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語る脳子と、綴るは我子  作者: 木ノ倉ラ
三節 熱部呪術
29/43

3-6 琥珀剣獣/イルファン

Δ



「その剣から手を放せ、イルファン」

「黙れ。ランツを殺したのはお前か、答えろ」


 ほんのりと赤い色を瞳に滲ませたイルファンは、もはや聞く耳を持たない。ラツィオがちらりと横を見ると、下半身を失ったロンティエルの肉体がクスクスと押し殺した様子で笑っているのが見えた。この女が笑うという事は罠が仕掛けられていたということ。つまり、これは呪術だ。ラツィオは説得の不可能を悟り、舌打ちする。そして答えた。


「俺だ」


 その言葉にイルファン=バシリアスの、刃のない剣が震えた。それはまるで、唸りを上げる魔獣の如き、強大な気配。何か恐ろしい物が、この剣の中には巣食っている。ラツィオ=メインはすぐさま、それを感じ取り、臨戦態勢に入った。このような幼子に、自分が常剣の構えを取っているという異常。それを知覚しながらも、彼は一分の隙をも殺すことに努めた。僅かな油断が、この少女の前では命取りになることを彼は知っていた。彼の剣術士としての勘は、眼の前の存在を自分と同等以上であると見做したのである。


 ラツィオがその琥珀の剣をじっと眺めていることに、イルファンは気付いた。彼女は抑えきれぬ怒りに身を任せるように吠える。


「殺してやる! お前なんて、私が殺してやる!」


 あぁなるほど、とラツィオには直ぐに彼女の状態が分かった。自分と同じく、彼女もまた胸中に激しい怒りを植え付けられたのだ。その引き金となったのが、ランツとロンティエルの死。恐らく、あの呪術は仲間の死を契機にして発動するものなのだろう。彼女が攫われてから今までの間に、何があったのかはしらない。だが推測するに、彼女はあの二人となかなか上手くやっていたのだろう。それを俺が奪ったように少女は感じているのだ。


「落ち着け、イルファン」


 彼女がその手の呪術に掛けられているとするならば、言葉によって、説得するのは困難だろうと思われた。ラツィオと彼女は初対面、それで自分を信じ込ませるのは不可能というものだ。故に彼は、ローレンから聞いていた、もう一つの呪術の解き方を試すことにした。それは極めて単純な手法、すなわち、身体への強い刺激である。この方法は特別な道具を何も必要とはしないが、初歩的な洗脳呪術に対しては有効だった。


「殺気、とはまた違う。私を気絶させるつもり」

「そうだ。今のお前は呪術に掛けられている。荒療治をするしかない」

「そう言ってランツも殺したのね」


 イルファンは憎々しげにラツィオを睨んだ。と同時に大きく踏み込み足が取られ、その手に握られた剣が音もなく振られる。瞬避の攻撃転用である瞬斬延刃である。だがラツィオはその剣を当然のように躱した。


 確かにこの少女は破格の強さを誇っている。されど、やはりその腕の長さ、すなわち体格の違いだけは埋められない。故に琥珀剣が震える前と同じように、ラツィオはイルファンを弾いた。しかし、イルファンは空中を舞いながら、さらに剣を振る。一振り、二振り、三振り。避けきれずにラツィオの髪が数本裂かれ、靈気の衝撃でこめかみから血が流れ出た。


 上級不許並みの空歩。


 ラツィオは思わず舌を巻いた。言うまでもないがこのようなことは人間には出来ない。骨格だけではなく、反応速度も、重心も、その全てが動きを阻害する。仮にそのような動きを夢想したとて、それは空想に過ぎないのだ。されど、少女はいとも容易くそれをやってのけた。ラツィオは空中で更に急反転した彼女の攻撃に感心しつつも、その鋼の剣でもって、四振り目を弾き上げた。


「なっ!」


 イルファンが驚きの声を上げたが、何のことはない。少女と男の体重差からすれば何ら奇特なことではなかった。やはり軽い、とラツィオは思った。この程度ならば抑えられる。深傷を負うことなく制圧出来る。男と少女の技量はそれ程に隔絶していたわけではなかったが、ラツィオはそう判断した。そう、本来ならば自分はとうの昔に少女を制圧している筈なのだ。この肉体の差で、どうして自分は彼女を捕えられないのか。自問するまでもなく、ラツィオは最初からその答えに気付いていた。


