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語る脳子と、綴るは我子  作者: 木ノ倉ラ
三節 熱部呪術
28/43

3-5 予言成就/ラツィオ

Δ



 軋みと肉体の断裂、そして、解体。通常とは異なる転移の感触に女は思わず呻いた。今の彼女の、万全とは言い難い肉体には、些細な痛みが長い鈍痛として感じられるようだった。それ故に転移が終わったとき、彼女は床に崩れ落ちた。


「無事だったか」

「妙に気持ちが悪い術式だ」

「呪界の歪みを回避する為に相当の無茶をしているらしい。身体が引き裂かれるような感覚があったろう? あれが術式と歪みの鬩ぎ合いだ。無事に転移出来ただけ、良かった」


 そう、ローレン=ノーランが言ったが、その額にはやはり玉のような汗が浮かんでいた。二人はボダットの小屋から転移してこの場所へと辿り着いていた。術式板が示すその位置は、アディアラ山脈の中腹、その地下である。光も差さないような地底深く。されどそこはやけに明るい空間だった。リアトはその場所の空気に愛弟子の匂いを感じて、気を尖らせた。彼女はすぐさま立ち上がり、まるで猟犬のように鼻を動かす。


「どうした?」

「イルファンの匂いだ。微かだが間違いない」


 まるで獣だな、ローレンはそう思ったが、それを口に出すことはしなかった。十五年前にはそれを言って、大変な舌戦になったことを思い出したのである。ローレンは当時と比べれば、少しは大人になったつもりだった。とはいえ実際のところは言いたくて言いたくて仕方なかったのではあるが。


 ここは何なのだ? とリアトが問うたが、それを訊きたいのはむしろローレンの方だった。まるで上宮のような簡素な部屋が並ぶ、この地下室。されど生活感はまったく無く、捉えどころが一切ない。これでは何も分からない。分かるのはここが異常であることだけだ。仕方がないので、次にローレンは呪界を視た。


 今度は、少しはっきりとした印象が視える。呪界の存在情報には、かなりどろどろとしたここの来歴が記述されていた。だが、ローレンにはその全てを読み取ることまでは出来ない。ボダットとは異なる種類の呪界の歪みに解読が阻害された為である。それでも、一つだけ明確に理解されたことがあった。


「ここは忌み地だな」

「忌み地特有の重みは感じないが」リアトが顔を顰めた。

「呪を封じている」ローレンが答えた。


 忌み地とは、ローレッド山脈などと同様に人々から呪いを受けた土地である。アディアラ山脈にはそのような悍ましい歴史など到底ないように思われたが、それは何者かによって隠されていただけであるらしい。実のところ、ローレンには呪の来歴に関する心当たりがあった。皇太子である彼とて、このボダットを支配するデルフォイの一族とは全くの無縁であったわけではない。今までの人生で彼らと最も深く接触していた期間に、ローレンはかの一族の来歴と運命を垣間見た。そのときに刻まれていた彼らの存在性格をローレンは理解していた。


「だが、いかなる呪かは知れん」


 この場所は確かに呪われている。だがそれは存在しないかのように偽装されていた。ローレンが思うに、この怨嗟を巧妙に封じていたのはデルフォイだ。彼らは何らかの目的をもって、この場所の醜悪さを地下に埋めたのだろう。とすれば、何処かにその忌み地の呪を込めた術式があると思われた。


 これだけの呪を封じ切るとは相当に強大な術式なのだろう。探せるものならば、後学の為にそれを見ておきたいものだ。ローレンがそう思って、さらにこの空間を深く読み取ろうとしたその時、リアトが部屋の扉に手をかけて、不用心に開こうとした。すかさずローレンは彼女に言った。


「あまり調度品にも触らない方が良いだろう。綺麗に手入れされてはいるようだが、この場所の存在期間は相当長期に及んでいるようだ。下手をすれば、数百年単位で封じられている空間だぞ、ここは」

「分かった」


 リアトが逸る気持ちを抑えて言った。彼女は細心の注意を払って、ここを探ることにしたらしい。女はイルファンの匂いが強くなる方へと、ゆっくりと歩いていく。このまま彼女が歩き続ければ、直ぐに二人は、一つのベッドに辿り着いただろう。そのベッドこそ、ほんの数刻前にイルファン=バシリアスが寝かされていた場所であり、それ故に、それ以上の手掛かりを二人は掴めなかったに違いない。


