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語る脳子と、綴るは我子  作者: 木ノ倉ラ
三節 熱部呪術
26/43

3-3 消見念慮/ゴーレム

Δ



 微かな振動が暗闇に響くと、部屋の中心に置かれた其れが光りはじめた。其れは転移術式陣に酷似した、幾何学模様。空間を司るクァロ=ケインの力を用いた闇属術式だ。その借用された能力によって、徐々に空間が歪む。闇が逆巻き、うねり、混流して、小さな裂け目が現れる。それはまるで小さな穴。黒い呪穴であった。


 暗闇の中に作られた黒の穴から、一本の腕が伸びる。その腕には床に描かれているのと同形の術式陣が描かれていた。陣は指先を埋め尽くし、手首、それから肘までもびっしりと、いや、肘まで覆ってはいない。そも腕には肘などなかった。血の気の無い腕は上腕部で切断されており、それは咥えられていた。他ならぬ腕の持ち主、『骸』のシドニィによって。


「つっ、ランツ、何処だ、何処にいる」


 腕を地面に吐き捨てて、シドニィが叫ぶ。辺りを覆う暗闇は呪的な代物ではない為に見通せない。彼は大声を挙げて、ここにいる筈の男を呼んでいた。


「ここだよ」


 ことり、物音とともに、暗闇から誰かが歩き来る音。まるで彼に近寄るのを恐れるかの様に、闇が晴れていく。手元に小さな燈灯を掲げた青年がそこには立っていた。彼の腰には鞘付きの長剣が差されている。それは『骸』がリアトから奪い去った剣であった。あの刹那に辛うじて回収することが出来た術式具。


 この剣をデルフォイに持たれているのは具合が悪い。そう、シドニィは思う。されどこの腕ではどうにも出来ない。先ずは体勢を整える必要があった。彼は言う。


「手を貸せ、ランツ、出血が酷い。早く、戻らねば」

「本当だね、鋭利な切断面、癒薬を使えば数時間で治るだろうけど。この剣筋はレアーツ様にでも見つかったのかな。兄さんと貴方を相手にリアト様が勝てるとは思えないから」


 滑らかに抜け落ちているシドニィの右腕を見て、ランツが言った。その声色は異常なまでに冷たく、感情を感じさせない。まるで機械か人形のような語り口にシドニィは気味悪さを感じた。果たして、ランツ=デルフォイとはこんな男だっただろうか。


 魔術の効果も切れ、止めどなく血の溢れる腕を抑えながら、シドニィはランツに対して一種の警戒心を抱いていた。やはり、この青年とあの女を信用することは出来ない。


「そうだ。剣王レアーツに襲撃された。アルトは恐らく再起不能だろう」

「それは嬉しい誤算だね。兄さんを抑えるのは難しいから」

「嬉しいだと?」


 シドニィの問い掛けに、ランツは答えなかった。彼の暗い瞳は、既に暗闇を見つめている。俯いたまま、ランツは、ぼそりと言った。


「変な気は起こさないでね、シド二ィ」


 青年は足元に癒薬と治療魔道具を置いて、後ろに下がる。魔道具、つまり魔導人形がシドニィの両腕に登り、治療を始めた。明らかに人工物と分かる、気味の悪い少年型の人形たち。彼らは大人の片手ほどの大きさしかなかったが、有能だった。


 みるみる内に腕が止血されて痺れがなくなっていく。奇妙なことだ。これほどの技術が辺境の奥地に存在するとは。シドニィは内心で驚嘆しながら人形たちの仕事を見守る。彼らは本物めいた腕を何処かから取り出して、断面にあてがった。生体組織を用いた義手なのであろうか。それは容易に繋がった。断面の僅かな傷も瞬く間に、跡形もなく消えていく。ほんの数分でシドニィが受けた怪我は殆ど完治していた。それはまさにエルトリアムにも存在しない異端の医術だった。


「妙な技だ」


 そう言って、男は両手で空を掴む仕草をする。指先、関節、魔力の透り具合、どれもが完璧。まるで昔から自分の腕であったかのように馴染む。一体、これ程の義手をどのようにして作り出したのだろうか。湿部では未だに人体構造の解析が進んでいないはず。これは明らかに術式科学の常識を覆す技術であろう。


 腕の異常さに気が付くと、急にこの腕が悍ましく思えてくる。自分のものでありながら、自分のものではないような。そんな空恐ろしさを少しだけシドニィは感じたが、結局、彼は怪しみながらもこの技術を受け入れることにした。何をするにしても腕が無ければ始まらないからだ。


「さて」


 腕の回復。それを待っていたかのように『骸』のシドニィはその指先をランツに向ける。鋭く向けられた爪の先に魔法の火が灯り、剥き出しの殺気がシドニィから発せられた。それは明確な敵意であった。


