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語る脳子と、綴るは我子  作者: 木ノ倉ラ
三節 熱部呪術
27/43

3-4 白腕赤眼/ロンティエル

Δ



 くそったれ。


 心の中でローレンが悪態を吐いたのも無理はない。リアトが取った行動はそれ程までに愚かなものだった。地面に横たわる女の姿を見て、彼は頭を抱えた。


「リアト、捨剣のリアト。生きているか?」


 うぅ、という呻き声が彼女の口の端から漏れた。この光景はわずか数十分前に、自分の弟で見たものと同じだ。なんなのだこいつらは。似た者同士か。ローレンは腹の底から怒りが込み上げるのを感じていた。


 リアトがあの刹那に行ったことを、ローレンは正確に理解している。間違いなく、彼女の闘気特質である《速気》を用いたのだろう。お蔭で、掴まれたローレンの左腕には彼女の手形が痣になって残っていた。


 そう。それも腹が立つのだが、一番許せないのは、リアトが倒れたことだ。彼女は、自分を森のど真ん中に放置したままで、崩れ落ちた。明らかに手負いの状態で、特質を用いれば、そうなるのは見えている。ルハランではないが、彼と同じくらいの馬鹿だ、とローレンは思った。


「おい、私をこんな森中に放置してどうするのだ。襲われたら死んでしまうではないか」

「すまない」


 すまない、という話ではない。


 もしも仮に、いや、万が一の話だが、魔獣が出たらどうするのだ。例えば、巨大な象の魔獣であるバリルが出れば、ローレンに打つ手はない。正確には、無いことはないのだが、あまり取りたい手段ではなかった。それに、魔獣ならばまだしも、ロンティエルの刺客ならばどうにもならない。戦錬士、それも『骸』並みの相手ならば、自分は全力で無力と言えよう。


「なんだ、貴様、特質もまともに使えないほどに弱っていたのか」


 聞いたことがあった。特質は脳に大きな負荷を掛ける。仮に心身の弱っている者や、素質のない者が使えば後遺症で死にすら至る、と。ルハランという弟で特質後遺症についてはよく知っていた。それ故かローレンは、意外にも思えるほど、リアトを慮っていた。


「私の脳はもはや真面に使えない。昔、特質を使いすぎたのだ」


 リアトが死にそうな声で言った。彼女はなんとか起き上がると、近くの木にもたれ掛かる。どうやら、腕の力だけで立とうというつもりであるらしい。そこまでして、彼女が目指すものは一体、なんだというのか。それがイルファンという少女ならば、その子は果たして何なのか。


 ローレンは思った。これは好機ではないか。リアトが弱っている今の内に、イルファンの事を聞けば良い。


「手を貸してやろう。だが、それでは碌に戦えぬぞ」


 ローレンは打算を持って、リアトに手を差し伸べる。女は彼の手を握って、ようやく立ち上がることに成功した。リアトの手は女とは思えぬほどに堅く、冷え切っていて、ローレンは何故か、心が薄ら寒くなるのを感じた。


 これがリアト。乾湿戦争当時から全く変わらないその手。この獣の眼に打たれて、自分は初めて恐怖を感じたのだ。だが、何処かがあの時とは決定的に違う。荒れ狂う獣の化身であったような女はその身に纏っていた闘気を、今や持っていない。


 ローレンは見抜いていた。女の言葉に端々に迷いが滲んでいるのを。


「問題ない。今回は靈力を自力で送還出来たからな、直ぐに力は戻る」


 先程よりも、少しだけ覇気のある声でリアトが答えたが、立ち上がった彼女はやはりふら付いている。それでも、リアトは森の遠く何処か一点を強く見つめていた。


 ローレンは直ぐに端末を取り出して、座標を探る。この歪んだ呪界の中では、それすら困難であるのだが、熟達した術式士である彼には容易い計算であった。弾き出した当初の転移先は、偶然にもリアトが見つめる方角にあった。ローレンは少しだけ驚きながらも、その結果を受け入れた。戦錬士、それも剣術士は優れた直観を持つ化け物である。ただの勘で、イルファンの場所を探り当てたとしても不思議はない。


「リアト、私に付いて来れるか?」


「問題ない」


 リアトが少し笑って、言った。何故、笑ったのかは、ローレンには分からなかったが、なんとなく、自分勝手な女なのだな、と思った。


 森の中は大量の羊歯と、樹木が生い茂っている。そこに隠れる魔獣は肉眼では捕え切れない。バリルやグルエルリル、それに先程のパーンリアならば分かる。だが、小魔獣であるプーティアやメハラーシュは見えない。だから、ローレンは左目に『視鏡』を付ける。その力を一時的に使えないリアトの代わりに、索敵せねばならない。


 改めて考えれば、リアトは本当に愚かなことをしたものだ。二手に別れたことで、自身の命が危険に晒されている。その事が、ローレンにはどうしても我慢ならなかった。


 思い返せば、乾湿戦争中も似たような出来事があった。


 捕えられた仲間を助けに行こうとするローレンに、リアトは冷たく言った。『お前の命は兵士数百に匹敵するのだ、無駄死にをするつもりならば、ここで殺す』。そんな事を言っていた女が、まさか感情に流されているとは。この戦争、つまりデルフォイとノーランの政権争いに於いては、ローレンは重要な駒、盤遊びの王である。それなのにリアトは容赦しない。自身の私的な目的の為だけに、彼女は全てを投げ打っている。