 されど、運命の悪戯か、はたまた、ロンティエルの策謀であるのか、リアトの耳は、地上、あるいは上階で鳴り始めた剣戟と爆音を捉えた。同時に強大な剣術士の靈力の顕現が上方で発せられる。ローレンはその靈力をよく知っていたので、直ぐに何が起きているかを理解した。つまり、ラツィオ=メインが剣を抜いたことを知ったのである。


「行くぞ。上手くいけば挟み撃ちに出来る」

「私の目的はイルファンなのだが」リアトが言った。


Δ



 砂刃流はトルポールの砂漠で養われた独自の剣術である。その奥義《五剣風乱》は砂漠に生息する上位魔獣の討伐を目的としたものであり、破壊の規模は甚大、地空問わずにあらゆる獲物を跡形なく殲滅する。レグルスはその奥義を、極小規模の竜巻の内部に限定して使用することが出来た。それは文字通り、縦横無尽に迫る飛剣による、回避不能の一撃必殺であった。


 竜巻はロンティエルを殺しても、なお止まらない。近くにある様々な物、机や壁を飲み込んで巨大化していく。レグルスが気力を振り絞って、その破壊の奥義を止めた時には、ロンティエルの体は、そこらの木屑と区別が付かないまでに粉砕されていた。ガーリオンが崩れ落ちると、同時に言った。


「彼女を殺したのか?」


 ゆっくりと目を開いて、レグルスは答えた。


「分からねぇ。ラベストリは人形と肉体に精通しているんだ。あれが本体である保証はない」


 ガーリオンはゆっくりと細切れの、残骸となった赤いドレスに歩み寄る。その付近に落ちている彼自身の剣はロンティエルの血で真っ赤に染まっていた。いや、そんなに生易しいものではない。剣は血に浸かっていた。どっぷりと。まるでロンティエルの悍ましさを吸い上げたかのように。


「気持ちが悪い。ラツィオ、あんたは無事か?」


 ガーリオンとレグルスが、後ろの男を案じて、振り返る。そこには、未だに頭を押さえているラツィオがいた。彼は苦しそうに、呻き声を上げながら、倒れている。


「どうした?」


 レグルスが問うた。探気は怠っていないが、あの女の気配は、周囲十剣長には感じられない。だがその直後、ラツィオ=メインは赤い眼を剥いて、剣を抜いた。


「駄目だ、俺を斬れ」


 震える声で彼が言った。即座にレグルスは飛び退ったが、ラツィオの振るった剣の方が、僅かに、ほんの手指二本分程、速かった。避けられない一撃を貰い、砂刃の男はすさまじい膂力に激しく吹き飛ばされる。咄嗟に魔法で防御したものの、その威力までは殺せなかったのだ。レグルスはもんどりうって、身体を壁に叩きつけられた。肺中の空気という空気が、瞬時に抜けてしまう。


 なるほど、やはりロンティエルは生きているようだった。ラツィオへの支配が解かれていないのが、何よりの証左。レグルスは内心で毒づきながら、立ち上がる。


 思うに、ラツィオを支配しているのは強力な憤怒だった。それが自分自身のものであれば何も問題はない。激しい怒りは、ときに剣術士に尋常ならざる力を与えることもある。だが、彼が今捕らわれている怒りはロンティエルに造られたものだ。その力を向ける方向すら、ラツィオは分かっていなかった。


「レグルス、何が起きた!!」


 ガーリオンが叫ぶ。ラツィオが次に狙っていたのは当然ながらガーリオンだった。必死で彼は皇神鋼の剣を弾くも、この狭い室内では長短剣が有利。ガーリオンの持つ、海刃流の長剣では分が悪かった。


「ロンティエルによる支配が続いているんだろう!ガー、食い止めろ!」


 レグルスはそう言うが早いか、血濡れの五本の剣を拾い上げようとした。この五本の剣はレグルス自身の血を用いて打った物である。それ故に、彼はこの剣を自在に操ることが可能であったし、逆に言えば、この剣でなくては操ることが出来なかった。その様なレグルスの弱点を、ロンティエルは当然見逃してはいなかった。彼と彼女は旧知の仲。因縁の相手であるのだから。


 愛剣の柄に触れようとしたレグルスの手にロンティエルの血が巻き付いた。すなわち、液体であった筈の血液が、まるで鞭のように彼の手を縛ったのだ。レグルスは、あれほどあっさりと彼女が殺された理由に、ついに勘付いた。この、依代の血で以てレグルスを封じ込め、更には剣を奪う為。


 血の鞭はしゅるしゅると顕現し、レグルスの剣をも床に張り付ける。それはあまりにも固く結ばれていたので、闘気で以てしても解けなかった。レグルスは直ぐに剣を諦めて、両腕の鞭だけを風属魔法で切断する。