「なんのつもりかな」


 ランツが顔色一つ変えずに言う。シドニィは苦笑いして言った。


「腰の剣を置け。メキアスーシアは俺が預かる」

「どうして」

「保険という奴だ、ランツ=デルフォイ、俺は用済みになるつもりなど毛頭ないのでね」


 やれやれ、と言った風に溜息を吐いて、ランツが肩をすくめる。やけに芝居がかったその動作は、シドニィの注意を一瞬だけ引いた。ランツは眉根を寄せて、眼を閉じると、両の手を細かく動かした。まるで指から伸びる極細の糸を操らんとするかのように。


 ぴくり、魔導人形が跳ねる様に動いて臨戦態勢を取る。シドニィはすぐさまそれに反応して、指先から魔法を射らんとしたが、振り上げられた彼の両の手が急に力を無くしてだらりと落ちる。まるで死人の手のように。


 それを見てから、ランツが言った。


「姉さんの言った通りになったよ。兄さんが調子に乗るからこういうことになるんだ。シドニィ、腕を治したところで悪いけど、やっぱり君の始末はつけなきゃならない」

「馬鹿な、何故、」


 魔導人形がじりじりと近付いてくる。されど、シドニィの両手はやはり沈黙したままで動かない。いや、感覚が失われているのは手だけではない、手首や腕、肘に肩、そして遂には胴体の全てが動きを止める。シドニィは身体を動かす事も出来ずにその場に立ち尽くす。まるで氷の彫像のように男の身体は静止していた。


「何なのだ、これは」


 恐れの混じった呟きに答えて、ランツが言う。何処かのんびりとした楽しげな声で。


「君も術式士の端くれなら、体性感覚野の/ホムンクルス/くらいは知っているだろうね。手は脳地図の1/4以上を占める重要な――呪術的に重要な機関だ。神経が集中しているだけでなく、僕らは手指を通してのみ多くの微細な事柄に干渉できる。だからこそ、人の使う魔法のほとんどは手指を媒介に放たれるんだ。逆に言えば、手指を奪えば魔法は使えないんだよ」


 シドニィはその言葉を聞きながら、必死に考える。どうすればこの状況から体勢を立て直すことが出来るか。腕のみならず、全身が封じられたこの状況では如何ともしがたかった。脂汗を額に浮かべるシドニィを見ながら、ランツが語る。


「魔法だけじゃない。体性感覚そのものだって手指を入り口にすれば簡単に制圧出来る。今、君の身体は頭部を除いて、すべてが僕らによって支配されているんだよ」

「お喋りだな、ランツ=デルフォイ」


 虚勢を張るシドニィの声に余裕はない。彼の視線は近付いてくる気味の悪い人形に向けられていた。人形どもはランツと同じような虚ろな目で彼を見つめる。声、人形の口とランツの口が同期したように開き、彼らの口から一斉に同じ言葉が発せられていく。それはシドニィを追い詰める為の言葉だった。


「君はもう逃げられないからね。空化も呪穴も使う事は出来ないよ」


 こつこつと魔導人形が近寄り、遂にシドニィの脚に絡みついた。凍り付いた脚をするすると人形が男の身体をよじ上っていく。冷ややかな手の感覚が皮膚の上を這いあがり、人形の頭部が次第にシドニィの動かぬ視野の中にも入り始めた。身体を振り動かして彼らを落とそうとするも、それは叶わない。数体の人形が胸、肩に上り、シドニィの怯える眼を覗き込んだ。恐怖に震える彼は命乞いの悲鳴を上げようとする。


 だがそれすらも許されなかった。


「私好みにしてあげる」


 老いた男の唇が柔らかく動いて、発せられた声は女の声。よもや、頭部まで支配されようとしているのか。シドニィは必死でそれに抗い、言語の権利を奪い返す。彼がぴたりと閉じたその口を抉じ開けるように人形が手を伸ばす。無機質な手が唇を引っ掻き、前歯に彼らの固いものを感じた時、シドニィは耐えきれずに唇を開いて、大声で叫んだ。


「やめろランツ、助けてくれ」


 喉奥に突き込まれる白い腕。吐瀉にも似た嗚咽が、暗闇に響き渡った。


「兄さんもこんな男を誑かしたまま放置するなんて。迷惑だな」

「アルトは頭が回らないのよ。許してあげなさい、ランツ」


 ロンティエル=デルフォイは倒れ伏した男に向けて、人形を放つ。小さな呪術医たちはその邪悪な両手で以って、施術を開始する。左手には鋼の鋸。右手には極小の術式板。金属が閃くその度に、男の身体が跳ねあがり、おびただしい量の鮮血が開頭された脳部から噴き出す。シドニィは、まさに手術されていた。


