あるこの会議は典範によりハオンの九時からと定まっておりますから、今暫くの間は、私、第一都主顧問官のルディオ=ペンドランが都主の全面的代理者として当会議の進行を務めさせていただきます。どうぞお願い致します。ではただ今より、本年一度目、凍溶月の皇貴会議を開催致します。では開催に当たりまして、皇王陛下から賜りましたお言葉を……」


 そのとき、左手の無天皇族席から声があがった。


「宜しいですかな?」


 声を発したのはグラフェス=セドリーク宮廷管理官である。


 セドリーク家は建国初期の王弟が開いた家系であるといわれており、その血には薄いながらもハオンの加護が宿っているとされる。また、代々宮廷の雑事から儀礼に至るまでを収めてきた根っからの形式屋であり、様々な行事ごとを行うにあたっては、彼らに意見を求めるのが普通であるとされていた。


 但し、それは皇族には関係ないことであった。真正のハオンの加護を受けたるノーランにとっては薄まった血の戯言など聞くにも値しないからだ。とはいえ、この場に立つのが皇太子ではなく単なる顧問官である以上、セドリークは伝統の生む権威をもって、口を差し挟むことを公に認められていた。


 頭を撫でながらグラフェスは手元の分厚い辞典のようなものを開いた。


 それは皇宮典範と呼ばれる代物であり、長大なその書物の中にはノーラン儀礼に関わるあらゆる規定が刻み込まれている。それは呪術的にこの深青宮ラングリアとそこに集まる者たちに影響を与えていた。


「典範によれば、皇氏不在の際の儀礼執行者は同じくハオンの加護を受けたる無天皇族か天獣教最高司祭、または天獣教政治部管理官、あるいは信任を得た代理執行者たる貴族官僚ということになっておるはずだが、ペンドラン殿は代理執行者として皇貴会議に臨まれるおつもりか?」


 ルディオ=ペンドランは眉を顰めて彼に答えることにした。


 わずかな表情や手振りが意味を持つということを彼は知っているからそのようにするのであったが、しかしそれが功を奏すとは限らない。


「もとより皇貴会議は議長など立てておらぬでしょう。私はあくまでも都主代理に過ぎませんから、皇宮典範ではなく皇都法定規則をご覧いただきたい。宮廷管理官様のおっしゃる通り、私は儀礼行為を何一つ行うことが出来ません。ですので、」


 叩き付けるような言い方でグラフェス=セドリークは反論した。


「信任を得ろと言っている!!」

「先程申しあげたとおり、私は都主代理であって皇太子代理ではない。であれば皇宮典範はそもそも適用されないでしょう。間違いがあれば改めさせていただきますが」


 慇懃無礼にルディオが返答する。


 何が問題であるのか分からないという態度を形ばかりはとっていたが、実際のところは自分の言い分が通らないことを承知していた。何故ならばこの会議は単なる論争を目的としたものではなく、その本質は天獣オラン=ハオンによる『国改め』の呪いを避けるためのものだったからである。


 皇族といえども神性をもつ獣に選ばれている人間にすぎない。神意に反することがあれば国体あるいはその頭が挿げ変わるということは自明なのである。


 そのうえ、仮に天獣への礼を失することで国家そのものが呪に侵されてしまえば、ノーラン皇国そのものが立ちいかなくなる。若くして魔獣病や乾湿戦争を経験したルディオ=ペンドランにとっては眉唾話どころか世迷言である神話も、頑迷な老人どもにとってはある種の真実であり、呪いである。


 それゆえに彼らがこの儀礼に関わる部分で引くことはないとルディオは知っていたのだ。


 グラフェスが吐き捨てるように言う。


「愚かしい。皇貴会議の儀礼的側面を知らぬわけではあるまい。都主代理を務めるというならば会議の進行と開催は無天皇族のものに任せて、君は聞かれたことだけに答えたまえ。それが都主代理ということの意味であり、セドリーク家が君に認める唯一の議場での権利だ。分かったかね」


「なるほど」


 ある程度の体面を保ったうえでルディオはあっさりと引くことにした。でなければ本当に収集がつかなくなってしまうからである。とはいえ彼は憎まれ口を叩くことを忘れはしなかった。


「単刀直入に議場から降りろと言ってくだされば話が早く済んだでしょう。私とてセドリーク家と争うつもりは毛頭ございません。この場は貴方様にお任せして、私は官僚席に下がると致しましょう。しかしながら、こうなると『パリィ』の中央に立つ者を先に決めねばなりませんな。血筋で決めるか、適正で判断するかはお任せいたしますが、その場合にも当然ながら全貴族の信任を受けての代理執行者となるのでしょうな。それには一体どれほどの時間がかかるやら、」


 その言葉を聞いて、ようやく冷部のエルリア伯が議論に参加した。


 歳のほどは四十を超えたばかり、四大名家の面々では最も若く見える彼は面倒くさそうに華奢な腕を挙げた。進行役のいない議場では誰もその行為に対して反応をしなかったが、男は気にせずに声をあげる。


「時間が惜しい。さっさと会議を始めねばハオンが眠ってしまわれるよ」


 この議論が不要であると言われていると悟ったのか、グラフェス=セドリークは「すぐに信任を集めればよかろう」と言ったが、それに同調する無天皇族はほとんどいなかった。


 彼らはみな皇家の血に深く連なっているメイン家の権力を恐れたのであり、それと同時に、この蒙昧な議論に飽き飽きとしていたのである。会議がハオンの眠る十八時まで少しも進展しなければそれこそ重大な問題が生じるのだ。