 直後、彼の背後で轟音と血煙が上がった。振り向けば、ガーリオンの左手と彼の長剣が宙を舞っている。剣に至っては、その中程から粉々に砕かれていた。


「ガー、下がれ!俺がやる!」レグルスが叫んだ。

「無茶だ!剣無しではこいつには勝てん!」


 ガーリオンの絞り出すような声には、もはや恐れはなかった。あるべき傭兵長としての自己を取り戻したガーリオンは、たとえ片腕を失ったとしても退くことを良しとしなかった。


 レグルスは気付いた。ラツィオがロンティエルに、怒りを植え付けられたように、ガーリオンは植えつけられた恐れと戦っていたのだ。果たして、彼がどのようにそれを克服したのかはしれないが、それはラツィオを正気に戻す手段になるかもしれなかった。


「ガー、そいつを正気に戻したい。どうすればいい」


 レグルスはそう言いながら、風属魔法∫風放でラツィオを吹き飛ばす。そうして生まれたほんの僅かな隙にガーリオンは言った。


「単純だが、強い刺激だ。腕を落とされた刹那に俺の呪は、」


 その言葉が終わらない内に、ラツィオはガーリオンを斬った。ガーリオンが折れた剣で、その鋭い剣を受け止める。一瞬の硬直状態を狙って、レグルスが風属魔法の球を放った。∫風弾《アネモス/スヘェラ》の詠唱とともに、不可視の球が飛ぶ。直撃すれば、間違いなく意識を失うであろう一発。


 だがそれを、ラツィオ=メインは真っ二つに切り裂いた。ガーリオンを蹴り飛ばして、即座に法撃に対応するところは見事だった。流石は真交流の上級剣士と言いたいが、今は、その力がレグルスを苦しめている。刃に込められた荒々しい闘気が、高速の剣振に合わせて空を奔った。その力の余波が、レグルスの胴体を直撃した。


 またももんどりうって、レグルスは床を転がる。そればかりか、今度は腹部から血肉が毀れていた。どうやら度重なる魔法の使用で、魔法制御が鈍ってきていたらしい。彼の全身を覆う強力な風の鎧は既に剥がれ落ちていた。


「レグルス!」


 思わず叫んだガーリオンだが、その腕からは血が流れ出ている。どちらも満身創痍だった。レグルスは腹を押さえて立ち上がる。すかさず接近するラツィオへと、∫風斬を放つ。もはや、ラツィオはそれを斬ることもしない。流れるような真交歩法によって、彼は全ての風の刃を躱した。ヒャイルの剣が、淀みなくレグルスに迫る。


 ガーリオンは腕を抑えながら、必死にレグルスの元へと急いだ。もうどうにもならない。この真交流の男はあまりにも強い。それでもガーリオンは諦める訳にはいかなかった。正体どころか、名前すらも知らないが彼は仲間だった。共にパーンリアを倒し、共に仲間の死を味わったのだから。ガーリオンはある意味で単純な男だった。だが彼がどれだけ力を振り絞ったところで、刃は止まらない。ラツィオの剣はレグルスの身体を袈裟に裂き、そして、立ち尽くすガーリオンの方へと赤い眼が向けられる。


 いや、ラツィオの赤の眼だけではない。レグルスもまたこちらを見た。ガーリオンとレグルスの眼が、確かに合い、何かが伝わる。ガーリオン=ラドメーシュはその瞬間、反射的に身を屈めていた。それがレグルスの意志によるものか、剣術士の能力によるものかは分からない。だが、恐らくはその両方であった。


 背後で木が砕けるような、めりめりという音が鳴った。と同時に、応接間の床の一部が宙に浮きあがる。その大きな板には、五本の剣が血によって縛り付けられていた。木の角には魔法によって切られたと思わしき鋭利な切れ込み。ガーリオンはそれを見て、レグルスの行動を察する。彼は∫風斬で床の一部を封じられた剣ごと切断したのだ。


「やれ!」


 空を舞う巨大な板が、凄まじい速度でラツィオに向かった。ラツィオは油断なく剣を構えて、その攻撃に備える。間違いなくこれがレグルスの最後の攻撃になるはずだった。


 ラツィオの剣が素早く動いた。すると、中空の板がまるでラツィオを避けるように分かれていく。この程度の攻撃を避ける術は、剣術士にとっては児戯にも等しいものだった。レグルスが気を失っていれば、この攻撃は確かに無意味だったろう。だがしかし、レグルスは凄まじい精神力によって、未だにその意識を保っていた。