 あるいは、その逆もまたあったのではなかったか。窮地に陥った国属軍の救出、それをリアトが強く提案した時のことだ。率直に言って、この作戦は勝ち目に乏しい戦いであった。それこそ、全ての魔法士が自身の命を投げ打って、漸く、戦局を変えられるような。ローレンは自身の仲間をいたずらに死なせたくはなかった。だから、その作戦を彼の全権を以って、潰してしまおうとしたのである。


 剣を抜き放ちながら、リアトは冷えた声で言ったものだ。『貴様は兵士を永年の友人だとでも思っているのか。この戦争に勝つ事こそ、責務、その為には必要な犠牲は払わねばならない。雲指、貴様の兵を動かさねば、ここで殺す』


 そうだ。この女は基本的に誰をも必要としていなかった。戦いならば勝利、剣ならば研鑽だけを見据えていた女だった。そこに、兵士や友人、男や称賛というものは入り込まない。そういうところが、ローレンには気に食わなかった。自分と殆ど歳の変わらぬというのに、可愛げのない女。美しい貴族の娘を見慣れた彼には、彼女が奇異に写ったものだ。


 だが、だからこそ、彼女は強かったのだ。今のリアトは弱い。とは思いながら、ローレンは何か一所に落とせぬものを感じていた。あの頃の強かったリアトと『雲指』の頃の自分が奇妙に重なり合う。自分も女も、今は弱くて脆い。何かを失ったのだ。恐らく、何かと引き換えに。


 そう。それが善いことなのか、自分は未だに答えを出せずにいる。とローレンは思った。都主になって初めて、彼は幸せや良悪の問題について疑問を持っていた。


「何を考えているのだ、ローレン」


 リアトが訝しげな声で言った。ローレンは足を止めて、振り返る。眉根を寄せたリアトと眼が合って、何故だか、ローレンも笑いそうになった。


「なに、お前と昔、戦場を共にした事を思い出していたのだ」

「忘れたい記憶だ」


 リアトは顔を嫌そうに歪めて、言った。心底、嫌われているのだな、とローレンは思った。まぁ、実のところ、それは自分も同じなのだが。どんなに笑いあえる仲になったとしても、自分たちは仲間ではない。恐らく、どれほど経ってもそうなのだろう、とローレンは悟る。どれ程生きても打ち解けない人間というのは居るものだ。


「イルファンとは、お前にとっての何なのだ?」


 唐突にローレンは聞いた。誰も必要としないリアトが何故、彼女に固執するのか、気になったのだ。勿論、イルファン=バシリアスの正体自体にも興味はあったのだが。


「あの子は『剣獣』ヴォファンの実子だ。それを私が引き取って育てた。父を亡くした子どもは生きられないし、あの子は特別だったから。私にしか出来なかったのだ」


 疲れた声でリアトが言う。剣獣。その名前には聞き覚えがあった。あの乾湿戦争でも活躍を収めていた男だ。考えてもみれば、バシリアスという号名から明らかだった。そんな名を持つ人間は、ヴォファンくらいしかいないだろう。琥珀髪の民を率いた男であり、英雄の一人。だが、その男とリアトが知り合いだったとは。それも子どもを育てる程の間柄である。あの八年前には、そんな情報は何処にも無かった。まるで誰かが巧妙に隠したかのように。


「あの幼児がヴォファンの娘とは。お前にも情があったのだな」


 ローレンは皮肉っぽく言った。リアトは微かに頭を振って、それに答える。その声には、確かに苦悩の響きがあった。


「情ではないよ」


 その言葉はあまりにも真に迫っていたので、ローレンと言えども、茶化すことは出来なかった。その所為で二人は仕方なく、無言で歩くこととなった。と、ローレンは何かを見つけて、急に足を止めた。


 彼は足元に落ちている一本の枝を拾い上げる。それは、彼の記憶が正しければ、魔獣除けのレシードルの筈だった。人為的に切られた切り口、誰かが持ち込んだものだ。通常ならば、このボダットでも珍しいものではないが、こと、この状況では、重要な痕跡となりえるだろう。


 だが、ローレンは懐から取り出した術式具で、それに火を付けた。この状況もくそもない。死んでは元も子もないのだ。取り敢えずは、その枝は魔獣除けという本来の用途で用いるべきだろう。これに関しては、リアトも、流石に反対しなかった。


 それにしても奇妙なのは、デルフォイの臭いが消えうせたことだった。剣王とルハランから離れてから、不気味な程に視線を感じない。ロンティエルの執拗な襲撃も、ぱったりと止んでしまっていた。それはまるで罠のようですらあったが、自分にはどうにも出来ない。ローレンの差し当たっての目的は、この森から出ることだった。でなければ、転言を用いる事も出来ないのだから。


「あれはなんだ?」


 しばらく歩いた後に、リアトが言った。


 靈力を抑えていても、自分よりも目が良いらしい。手元の端末を見れば、目的地はもうすぐそこだった。急いで二人は端末が示す其れに駆け寄った。それは小さな小屋。だが、よく見れば結界術式が張ってある。


 中には、小さな足跡。明らかに子どものものだった。裸足、体重は恐らく平均的で奇妙なところはない。リアトはそれを見た瞬間に、目つきを尖らせた。彼女の反応を見るに、それはイルファンのものであるようだ。ローレンは端末を再度、確かめる。座標が指しているのはやはり、ここ。