 さらに一人の男が手も挙げずに発言した。


「色々と話がこじれておるのに全貴族の信任など集められるわけがない。グラフェス殿、情勢に中立な者など探してもおらんのだ。地位が低いうえに弁の立つルディオ=ペンドラン顧問官で構わんのではないかね。貴方のいう儀礼とやらも、どうせ皇太子殿下がお戻りになるまでは行われんのだし」


 このように、リディア家のリオラーンがエルリア=メインに同調したことで、ルディオは恐ろしい『パリィ』の中心へと戻った。


 グラフェスを含めた幾人かの無天皇族が彼を厳しく睨み付けるが、ルディオは意に介した風でもなく、皇王陛下からのお言葉を読み上げはじめた。 皇王ラハリオ=セン=ノーランの手紙には大したことは書かれていなかった。いつも通りの式辞とつまらぬ激励に面白みのない情勢不安への返答、これらはどんな会議でもお決まりの文句であった。


 十五年前までは精力的に政治に口を出していたラハリオ陛下であったが、ここ数年は武芸と外遊に入れ込んでおり、表面上は政治から遠のいている。勿論、王命で詔を出さねばならぬときなどは印章を押すのであるが、それとてあってもなくても良いようなものである。大抵の施策は拒否されないのだから。しかし、ことデルフォイとローレンの為すことについては、あの皇王陛下は奇妙な態度を取るのである。


 彼は無心で言葉を口に出していたが、その頭の中では無数の出来事が渦を巻くように回っていた。オルンドラ=リディアのことやラツィオ=メインのこと。それに不気味なデルフォイ家のことや皇太子ローレンのことである。考え事をしながら読み終えた紙を丸めて筒に戻すと、ルディオは次に皇貴会議の長い長い規範を抜粋して読み上げ、ようやく本題に入った。


 この規範を一部しか読み上げなかったことでまたもやセドリーク家をはじめとする古家に睨まれることは分かってはいたが、こんなものを読み上げていては会議がいつ終わるともしれない。


「……ではこれより、皇都エルトリアム及び五大都市の治政についての現状を取り上げながら、参議された貴族の皆様からの伺いに対して、都主代理として答えさせていただきます。何かご質問や疑問点が御座いましたら、その場で質していただけますでしょうか」


 などと言いながらも議題はすでにある程度決められていることばかりである。まさにローレンが言ったように形骸化している会議であるのだが、しかしそれでも糾弾の場としての権威は強く残っているために、侮ってよい類のものでもなかった。


 言ってみればこれは、失敗の許されない奔放な演劇なのである。


 と、そのとき手を挙げたのは皇都貴族ローレン派のバシェル家当主フォインであった。彼はまだ三十を過ぎたばかりであり、皇都での立場もそれほどに高くはない中堅貴族であったが、その表情は怒りに歪んでおり、今にも剣を抜き放たんばかりであった。


「フォイン=バシェル閣下、会議の流れを中断してまで仰りたいことがおありですかな?」


 地位が低いために、ルディオの言葉遣いも自然と嘲笑ったようなものとなる。しかしフォインはそれを気にした様子もなしに呼吸を整えて、それから自らの思うところをとつとつと語り始めた。


「神聖なる会議に私のようなものが口を差し挟むことをどうかお許しください。ですが、この会議が始まる前の一連の侮辱と罵詈を放置したままで言葉を交わすことはできないのです。私のほとんど正面におられる熱部貴族の方々は、この『パリィ』に現れないローレン殿下を口汚く罵り、その存在をあらゆる方法で呪おうと画策しておりました。言葉による呪殺など皇太天子殿下には通じるはずも御座いませんが、その反意は明確でありましょう。どうか私の命に代えましても彼らの処分を熱に願う所存であります」


 フォインの言葉が激しくなるにつれて、冷部席からは感嘆の声が、乾部からは僅かな笑い声らしきものが漏れた。そして当の熱部からはすでに野次と罵詈雑言が飛んでいた。魔法結界の力によって議場へは何も届かないようになっているのだが、それでも靴や装飾品の金具などが幾つか結界を抜けて『パリィ』の中央へとゆっくり落ちた。


 それらを冷ややかに見るのは官僚や商人たち、フォインに同調しているのは無天皇族どもであった。ルディオには彼ら老人どもがフォインを唆したことがすぐに分かった。


「静粛になさってください。たとえいかなる事情があろうとも『パリィ』の中央以外で武器を抜くことは禁じられていますゆえ。そして、フォイン閣下の言葉に反論のある方は挙手を願います。その方の弁明が真実であることを示すため、反論する者は『パリィ』の中央へとおいでください」


その言葉にルスラ=デルフォイが立ち上がった。


「私にその機会を頂いても?」

「ルスラ=デルフォイ閣下、どうぞ前に」


 いつもとは異なる慇懃な口ぶりでルディオが彼を促すと、青年――というには少し歳を食った男――は自らの座席から離れて、パリィの中央へと歩んだ。


 薄い術式結界を振動させながら男がくぐると、議場の空気はさっと静まり返った。熱部を糾弾しようとしたフォイン=バシェルでさえも彼の優美な歩き方の一つ、手振りの一つに魅了されて、野次すら飛ばすことが出来なかった。