 分かたれた木、そして五本の剣が切られるやいなや縦横無尽に飛び始める。まさに、それはレグルスにも動きを予想出来ないほどであった。


「行け、ガーリオン」


 とはいえ、ラツィオもまた並の上級剣術士ではない。視認の限界を遥かに超えて振られる剣は、みるみる内に木切れを砕いていく。その目まぐるしい攻防の内で、ガーリオンはラツィオに迫っていた。彼の折れた剣では、ラツィオを倒すのは不可能である。されど、この目くらましの中ならばどうか。極めて原始的な手段だが、確かにそれは有効だった。


 ガーリオンはラツィオの後ろに現れ、その首を折れた剣で殴りつけた。上級剣士の身体から力が抜け、ガーリオンは安堵の息を吐く。その刹那、崩れ落ちたはずのラツィオの右手が翻り、海刃の青年は防御する間もなく倒れた。



Δラツィオ



 ラツィオが目を覚ます。


「お疲れ様、ラツィオ=メイン」


 ロンティエルが言った。彼女の服装は先ほどと変わって、極端な薄着であった。殆ど下着と変わらないくらいの薄い白布が彼女を覆っていた。ラツィオ=メインは蒼い眼でロンティエルを見る。


「下らん策を弄したか。やはり貴様は呪術士であるようだな」

「何よ。貴方、レグルスを信じてなかったの?」


 女は笑った。レグルスはラツィオの足元に血塗れの状態で倒れ伏していた。その肩口から腰にかけては、巨大な斜めの傷。ラツィオにはそれが皇神鋼によるものだと直ぐに分かった。それも、普通のバルニュスとは少々異なる切り口は、自分のもの。操られたとはいえ、自分がレグルスを斬ったのだ。


 そこから程近い所には、ガーリオンが倒れていた。彼の左手は手首の先から、綺麗に消失している。右手には折れた長剣が握られており、頭部からは血が流れていた。恐らくは、頭部への一撃によって気を失ったのだ。幸いにも、二人とも辛うじて息をしているようではある。無論その状態は到底芳しいものではないが、ラツィオはほんの少しも動揺していなかった。


「俺はこう見えて慎重だ」


 ラツィオが言った。その言葉には恐ろしいほどに感情が込められていない。淡々と、彼はすべてを見て、すべてを語ることが出来た。今の彼はどこまでもローレンの傍付きであった。


「実際に見たもの以外は信じない」


 ロンティエルが不機嫌そうに鼻を鳴らす。彼女はそのようなラツィオの態度が気に入らないようだった。


「冷たいのね、ラツィオ=メイン」

「俺の内心も、呪術士であるお前には分かるのか?」

「いいえ、もう分からないわ。詰まらない男ね」


 ラツィオは少しだけ笑みを見せた。

 ロンティエルは突然の感情の表出に、眉根を寄せる。


「仲間を二人、貴方が斬ったのよ」

「それはそうだが」


 ラツィオは落ち着いた声で言った。ロンティエルが不思議そうに問う。


「何故、笑えるのかしら」

「貴様の思惑は阻止されたようだからな」


 そう言うと同時に、ラツィオは右手に握っていた剣を収めた。ロンティエルが僅かに苛立った素振りで、ラツィオを睨む。そこには、最初に見せたような余裕や、美しさが少しばかり欠けているように思えた。


 いや、よく見れば、表情だけでなく、顔の造作も少し異なっているようだった。あの、完璧を体現したような魅了の化け物とこの女は別人だと、ラツィオは直ぐに気付いた。だとすれば、恐れるべきはどちらなのか。というよりもあの美しい怪物はどこへ消えてしまったのか。それが疑問であった。


 しかし、ラツィオは実際のところ、この魔女を最初ほどには恐れてはいなかった。剣を仕舞ったことからも明らかなように、彼にはもはや女を殺す気はなかった。必要なものが情報であり、こいつが呪術士である以上、殺しは最善手ではない。何故ならば、情報の操作は呪術士や魔司士の領分だからである。この女が本気で何かを隠したならば、自分にはそれを見つけられない。その確信がここに至ってラツィオに剣を収めさせた。


「仕込んでおいた呪術がなければ、お前は無力な女だ」

「黙りなさい。命が惜しくなければ」


 煩わしげにロンティエルが言った。


「命など惜しくはない。貴様らが企てていることを知る為ならば、たとえこの俺が死のうとも何も問題はない。立場が違えば、貴様らがそうであるようにな。結局のところは同じだということだ」