 しかし、ここには、何か役に立ちそうなものなど一つもない。この足跡とて、何の警戒もなく残されており、ローレンは急に、この場所と痕跡にきな臭さを感じた。リアトがしゃがみ込んで、足跡を調べ始める。


「間違いなく、イルファンの物だが、その隣にもう一つの足跡がある。戦錬士の歩き方で、巧妙に隠されてはいるが、これは若い男、真行流の中級剣士といったところだろう」


「ランツ=デルフォイだ」


 反射的にローレンは答えた。リアトも頷く。どうやら、彼女はその足跡をよく知っていたらしかった。女は目を細めたままで、ゆっくりと地面を這っていく。風によって消えかかっているかすかな足跡を追っているのだ。リアトが小屋を出て、そろりそろりと森の中へ入っていく。


 ローレンはその後を追おうと思ったが、その前にある事に気付いた。『視鏡』に映るわずかな呪界の繋がり、これは転移術式の痕跡だ。注意深く地面に目を凝らせば、大きな正方形の何かが広げられた跡。これは普段使い慣れている大判の術式紙だと思われた。つまり、ここには本来、転移術式陣が置かれていたのだ。ローレンほどの術式士であれば、その痕跡だけで術式を再構築出来る。


「リアト、敵の転移術式を見つけた。手を貸せ」


 その言葉にリアトが四足のままで戻ってくる。ローレンは懐から一枚の収納板を取り出して、それをひっくり返した。中からは、大きな術式紙と専用の魔術筆が落ちてくる。ローレンはそれを素早く、地面に広げて、端末を起動させた。術式板に組み込んである『自動化魔術』を発動させる為だ。


 それを用いれば、当然、デルフォイに探知されるだろう。故に、リアトは靈気を隠すこともせずに、臨戦態勢をとった。

 

 ローレンの指がちらちらと動くと、魔術筆が紙に模様を刻む。本来は自身の手で術式を創り上げることを好むローレンだが、今回ばかりは、そのような悠長な事をしている暇はなかった。ノーラン中の術式士が腰を抜かすような速度で術式が描かれていく。大量の複雑怪奇な幾何学模様。だが、その全てに記号的意味がある。ものの数分で、大きな術式紙は真っ黒になってしまった。


 復元は容易だったが、どちらへ進むべきだろうか。ローレンは思った。彼が考えていたのは足跡のことだった。これ見よがしに残された足跡を、そのまま追うべきか、それとも隠されていた術式を辿るべきか。結局、ローレンはその判断をリアトに任せることにした。彼女の直感の方が何倍か、下手な思案よりも役に立つ気がしたのだ。


「術式と足跡どちらを追うべきだ」

「術式だ。足跡はあからさますぎるし、なにか嫌な予感がする」


 リアトは言った。ローレンは彼女の直観を信じることにした。すぐさま術式に手を置き、魔力を送り込む。


「分かった、術式を追う。周囲を確認しろ」

「待て、既に来ている」


 女が、そう言うと同時にその剣を虚空に振った。誰が見ても、そこには何も存在しない。だが、リアトは剣振を止めようとはしない。狂ったように、何度も何度も、虚空を切り裂いていく。彼女にだけ、その敵が見えているのだろう。ローレンは眉根を寄せて、『視鏡』で空を見た。


 それが視えた。


 半透明の男、そいつは揺らぐ空気に隠れていた。ローレンは男の能力と正体を看破する。こいつは空属魔法の使い手、恐らくは魔法士であった。その名も『虚』のアドフィ。裏王剣に属する暗殺士の一人だ。


 そこでローレンは失念していた事実を思い出す。剣王レアーツが言っていたではないか。裏王剣を離脱した暗殺士は三人いる、と。恐らくは、こいつがその一人なのだ。それも、アドフィは厄介なことに二ツ名持ちだった。とはいえ、彼は限定魔術士ではなく、魔法士。本来ならば、リアトの敵ではない。


 だが、今のリアトは弱り切っている。その剣は未だ鋭く、空を断裂していくものの。アドフィには掠りもしていなかった。気体を操作し、光をも捻じ曲げる空属魔法。高度な魔法の使い手は極めてしぶとい。


 見る見るうちに、アドフィは近付いて、凄まじい速度でリアトの手を蹴り飛ばした。高々と宙を舞うバルニュスが地に落ちるよりも速く、刺客は、ローレン=ノーランに迫りくる。その様子を見るに、男の狙いはローレンだった。


 すぐさま、リアトは空中で腰を捻る。半ば落ちるように、女は羊歯の上に投げ出された。このままでは、致命的な事態を招きかねない。ローレンは一応、構えを取ってはいるが、それが裏王剣の魔法士に通用するとは思えなかった。


 リアトは無理な体勢での着地、から四足で地面を蹴り飛ばす。蹴り上げられた羊歯が散り散りになって宙を舞った。その中を、獣のように走って、リアトはアドフィに迫った。咄嗟に殴り掛かった右拳は軽々と躱される。というよりも、そもそも当たる軌道ですらなかった。


 リアトは、その奇妙な感覚と、大気の揺らぎで気付いた。この男は空気を操作して自身の幻影を生み出しているのだ。それも異常な精度。ほとんど見抜くことが出来ない。幻影を作り出す魔法、空属は戦時下で何度も使い手を見たが、ここまでの精度の代物を見るのは、久方ぶりだった。