 確かにイルファンは格下だ。

 だがそれは少女の肉体に限った話。


 ラツィオは強烈な殺気を感じて、反射的に剣を構える。そこへと吸い込まれるように琥珀の剣が伸びた。人体どころか剣術の動きを無視した乱雑な動きだというのに、それは驚くほどに命を捉えている。ラツィオはこれを紙一重で躱して、ついでに少女を蹴り飛ばした。少々無理な体勢ではあったが、彼はそのままイルファンと距離を取った。少女は訝しげな顔でラツィオを見た。


「あんた、何かを怖がってる? 私が怖いの?」

「手のかかる上に生意気な餓鬼だな。怖いのはお前じゃない、その剣だ」


 ラツィオが少しばかり、苛立ちながら言った。彼は自分が距離を取ったことにも、それを気取られたことにも苛ついていた。彼女の力はもはや数合で見抜いた。自分の敵ではない。されどこの剣は。この剣はただの業物ではない。そもそも、ラツィオは琥珀の鋼など見たこともなかった。


「どういうこと? てか、あんた本当に私を殺す気ないの?」

「そいつから手を放せ、イルファン。俺は敵ではない」


 ラツィオはもう一度、彼女に言った。イルファンが不思議そうな顔で、剣を降ろしかける。彼女はどうもこの状況に未だに適用できていないらしく、その顔には明らかな困惑が、幾つも浮かび上がっていた。このまま敵意を示さなければ、彼女を無力化出来る可能性すらあるかもしれない。


「俺はこの国の皇太子から遣わされた剣術士で、お前を助けにきた味方だ。お前の師匠とも知り合いだし、事情はある程度聞いている。そこの二人はお前をさらった悪人で、しかもただの人間じゃない。頼むから俺を信じてくれないか」男が言った。


「リアトもいるの?」イルファンが問う。

「そう聞いている」ラツィオが答えた。


「じゃあ私の秘密ってのがあるらしいのだけどそれって何のことだか分かる? 多分ランツ達に攫われた理由とも関係あると思うんだけど、なんだか頭がくらくらして、自分でも何言ってるかよく分かんないんだけど」イルファンが呂律の回らない舌で言った。


「それは知らん。だがリアトなら知っているだろう」

「……分かった」


 イルファンがそう言って、剣をゆっくりと降ろした。だが、同じようにラツィオが剣を降ろして、足を一歩踏み込んだ瞬間にそれは起こった。少女の手に力なく握られた琥珀の剣が、きらりと翻ったのだ。それはまるで剣それ自体が意思を持っているかのような一閃。ラツィオの頬に剣振の余波による一筋の傷が生まれる。


 ぽとり。彼の血が地面に落ちた。ラツィオは得体の知れない恐怖からその足を止めていた。少女の足も驚きで止まっていた。「なんだ今のは」とラツィオが上擦った声で言った。彼はその攻撃が、仄かな殺気すらなく行われたことに気付いていた。それはまるで一行流の達人の剣技。あらゆる物を完全な無動作で切り裂く、無常の剣。齢十三の荒ぶる少女が使えるような代物ではない。どんな戦士でも、いやむしろ強大な戦士であればあるほど、攻撃の際に呪界に毀れ出る『攻撃意思』は大きいものとなるはずなのだ。


「うそ、なに、なんなの」イルファンが言った。


 その手はかたかたと震えていたが、それが剣の震えによるものでないのかどうかは分からなかった。ラツィオはその刹那の隙に、イルファンの間合いから一歩退く。既に彼は、この少女を無力化することを諦めていた。あの剣は自分が相手に出来るような類のものではない。振るい手の意思を無視して、器物それ自体が振るわれるなど、俺の手には余る。単に攻撃の補助をするだけの魔法具ならば手の打ちようもあるが、あれは明らかにそんな生易しいものではなかった。


「何がどうなってるの?」少女が問う。

「俺にも分からん!!」ラツィオが言った。


 だが、離れようとする男を逃さぬとばかりに、イルファンはゆっくりと前に出る。いや、ゆっくりとラツィオの方へと進まされている。見れば、少女の脚には大量の血液が絡みついていた。それはロンティエルの上半身から流れ出た鮮血。悍ましき呪術士の執拗な技。少女の心を縛り上げる魔女の呪文。何処からともなく、誰かが言った。


「忘れないで。彼は貴女の敵。ランツの仇なの。∬死せる獣の刃は魂を失いて、赤き夕暮れを彷徨う。かつて連れ添いし狩人の喉笛をその口に咥えて、滴る遠吠えは崖上から黒き森の根底にまで染み渡る。其れは我が断末の忌み語り、汝が魂の飢餓。怨敵に奪われし歓喜の指先は暗い暗い土の下で、縛られた心が解き放たれるのを待つ。∬思い出せ、イルファン=バシリアス。汝の敵の姿形が決して夢現の幻ではないということを」