「では私が熱部貴族の代表者、熱部守護デルフォイの長子ルスラとしてお話しさせていただきましょう。もとより、バシェル家当主のお言葉がなされた原因が何処にあるのか。そして此度の皇貴会議のいずこに問題が生じているのか。それを明らかにすることが必要かと思われます」


「とは?」ルディオが言った。


「『パリィ』にローレン殿下がおられぬ理由をお聞かせ願いたい。その理由如何によっては熱部貴族による罵詈の類が取り返しのつかぬ過ちであることが明らかになるやもしれませんし、その逆として一連の問題の原因が都主殿下にあるとすれば、都政に対する市民らの不満、その表れのひとつとして発言も許容されるということも考えられなくはないでしょう」


 その回りくどい言い回しに手を挙げたのは意外なことにリディア家当主のリオラーンであった。彼はにやにやと笑いながら傍らのオルンドラを一瞥した。彼女が何も言わないことを確認してから、リオラーンは楽し気に語りをはじめた。


「熱部の発言が許容されるかは知らないが、都主殿下の行き先ならば耳にしている。なんでも皇都政治の障害である熱部貴族を討伐するために熱部ボダットへと向かわれたそうだ。ははは、貴族どもはみな『パリィ』にいるというのに、全く暢気なお方であることだ。穀物庫の見学はさぞ楽しかろうな」


 この乾部当主の嘲笑に怒気をあげたのは熱部貴族であった。


 彼らはめいめいに椅子から立ち上がると叩き付けるように吠えた。その一方では議場の隅に寄り集まり、一生懸命に自らと熱部の今後について話を始めた。用心深く強者を見極めようとする彼らは、ルディオから見れば、多様な獣たちのようにも見えたが、彼らは怒りという一点だけは共有していた。


「ボダットだと?」「真偽が分からぬ」

「皇家は熱部へと侵攻するつもりなのか」

「関係を五百年前にまで戻す気か!」

「答えろ、ルディオ=ペンドラン!!」

「リオラーン閣下、その情報はご息女から?」


 激しい恫喝と罵声を全身で浴びたルディオは、ルスラと向かい合うようにして『パリィ』に立つと、その人を食ったような顔を冷ややかに睨み付けた。もっとも彼の内心ではリオラーンとオルンドラに対しての怒りが渦巻いていたのであるが。


 彼は静かに言った。


「乾部守護様、場をかき乱すのはお止めいただきたい」

「都主代理は事実を隠蔽するのですか」ルスラが言った。

 

 敵は目の前にいる。そう思うとルディオの心臓は早鐘を打った。


 この男と対決をして自分は勝てるだろうか。皇太子の威光がなければ四大名家の長子は同格かそれ以上の地位となる。ならば流れによっては命の危険すらあるのだ。ルディオは小さく息を吐いて呼吸を整えると、組み上げた言葉を一息に読んだ。


「いいえ。確かに皇太子殿下は熱部ボダットへと向かわれました。しかし!! それは熱部貴族を視察したり弾圧したりするためではない。殿下が向かわれたのはグランフィア=ボダットであり、その目的は熱部貴族デルフォイ家の、造反の証拠を押さえるためです。私の面前の男、ルスラ=デルフォイが皇国の裏切り者にして教主国の内通者、強大な術式兵器を隠し持つ逆賊であると暴くために!!」


 どの勢力も驚いたらしく、議場は一瞬だけざわついた。


 だが、ルスラは別段慌てた様子を見せない。彼は席に着くアランド=デルフォイの方を少しも見ることなく、ルディオへと返答を行おうとしていた。その余裕っぷりがルディオには憎らしく思えた。


「私は皇国に背いたことなどありませんよ」ひょうひょうと男が言った。

「では、ロンティエルという名に聞き覚えは?」

「私の愚妹がなぜここで話題に?」ルスラが不思議そうに首を傾げた。


 男の余裕のせいだろうか。この瞬間、なぜだがルディオは嫌な予感がした。まるで遊戯板の攻め手を間違えたかのような感覚がしたのだ。しかしそれでも、彼にはこの手しか用意されていなかった。つまり、熱部の術式研究が違法であるということを訴えかけることしかなかったのだ。


「彼女が行っていた術式研究をご存知で?」ルディオが尚も問う。

「知っていますとも。脅威国であるトルリアから私たちが鹵獲した『飛浮機』。その分析と量産に関する研究を行っていたはずですが、それが国益に反していたとでも仰るのですか」


 議場のざわつきは既に収まりかけているようにも見えたが、その実、内部ではぐつぐつと溶岩のような不安が煮えたぎっていると思えた。ここにいる貴族たちの多くが乾湿戦争を実際に経験しており、術式陣と機械技術の強さをよく知っている。中でも、三年前の機両戦争を人伝手に聞いていた者たちは術式機械という言葉を聞き逃すことはできないはずだった。


 ルディオはさらに続けた。


「いえ、ローレン殿下が執心していたのは『術式飛船』。空を飛ぶ巨大な船ですよ。知らないとは言わせません。証拠ならば殿下が幾つも用意してくださっております。数分前には殿下の端末から『青宮記述樹』に、暗号化された飛船の内部構造と外観についての解析図が送られているはずです。もしも、この中に『パリィ』の作法を気にしない方がおられましたら、そちらをご覧いただきたい」


 ざわつきの中で端末が幾つも開かれて、記述樹からの情報が各々へと流れ込んでくる。それは熱部ボダットの研究施設で発見された資料の数々であり、熱部デルフォイの術式研究を示すものであった。