「∫《キッロ/レトルルギア》」


 男の声が響く。それでも、リアトは避けられた右腕の軌道をなぞる様に動く。何処にいるか判断しきれないのならば、動きを予想するしかない。一瞬たりとも、動きを止めることなく、リアトは殺しにかかる。その貫手には恐ろしいほどの靈力が込められており、掠れば、皮膚だけでなく、肉、更には骨まで削るだろう。そう、それが当たりさえすれば。


 だが、拳は空を切る。


 得意の《瞬避》を用いようにも身体は上手く動かない。万全とは言い難いこの状況では、リアトの打てる手はないに等しかった。数度の空振りで体力が奪われていくのを彼女は感じた。恐らく、この男はこの場所の空気の、濃度までも操っているのだろう。だが、息苦しさが、目のかすみに変わりだしたとき、離れたところにいたローレンが、手指を数度、動かした。


 と、急に『虚』のアドフィの身体がぶれた。

 何かに撃たれたように、その指が震えていた。

 覚えがある、これは雷属の魔法だ。


 アドフィが崩れると同時に、今までの滑らかな幻影が乱れ、二人のアドフィが現れた。まさか。リアトは揺らいでいない方に向かって、軽い蹴りを放った。牽制のつもりの一撃。だが爪先には確かな感触。明らかに、足は実体に触れていた。後方に吹き飛ばされながらも、アドフィが足を掴む。リアトは足首を微妙に回転させて、それを振り払った。


 見れば、アドフィの顔は驚きに染まっている。


「何をした」


 アドフィが言葉を漏らした。その真意を計ることもこともせずに、リアトは右腕を伸ばす。狙うのはアドフィの心臓、その上部である。寸分違わずに、リアトの指先は男の胸元を貫いた。同時に、アドフィの喉までもが靈力で焼き尽くされる。男は恨みがましい眼でリアトを見る。彼女は眉間に皺を寄せて、男を蹴り飛ばした。今度は致死を目的にした一撃であった。


 アドフィの内臓が破裂し、背骨の折れる音がした。どさり、とまるで人形のように男が倒れる。呆気ない幕切れであった。


「この程度の相手ならば何の問題もないのだがな」


 ローレンがやれやれといった風に言った。リアトが足早に、彼に駆け寄って、その腕を掴む。彼女は何かを問いたげな眼差しをしていた。


「どういうことだ。貴様、魔法を使ったな」


 ローレンはその言葉を鼻で笑った。


「俺の感覚的魔法行使能力は失われている。気のせいだろう」


 男はリアトの腕を振り払って、術式陣に向かう。彼はアドフィの死体を引き摺って、その首元に両手を触れた。これは魔術士や魔法士が困った時に行う、魔力吸収法である。『鎖識帯』によって制御された余剰魔力を奪う高等技術。ローレンは死体から魔力を搾り取ると、それを陣に移し始めた。事も無げに行っているが、これは高位術式士にしか出来ないことだ。


 リアトはそれを見て、彼を問い詰める気力を失った。彼が何を隠しているにせよ、今の目的はイルファンを奪い返すこと。それを見失うつもりはなかったからである。


「ロンティエルにはとうに見つかっているだろうか」


 ローレンが魔力を流し込みながら、ぼやくように言った。呪術士である彼女に見つかっているというのは快い事態ではない。先ほどの男、アドフィの狙いがローレンだった以上、このまま、ボダットで事を行い続けるのは流石に危険すぎた。本当の事を言えば、今直ぐに戻りたいが、それをするにはまだ仕事が残っている。端末は、ここが転移可能な場所であることを示していた。つまり、転言も可能だということ。


 必要なのは、ラツィオ=メインと話すことだった。彼と共に協力して、デルフォイ家への襲撃を仕掛けたい。それは皇貴会議でローレンが力を得る為の必要条件。時間的には、まだラツィオは動いていない筈だった。だから、ローレンはリアトに隠れて、端末を操作する。


 だが、ラツィオは応じない。


 異常な呪界の歪みの為か、それとも。ローレンは、なんとなく歯車が狂っているのを感じていた。



Δ



 レアーツは深い森の中で、ため息を吐いていた。


 彼の眼前には三つの巨大な屍があり、その何れもがどろどろに溶けていた。パーンリア。敵によって生み出された、作り物の魔獣の死躰である。なんとかこれらを倒したのはよいが、予想以上の時間がかかってしまった。そのことにレアーツは焦りを覚えていた。


「剣王様、敵はおらぬようですし、急ぎ、リアトを追いましょう」


 何処となく軽い物言いで、ルハラン=ノーランが言った。この男には何かが抜け落ちているな、とレアーツは思った。


「伏兵がおるやも知れぬ。場所を完全に把握されている以上、容易には動けん」

「しかし、ここで立ち止まっているわけにはいかないでしょう」


 ルハランの目的は明らかにリアトだけであった。彼は彼女を救い、彼女の騎士になることだけを自らの存在理由にしている。背筋がぞわりと震えるほどに気色悪い思考だと思ったが、レアーツはその彼の存在理由は、同時にロンティエルの思惑を妨害する十界法則でもあるのだ、と勘付いた。