 そう言いながら、ラツィオは懐の端末から送られていた情報を思い出していた。金属の冷たい機械に嵌め込まれた青水結晶に躍った大量の文字。それは全てローレンからの連絡であった。後で彼に連絡をしなければならないなと思いながらも、ラツィオは端末内の厖大な情報に油断なく目を走らせていたのだ。


「何を何処まで聞いているの?」

「何も知っちゃいないが、貴様を締め上げれば何か分かるだろうか」


 ラツィオは面倒くさげにため息を吐いて、壊れずに残った椅子の一つに掛けた。その剣術士然とした顔は、やや年老いているようにも見えたが、同時に老人の狡猾さをも滲ませていて底が知れないものだった。


「ラツィオ=メイン。何が言いたい」


 女が壊れた椅子に指をたかたかと這わせながら言った。もうあと一押しだ、とラツィオ=メインは思った。もうあと一押しでこの女の深奥を覗くことが出来る。張り巡らせた術を使い切ってしまえば、ロンティエルといえどもただの女。ラツィオの剣の一振りで頭と身体を分けられる、ただの人間だ。


「死ぬか、俺の話を聞くか。どちらかだ、ロンティエル」

「なら貴方を殺すわ」

「俺を殺しても無駄だ。ローレンを殺さなければ」


 ロンティエルは、下唇を噛んで困ったような顔をした。いや、それは本当に困った顔だったのだろうか。ラツィオにはそう見えたが、あるいはそれは笑みであったのかもしれない。というのもその瞬間、ラツィオの体に奇妙な悪寒が走ったからである。


「捨て身のローレンにそれほどの余裕があると思って?」


 女が言った。静寂の中で、彼女の声は凛と響いた。あまりにも静かな邸宅、そこに使用人がただ一人もいないことに、ラツィオは当然ながら気付いてはいたが、それを不思議だとは思わなかった。レグルスとラツィオ、そしてガーリオンを殺すのが目的ならば、使用人をどこかへやっておくのも有り得ると考えたからである。


「貴方にも価値があるのよ、ラツィオ」


 ロンティエルが呟いた。ラツィオがその言葉の真意を量ろうとしたその時、一人の男が応接間の扉を開けた。男の身長はラツィオと同じくらいであったが、その体格はやはり華奢だった。皮膚の色は姉と同じく宍色で、その顔も非常によく似ている。ラツィオはその男を二つの意味で知っていた。一つは同じ流派の弟子として。もう一つは殺すべき人間の一人として。男の名はランツ=デルフォイと云った。青年が口を開いた。


「姉さん。どうしたんだい?」


 その声はまるで子供か幼い少年のようだった。ランツは既に二十を過ぎている男の筈だが、とラツィオは不思議に思いながらも背の剣に手を掛ける。


「ランツ、来なさい」

「動くな」


 ラツィオは即座にそう言うと、崩れかけの床を蹴った。ランツ=デルフォイは殆ど抵抗できずに腕を掴まれる。記憶ではこの男は中級剣術士だった。掴んで、その記憶は確信に変わるはずだった。この程度の腕では大した脅威ではない、とラツィオは存在情報を簡易的に辿ることで、ランツを読み取る。


「動けば殺す」

「どうぞ」


 だが腕をとった直後、ラツィオは本能的に恐怖した。そのままに男は構えをとる。呻き声には嫌悪が込められていた。ラツィオは正体を悟るやいなや、背の剣を抜いた。この男とは手を組むことも、取引することもあり得ない。これは、率直に言って、ただの化け物だった。ラツィオは生まれて初めての異様な感覚から逃れるように、ランツの腕から自身の手を離し、後ろに跳んだ。


「ちぇっ」


 わざとらしい舌打ちはロンティエルのものだった。彼女は、その赤の瞳で、ラツィオを見下すように見た。異常な流れというよりも何かがおかしい。ラツィオは先程までの優位が、一瞬で覆ったことを悟った。この女の目的は、自分たちを始末することではない。そんなことをして彼らに何の意味がある? あのパーンリアは明らかに自分に対する挑発だった。魔獣による襲撃が意味をもって成された行為だとすると、その意味は何か。


 俺を誘い出すことだ、とラツィオは改めて思った。わざわざ、ラツィオとレグルスを呼び寄せたことには、間違いなく彼女なりの歪んだ理由があるのだ。これが罠であることは既に知れていたが、一体どういう種類の罠なのか。未だ自分が生きているという情報はその判断材料としては有意なものだった。