 中には、まるで誰も見たことがない異形の機械の設計図も含まれていたが、それは一見したところでは禍忌魔術のようでさえあった。


「これは。馬鹿げていますよ、ペンドラン。熱部の屋敷に押し入って研究内容を強奪したというのですか。貴方には善悪というものを考える能力がないのでしょうね。たとえ皇族の起こしたこととはいえ、これは明らかな越権行為でしょうに」


 憤慨した様子を見せず、ただ困ったような口ぶりでルスラはルディオを責め立てた。


しかし、こう言われるであろうことは彼にも想定済みである。ルディオはすぐさま資料を机上に並べると、準備を完全に整えたうえで言った。


「問題を逸らさないでいただきたい」

「ふむ。都主代理様の考える問題とはなんでしょう?」


 ここからはルディオの扇動力が問われた。


 敵が取り上げる問題よりも自分の取り上げているものの方が、より重要度が高いということを貴族連中に示さねばならない。その為には予め仕込んでおいた何人かの協力者の言葉が必要になるということでもある。


ルディオは端末を掲げると、その中にある情報がさも正しいことであるかのように示した。


「これこそ、デルフォイがトルリアから技術供与を受けていた事実と、皇王陛下によって禁止されている『術式機械』の極秘裏な開発の証拠であります。ローレン殿下によれば『飛船』なる巨大飛行物体は、全長一弓飛、搭載可能重量は百馬重を超え、その航続距離は十馬遊に及ぶとか。これが事実だとすれば、デルフォイ家は他家と皇王陛下に対して、トルリアによる『空略』の可能性を、隠蔽していたとも言えるのではないでしょうか」


 無天皇族中立派のパリオ=アルミス筆頭食糧管理官が眉間に皺を寄せながら手を大きく挙げた。


 それを流れるように指名し、ルディオはほくそ笑んだ。この男には会議前から幾つかの利権を約束していた。彼は真実かどうか分からぬものを真実とするための男だった。


「それが事実だとすれば、デルフォイ家は敵国と共謀して兵器を開発するに飽き足らず、敵国兵器の存在を隠蔽し、国家の転覆を目論んでいたということだ。十五年前の乾湿戦争から何も学んでいなかったらしいな、薄汚い熱部の裏切り者め。恥を知らんのか」


 強い言葉でパリオがそう述べると、次には熱部貴族中立派のマシール=ラディエルが立ち上がり、自慢の大声で議場の目を自分に集めた。彼もまたルディオが便宜を図ることを確約していた人間の一人であった。


「残念だが、反逆罪だと言われたのも納得せざるをえない。もしも皇太子殿下が陰謀に気付いていなければデルフォイ家はまた反乱を行っていただろう。彼らの真意が我ら熱部とは別のところにある以上、ラディエル家としては、もはや信用することはできん!!」


 しかし、熱部からの反論に対しては、やはり熱部貴族が反発した。


 椅子を強く握りしめながら立ち上がった熱部貴族のバラスト=ミードは、顔を真っ赤にさせながら、パリオに向かって訴えかけるような声で意見を述べた。


「お待ちください、これが事実である保証はどこにあるのです。もし仮にペンドラン閣下の証言が何らかの誤りであった場合にはローレン殿下の行為の是非が問われることとなるでしょう。今ここで判断を下すのはあまりにも早急かと考えております」


 それは虚しい反論であろう。もはや証拠は出揃っているのだ、とルディオは思ったが油断は禁物であった。まさしく彼がそう思った瞬間、熱部貴族ではないところから思わぬ伏兵が現れた。正面に座る都市貴族の、軍部派からである。ルディオは今更ながら、ルスラが国属軍の管理官であることを思い出していた。


 国属軍の境域管理官であるスタラド=リベーツはその巨体を揺らしながら立ち上がると、目の前の机を激しく叩きながらルスラを擁護した。


 彼が買収されているのか、それとも自身の利益からデルフォイに協力するのかは分からなかったが、一見したところ、男は本物の義憤を感じているように見えた。


「私見を述べるが、戦略として、敵国の戦意を挫くために新兵器を開発したという流布を行うこともある。強大な兵器の存在が確実でないと考えられるならば、それを徒に大衆や一般貴族に告げないのは安全保障の面からしても有益なことなのではないかね? それに皇王陛下や軍部高官が知らないという確証はまだ得られていない」


 鼻息荒く述べたスタラドの言葉に軍部の人間の数人が頷いた。


 その中で最もノーラン家を敵視する乾部貴族テルメア=フォンドランは水を得た魚のように嬉々とした表情で立ち上がった。野心に溢れた壮年の男は脂ぎった顔をルディオの前に立つルスラへと向けた。彼は恐らく、ルスラを擁護することで恩を売ろうとしているに違いない、とルディオは思った。


 男が口を開いた。


「国属軍の一将軍として意見を述べさせてもらおう。まず、貴族官僚の大半に情報を隠していたのは、機密保持の点から問題ではない。考慮せねばならんのは、ここにおられるルスラ閣下が第三位の国属軍管理官ということだ。私に言わせれば、トルリアの情報を軍部の人間がどれだけ知っていたかということがひとえに問題なのだ。ルスラ管理官はその情報開示を怠った。その点を私は糾弾したい」