 『自らがロンティエルに流した情報』を元に考えれば、敵の狙いは一つしかない。それはリアトの殺害。あの少女の覚醒の為には、リアトの死が必要不可欠なのだ。


 そのことを誰にも気取られぬように、レアーツは細心の注意を払っていた。特に剣術士であるルハランに知られることは、事態の破滅をもたらしてしまう。何故ならばルハランは、彼自身の十界法則に基づいて、リアトを助けてしまうからだ。この愚かであり、救いようのない男は、リアトだけを助けてしまう。それは、レアーツの思惑ともロンティエルの思惑とも合致しない。


「なるほど。そういうことか」レアーツは呟いた。

「何がです?」


 ロンティエルがわずか三体のパーンリアしか放たなかった理由。それは、これがリアトのみを分離する為の策だったからだ。彼女はレアーツとルハラン、それにリアトを引き離すことで、安全にイルファン=バシリアスの面前で彼女の師匠を殺すつもりなのだ。悪くはない流れではあるが、それに全面的に乗る訳にはいかない。レアーツが本当に守りたいものの為には、その流れは本末転倒だった。


「剣王様、魔獣と人形たちの気配がまた強まっているようです」

「よし。俺はこのまま魔獣を倒しながら、呪の痕を辿ってデルフォイ家へと向かう」


 超人的な探気能力を持つレアーツには、それくらい容易いことだった。なにしろ彼は、一馬遊先の戦錬士の存在すら感知できるのである。剣王の言葉にルハランは納得しつつ、それでも不思議そうに聞いた。


「私もお供しましょう」


 レアーツはとんだ愚問だ、とばかりに眉根を寄せるとそれに答えた。


「いいや。別の仕事がある。それを頼みたい」

「私はリアトの護衛であって、貴方の部下ではないのだが。たとえ貴方が剣王だとしてもな」


 ルハランが冷やかに返したが、レアーツはそれを無視した。彼はこのふざけた皇太子を野放しにしておくつもりはなかった。


「ローレンからの頼まれ事だ。誓約を破るつもりがないのなら従え」


 ルハランは途端に目をひん剥いた。何故それを知っているのだ、と言わんばかりに歯ぎしりをすると、暫く、両の目を閉じて、心を落ち着かせるような素振りを見せた。もちろんかような芝居染みた仕草など、レアーツにはどうでもよかった。


「それとルハラン、端末に情報を送る。位置情報と文書だ。殿下、まずはここに向かい、それから文を皇都の貴族らに送りつけるんだ。送る相手を間違えないようにしろ。これは十界法則ではないぞ」

「なぜ此奴らに送るのだ?」

「いずれ全て分かるさ」


 剣王はルハランの端末に位置情報を書き込むと、その最後に、「ああそれと、お前の行動がなければリアトを助けられない」と付け加えた。単純な第二皇太子を動かすには、ただのそれだけで十分だった。



Δ



「おい、あんた」


 声を掛けたのはガーリオン、海刃流の男だった。ラツィオはその呼びかけに答えて、振り返る。既にここはデルフォイの敷地内であるから、あまり大きな声で話すことは出来ない。虫の鳴くような小声で、ラツィオは言った。


「なんだ」

「本気でデルフォイと事を構えるつもりか」


 その恐れを含んだ言葉はあまりにも今更なものであったが、ラツィオは、ガーリオンの気持ちを汲んで、言った。


「奴らがパーンリアを生んだんだぞ」

「その気持ちは俺も同じだが、皇国の四名家だぞ。門前払いされるに決まってる。そもそも、敷地内に入るだけでも処刑されちまうかもしれない。せめて、剣は置いていこう」


「ガー、今更怖気づいたのか。あの魔獣にどれだけの傭兵が殺されたと思ってる。とてもじゃないが、放っておける問題じゃないんだよ、分かるだろう」


 レグルスが諭すように言った。ガーリオンはそう言われて、黙り込んでしまったが、ラツィオには彼の精神を慰めてやるほどの心の余裕はなかった。と、いうのも、心中で激しい怒りが渦巻いていたからである。それ故に、ラツィオは、この場所が静かすぎることに気付かなかった。まるで森の奥深くのような静寂は、とても本邸とは思えない。レグルスだけが、その違和感に気付いていた。


「人の気配がしない。しなさ過ぎる。まるで墓場だぞ」

「何かの罠かもしれん。俺達はあの女に招かれているのだから」


 と、ラツィオが言うと同時に、前方に人影が現れた。その体躯は平凡で、何の気配も感じない。ラツィオは、話に聞く闇属の魔法士かと思ったが、その立ち姿はただの召使のようで、隙だらけだった。それでも、レグルスは僅かな油断すら見せずに足を止める。彼は一呼吸置いてから、遠くの人影に声をかけた。


「客だ。通してくれ」


 人影は言った。その声は年老いていた。


「勿論ですとも、あなた様方をお待ちしておりました」


 礼服に身を包んだ男は無手で、三人の前に立っていた。その身からは痺れるような圧力も何も発されていない。むしろ、不気味なまでの落ち着きだけがあった。その皺くれた顔はノーラン人というよりはグレルト人、血管まで見えるかのような、透き通った肌をしていた。その異様さに、思わず、ガーリオンが後ろに下がる。


「あんたは」

「ウィンバルと申します」


 レグルスは老人の心までも覗き込むように、彼を見つめた。


「あんたとは、一度会ったことがあったな」

「えぇ、貴方がトルポールからこちらへ移られた時にも、お会いしました」


 老人は淡々と、事実を物語るように言葉を発した。それを聞き、レグルスが無言で剣を抜く。思わぬことだが、彼は、この老人を非常に警戒していた。ラツィオは不思議に思いながらも、構えを取る。だが、老人は彼らの行動を全く意に介さずに、言った。