「ロンティ?」


 少女が空に向かって問いかける。その眼がどす黒い赤色に染まっていく。これは血の色だ。復讐を誓わせる呪によって、この少女は。


 ラツィオはすぐさま、脇目も振らずにその場を離れた。イルファンの救出などもはやどうでもいい。生き残ることが最も重要だった。人としてみれば、それは褒められた行動ではなかっただろうが、それは剣術士としては最善の行動だった。


 男が後ろへと跳んだ瞬間に足元の床に切り込みが走る。鋭利な断面からは激しい闘気が立ち上っている。続けざまに、ラツィオの肩口に鋭い痛みが奔る。俺は斬られたのだ、と分かった瞬間にラツィオは逃げるのを諦めた。この見えない斬撃を避けながら、未だ生きているであろうロンティエルから逃げ切る自信はない。


「くそが」


 正面には琥珀の髪を靡かせる少女。その歳の程は十三歳ばかりか。右手に軽く握られた剣は、今や煩いほどに鳴っており、少女の全身から発される闘気は異様な濃厚さで顕われている。この少女をデルフォイが欲しがった理由がラツィオには分かった。これは特級剣術士をも殺しうる剣だ。


「すまないが、手足を断ち切るぞ」


 ラツィオは覚悟を決めて、皇神鋼に霊力を流した。それに呼応して、イルファンの琥珀剣が剣鳴りを強める。その瞬間。刃のない筈の琥珀の剣が、恐ろしいほどの荒々しさと鋭さをラツィオに感じさせた。


 イルファン最初の一手は、真交流秘技《破砕剣》だった。ラツィオもそれに応えて、剣に魔力と靈力を充たす。その技の完成度は非常に高く。僅かな呪力の毀れすらない。それに比べてイルファンの剣は荒々しく唸っていた。剣全体を覆い尽くすような強大な魔力と靈力。まるでラツィオはそれに喰われてしまうのではないか、と思った。


 されどその臆を悟らせることなく、ラツィオは剣を振る。イルファンもまた、先手を取るかのように腕を振った。二人の剣が少しのズレもなく、その中程でぶつかり合った。ずん、と言葉にならない衝撃が空を奔る。


 ラツィオはそれを腰の動きで流して、即座にイルファンの入身を取った。そのまま、円を描くようにイルファンの肩に重みをかけていく。それは時間にすれば僅かに一秒にも満たない短いものだったが、少女の体勢はそこで大きく斜め前に崩れた。ラツィオは間髪入れずに、ヒャイルの剣を片手で振る。されど、イルファン=バシリアスの剣がそれを防いだ。同時に、彼女の左手指が音もなく動き、ラツィオの喉を貫こうとする。それは真交流の技《貫》であり、纏う靈力は強大だった。


 だが力押しならば容易い。ラツィオはそう思いながら闘鎧を纏った指先で《貫》を捌く。そしてそのまま、彼はイルファンを力の流れるままに導いた。またしても少女は体勢を崩し、見当違いの方向へと跳ぶ。ラツィオはすかさず足を掛けて、彼女を空に浮かせた。ぐるり、と彼女は一回転して、地面に叩き付けられる。間髪入れず、倒れ伏した少女をラツィオが《破砕剣》で突き刺した。


 しかしイルファンは背筋を用いて、素早く跳ね起きることで攻撃を躱す。それは一見躱したかのように見えた。されども《破砕剣》は強力な力を内包する剣である。到底、紙一重で当たらぬような甘い技ではないし、そんな脆弱な技ならばラツィオは使わない。


 容赦のない衝撃波が少女を襲った。イルファンは剣の余波で斜めに吹き飛び、さらにそれをラツィオが追撃する。砕け散った木の破片が宙を舞い、その全てが、やはり、瞬時に弾け飛んだ。木切れを目隠しに、一瞬の視覚から男の剣が伸びた。輝く皇神鋼の切っ先がイルファンの額に迫った。


 ラツィオは端から、イルファンとまともに戦うつもりはなかった。暴走する力の権化のようなこの少女は自分の命にまで届きうる。真正面からぶつかりあうのは、やはり危険すぎた。既に最初の衝突でも見た通り、彼女の剣が纏う力は近づくだけで肉を斬る。それを防ぐために、ラツィオは少女に剣を振らせないことに徹していた。


 だが、そのような彼の認識は甘すぎたと言わざるを得ないだろう。そもそも、相手を完封するといったような戦い方はそれほど容易く出来るものではない。そう、例えば実力に大きな差のある師弟間であれば、それは可能であるかもしれない。されど、ラツィオとイルファンに果たしてそれ程の実力の差があるのだろうか。