「軍部の人間が知っているだけでは国策が練れんぞ」

「いいや、機密事項は軍部だけが握っておれば十分。すべての貴族に情報を流すなど、水の抜ける穴を増やすだけだ。戦に明るくないものが声高に叫んだところで皇国の疲弊を招くのみ。ろくな考えのない者は何も知らずにいるのが最善なのだ」テルメアが高慢に言った。

「ではテルメア閣下は、飛竜船について何をご存知か」

「その存在が噂されていたことは聞き知っている。だが、それがどういった形態で、どのように運用され、また、デルフォイ家が近しいものを造り上げていることは知らなかった。術式兵器の開発は常に隠匿のうちにあり、我らにとっては歯がゆいことが多い。だからこういう問題が起きたのだ。ひいては……」


 とそのときだった。


 今まで不気味なほど沈黙していた四名家の一人、熱部デルフォイ家の当主アランドがその言葉に口を開いたのだ。男は微かに笑みを浮かべながら静かに立ち上がると、どよめきに埋もれそうな程度の声で何かを述べた。


 その声はとても低かったが、ルディオには確かに聞こえた。


「なるほど。テルメア閣下は良いことをおっしゃった。噂、そう、噂だ。さてそれでは、『飛船』という兵器の脅威を認識していた方はこの場で挙手を願いたい。私が知るかぎり、術式兵器による『空略』の可能性は以前から指摘されていたはずだ。当家が明らかにせずとも公然の秘密として、聞き知っておられたはずだ」


 そしてその言葉にメイン家のエルリアとリディア家のリオラーンがゆっくりと手を挙げ、ルディオは血の気が引くのを感じた。まるで天地がひっくり返ったかのようだった。今、この男は何を言って、誰が手を挙げたのだ、とルディオは自問したが答えは目の前に示されていた。


 目の前の四大名家の者たちが全員その手を挙げている。

 それどころか、貴族の内の多くのものがその手を挙げていた。


「これは……」


 状況が呑み込めず、ルディオはぽつりと呟いた。


 眼前の状況は、術式兵器『飛船』の存在の可能性が既に認識されていたことを指していた。だとすれば、今までの自分の発言はデルフォイにとって脅威でもなんでもなかったということだろうか。いやそうではない。これは単なる混乱だとルディオは思おうとした。


「誰もが『空略』の可能性を知っていたというのか」


 ルスラが当たり前のような顔で嘯く。


「どうやら、我々とペンドラン閣下との間には何らかの誤解があるようですな。まず、閣下は二ヶ月前に我々貴族の間で流れた噂をご存知ですか? デルフォイ家の有する新兵器の情報と、そもそもそれがトルリアとの共謀で開発されたものだという噂です」


 ローレン=ノーランからルディオはその事実を知らされていない。それ故に、この事象に対しては漠然とした理解に留まらざるを得なかった。つまり、デルフォイを貶める噂を流した人間がローレン自身であるという事実を知らない以上、彼は混乱し続けることしか出来なかった。


「いや……詳しくは知らない」

「ふむ。どの貴族も極秘裏には耳を有しているものですが……二ヵ月前に彼らはみな情報をどこかから入手しました。我らデルフォイ家が新型の術式兵器を持っているというものです。同時に、皇都貴族の間では、予てより疑いのあった『飛浮機』入手に関する噂が再び持ち上がりました。つまり、我々が何らかの取引によって、トルリアから兵器を入手したのだというものです」


 ローレンでさえ予想だにしなかったことだが、デルフォイ家は皇太子の打った手を逆に利用していた。噂の発信元だけが、流れる噂から隔離されてしまうということを彼らは知っており、そしてそうなるように情報を管理していたのである。皇太子ローレンとルディオの不仲は周知のことであったから、情報の空白を生み出すのはそう難しいことではなかった。いや、正確にはそうではない。誰かがこの状況を招くために、ルディオを無知にしたのだ。すべては、この局面でローレンを挫くために。


 ルディオが額を拭って答えた。


「ならば何故、表立った動きがなかったのだ」

「そこで重要なのは次の点です。すなわち、デルフォイ家がトルリアと通じているという証拠と、『飛船』のことを発表しなかった理由です。ペンドラン閣下はそのことを議論なさろうとしていたのでしょう?」


 あっさりとルスラは言い切り、そして笑みを浮かべる。


 もはや形勢がどちらに傾いているかは一目瞭然だったから、一部の都主派貴族は不安げにルディオを見つめた。しかしその中にオルンドラ=リディアの瞳はない。彼女は何かを堪えるように自らの足元を見つめていた。そんな娘を気にした様子もなく、乾部守護リオラーンはルディオを馬鹿にしたような声色で発言した。


「ところで、トルリアと繋がっているという証拠はどこにあるのかね、ペンドラン顧問官。言いがかりと勢いだけで守護を貶めるつもりだったというのならば、都主ローレン殿下は各貴族かたの信頼を失うことになるぞ」


 流れるようにルスラが続ける。


「お答え致しますが、デルフォイ家はこの皇貴会議の始まる数分ほど前に、各貴家に対して暗号化通信で『飛船』の疑惑に対する公式回答を既に行っております。もちろん、直接に回答したわけではありませんよ。皆様の記述樹に送信しておいたのです。この『パリィ』の作法に則って、端末に触っておられない方も多いでしょうから、ひょっとすると齟齬が生じているのかもしれませんが、もう一度通信を確認して見られてください。デルフォイ術式研究の大部がそこに記載されておりますから」