 つまり、この女は俺を何かに使うために呼んだのだ。


「やはり貴方は」


 ロンティエルが言った。その顔が悍ましい、されど美しい、あの女のものへと変わっていく。姿形はほとんど変わらないというのに、ラツィオにはそれが分かった。レグルスがあれほど恐れたのも無理はない。今ではラツィオにも、はっきりと彼女の危険性が分かっていた。いや、正確には、それは、分からないという危険性ではあったのだが。


「ランツ、状況は説明しないわ。無傷で殺して」


 ロンティエルが無感情に言った。


「はい、姉さん」


 ランツが同じく機械的に答えた。ラツィオは自身の呼吸が浅くなっていることを感じた。これは恐怖によるものだ。自分は今、得体の知れなさに恐怖している。そういうときに必要なのは、何かに集中することだった。ラツィオは恐怖を塗り潰すために、眼に意識を集中させる。ランツの一挙手一投足を見逃さぬように。そして、それよりも危険なロンティエルの、動きを、



 と、ラツィオはその時、思わぬものを見つけた。砕けた照明の剥き出しのその光に輝くもの。細い糸状の何かがロンティエルの服に付いていた。さらに目を凝らして、ラツィオはその正体に思い当たる。


 これは、髪の毛だ。


「琥珀の髪」ラツィオが言った。

「あら」女が、反応する。

「琥珀の髪の毛だ」


 ラツィオの姿勢が獲物を狙う虎のように下がった。それは恐らく、いや、間違いなく、イルファンの髪の毛だった。皇都エルトリアムで攫われたという琥珀髪の少女の。それがここにあるという事態が、何を意味するのかは知らない。だが知らずとも成すべきことは分かった。


「これは俺にとって好機。お前たちは最高の馳走だ」

「あらあら、これはまた古臭い十界言葉を使うのね」

「好きに言え」

 

 次の瞬間、弾丸のように飛び出たラツィオは極薄の靈刃をロンティエルに放ちながら、その足元へ滑り込むように蹴りを入れた。この女は直接戦闘が不得手だ。そのことは今までの立ち合いですでに分かっていた。だからこその一撃。しかしそれは横から突きこまれた拳によって、十全の力を発揮することなく止められる。ランツの得体の知れない存在情報は、ラツィオの動きを確実に鈍らせていた。だがそれでも、勝てるだろう。ラツィオ=メインは手を弛めないながらもそう思った。先ほどのようにラツィオが油断した状態ならば危ういかもしれないが、敵の力量を把握している今ならば、万が一にも後れを取ることはない。


「失せろ、化け物」ラツィオが言う。


 異常な存在情報を持つ男、ランツ=デルフォイは少しずつその剣に圧されていっていた。青年の腕からは幾つもの鋼の刃が飛び出しており、異形染みている。ラツィオに斬られた肉体からは一筋の血も流れ出してはいない。『傀儡』であるこのランツは肉体に多種の武具を埋め込んだ怪物であった。ロンティエルに造られた彼は、感情すらも持っていなかった。しかしたとえそのような怪物だとしても、体術に長けていなければ意味がない。その技量にあまりの差があれば、無敵の肉体や魔導の剣を有していたとしても敗北は必至。当然のように戦いは一方的なものとなる。


 すでにラツィオは真交流剣技《貫》を放ち、ランツの左腕を砕いていた。だが彼はそれをものともせずに、鋼脚から鋭い蹴りを放つ。素早く蹴りを躱せば、今度は背後から数本の鋼剣が突き出される。ラツィオは辛うじてそれを受け止めるも、前方からはもう一体の敵。こちらも『傀儡』であるロンティエルの武装人形である。純粋な強さで言えば、ランツの方がわずかばかり優っているようだったが、搦め手の厄介さで言えばロンティエルの方が遥かに嫌らしかった。


 背後へと刃を返して、敵を切り裂こうとしたラツィオの眼を女が捉える。すると先程まで、ただの人形であった無感情な女の顔に色がつく。それは間違いなく、出会った当初のロンティエルの表情である。つまりその微笑みは抗いがたい魅了の力を備えていた。その、ラツィオの動きがほんの一瞬だけ止まる瞬間を青年は見逃さない。ランツ=デルフォイが中級剣術士とは思えぬ力で右腕を振るった。驚くべきことに、その腕には穿山甲のような棘が無数に生えている。ラツィオは剣を廻して棘に備えるが、ランツは腕をさっ、と引いた。同時にランツの腕から飛び出るのは細い針のような暗器である。それら全てには剣術士殺しの実体毒がたっぷりと塗られていた。