「さぁ、どうぞこちらへ、ロンティエル様がお待ちです」



 男の出した、ロンティエルという名前はラツィオを苛立たせた。自分がパーンリアを放っておいて、お待ちも何もあるまい。彼は腹の虫の暴れるままに、一瞬で老人の首を掴もうとした。だが、それを熟練の傭兵であるレグルスが止めた。彼は極めて冷静に、周囲の状況を把握していた。すなわち、この一帯に満ちる静けさと老人の態度の関連性を理解したのだ。


レグルスが、殺気を出さぬままに、懐の短剣を茂みへと投げつける。すると、草木の中から、一体の人形が転がり出てくるではないか。ガーリオンは畏怖した。やはり、既にここはデルフォイの領域なのだ、と。


「ここであの男に逆らえば、正面から戦うことになるぞ」

「ならば、ロンティエルの罠に愚かしくも乗れというのか?」


二人の会話を聞いて、老人がにこりともせずに言った。


「罠などありませんよ。此度の件については、認識の相違があるようですね」

「そうだ、レグルス、俺はデルフォイと戦いに来た訳じゃない」


ガーリオンが少し怖気づいたように言った。あの頑強で、豪胆を誇るガーリオンですらもデルフォイを恐れているようだった。


 ガーリオン=ラドメーシュ、大陸熱端に位置する王国、アルフォニア海王国出身の海刃流の中級剣士である。その師匠は竜殺しの異名を持つ、リーベルグ=フランドール。魔獣討伐においては、ガーリオンは紛うことなき達人だった。されど、高位貴族と対立したことはない。というよりも、彼はここまでの人生で貴族との争いを徹底的に避けていた。もし彼らと争えばどうなるか、ガーリオンはよく知っていたからである。


 かつての兄弟子である、師匠の弟、ガードック=フランドール。この男はアルフォニアの有力貴族との対立によって国を追われた。ガーリオンが海王国を出立して、ノーランに来たのはその為である。あの兄弟子は、あらゆる地位を失い、最終的にここへと辿り着いた。そして、ガーリオンは恩人の跡を追うように、ここへ来たのだ。


 ガーリオンはレグルスと、もう一人の男を差し置いて、言った。


「講和をしよう。こちらの要件はパーンリア。あの悍ましい魔獣だ」

「待て、ガー。俺たちの目的は講和ではない」


 レグルスが慌てて言う。老人が困ったように首を傾げた。


「では、貴方は何をお求めなのです?」


 ラツィオ=メインが射殺すように老人を睨み付ける。彼は静かな口調に怒りを含ませて、言った。


「目的が知りたい」

「では、やはり、ロンティエル様とお話をすべきですよ」


「そういうことだよ、レグルス。話そう。案内して欲しい」


 ガーリオンが言った。そうなるともはや、レグルスでさえ、それに頷くことしか出来なかった。既にこのとき、ラツィオ=メインの判断力は正常な状態にはなかった。でなければ、彼はただの一言も話さずに、老人を切り殺していただろう。それが彼の役割であり、彼のすべき、ローレンの為の仕事だった。だというのに、ラツィオは剣を収め、ロンティエルのところへと向かうことにした。


 果たして、どのような理由があったのかは、今は知れない。



Δ



 応接間には絹や金糸を豊富に使った織物が、幾つも飾られていた。その雰囲気は先日見た、麓の街、グランフィアとはまた異なるものだ。あそこは、この邸宅ほどに贅の限りを尽くしたものではなかった。ラツィオは身体の沈み込む、皇宮風の掛け椅子にゆっくりと腰を下ろした。その隣にはレグルス、そして、ガーリオンが同様に座していた。彼らは少し落ち着かない様子で、辺りをちらちらと見回している。言葉には出さないが、周囲を警戒しているようであった。


「ラツィオ、扉が開く」


 言葉少なに、レグルスが言った。それと同時に、応接間の金の扉が開いていく。敷かれているのが柔らかな絨毯であることを差し引いても静かな足音、体重は軽く、恐らくは華奢と言ってもよい。そして耳を澄ませば分かる、落ち着いた心音。傭兵三人と平常心で相対できる人間。その異常さに、ラツィオは気を引き締める。


 未だ、胸中に燃えるは、なにともしれぬ怒り。理由なき苛立ちがラツィオ=メインの心を支配していた。だが、それ故に、彼女が姿を現したとき、彼の心臓は大きく跳ねた。その感情は驚きとも、怒りともつかない。


 ロンティエル、彼女の長い髪が最初に見えた。その髪色は、ノーラン人らしくはない薄い青。恐らくは、グレルト人の血が多く出ているのであろう、彼女の肌もまた、褐色ではなく、宍色であった。そして、その肌は深紅のドレスに彩られて、この世のものとは思えぬ輝かしさを誇っていた。


 美しい。ガーリオンが静かに溜息を吐く音が聞こえた。


 目元は非常にきつく、その意志の強大さをどことなく感じさせるが、顔立ちは驚くほどに整っていて、まるで人形のようですらあった。とてもこの女が、あの悍ましいパーンリアを作り上げたとは思えなかった。