「姉さん、それをどうするつもり?」


 人形の群れの中で一際大きな物が、ランツの肩に飛び乗った。その頭部にはロンティエルと同じ長い髪が植えられている。人形はその真っ赤な眼でランツをゆらりと見て、言った。


「内緒。貴方は、ただ、計画通りに動けばいいの」


 赤い唇がまるで本物のように艶めいている。実の姉であるというのに、ランツはその魔性に呑まれそうに感じた。その堕落しそうな精神を押しとどめて、彼は言葉を発する。


「じゃあ僕は。邪魔者を殺せばいいんだね」

「そう。殺しなさい。貴方の存在は認識を実行することで保たれる」


 それは為すべき行為の再確認。もはや、人形の一つであるランツには欠かせない行為であった。いつからランツは思考せぬ人形となることを決めたのだったか。それすらも青年の記憶のなかにはもはや残ってはいなかったが、生前のわずかな意志の名残だけが彼を動かしていた。彼の顎がかたりかたりと動いて、言葉を紡ぐ。


「僕の名はランツ=デルフォイ、失われた真の名は、ラベストリ」

「そうよ。貴方はラベストリの血族。貴方の身はもはや人の其れではない。私の操る人形の如く、不死の人外者として為すべき事を為しなさい。私が、見ててあげるから」


 ランツの空虚な目がさらに暗くなる。

 遂には完全に光が消えた。

 青年は暗闇でただ一人だけで頷いた。


「僕が殺すから」



Δ



 リアトは、ある男の醜態に呆れ返っていた。


「はぁ……」


 ここはボダット深奥部、グランフィアの手前の森中である。どうして彼らがこんなところにいるかを話せば少々長くなる。ローレンが街から行った術式転移における呪体移動が、熱部呪界の過度の歪曲によって阻害されてしまったのである。つまり、彼らは転移に失敗したのだった。デルフォイの本拠地へと向かうはずの一団は、魔獣の跋扈する森林部へと落ちてしまった。


「さっさと起きろ」


 剣王レアーツが呆れた声で言った。彼が冷たい目で睨むのは足元の男。男は何かに怯えるかのように、ふるふると震えている。尋常ではない震え方はまるで幼い子供のようだった。


「なぁ、どうなるかくらい予想できていただろう」


 そう言ったのはローレン=ノーラン。つまり、蹲っている男は術式士である彼ではない。確かにローレンは転移術式陣の発動に失敗したが、それは責めることのできない事態であった。付近の呪界に生じた異常な歪みによって、転移術式の設定した座標そのものが狂ってしまっていたなど対処することもできない。如何に優れた術式士といえど、呪界の歪みまでは治せないのだから。


「建物の中に転移すると思っていた」


 だから、苦しんでいる男はルハラン=ノーランということになる。あらゆる「緑」を恐れる特質後遺症を持つ男。この森林の深い緑は彼の精神を掻き乱し、苦しめていた。脳の遥か根底から立ち現れる原初の恐怖。それに抗うことは、ルハランには到底出来なかった。得意の傭兵訛りも鳴りを潜めて宮廷言葉になってしまっている。


「しかしなぁ。自分の体質を知っていながらこれだものなぁ」


 ローレンが苦しむ弟を見ながら、にやにやと笑って言う。リアトは少し気分を害したように、鼻を鳴らした。いや、その行動は、果たして兄と弟のどちらに向けられたものなのか。リアトの内心までは分からないが、彼女の不機嫌さは見て取れる。


「兄上、俺はもう無理かもしれません」


 呆れたように、ふん、という音がさらにもう一度。やはり、リアトはルハランに対して怒っているらしい。無理もない、と震えるばかりのルハラン自身も思った。『当たり前や。そもそも、お前が俺に付いてくるんやで』。自分の発した言葉が、一気に情けないものに思えてくる。付いてこいと言っておいて、この醜態。愛想を尽かされるのも当然と言えるだろう。


「じゃあなんだ、ベーロにでも戻るのか」


 ローレンが半ば笑いながら言った。この嫌味な男は、人が弱っているとみるや、そこを突いてくる。こういう性格の悪さがリアトに嫌われる要因だと言いたくなったが、兄はルハランの呻き声を聞くと、それ以上は笑わず、彼の額に手を当てて、何かを唱えようとした。ちらりと覗いたローレンの眼は非常に真剣なものであった。


「なにを」


 頭を半ば無理やり押さえつけられて、ルハランはローレンを見る。同時に、兄の口から言葉が溢れ出し、それを自分の耳が捉えていく。まるで流れるような語り。淀みない其れは音楽のようだった。