 この攻撃は躱しがたい、と判断して、ラツィオ=メインは闘気を防御に回す。彼のやや長いバルニュスを覆っていた力はすぐさま腕を伝い、肩から胸、腹、頭部、そして脚部までに瞬間的に浸透していった。それ故に、ランツの飛ばした針はラツィオの肉体に刺さることなく弾かれる。


 同時に、ラツィオが弾き飛ばした数本の針がロンティエルへと飛んだ。女が、それを避けようと身を捩った瞬間を、ラツィオは見逃さない。彼は即座に真交流奥義が一つ《斬》を用いて、滑るように女を斬る。この技は靈力を推進力として用いる業であるが故に、女の片腕は綺麗に飛んだ。


「無駄な戦闘はここまでだ」


 ラツィオ=メインが宣告した。彼にはしっかりと闘いの結末が見えていた。あらゆる偶然を考慮したとしても、自分がこの『傀儡』に負けることはない。これ以上の呪術が仕込まれてでもしない限り、ラツィオの負けはなかった。


「リアトの弟子を攫ったのも貴様らとは、流石に予想しなかったぞ」


 ラツィオが緊張で乾いた唇を舐めた。ローレンが悩まされていた問題までもが解決されるというのは、喜ばしいが、その重みが自分に降りかかってくるとは思わなかった。この場合、自分はどのように行動するべきなのか。ロンティエルとランツをこのまま殺して良いものか、それが分からない。デルフォイ家全体の問題であるのかすらも分からない現状では、ラツィオに出来ることは、この二人よりも優位に立つことだけである。その為に、彼はまず第十界を支配することを試みる。それはつまり、会話による物語の流れを作ることであった。


「人間を、その構造を保ったまま、人形に変えるなど正気の沙汰ではない。ロンティエル=デルフォイ、出てこい。弟まで犠牲にした貴様にかける情けなどない。殺してやる」


 ラツィオが少しばかり、その感情を露わにして、言った。


「あら、また怒りに支配されたいの?」


 ロンティエルの人形が、くすくすと笑う。


「貴方は何か、誤解をしていますよ」


 ランツもにっこりと笑って、言う。


 その真意は掴めないが、ラツィオは久々に苛立ちを覚えていた。この人を食ったような姉弟は頭のどこかが壊れている。これがあのアランド=デルフォイの子供たちとは到底思えなかった。


§


 模倣の技術は、古くは古代神話の時代にまで遡る。ボダットの古き神々が人間を創り出したとき、彼らはその繁殖を試みた。すなわち、男性としての土人形である祖体を基にした女の創造である。その為に必要な物は、ほんの少量の祖体の肉体と、土くれ、魂だけであった。


 この時、神々はボダットの『深い土』を用いて、二人の身体を構成したが、深い土は、祖体の為にその多くが既に用いられてしまっていた為に、女の肉体は男と比べて、幾らかだけ、欠けてしまった、と言われている。そこで、欠けた肉体の代わりに、神々は女には魂を二つ分与えたのだという。一説には、その二人分の魂の鬩ぎあいによって、乳房が生まれたとも言われる。


 現代で用いられる模倣の技術は、主に、魂なき事物に用いられることが多い。神々ですら、魂の模倣は不可能であるが故に、魂の模倣は禁忌とされている。そのような技術が人間に使われた場合は、その模倣体は単なる入れ物にしかならない。すなわち、魂なき物体である屍体が出来上がるだけである。


§


「お前を殺したいと思うのは、怒りの故ではない」

「どういう意味かしら」ロンティエルが答える。


「お前の傀儡も人形も俺には勝てない。このままでは『飛竜船』とイルファンを奪われておしまいだ。だと言うのに貴様は余裕を振りまいて、この俺を翻弄している」

「あら、そう見えたなら申し訳ないわね」

「策があるのだな。俺はその策に掛かる前にお前を殺すべきだと考えている」


 ラツィオはじっ、と女を見て、慎重に言葉を発した。


「何の時間稼ぎかは知らんが、さっさと殺すに越したことはないとな」


 ロンティエルは物憂げに斬り飛んだ左腕を撫でる。不思議なことに、その腕からどす黒い血液が流れ出す。先ほどまでは、ほんの一滴も毀れなかったそれが溢れ出す。またも血液。それを使って、今度は何を封じるつもりなのか。ラツィオは油断なく、彼女の姿を見る。と、無造作に彼女はその美しい髪を掻き上げた。ちらりと見えたその表情はあのロンティエルのものである。