 だが、その腕、その指は紛れもなく、あのとき見たものと同じだった。合成魔獣であるパーンリアの口腔から、ラツィオを手招きしたものと。いや、それだけではない。女の黒眼はよく見れば真っ赤に染まっていた。禍々しい血の色。彼女は、嫌悪感を湧き立たせる赤い眼をしていた。気取られぬように、ラツィオは背に差した愛剣へと手を伸ばす。


 そのとき、女の艶やかな唇が動き、言葉を紡いだ。


「初めまして、エビリシアの傭兵の方々。私がロンティエル=デルフォイです」


 ラツィオは反射的にその動きを止めた。その声が、あまりにも可憐な、乙女のものであったからだ。まるで宮廷音楽士の奏でるハープのようにたおやかな音色。それはまさに天上の音楽、至高の音律であった。やはり、この素晴らしい女が呪術士とは思えない。これは何かの間違いではないのだろうか。


 思えば、彼女が糸を引いているという情報はレグルスの言葉だけ。確かに、憎きデルフォイの人間ではあるが、それだけでは殺せない。ラツィオは、素早く、レグルスの顔をちらりと見た。


「レグルス?」


 レグルスの口の端からは、一筋の血が垂れていた。唇をあまりにも強く噛んだことによる、彼自身の、血であった。


「魅了だ。見るな。精神を、奪われるぞ」

「人聞きの悪い」


 すかさず、ロンティエルが言った。


「レグルス・ラスト・ローディナス、貴方の力ならば、呪術かそうでないかくらいは見分けられるでしょう。これは魅了の術ではなく、私の天性の力に過ぎませんよ」

「かしこまりやがって。お前たち魔女はどんなときもそれを言うだろうが」


 ロンティエルは薄桃色の頬に手を当てて、困ったように顔を背けた。はぁ、とわざとらしく溜息を吐き、流し目でラツィオを見やる。その視線がちらりとでも向けられると、彼は失神しそうになった。勿論、そのあまりの美しさに、である。間髪入れず、レグルスがラツィオの頭を堅いもので殴りつけた。彼の手には既に一本の剣が握られていた。その柄で、彼は殴りつけたのだ。


「しっかりしろ、ラツィオ、呑まれるな」

「なんのつもりです、レグルス。私はここに話をする為に居るのですよ」

「話なんざ、聞きたかねぇよ。俺はお前を殺す為にここに居るんだ」


 そのとき、放心していたガーリオンが漸く、言葉を発した。


「待て、レグルス。お前たちの目的は知らんが、俺の目的は講和だ」

「講和。私が貴方たちに何かしたという記憶はないのだけど」


 ロンティエルが嘯いた。その口元には嫌らしい笑み。ラツィオの怒りが、ここで漸く、再燃した。先ほどまでの畏怖の念が嘘のように掻き消えていく。間違いない。この女は、ただ美しいだけの女ではない。


「レグルスに同意だ。八つ裂きにしよう」


 ラツィオがぼそりと言った。その発言はおよそ、彼らしくもない、血濡れの言葉である。


「ロンティエル=デルフォイ様、パーンリアを知っておられますか」


 ガーリオンが辛抱強く訪ねたが、ロンティエルは、今度は天使の笑みで答えた。


「えぇ、このボダットを悩ませている魔獣でしょう? 私もその件に関しては聞き及んでいますわ。父とも話していたのだけど、やはり、騎士を派遣した方が良いのかしら?」


 その言葉に、レグルスが半ば怒鳴りつけるように、叫んだ。


「しらばっくれるな、ロンティエル。お前の手飼いの魔獣だろうが!」

「レグルス、貴方は私への恨みで、あることないこと吹聴しているようね。皆さん、お気を付けて。彼は良い人間だけど、彼が絶対に正しいなんてことは決してないのだから」

「呪術士、神秘の騙り手がよくもそれを言えたものだな」


 それを言われて、ロンティエルの顔が不機嫌そうに歪む。苛立ちが、ほんの僅かに、彼女から零れ始めていた。


「私はしがない魔司士、ローレン殿下と同じ術式士にすぎないわ」

「いや、貴様は魔女だ。あの機両戦争で貴様らがトルリアに力を貸したこと、俺は決して忘れねぇ。戦場であれほど悍ましい死体を見たのは初めてだった。人体を自在に改変し、意のままに操る術は『呪氏』ラベストリの業。でなければ、父が死ぬはずがない」


 柔和な笑みのロンティエルと対照的に、レグルスは憤怒の形相であった。彼がエビリシアで見せた憎しみが、全て溢れ出しているかのように。レグルスは一歩、女に近づいて、その右手の剣を強く握りしめる。抑えきれない怒りが、呪界を通して、ラツィオの心をも揺らしていく。つられて、ラツィオ=メインも立ち上がった。その手には剣。ガーリオンが驚いた顔で二人の前に立つ。彼は、ある意味では彼だけが正常だった。


「止めてくれ、レグルス!あんたもだ!これはエビリシアとボダットの問題だ!あんたらがここでロンティエル様を殺したら、俺たちはこの地域に二度と住めなくなっちまう」

「その方がいい。ここはそれほど、良い場所じゃない」


 ラツィオが言った。続けて、レグルスも、嫌悪を込めて言う。


「諦めろ、ガーリオン。こいつは自分で魔獣を創っておいて、素知らぬふりを貫くような女だぞ。たとえ、お前の部下が領主への忠誠心を持っていたとしても、こいつだけは信じちゃいけねぇ。ラベストリの血族が何故、恐れられているかは、知っているだろう」