「私の眼を見ろ。∬『視よ。我が視るは事物の真なる姿。そは揺らぐ炎の影、そは背後で照らされる生贄の供物である。暗い暗い闇を出て、我ら自身の眼で真実を視よ。洞窟の果て、輝く生の草原、澄み渡る蒼穹、霊魂に触れ行くまことの世界。我が見るは幻、その想起の遠く、古の記憶を遡り、我自身に映る世界、そのままを生きよ。』∬教えてやろう、ルハラン=ノーラン。その眼に映りし緑は燃ゆる赤、不動の生命が燃やす炎であると」


 長い長い呪文。それは癒しの呪言であった。呆気にとられて、ルハランは思わず、立ち上がる。そして驚いた。周囲の森すべてが鮮烈な赤に染まっていた。正しくは緑だと理解できるのに、視覚には赤としか見えない。恐るべき兄の技が、ルハランの認識を幻惑したのだ。


「ほう、これが貴様の」剣王レアーツも思わず声を上げた。

「緑が見えないようにしてやったのだ」


 呪術をかけられたルハランは、先程までと打って変わって元気になっている。まるで、特質後遺症がなくなったかのようだった。


「認識に働きかける催眠呪術はバルニア以前、古代フォルド人が用いていた呪文形式の技で、バレア教が流行った時期に『退廃技術』として、皇都の保管庫に封じられた。まぁ退廃の権威は既に衰えたが、今でも禍忌魔術扱いされる類の代物だな」


「助かった、兄上」


 言葉少なに、ルハランは兄に礼を言った。嫌っていた兄に助けられる、というのはどうにもむず痒いものだ。それも、このように何の打算も感じられない優しさを見せられては。


「そうせざるを得ないのだ。誓約によって、お前の剣は私に捧げられたのだからな。もはや敵対関係ではいられない」


 ローレンがそう嘯く。されど、ルハランは何か、それ以上のものを見て取った気がした。乾湿戦争に於いて、兄は非常に仲間思いの人間だったという。そんな彼の人となりに、今初めて触れたような、そんな。この男は、ひょっとすると、ただのお人よしでも、屑でもないのか。


「少し助けられたくらいで靡くのか? ルハラン=ノーラン」


 剣王レアーツがルハランの心を見透かしたように言った。苛ついたようにリアトが大きく、舌打ちをする。彼女の心はいまいちよく分からなかったが、取り敢えずは、ルハランの味方であるようだった。



Δ



 魔獣の気配一つしない濃緑の森中で、剣王レアーツは確かに敵の気配を感じていた。ローレンにも予見できなかった事故、それによって飛ばされたはずのこの場所。だというのに、幾つもの眼によって視られているような感覚がある。


 ここがデルフォイの領地だから、というならばそれまでの話ではあるが、空間に色濃く漂う彼らの呪、それ以外にも明確な気配があるような予感があるのだ。傍に居る三人、ローレン、リアト、ルハランはそれには気付いていない。


 ということは、敵は相当の遠距離からこちらを監視しているのだろう。そもそも、探気の達人である自分にも、「眼」の正確な場所が掴めないのだ。これは実に不思議なことだった。


「リアト、剣を抜ける様にしておけ」

「兄上、敵が来るのか?」


 レアーツの言葉にリアトが答えた。それを聞いて、ルハランも背中からバルニュスを抜く。彼の特質後遺症はすっかり治まったらしい。この男はあまり頼りにはならないが、無下にする訳にもいかなかった。ローレンとリアトの関係を保つ上では必要な駒だったからだ。


「敵、という程では無い、ただの用心だ」


 レアーツはそう嘯いたが、勘の鋭いローレンは気付いている様に見えた。ローレンは面倒くさげに端末を取り出して、何かを打ち始める。術式、いや、その様には見えない。その打ち方をレアーツは知っていた。転言だ。この男は端末に誰かの番号を書き込んでいる。だが、その試みが成功するとは、レアーツには思えなかった。


 何しろ、この場所の呪界と来たら、滅茶苦茶なのだ。浄眼には捻じ切られた植物の呪体や、腐り落ちた魔獣の呪体が映っていた。まさに地獄絵図、阿鼻叫喚というのが相応しいほどの混沌。色とりどりの血や呪力があちらこちらに噴き出して、虹を作っている。ボダットにかかる巨虹とは異なる、吐き気を催す七色。空を飛ぶ鳥どもがいなければ、ここはまさしく死の森であった。


 このような環境では、転言術式板は使えないのが常である。それを分かっていながら試すのは、術式士のローレンらしいとも言えた。ひとしきり、操作した後、第一皇太子は三人に向かって言った。