 それはデルフォイの姑息な詭弁でしかなかったのだが、この議場の空気を支配しているルスラにとっては何の疑いもない理屈であった。その強大な自信は言動に説得力を与える。この極度に呪術的な空間ではまさにそれは真理にも等しい力であった。


つまり、彼らは哲学者ではなく言論家であり政治家。この『パリィ』においては弁証術という詐術こそが誰もを屈服させるのである。


 しかし納得がいかないのはルディオである。


 呪術に飲まれそうになりながらも、彼だけは戦い続ける意思を持っていた。男は机から身を乗り出すようにして、ルスラを睨み付けた。


「馬鹿な。では『飛船』を既に隠蔽していないから問題がないと言うのか。そんな詭弁がまかり通るわけないだろう!! いや、第一、そうだとしてもトルリアとの繋がりは灰色のままではないか」


「いえ、申し上げますが、トルリアとの間に共同関係はありません。ローレン殿下からの情報にもそんなことは一切記載されていないはずですよ。正しく資料を見れば分かるように、トルリアの『飛船』とデルフォイが開発した兵器は明らかに別物です。むしろ私はお尋ねしたいのですが、ローレン殿下からの資料にある『楕円形の巨大な飛行物体』とは何処から入手された情報なのですか?」


 こう言われた瞬間、ルディオの顔は蒼白になった。


 ローレン=ノーランはこの情報を何処から入手したのか。ここ数年のあいだ顧問官を務めていたルディオは薄々、それに感づいていた。明らかに秘匿された情報、国内の秘密通信の傍受、記述樹への不法侵入。それらを可能にするような隔絶した存在はただ一つしか思い当たらない。


 脳子エルミスタット=ロギオス、ローレンは彼の持つ情報を掠め取っているのだ。何も答えないルディオを憐れむようにため息を吐きながら、ルスラは言った。


「なるほど、デルフォイ家が開発した新型の術式兵器は確かに、このように『楕円形の巨大なもの』だと言われていましたよ。しかし二ヶ月前には誰も正確な資料を有していなかった。我が家でさえも。そして今回ローレン殿下が強奪した資料によれば、デルフォイ家にあるという術式機械の形状は、これとは似ても似つかない。ひょっとして、ルディオ=ペンドラン閣下はそれに気付かなかったのですか?」


 誰も知らなかった情報が記述樹上に存在することの孕む問題をルスラは追求しなかった。ルディオはそのことに安心しつつ、ルスラの質問に答えようとした。だがそのとき、男の脳裏を一つの考えがよぎった。


 確かに自分はデルフォイ家の兵器とトルリアの兵器の区別が付いていなかった。だが、オルンドラ=リディアはどうなのだ。彼女は術式にも知識があるうえに、リディア家の一員として『飛船』に纏わる噂を入手していたはずだった。


 つまり彼女には二つの兵器の区別がついたはずである。


 ルハラン=ノーランを介して、兵器の情報が送られてきたとき、すぐにそれがトルリア国のものでないことを見抜けたはずである。違和感を覚えながら、ルディオは言葉を繋いだ。


「何が言いたいのだ、ルスラ=デルフォイ」

「トルリア製と目されている『飛船』の設計図とデルフォイの新型兵器の設計図の違いは、専門の術式士がみれば恐らくすぐに分かるでしょう。何にしても、当家がトルリアと関係がないこと、当家が、『飛船』という兵器の存在を既に明らかにしていることから、もはや問題はないと考えます」


 確かに問題はなさそうだった。というよりも、そもそも問題がないように張り巡らされた罠のなかへと自分は飛び込んだのだ、とルディオは思った。あのオルンドラは自分に伝えるべき情報を伝えなかったが、それには彼女なりの思惑があるのだ。


 ひょっとすると、これはローレン=ノーランが自分を失脚させるために仕組んだことなのではないかとも思ったが、そのような自滅紛いのことをする人間がいるわけがない。ならば、オルンドラが自分と皇太子に剣を向けたということである。


 だがあの女がそんなことをする理由はあるのだろうか。ルディオは釈然としない思いを抱えつつ、なお食い下がった。


「しかし二ヵ月前の時点では、」

「そう、あの時点では情報が不確定でしたので調査を行っていたのです。リベーツ管理官の仰る通り、あやふやな情報を流すわけにはいきませんからね。これでも謀反の可能性があると申されますか?」


 既に議場は倦怠感に包まれていた。


 ルディオの都主派は劣勢にあり、どうやらこれ以上面白いことは起きなさそうだと思われたためだ。皇都から離れたところに拠点を持つ多くの貴族は退屈そうに雑談を始めており、その無関心がルディオを焦らせた。


 ルスラは柔らかな笑みを浮かべて、諭すように言った。

 

「まだ納得がいきませんか。では、これも機密なのですが疑いを晴らすために申し上げましょう。当家は剣王レアーツ=ルーミン様に『飛船』の情報を極秘裏にお渡ししています。その上で、剣王様直々に皇王陛下へと情報は通じているはずです。これでいかがですか?」


 剣王とデルフォイに繋がりがあることは、本来ならば驚くべきことであったが、今のルディオにはどうでもよいことだった。負けるようにお膳立てされた舞台であがくことほどにみっともないことはない。自分が牙を剥くのは今ではないのだ。男は煮えたぎる思いをオルンドラに向けながら、沈黙を貫いた。