 

 ガーリオンはいよいよ頭を抱え込んだ。これでは、デルフォイとの対立は避けられない。それどころか、ロンティエルを害してしまえば、二人は死罪だ。皇国四名家の御息女を殺めるなど、国への反乱と変わりない。ロンティエルも叫んで逃げれば良いものを、優雅に座っている。この女には、恐怖心というものが存在しないのだろうか。そんなガーリオンの不安を取り除くように、レグルスが言った。


「安心しろ、反逆の罪には問われねぇ。むしろ、その罪が適用されるのはこいつらだ。ありがたい話だが、デルフォイ家は近々、ノーラン皇族への反逆罪で処刑されるだろう」

「あらあら、そんな話は初耳なのだけれど」


 ロンティエルが不思議そうに笑った。


「抜かしてろ。最初に仕掛けたのは、てめぇらって話じゃねぇか」


 勿論、レグルスの頭にあるのは、ラツィオ=メインの話である。つまり、熱部貴族の台頭による、都主ローレンの窮地。この熱部ボダットに引き籠っていたレグルスには知りえない話だったが、彼は持ち前の強引さで、あたかも、詳細を知っているかのように語った。それを、ラツィオが引き継いで、ロンティエルに問うた。


「殿下から話は聞いている。裏王剣『骸』に纏わる一連の騒動、トルリアの兵器『飛竜船』の所有、その他諸々の画策。これが皇貴会議の議題に上れば、デルフォイとて長くは持つまい。我々がお前を殺したという報が皇都に届く頃には、アランドもルスラも牢の中だろうよ。貴様もそれを分かっているだろうに、何故、俺たちをここに入れたのだ?」


「どうしてかしらね」


 ロンティエルが笑った。ラツィオは背筋に悪寒が走るのを感じる。それと同時に、レグルスが一歩踏み込んだ。その手には剣。何の迷いもなく振られたそれは、ロンティエルの首筋にひたりとあてがわれた。凄まじい技術と気迫。レグルスは刃を押し当てながら、言う。


「答えろ、ロンティエル。何が目的だ?」

「時間がなかったからよ。これは苦肉の策なの」


 そう言うが早いか、ロンティエルの腹からもう一本の腕が突き出る。その真っ白な硬質の腕は、明らかに人形であった。腕はまるで、パーンリアのように伸びると、即座にレグルスの剣を跳ね上げる。


「さよなら、レグルス!機両戦争の時は楽しかったわ!」


 そう言ってロンティエルは、にこりとラツィオに笑いかけた。そのまま、彼女は華麗な身のこなしで、レグルスから距離を取る。不思議なことに、ラツィオの身体は金縛りにあったかのように動かない。ガーリオンも同じく、全身の動きを封じられていた。ロンティエルが、白い手でラツィオの頬に触れながら言う。


「パーンリアを通して、呪術を掛けたの。『白腕しろかいなの呪』よ。私に少しでも美しさを感じた者を段階的に魅了していく。最初は感情や無意識にしか干渉出来ないけれど、この呪術は直接的な接触を行うごとにその力を強めていくわ。私の顔を直に見た貴方たちは、既にその肉体さえも私に支配されている。この言葉を聞けば、もっと深く、ね」


 やはり、魅了。ラツィオは今更とは思いながらも、下唇を噛んだ。思えばおかしなことだらけだった。自分のものとは思えぬ怒り。そして、制御できぬ自身の行動。それらが既に術だったとは。激しい怒りとは、人間の理性を侵し、正常の判断を妨げる毒である。ラツィオは漸く、自身の中に巣食っていたその毒を自覚した。


 魔獣パーンリアによるあまりにも派手な虐殺、惨殺。それらはガーリオンとラツィオ、あるいはレグルスをも捕えるための演出。ただその為だけに、エビリシアの傭兵や人々は犠牲になったのである。レグルスが、パーンリアとデルフォイの関係について知っていることも、ロンティエルにとっては最初から、計算の内に入っていたのだろう。


 だが、果たしてそれは何の為に? ラツィオやレグルスをここに誘き出した理由。それが問題だった。どれほど考えても、ラツィオにはその理由が分からなかった。都主ローレンを蹴落とすのに、熱部勢力が何かをする必要はない。皇貴会議でローレンが負けるというのは、憶測の話ではなかった。傾きつつある皇都、ひいては皇国の財政からすれば、それは確定事項だった。


「ラツィオ=メイン。貴方はもう何も考えなくてもいいのよ」

「話している余裕なんてあるのか、ロンティエル」


 レグルスだけが、彼女と真っ向から対峙していた。その眼は固く瞑られ、その肌を僅かでも見るまい、としている。


「あいつらが動けねぇなら俺がお前を殺す」

 

 そう言いながら、レグルスは五本全ての剣を、魔法で空に浮かせた。同時に、ロンティエルが、発現した風属魔法の竜巻に拘束される。これには、流石の彼女も驚いたようで、その大きな目が見開かれた。凄まじい速度で、彼女の着ていた赤いドレスごと、肉体が細切れになる。そしてそのまま、嵐のような力の奔流から、大量の血しぶきが噴き上がった。


 まるで、これからの戦いの凄惨さを暗示するかのように。

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