 追撃したラツィオの剣は、イルファンに届く前に止まった。少女は掌から血を流しながらも、彼の剣を掴み止めたのだ。なんという膂力、なんという靈力。ラツィオは本能的に真交流奥義《破》を発動した。微細な揺らぎの刃が、皇神ヒャイル鋼から瞬時に現れる。イルファンの手が内外からずたずたに切り裂かれ、その白い骨までもが粉々に砕け散った。


 ラツィオはその瞬間を狙って、剣を素早く引いた。いや、正確には引こうとしたというべきか。ぎしり。骨の軋む音が響いて剣が止まる。驚愕と共に、音の出所を目視したラツィオは戦慄した。


 イルファン=バシリアスの手は、砕けながらも再生していた。骨だけではない、肉、血、皮、その全てが再生していく、まるで時が巻き戻るかのように、千切れた皮膚が埋まり、毀れた血が吸い上げられ、砕けた骨が重なり合う。まるで男の暴力や勝利法則などなかったかのように、全てが白磁に帰っていった。


「お前、まさか、」


 ラツィオが呟いた。立ち上がったイルファンの身体を見て、いや、それはもう人間の其れではない。その躰を見ることで、漸くラツィオは自分が何を相手取っていたかに気付いた。その表皮に浮かび上がる文様は術式陣。肉躰に呪いのように刻まれたその魔法をラツィオは知っていた。


 それは付加魔法。


 自身の躰を限界まで酷使して、超人的な力を引き出す魔術である。かつてこれは珍しいものではなかった。多くの剣術士が、乾湿戦争時には皮膚に付加術式を刻んで、その全ての命を燃やし尽くして、鬼神の如き力を奮った。あらゆる損傷を瞬時に回復し、筋繊維と脳を最大限に酷使する切り札。そのように意図されて復元開発されたこの術式は、されど、恐ろしい副作用をその内に秘めていた。


 その一つが、人格の破壊であり、もう一つが肉体の魔獣化だった。ラツィオは乾湿戦争中に、何度もそのような戦錬士を見ていた。この魔術で命を落とした剣術士は数知れないだろう。彼自身、魔獣化した自らの仲間の多くをその手で殺していた。理性を失い、怪物と化した人間はもはや二度と人には戻らない。彼らは力を求める化け物となって人間を喰らってしまう。


 それ故に、この魔術は戦後直ぐに禍忌魔術に指定されたのだ。その身に、付加の刻印をもつ者は秘密裏に殺され、あるいは捕えられ、術式の力を幾重にも封じられた。


「だというのに!」


 ラツィオは苦々しく言った。一体、誰がこんな悍ましいものを、幼い少女に刻んだのか。ローレンに問い質さなくてはならない、と彼は思いながら目の前の琥珀髪の少女へと向き直った。


 肉躰が完全に再生する以上、手足の切断による無力化は不可能。頭部へと打撃を加えようにも、少女はそのような隙を欠片も見せない。ラツィオは自分が完全に手詰まりであることを悟った。こうなればもはや、自分に残された手は少女を殺すことだけか。ラツィオは愛剣を握りなおして、琥珀の剣に相対した。


 もはやまともな理性すらないのか、イルファンの眼は何も見てはいない。その虚ろな視線から繰り出される技は、されど、一分の隙もなかった。だから、ラツィオの剣振は、もはや投げやりな飛び道具だった。その魔剣流の《飛刃》を掻い潜って、少女がラツィオの懐に入る。すぐさま、ラツィオが展開するのは、奥義《斬》。その剣自身の推進力でもって、彼は少女をいなしながら、背後を取る。近接戦では付加魔法剣士に分があることを理解していながら、ラツィオは少女に近接戦を挑んでいた。

 

 流石にこれ程長く打ち合えば、お互いの剣筋が見えてくる。当たっても致命傷にならない遠距離戦で時間を食い潰すくらいならば、命を賭して、相手の剣筋を知り、その読み合いに勝つしかない。ラツィオは剣をくるりと回転させて、少女へと剣を振るった。その一撃は真交流奥義《砕》、剣を槌へと変える初代剣王の技である。イルファンは何流派ともつかぬほどに自然な流れで、その剣を流した。そのまま、返す剣で斜め上方への斬り上げ。