 ルスラが勝ち誇ったように言った。


「徒に当家を貶めるのはやめていただきたい。何より、疑いだけで当家へと強制査察を行い、術式技術を無断で流出させたローレン殿下にはここで申し上げる言葉もありません。それではこれで答弁を終わります」


 ルスラはそう言って優雅にお辞儀をすると、さっさと中央から離れた。それと同時に16時を告げる鐘が打ち鳴らされる。ここから十分ほど規定の休憩時間が取られるのだ。


 ざわつく議場に一礼をすると、目を伏せたままにルディオは中央を後にした。その後ろをマルス=ルーリアがついてくる。一人きりになりたいとも思ったが、殺されるわけにはいかないので、彼を遠ざけることは出来なかった。


 苛立ちを抑えることもせず、どかどかと内廊下へと出たルディオは再び二階席へと上がった。この場所でならば誰にも話を聞かれないと思ったからである。未だ喧騒に包まれている議場を見ないようにして、ルディオは仕方なくマルスへと話しかけた。


「参った。何がなんやらもはや分からぬ」

「失敗したらしいですな。術式兵器云々は分かりませんが、貴方が罠に落ちたのは分かりましたとも。この後はローレン殿下の熱部査察について糾弾され、最後には主導権を握られるというところですかね。しかし自棄にはならんことです。殿下が戻ってくるまでしのぐ、と言ってらしたでしょう」


 しかし、現状では耐え忍ぶことさえ難しそうだった。デルフォイが都主を罷免すると言い出せば、現状から鑑みて止めることは出来ない。失墜した信用を取り戻すこともできそうにないし、熱部と無天皇族の票が集まれば、弾劾決議の承認さえもあり得た。


 そうなれば、ローレンはただの皇太子となり、この皇貴会議に立つ資格すらなくなってしまうのだ。その場合、次の都主は第二皇太子リジェルか第三皇太子ルハランになりそうであったが、彼らはローレンとは異なる意味で厄介なものたちなのであった。このノーランの為の最善の王がローレンではないことは間違いないが、それでも代わりはいないのである。


 ルディオ=ペンドランは頭を抱えた。



Δ



 路地裏を無数の猫たちが走っていた。


 彼らは何かを追っているというよりは追われていて、逼迫した声で鳴き喚くさまは、市井の人々にさえ異常を感じさせた。林檎を売っていた一人の男が走ってきた猫に躓いて転び、不機嫌そうに立ち上がったところで、一人目の犠牲者が出ることになった。猫を怯えさせていたもの、人間とも魔獣ともつかぬ異形の獣が振り回した剣が、林檎売りの身体を両断したのだ。


 小路に悲鳴が響くなか、白日のもとに現れたその獣は右手にバルニュスを垂らしていて、端正な顔立ちを布で覆って隠していた。獣の名はアルト=デルフォイといった。


 腹から臓物をこぼし、爛々と光る眼を周囲に向ける青年は狂乱のなかを走り回り、ついには高く跳ねて姿を消した。その次の瞬間には青年は厚い外套に身をつつんだまま、大勢の人間たちが闊歩する中央通りに紛れていた。喧騒など何処吹く風のすまし顔には無数の赤い斑点が飛び散っている。無差別的に殺傷を繰り返すアルトは、殺しの衝動にその身を捧げていた。


 白き光のもとで唐突にバルニュスが放たれ、今度は青年の周囲にいた数人の男女が両断される。逃げようとする商人の首を斬り落として、アルトは流れるように目の前の人間を斬っていった。彼は惨殺を楽しんでいた。


傭兵の少ないエルトリアムではそもそも帯剣している者が少ない。騎士団さえも来ない現状では、アルトは誰からの咎めも受けることはないのだ。


 この青年には目的などなかったが、与えられた使命はあった。それさえ果たしておけば、何をしても良いのだと彼は知っていた。


 青年は言われたとおりに人々を殺していた。


 先ずはノーラン人、次には獣人、そしてグレルト人にクレリア人。満遍なく首を刎ねることは与えられた役割であった。アルトは一瞬たりとも足を止めずに皇宮ラングリアへと駆けて、そこで罵告運動をしていた獣人族や熱部人を皆殺しにした。


 彼の着ていた外套は赤黒く染まり、滴る液体で石畳に血だまりが生じている。この作業と愉悦のはざまにある行為に何の意味があるのか。それは定かではない。


 そのとき視線を感じて、アルトは振り返った。

 一人の女がいた。

 高貴な服を着た上等そうな人間だった。


 青年はその手の女と強い剣術士が好物だった。四つ足の動物のように跳ねると、アルトは彼女を次の獲物に決めた。わざと追いこむように動き出すのが青年のやり方だった。女はそうと知るやいなや、一目散に逃げ始める。貴族にしては随分と足が速く、アルトは一瞬だけ女の姿を見失った。


 だが、彼女は恐怖のあまり逃げられたことにすら気付いていないらしかった。抑えきれないとばかりに、女は叫び声をあげていたのだ。


「来ないで!」甲高い声がした。


 その声に、むしろ反応するようにアルトは動いた。


 立ち並ぶ屋敷のひとつへと逃げ込もうとする貴族風の女を、狩りをするかのようなしなやかさで青年は追い、扉が閉められる直前に中へと転がり込んだ。怯えた瞳に悦びを見出した青年は、震えている彼女の頸に剣をあてがい、しっかり押し付けてから一息に引く。切傷から鮮血が噴き出し、アルトの全身に降りかかった。