「駄目だな。この辺りの呪界は不自然な程に歪められている。これでは転言も送れんし、転移術式も特殊な物でなければ、到底、動作せんだろうよ。これは少々、参ったな」


 ローレンがそう言ったのは、恐らく、皇貴会議を見越してのことだろう。まだ時間はあるとは言えど、会議は差し迫った問題である。転移術式が正常に動作しないとなれば、彼は会議に出席できない可能性がある。それはレアーツとしても避けたい事態だった。


 彼としては、ローレンにボダットへの道を開いた後に、すぐに皇都エルトリアムへと帰還して貰う心づもりだったのだ。そうでなければ、最悪、ローレンの命が危険に晒されてしまう。故に、ローレンが帰還する為の魔石だけは予め確保しておいたのだ。重要な戦力であるベルメーラを皇城に残してまで。


「では、ローレンよ、お主は先に転移手段を探した方が良いのではないか」


 ローレンが何故ボダットまで付いて来たのか、その実際の理由は分からなかったが、彼は確かに自分の意思で付いてきた。彼の逼迫した政治的立場では、デルフォイへ向かう選択肢も無くは無い。とはいえやはり、都主たる第一皇太子のする行いではないだろう。それをわざわざ実行するとは、何かの策があるとしか思えなかった。


「もちろんです、剣王。私が帰れなければ、頼んだことも意味を成さないでしょう」


 ローレンの言葉を聞いて、レアーツは頷いた。当然、彼の頼み、リアトへの協力の交換条件である其れは果たす心算である。すなわち、それはデルフォイ本邸への侵入を正当化することだ。そして、それに付随して、ローレン=ノーランの本邸捜索への協力。


「ローレン、兄上と何を交わしたのだ」


 詰問するようにリアトが言った。その眼は少しばかり不安げに揺れている。この妹はやはり精神面に不安が残る、とレアーツは思った。自分に深く関わる人間に対する害意に反応しすぎるところは不味い。仮に、それを逆手に取られたら、簡単に崩れてしまうだろう。あの琥珀の少女とは、良好な関係を築けていた、と聞いていただけに、レアーツは妹が八年前と何ら変わらないことに少し失望していた。


「大したことではない。皇貴会議への協力、のようなものだ」

「協力……?」


 ローレンが言った言葉に大きな偽りはない。結局のところ、彼の今後の命運は皇貴会議で決まるのだし、それを動かす為には、デルフォイを打ち負かす手が必要だった。剣王が皇貴会議に参加することが認められていない以上、レアーツがローレンに力を貸すとは、彼の頼みを聞くことなのである。


「面倒な話は後にしようではないか。取り敢えず、我々は正しい転移先に向かうべきなのではないかな。私の見立てが正しければ、イルファン=バシリアスはそこにいるはずだ」


 ローレンが大上段に言った。彼の言葉は概ね正しいように思われたので、ルハランも首を振って同意する。レアーツは端から、そうするつもりだったので、頷きもしなかった。この怪しげな場所と状況が故意に齎されたものかはともかく、あの『骸』が逃げ込んだ場所とは、大きく離れているのは確かなのだから。


 リアトはそんな男らをしばらくの間、見ていた。まるで、純粋でないことを責める様な、そんな眼であったが、急にリアトの眉根に皺が寄り、視線が移る。上空、それも何もない虚空を彼女は見上げていた。


「どうした、何かいるのか」


 空には数羽の鳥、どれも蒼色の羽を羽ばたかせている。美しい鳥、彼らはエルトリアムにも生息する青色鶯だ。何ら奇妙なところのないただの鳥であるが、何故かリアトはそれらを訝しげに見て、言った。


「何故、魔獣もおらぬのに鳥が居るのだ?」


 その言葉につられるように、ルハランも空を見上げる。彼は上空の鳥どもを見てから、静かに言った。


「あの小鳥の一匹に妙な奴がいるな。どうも、感覚的に違和感を覚える。血がついているように見える」


 ルハランの今の色認識は普段よりも無意識的な領野に頼っているものと思われた。色そのものの把握、というよりも色への認識とでもいうべき特殊な視覚。それに於いての色差の判別は、恐らく、何よりも正確であるのだろう。


 レアーツは眼を凝らして、上空の鳥たちを睨むように見た。その存在位格と殺気によって、蒼色の青色鶯たちが散り散りになっていく。その一体はすぐに見つかった。蒼碧の身体に鮮血を飛ばした個体。ばたばた、と羽ばたくその鳥には頭部がない。されど、胴体に一対の醜い眼球が埋め込まれていた。間違いなく、それは呪術士の使い魔であった。


 なるほど、高位の呪術士ならば使い魔も自由に使うことが出来る。自分が先程から感じていた奇妙な気配、そして視線は使い魔の向こう側にいるロンティエルのものだったのか、とレアーツは合点した。