 ラツィオはすかさず、後ろへと一歩下がるも、その動きは読まれている、少女は、剣に集中させた力を前方一直線に解き放ち、《貫》を放つ。男は再び指先に靈鎧を纏って、その一撃を捌き導いた。されど今度は、イルファン=バシリアスの手番であった。彼女は剣先をくるりと円めて、流動的なラツィオの流れを彼自身の方へと返す。逆に崩されたのは、ラツィオの方であった。男は少女に手を引かれて、前方に膝をつく。それをイルファンは狙っていたのだろう、彼女は膝を蹴った。いかに非力な少女の力とて、人体急所を狙えば無力ではない。ラツィオは苦悶の声を上げて、自分から真横へと飛んだ。


 着地の衝撃がラツィオの膝に雷を奔らせる。彼は思わず足を止め、それ故にイルファンの間合いに入ってしまった。この間合いで彼女が使う技はなんだろうか。ラツィオは数多くある真交流の技法から敵の次の動作を読む。彼は先程から、一つの事が気になっていた。

 

 それはイルファンが用いる真交流奥義の偏りである。彼女は不思議なことに、奥義《貫》しか使ってこない。それが誘いであるのか、それとも、本当にそれしか使えないのか。ラツィオにはその判断がつかないが、それが故に全ての行動が遅れた。


 一方、イルファン=バシリアスはラツィオの動きを完全に読んでいた。それは経験や思考によって導かれたものとは異なる、彼女の野性的勘。あるいは、その身の内に秘められた『剣子』としての能力。ラツィオは一般的な上級剣術士と同じような技を持っていると思われた。それを証拠づけるように、彼の今までの技はそのほとんどが真交流のものだ。故に、彼が取りうる選択肢は限られてくる。


 例えば、このように海刃流の《海巻からめ》を用いればどうか。ラツィオはそれを叩き潰すように《砕》で剣を打ち合わせる。確かにその手は有効な一手だ。イルファンの剣は弾かれる。されど彼女は既にそこまで読んでいるのであるから、弾かれた少女の剣が揺らぎ、そして空へと掻き消える。


 ラツィオは眼を見張った。それは魔剣流が得意とする技術《虚刃》だったからである。うっすらと残る剣の残像を破るように、本物の琥珀剣が振られる。それを男はすんでのところで避けたが、首筋には一本の赤線が走った。少女はいまや、ラツィオ=メインすらも手玉にとっていた。



Δ



 吹き上げる風の音に導かれて、ローレンが見つけたのは穴だった。黒々としたそれは腐肉の生臭さをほのかに漂わせている。穴の周囲にこびり付いた血痕が、その穴の存在理由を暗に示していた。


「何に対する生贄なのやら」


 ローレンが呟いた。上方へと続いていたのは巨大な黒い穴であったが、下方へと続くのもまたそれである。ローレンとリアトは共にその巨穴の淵に立って、底無しの暗闇を見つめていた。恐らく、この穴から下に落ちれば、落下の音すら響かせずに自分らは死ぬだろう。そう思うほどに濃厚な死の気配がこの穴を支配していた。ローレンはそれを見て、訳知り顔で言う。


「フォルド神話にある原初の穴のようだ」


 リアトは、その言葉に何か気の利いた答えを返そうとしたが、フォルド神話などそれほどよくは知らなかったので結局黙ることにした。


「穴には何かが幽閉されているものだが」

「イルファンが穴の底にいるとでも?」


 少しばかり苛立たしげにリアトが言った。彼女は、ローレンを信じて先へ進むしかなかったが、その胸中には、彼への強い疑いがあった。


「お前の弟子が何処に捕われているかは分からん。ここにあるのは残り香だけで、明確な気配は何処にもないからな。取り敢えずは、デルフォイを捕えて尋ねるしかないだろう」


「分かっているさ」ぶすりとした顔でリアトが言った。

「だが、先程の気配はお前の右腕ラツィオ=メインのものだな。貴様、あの男をボダットに送り込んでいたことを、何故私たちに隠していたのだ?」


 リアトにはそれが判然としないように思われた。彼女が思うに、ローレンはその情報を隠すことで自らの足を引っ張っている。仮に、ラツィオが熱部にいることが既に知れていれば、あの優秀な兄が現状よりも遥かにましな案を考えていただろう。リアトはそのような夢想をして、ローレンを問い詰めた。ローレンが面倒だ、とばかりに下唇を噛んで、言った。


「あの刹那の殺気だけでラツィオと気付くとは、流石はクルドの弟子だな。知りたいことはそれだけか? ならば教えてやろう。私はな、皇貴会議が始まる前にデルフォイをどうにか出来ないかと思っていたのだよ。だから、俺の剣を熱部に送り込んだのだ」