 瞬間。不思議なことに青年の全身はぴくりとも動かなくなっていた。


 貴族風の女がアルトの身体の下から這い出し、ゆっくりと立ち上がる。するとそこには、痩身で華奢ではあるものの、明らかな男の姿があった。


 彼は鬱陶しそうに付け髪とラチェットを脱ぎ捨てると、疲れた様子で懐から端末を取り出した。


「『飛脚』です。お頭、アルトとかいうのを捕えました」


 黒布を纏いながら男が言った。その声に反応して、端末から言葉が漏れる。その掠れ声はどこか怠さを孕んでいて、疲れを感じさせるものだった。


 男は何かを確かめるように沈黙したのち、興味深そうに語る。


「あ、ぁー、こうして視るとまったく狂人だなぁ。お前たちは『道化』だと抜かしてたがこりゃあ姐さんより余程『獣』じゃねぇですかい。いやはや同一人物とは思えぬほどの変貌……おい『飛脚』よ、こいつの面を見てみろ。なんだか妙な予感がしやがる」


 妙な予感、というあやふやな言葉ではあったが、『飛脚』は素直に従った。


 俯せに倒れている男の肩を掴み、勢いよく引き上げる。アルトはこの場所に仕掛けた魔法術式陣の効力で動けなくなっているはずだったが、それでも警戒を緩めることはしなかった。なにせ、あの『捨剣』のリアトを追い詰めた化け物なのだ。


 血に染まった白い顔は女のように美しかった。顔の下半分を隠す布切れに手をかけて、一気に剥ぎ取る。その瞬間、悪寒を感じるより速く『飛脚』は後方に飛び退っていた。


「お頭、こいつは」

「視えてる視えてるとも。こりゃあ……人じゃねぇな。不自然な継ぎ接ぎに玩具みてぇな関節構造だ。推測でしかねぇが、生の素材を使った人形に見えることこの上なしでさぁ。アルト=デルフォイは何らかの呪術を使いやがって、自分の人形を操ってやがるんだろう」


 黒服の男が顔を顰めた。


「じゃあ、僕は無駄足でしたか。これが人形だとすると馬鹿みたいな数が存在することもあり得ます。それこそ街中にアルトが現れているかもしれません。そうなると厄介です。今は何も聞こえちゃいないでしょうから、気取られない内にぶっ殺しますか?」


「決めつけるんじゃねぇさ。奴だってそう多くの身体は操れんだろうし、本体だってそう離れちゃいないに違いねぇ。この人形を辿れば見つけられるかもしれねぇよ」


 ぎしぎしと軋み音を立てる人形は未だに生きているようだった。それは恐らく、本体であるアルトとの接続が切れていないということを意味するのだ。ならば確かに糸を手繰ってみる価値はある。


 『飛脚』は端末を操作して、ひとりの女に転言を繋いだ。


「では『呪氏』に連絡します」

「それがいいねぇ。だがもっと急がなきゃならねぇのは、アルトの目的を洗い出すことだ。街中で斬りまくる意味が分からねぇ。ただの攪乱なら放っときゃいいが、何かの陽動や儀式呪術の準備ならそいつを止めねぇとそれこそ無駄足になっちまうでしょ」


 顔の見えないお頭が眉根を顰めているのが分かった。彼はよく頭の切れる男だったが、呪的な意味での超人ではない。蟻人の群れの統率者は決して女王蟻のように特別な存在ではないのだ。暫しの沈黙のあとで、ようやく彼は指示を出した。


 「よし。『飛脚』、お前はヘリトとラップルに連絡して貴族街の『裏門』を開けさせてくだせぇ。それからグランフィア辺りの傭兵連中に探りを入れてと。余裕があるようなら『蜘蛛頭』に熱部の資料を調べさせるのもいいかもしれなかったり」


「それだけですか?」


 待ち焦がれるように『飛脚』は言った。その期待に応えるように声がこぼれる。お頭、『陰迷』のラフィーはいつもより少しだけ真面目な調子で仕事を告げた。


「いや、本命は次だ。お前にはこっちに戻ってくる皇太子ご一行の歓迎をお願いしたいねぇ。手段は不明なんだが十界法則からして、日没までには熱部からお戻りになるはずだ。予兆を感じたらなりふり構わずにリアト姐さんと琥珀髪の少女を護衛すること。ローレン=ノーランは守られているから後回しで構わない」


 訝しげに『飛脚』が首を傾げる。


「誓約者の姐さんは分かりますが、琥珀髪の少女とは何ですか?」

「俺たち『貧民』の鍵だ。必ず守れ」


 男がそう言った瞬間、端末の向こうで騒がしい音が聞こえた。


 どうやらドピエルからエルトリアムへの『裏門』を起動させるために慌ただしく動いているらしい。同時に、通信先の強大な魔力干渉によって、呪界が乱れる。通信に雑音が混ざり、そして、


「本体はこっちでやる。任せたぜぇ、ルル」


 ラフィーがそう言うと同時に転言が切れた。


 魔術牢獄の中に封じられたアルト人形を一瞥して、『飛脚』のルルは喜びに顔を綻ばせた。自分が捕らえたまがい物がお頭の役に立つと思えば、笑みを抑えられなかったのだ。彼は動けない人形の身体を持ち上げて、そのまま風のように走りさった。


 その姿はやはり誰の目にも止まらなかった。





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