「あれは監視、既にデルフォイの領域と言う事でしょうか」


 そう言って、ルハランは拾った礫を素早く投げた。投擲された石は、真っ直ぐに伸びて、小鳥を砕く。元より頭部のない鳥なので、死んだかどうかは分からなかったが、空中で肉体が弾け飛び、真っ赤な血肉が地面に落ちる。がさがさ、というその音は静かな森ではやけに響くものだった。しかし、


「いや違う。こいつは呪術だ。ルハラン、早まったかもしれないぞ」


 血相を変えてローレンが言った。彼は鳥の落ちた地面を見ていた。そこには夥しい量の血が染み渡っている。これは明らかに小鳥一匹分の量では無い。


「殺した者は殺された者の力と、その地位を引き継ぐ。単純な呪術法則だが、この鳥が使い魔だとすると、その力がルハラン、お前に降りかかってくる可能性があるのだ」


 その言葉が終わるやいなや、まるで謀ったかのように、空中の鳥が動いた。先ほどまでは何ら変わるところの無かった彼らが一斉に姿を変える。美しい瑠璃色の目は、毒々しいまでの赤色に。その羽は悍ましい鮮血に染まって、鉤爪、嘴も尖りを増していく。明らかにそれは原種動物ではなく、魔獣であった。


 もはや化け物と化した彼らは、命じられたかのように、こちらを睨む。その視線はやはり、ルハランに向けられているように思われた。


「あれを殺した事で、この馬鹿の居場所は筒抜けだ。今更、森に隠れても逃げることは出来んだろう。迎え撃つぞ。小鳥程度の魔獣、新兵でも殺せるのだから」


 ローレンがそのように提案したが、剣王レアーツはそれに異を唱えた。彼の見据える流れは、それを悪手だと彼に伝えていたからである。


「待て」


 静かに言ったのはレアーツだった。


「あの鳥は恐らく足止めだ。ここは二手に別れるべきだと、俺は考える」


 朗々と響かせたレアーツの声に、上空の魔鳥どもが嘴を叩いて反応する。どうやら、彼らはレアーツのことも把握しているようだった。その方法は、ロンティエルによる印『呪の痕跡』であろう。敵はもはや薄れ掛けている痕跡を辿って、レアーツをも射程に捉えているのだ。故に、彼が提案する二手とは、ローレンとリアトを自分たちから離すことだった。


「二手と言うと、私とリアト、ということか?正気なのか?」


 ローレンが反射的に声を荒げる。まるで噛みつくようだった。その反発の理由は分からなかったが、レアーツは其れを、妹への嫌悪ととった。だが、あの乾湿戦争で具体的にどのような対立があったとしても、ここで退くつもりはない。ここで十界に反する流れを選ぶ事が、流れに破滅を齎すかもしてないのだから。


「当然だ、ローレン、お前ならば最善手がそれであることを理解しているはず」

「最善とは到底、思えないのだがな」


 ローレンが目を落して、答えた。


 と、悠長な話し合いを切り裂くように、魔鳥どもは羽を動かし、剣王とルハラン目掛けて、無数の風の刃を放つ。この遠距離ではそんなものほとんど意味が無かったが、面倒ではある。無視する訳にはいかないので、剣を振って斬らねばならないのだ。


 レアーツは背の剣を素早く抜き放つと、無数の空刃を斬る。わずか一息で、それらは呪界に霧散し、歪みの中へと消えていった。続けざまに、鳥どもは空中から、勢いよく襲撃を行おうとする。鋭い鉤爪からぽたぽた、と得体のしれぬ液体を滴らせて、数十羽の鳥が一斉にルハランと剣王、ついでにリアトらを襲った。無論そんな攻撃が通じるはずもない。


「ここは俺とルハランに任せて、お前はイルファンを探すのだ」


 鋭剣を振りながら、レアーツが言う。


 彼が飛刃によって《海尽》を放てば、魔獣どもは無数の肉片に別れた。赤の細切れが視界に踊り、濃緑の森に消えぬ痕跡を落としていく。爪から落ちた液体は強酸性を持つようで、触れた草木を溶かした。


 するとそこから、ぞろぞろと新手の敵が現れる。


 何処からか金属めいた音色。かしゃん、かしゃんと不気味な音が響く。それらは気味の悪い人形の姿をした、使い魔であった。数は凡そで二十。その力は、人形であるが故に未知数。両手には鋏のような金属武器を握っており、顔には笑みを浮かべている。