 それが捨て身の攻勢、諸刃の剣であることはリアトにもすぐに分かった。あの慎重なラツィオ=メインや賢しいローレンが採るとは思えぬ選択肢である。それを態々選ぶという事が、彼らの追い込まれた苦境を物語っていた。リアトが問う。


「貴様の青宮での立場は、側近を送り込むほどに危ういものなのか?」


 リアトの言葉を受けて、ローレンは苦々しく頷いた。彼は周囲に気を配り、何らかの痕跡がないかを探りながらも、彼の現状がどのようなものであるのかを、目の前の女にゆっくりと語り始めた。


「事が起こったのは、三週間前になるか。始まりはトルリアの内乱だった」


§


 予言歴一〇二一年。


 トルリア内乱はこの年に勃発し、湿部地域全体を揺るがした、トルリア神聖教主国内部での教主派と聖軍派の争いである。それは戦乱としては小規模のものであった。


 前教主パスティア=ルーン率いる教主派とレプロン=リニア率いる聖軍派は、三年前の機両戦争以来、その対立構造をさらに明確にしていた。元はといえば、乾湿戦争当時から既にこの国は問題を孕んでいたが、聖会議によって決定されたパスティアの教主位は十五年間揺らがなかった。つまり、あの機両戦争で多くの神聖魔法士や神殿騎士が死ぬまで、狡猾なレプロン=リニアはその牙を聖衣の内にひた隠しにしていたのである。彼の妹であるエレオノーラもまた、パスティアヘの叛意を隠し続けていた。


 そもそも、乾湿戦争中に戦死したルーラリオス=リニアの後継者として、その側近であるパスティアが選定された事自体が異例中の異例であった。何故ならば、トルリア神聖教主国の教主は代々世襲制だからである。つまり、レプロンに与えられる筈の教主位は、パスティアに簒奪されたのであった。されど、聖会議がそのような決定を下した裏には、幾つかの理由がある。その一つが、聖会議を統制する最高知能、『リアスの意思』による干渉であった。


 この『意思』と呼ばれる者が何者かは、今日に至るまで明らかになってはいないが、多くの湿部諸国の王たちはそれを一種の『脳子』であると考えていた。機両戦争でも明らかになったように、レプロンは反機械派である。『脳子』の一人である『リアスの意思』は、彼が力を得ることを望まなかった。それ故に、レプロンは卓越した能力と王の資質を持ちながらも、一国を治める教主となることを、十五年間、妨げられてきたのである。


 彼は狡猾な男であったから、好機を待つことは、何らの苦しみでもなかった。彼にとっての苦しみはそんなことではなく、ただ異教徒が排除されないことだった。厳格なバレア教徒であるレプロン=リニアには、それが許せなかった。聖会議がパスティアを教主に選定したもう一つの理由がそれだった。大多数の枢機卿が、異教徒を過敏に嫌うレプロンの暴走を恐れたのだ。


 既に、トルリア神聖教主国は他国とは切っても切り離せない協力関係にあった。貿易、軍事、技術開発、そして、国内に住む数万の異教徒がそれである。パスティアは現実主義者であったから、そのような状況を良しとした。国中に溢れる異教徒を、乾湿戦争来の貧困に喘ぐ自国への恵みと考えたのだ。事実、彼らは多種多様な問題とともに多くの富をトルリアに齎した。大戦以前は実質的な鎖国状態にあったトルリアにとって、彼らは技術の担い手。クレリアやノーランなど、多くの湿部諸国の技術が流入したことで、トルリア神聖教主国はその産業基盤を堅実に整えつつあったのである。


 故に、パスティア下のトルリアには異教徒が溢れかえる。聖都であるリアス、その騎士団長であるレプロンの目には彼らが悪魔のように映った。肌を露出し、性を振りまき、下卑た笑いを浮かべる者共。レプロンは苛立ちを隠したまま、十五年を過ごした。


 三年前の機両戦争においても、レプロンは未だ牙を隠していた。ありとあらゆる裏工作は行ったものの、彼自身は沈黙していた。当初、クレリア魔法王国の台頭に備える聖会議の決定は、非戦であった。どれ程に術式兵器が協力であろうと、戦争を行うという選択肢はなかった。国内の反機械派は確かに少なくない数ではあったが、良識ある枢機卿たちは、安定しつつある湿部情勢を書き換えることを恐れたのだ。