「起きるまでよ」ロンティエルがぽつり、と言った。

「何だと?」

「時間稼ぎは起きるまでよ」


 そして、彼女は一歩足を踏み出して、ラツィオの間合いに入った。剣術士の世界では間合いに入ることは問答無用の死を意味する。ラツィオは間髪入れずにバルニュスを振った。目の端に映るはランツ=デルフォイ。姉よりも後に動いたというのにその速度は速い。故にラツィオが斬ったのはランツの腹部であった。噴き上げる鮮血。夥しい量の血が彼の肉体から溢れた。


 続けて、ロンティエルの腕が剣の余波を受けて爆ぜる。血に染まった白い骨が剥き出しになり、女は膝をつく。そのまま追撃しようとしたラツィオはそこであることに気付いた。その疑念は、彼の口をついて出た。


「何故、お前からも血が出る?」


 ランツの肉体は魔獣の躰を材料に構成された模倣躰である。その本質は人形であり、替えの利く武器でさえある。無論、材料からして血が出ることはあり得ることではあるのだが、戦闘において臓物を巻き散らかす意味はない。事実、先ほどまでの戦いでランツは血など流してはいなかった。ならば何故?


「血が出ると、生きてるって思わない?」

「冗談を聞くために来たわけじゃないのだぞ」

「生きてるように見えることは、何よりも大事なことでしょ?」


 女が問うと、ずるずると得体のしれない音とともに彼女の傍から人形が現れた。ラツィオはそれを相手取るために、ロンティエルとランツから離れる。だがその瞬間をランツ=デルフォイはずっと狙っていた。彼は怪我人とは思えぬ速度で飛びすさり、応接間の扉から外へと逃げる。ロンティエルも同様だ。二人は血液を零しながらどこかへとひた走る。ラツィオは剣を振るい、その一薙ぎで人形の群れを吹き飛ばした。


「待て!」


 ラツィオは両脚に靈力を集めて、崩れかけの床を蹴る。数体の人形が足に纏わりつくも意にも留めなかった。応接間の外、直ぐ傍に古びた階段があった。その段上に二人のものと思わしき、大量の血痕が滴り落ちていた。ラツィオはすぐさま、半ば壁を走るかの如く上階に駆け上がると、先ずはロンティエル=デルフォイの頭部を剣で殴りつけた。女は足を縺れさせて廊下の血だまりに叩き付けられる。


 それでも、ラツィオ=メインは止まらない。殺しては情報を聞けないので、今は、殺すつもりもない。だが心中に、殺したいという思いが湧き上がっていた。またも怒り。強大な制御しがたい苛立ちのムカつきに堪えながら、ラツィオは廊下を飛ぶように駆ける。


 部屋の扉を開こうとするランツが見えた。ラツィオはその背中に追いつき、バルニュスで背骨を叩き割る。殺したか。殺してしまったか。l最早、彼の剣は鈍器のような武器として扱われていた。室内に派手に転がり込んだランツはまだ息がある。手早く止めを刺そうとしたとき、ラツィオの意識は背後から向けられた殺気を捉える。すかさずラツィオは振り返り、女とその赤い眼を視認した。自身のバルニュスで眼を隠そうとするもそれは失敗する。


 身体が硬直した一瞬を、やはりロンティエルは逃さず、それでも致命的な一撃をラツィオに入れることは出来ずに、女は蹴りを出した。女の爪先には一本の剣が挟み込まれている。ラツィオはそれを弾きつつ、女の蹴りを甘んじて受けた。衝撃を逃した男は一部の隙もなく立ち上がる。


 ロンティエルが室内に向かって、何かを叫んでいるのが見えた。極度の興奮状態の中では、それは言葉として聞こえない。その無意味な音の羅列を消し去るようにラツィオは女に迫る。彼は間髪入れずに、その華奢な胴体を真っ二つに斬った。綺麗に分かれた女の身体、その断面はまるで人間。


 ぶつり、とロンティエルの上半身が宙を舞って落ちた。


「ラツィオ=メインだ、こいつが」


 血の気を失ったロンティエルが最期に言った。そう、言った。誰に言ったのかが問題だった。と、女の言葉に呼応するように室内から見知らぬ少女が姿を現す。ラツィオと少女の眼がぶつかり合い、男の動きが一瞬だけ、止まった。


「ま、待て、」


 彼は呆けていた。この場に似つかわしくない可憐な少女。その白い皮膚と琥珀の髪が示すのはただ一人の人物。そう思った瞬間にイルファンの剣がラツィオに伸びた。一連の男の行動によって、少女の目覚めはいよいよ近づいたのである。




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