 とはいえ、硬質ゴムを継ぎ接ぎしたような化け物の狂ったような顔である。それらは到底、友好的な表情であるようには見えなかった。


「これだけの数、二手に分けては対応しきれまい」


 ローレンが剣王を諭す様に言う。剣王は黙り込んだままで、何も答えない。その代わりに、リアトが反論した。


「しかしこれを相手取れば敵の思う壺かもしれない。これだけの敵を全て潰していれば、とんでもない時間になる。ここは先を急ぐべきだ」


 レアーツは片手の剣の感触を確かめて思う。いや、これは本当の所、危機という程の状況ではないのだ。ないが、だからこそ、これは時間稼ぎなのだと考えられた。ロンティエルは何かをする為に、自分らを引きとめたいのだ。故に今、ここでローレンと自分が言い争うのは得策ではない。


 それに、注意して、ロンティエルの人形をよく見てみれば、既に人形たちは大地に散らばり落ちた肉片を組み合わせて、何かをこの森の奥に作り上げようとしているように見えた。レアーツは飛刃を使って阻止しようと、剣を構える。


 だがその時、彼の脳裏を先程の鳥とルハランの事が過ぎる。これも呪術だとしたら? 果たして止めることは正しいのか? 凄まじい速度で組み上げられている何か。猶予はあまりない。この状況に不安を覚えたように、ルハランが言った。


「私は、イルファンを奪回する為に、兄上のお力を乞うたはずです」


 元はと言えば、お前が不用意に敵を殺すからいけないのだ、と思いつつもレアーツは同意したが、ローレンはそれでも、剣王の提案に頭を振らない。


「勿論だ。私が心配しているのはお前達ではないし、それに、リアトと剣を並べることを拒んでいる訳でもないのだ。ただ、手負いのリアトと私では、敵の襲撃を凌ぎ切れまいと思っているのだよ。この先、デルフォイの手下と闘う際に、二人では心許ないだろう?」


 確かに言われてみれば、その通りであるようにも思えた。リアトが骸やアルトとの戦闘で使った靈力は回復していないばかりか、彼女の切り札の一つである《速気》はもはや使えない。ローレン自身も『識能』を損壊しているので、まともな魔法戦闘は出来ないであろう。その割には、先程の無形隠蔽結界をやけに容易く解いていたが、あれは彼が得意とする術式領野の魔術であったからかもしれない。


 少なくとも、彼と妹が二人だけでデルフォイの刺客に勝てるかは微妙だった。リアトとて、万全でなくとも、並みの上級剣士に負けることは無い。彼女の持つ力は、闘気特質である《速気》だけではないのだから。だが、それでも、ロンティエルの力が未知数である以上、安心は出来ない。


 十界の流れは、ここで分かれる事を示しているが、果たしてそれは正しいのか。この流れが誰に味方するものであるにせよ、正しい一つを見極めねばならない。レアーツは悩んでいた。ここで下す判断が、自分の進退を決めるかもしれない。


 だが、結局、彼は自身の視た「十界」を信じることにした。レアーツが敵から眼を話さずに、言う。


「ローレン、時間が無いのだ。慎重なお前には受け入れられぬかもしれんがな、この行動は下手をすれば、お前を熱部に釘付けにすることになる。お前とて、それは避けたいだろう。いや、まさか。お前が、ここに残りたいと言うのも、何か故有っての事なのか?」


 話している最中に、この男の勝算が何処かにある筈だ、とレアーツは気付いた。何の考えも無く、悪意渦巻く熱部ボダットに出向く程に、この男は愚かものではない。


 きっと、何らかの策を講じて、この場所に、ローレンは来ているのだ。だとすれば、ここに残る事も策に関係する可能性がある。レアーツの、魔獣と人形を見すえる眼が、少しだけ、ローレンに振れた。彼は、ほんの少しだけ、皇太子をも睨みつける。ローレンは眉をひくりと動かして、剣王の問いに答えようとした。恐らく男は、レアーツに憎まれ口の一つも叩くつもりだったのだろう。


 が、その時、黙していたリアトが顔を歪ませて、言った。


「頼む。私と来てくれ、都主ローレン。悠長に敵を殲滅している間にでもイルファンは死ぬ事になるかもしれない。こればかりはなんとしても、譲る訳にはいかないのだ」


 リアトの必死の懇願に、ルハランが身じろいだが、ローレンはその言葉の軽薄さを瞬時に見抜いて、言った。それは、半ばあざけ笑うような調子ですらあった。


「譲れないだと? 本当に貴様にそれ程の信念があるのか? 貴様の言葉は昔よりもさらに軽薄になったらしいな。少女など二の次なんだろう? 本心はどこへやら、だ」


 またも、ローレンとリアトが言い争いを始めた事に、ルハランは辟易とした。彼は二人の間に入って、不毛な言い争いを何とか止めようとするが、それはまさに焼け石に水、単なる徒労であった。リアトはきっ、とローレンを憎らしげに睨むと、剣を抜く。彼女は秘めていた闘気をゆらりと立ち昇らせると、強い口調で言った。