 だから、レプロンは密かに手を回す。陰に隠れたままで、彼は自国を戦乱に巻き込もうとしていた。いかなる呪術が行われたのやら、クレリアが新兵器を開発したという知らせが届いた次の日より、枢機卿が一人、また一人と死んでいったのだ。聖会議の頭脳である『リアスの意思』がその感情を乱すことはない。だが、多くの枢機卿は自らが反機械派に暗殺されることを恐れた。良識ある人々でさえ、死の恐怖には抗えずにその頭を垂れたのである。そうして『リアスの意思』は捻じ曲げられ、決定は覆された。


 パスティアですら、彼らの動きを完全に止めることは出来なかった。トルリア神聖教主国は高圧的な態度でクレリアへと迫り、レプロン=リニアが意図した通りに、十二年振りの大戦争が勃発した。


 その結果が勝利であれ、敗北であれ、レプロンにはどうでもよかった。彼はこの機に近隣諸国へと自らの力を知らしめ、その存在位格を高めた。すなわち、トルリアの守護剣としての自らを生み出したのである。


 その策が功を奏し、三年後には彼の国内での人気は圧倒的なものとなった。幾人かの呪術士が彼を完全に護り、その政敵を殺した。異教徒を憎むレプロンであったから、その呪術士もまた殺された。彼は自身の覇道を阻むものを全て殺す。それしか知らぬように、まるでそれが天命とばかりに彼は殺した。但し、愚かなものには誰にも知られぬように。


 そして遂に、避けられぬ刻が訪れた。


 月の中頃、長い間隠していた自らの部隊を率いて、彼は大神殿を襲撃した。神殿騎士は皆、レプロンに忠誠を誓う、神への反逆者だったから、その内乱は結局のところ、枢機卿の私兵数千と騎士団の激突であった。


 このとき機両戦争で出たあらゆる損害はパスティア=ルーンに帰された。聖民の大多数がレプロンを支持した為に、左程の混乱は起きなかった。異教徒の多くも、この事態がどのように推移するのかを傍観していた。すなわち、パスティア=ルーンが討たれるかどうかが問題だったのだ。


 結論から言えば、レプロンの謀反は成功し、枢機卿の半分以上は火刑に処された。だがその中に、パスティアと『リアスの意思』の姿はなかった。パスティアは僅かな包囲網の隙間を掻い潜って、その姿を消したのだ。そしてまた、レプロンは聖会議をも殺しきることは出来なかった。聖会議はこの小さな内乱の後も『リアスの意思』を中心に存続させられた。レプロンがこの脳子を殺せなかった理由は定かではないが、憶測では、一種の術式陣誓約による防御であろうと考えられている。


 とはいえ、今では、教主位の実権はレプロンの物であるし、反発する者もいない。聖会議は結局のところ、レプロンが教主になることを認めなかったが、その血を分けた妹が国家の最高位、銀の錫杖を握ることを認めたからである。


§


 ローレンの話を聞いたリアトは、耳を疑った。


 レプロン=リニアがパスティアから教主位を奪ったという話は、初耳だったからである。だが、その話が本当だとすれば、様々な謎が彼女の中で氷塊するのである。例えば、兄上やルハラン=ノーランがイルファンを攫った者にレプロンを挙げなかった理由。王都エルトリアムの青宮でローレンが必要以上に追い詰められている理由。


 そして、デルフォイの連中がイルファンを攫い、彼女を使おうとしている理由。その全てが、ただレプロン=リニアに端を発する問題だったのだ。あの男が教主の権力を手に入れたとき、彼が真っ先に行うことは一つしかない。


「つまり、レプロンは自国内外での異教徒の弾圧を始めたのだな」


 リアトが言った。ローレンは珍しく弱り切った声で、それに答えた。


「察しがいいな。あの聖教狂いは国内の天獣教徒を追い払い、さらにはトルリア領土の通行をも厳しく制限したのだ。私の送り込んだ間諜も、時を同じくして殺された。トルリア国内では数千のノーラン人が難民となって、今も彷徨っている。私の対応は全てが後手後手に回った。内乱後すぐに私はトルリアへと宣戦布告をすべきだった。現に周辺諸国、クレリアやヴェルトヴァンは派兵を行うことで、自国民の権利を一時的にだが保証させた。だというのに、我々は何も出来なかったのだ。アディアラ山越えも、デルフォイと敵対している状況では難しくてな」


 彼の言いたいことはよく解った。つまり、ローレンはまんまと、レプロンとデルフォイの策に嵌ったわけだ。その地理的関係からトルリア国内には多くの熱部人が存在する。レプロンが異教徒としてノーラン人を殺したとき、犠牲になるのは熱部人だ。そしてだからこそ、それはローレンを追い詰める手札の一枚になる。


 皇都に繋がる全ての街道の統括権は都主であるローレンに帰される。すなわち、湿部街道からヴェルトヴァン、トルリア、クレリアに伸びる、主要な貿易街道は困ったことに、ローレン=ノーランの統治下にあるのだ。ということは、同時に、その街道の安全もまたローレンに課せられることとなる。皇王であるグレン=セン=ノーランはそのような実務には関与しない。故にトルリア内乱での自国民の死の責任は、ローレンが負うこととなる。あるいは彼ならずとも、彼の腹心の官僚たちが処罰させられるだろう。そうなれば、ローレンは失脚し、熱部の勢いは止められない。


 元より、熱部に奪われた術式技術は二度と手に戻らず、ローレンは失意のうちに、デルフォイの刺客にでも命を取られる。リアトは思った。だとすれば、ローレンの採るべき最善手とは?


 それは考えるまでもなく、デルフォイとトルリアの繋がりを明るみに出すことだった。先程考えた通り、この策で一石二鳥的にローレンを失脚させる為には、デルフォイ家とトルリアのレプロン=リニアの裏での繋がりが必須である。でなければ、これ程に熱部貴族に都合のよい事態が起こるはずもない。恐らくは、誰か、十界を深くまで見通すことの出来る人物が関与しているのだろう。それはデルフォイの人間か、それとも、レプロンか。


 そこまでは分からないが、ともかくローレンは考えたのだろう。彼らとトルリアの繋がりを明らかにせねば、自分の未来はないと。


「そこで私はラツィオを熱部に送り込んだのだ。デルフォイから術式兵器を奪うためにな。あれさえあれば、私はすんでのところで踏み止まることが出来るだろう」


 ローレンが言った。されど、その言葉の意味は明快ではない。リアトは眉根を顰めて、その真意をローレンに尋ねた。


「術式兵器の奪取が何故、デルフォイを抑えることになるのだ」

「なに、剣術士のお前には分からんだろうが、我々術式士ならば兵器からでも、その存在情報を盗み取れる。それが何処で、誰にどの様に制作されたかも知ることが出来るのだ」


 ローレンがそう言ったが、正直なところ、それは納得のいくものではなかった。何故ならば、彼の語り口からして、術式兵器を彼らが持っていることは、既に国内の多くの貴族や皇族に知られている事実であるようだからである。すなわち、それならば、デルフォイが最初に兵器を取得した時点で、ローレンと冷部貴族は彼らの持つ兵器の出所を深く追及するべきなのである。


 それが出来なかった、あるいは失敗したということは、宮廷内にデルフォイの協力者がいたということなのだろう。何者かが、当時は大きな力を持っていたローレンの行動を阻害したのだ。


「トルリアで創られたものだと知れても、大勢に影響はないのではないか?お前たちがデルフォイの術式兵器の出所を、今までに一度も追及しなかったとは思えないが」


「その通りだ。デルフォイは巧妙な言い逃れを行うだろうし、白宮内の裏切り者はそう簡単にデルフォイの邸宅を調べることを認めはしないだろう。そればかりか、私は処罰されるやもしれん。この、今の時点でデルフォイに反逆罪を適用しなければな」


 今度はリアトにも、彼の言わんとしていることが分かった。つまり、この状況はローレンにとって、好機だということだ。執務室で聞いた彼の言葉の意味が、漸く、リアトにも理解された。確かにイルファンを攫ったという罪はデルフォイを追い詰めうる。


 しかしそれが知れたのは、彼がラツィオを送ってからの筈だった。彼があの男を送り込んだのには、別の理由がある。リアトは直感的にそう思った。それをリアトに言わない理由は分からないが、何らかの不都合の為に、彼はそれを言わないのだろう。


「まぁいい。貴様の理由とやらは分かった。必死こいてイルファンを探すのに協力するのにはそういう事情があったのだな。なるほど、そういうことならば、信頼できる」


 リアトの言葉に、思わずローレンは笑みを零した。


「お前の不信癖は相変わらずのようだな、『捨剣』」


 それは半ば挑発的な響きを帯びていたが、リアトは怒りだしはしなかった。彼女の頭の中は、既にイルファンの事で占められていたからである。


「私の事などどうでもよい。それよりも、さっさと痕跡とやらを探せ」


 リアトが冷たく、かつ命令的な口調でローレンに言った。いつもの彼ならば、そこでもう一言言い返していたところではあるが、残念ながら、今ばかりは、彼にもそのような心の余裕がなかった。何故ならば、断続的に放たれていたラツィオの気配、それが徐々に弱まっていくのが彼にも分かったからである。さしもの彼とて、親友が窮地にある時には下らぬ無駄口を叩かなかった。




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