「行くぞ、たとえ、私一人でもな」


 その言葉を待っていたかのように、ローレンが口の端を歪める。いつにもまして、意地悪そうなその笑みは、愉悦に満ちていた。形ばかりの和解をした事をすっかり忘れたかのような表情。レアーツはそれを見て、心底、うんざりし始める。流れを掴みはじめたというのに、ここで止められては堪らない。そんな思惑を知らずに、ローレンが鼻を鳴らして、言う。


「愛弟子が何処にいるかも知らないで、リアト、お前は何処へ行くつもりだ? 探検ごっこか?」


 彼は懐から取り出した端末をこれ見よがしに操作する。リアトは素早く手を伸ばして、それを取り上げようとしたが、ローレンはすばしっこく身を引いて、女の手を躱す。リアトの動きは普段では考えられない程に鈍かった。


「私のような無能者からも何も奪えぬというのに、デルフォイから、何を奪うのだ」


 その言葉に、ぎりりとリアトが奥歯を噛み締めて、剣を振り上げた。咄嗟にルハラン=ノーランが彼女の手首を掴んで止める。彼は話を逸らすように、されど、真剣さながらの表情で言った。


「そこまでです、兄上、リアト。先ずはあれを見て下さい」


 はっ、とリアトはルハランの見ている物に眼を向けた。いつの間にそれは作られていたのか。目の前には巨大な生物の骨格があった。周りを取り囲むのは数体の魔導人形。ほんの数瞬の間に、彼らはそれを作り上げていたのだ。


 其れは異形だった。


 小さく見ても、三馬躰はあると思わしき魔獣の骨。その虚ろな身体に、見る見るうちに肉が付いていく。恐ろしい速度で動き回る人形が、肉付けしているのだ。しかも、それは一カ所で行われているのではない。同時に三カ所。全く同じ魔獣が三つも組み上げられている。ローレンはとうの前から其れに気付いていたらしく、いよいよ、その笑みを化け物染みたものに変えて、言った。


「人形魔獣だ。乾湿戦争時代にも何度か作られたことがある。もっとも、その時に作られたのは吸魔土を用いた土人形だったと記憶しているがな。これはそれよりももっと高度な技術。見た所、存在情報を模倣した呪術に近しい。多分、デルフォイの再生呪術だろう」


§


 土人形とは乾湿戦争時に用いられた魔導兵器の一つである。一般にゴーレムと呼ばれる其れは、吸魔土を用いて作られる。この魔獣の前ではあらゆる魔法が意味を為さず、その巨体の前ではあらゆる鋼が塵芥と化してしまう。


 欠点としては、操作に必要な魔力の多さと、土人形の動きが、特に最初期のものでは鈍重であることだろう。現在、広く用いられている物には殆ど弱点がない。人形を操作する為の核となる術式板が破壊されぬ限りは無敵である。故に、都主戦争時代、隊の主力を成していたのはゴーレムだった。多くの剣術士はこの怪物の前に、手も足も出なかった。


 但し、この兵器が戦争に用いられることは現在ではもはやないと思われる。何故ならば、ゴーレムは余りにも巨大な為に、戦場では目立ちすぎるのだ。これでは残念ながら、新型の術式兵器群の的になってしまうだろう。例えば、その強度でも、速度でも大きく優る『機両』には対抗出来ない。極めて原始的な兵器である、『飛竜槍』でも破壊されてしまうだろう。


 大きさからしても、歩兵と共に行動させる事は難しいし、何よりその魔力吸収能力は、味方の魔法士にとっても厄介だ。その為現在では、都市の防衛程度にしか用いられてはいない。この土人形は、今でも対魔獣戦では有効なのである。だが、それでもゴーレムは時代遅れの兵器と言えるだろう


§


「なるほど。流石は術式狂と呼ばれるだけのことはある。この俺でもこいつは知らん」


 レアーツがローレンの解説に、僅かな感想を述べた。皇太子はほんの少しだけ得意げに、魔獣を指さす。


「聞いた話だが、こいつはロンティエルが復元した古の魔獣であるらしい。その名は忌み嫌われし、パーンリア。この熱部に現れるという上級中位魔獣だ。厄介なことだな」


 パーンリア。


 ラツィオ=メインの前にも姿を現した魔獣が、再び現れようとしていた。それも、組み上げられている図体は小さいながらも、その数はなんと三体である。この森の中、鳥に運ばれた材料を用いて、三体の再生が同時に行われている。その事に、レアーツは少しばかり、言葉に出来ない違和感を覚えたが、それが思考として、彼の脳中に実を結ぶことはこの瞬間は、無かった。


「では、この今にも組み上がりそうな巨大な化け物をどうにかしてから、別れると言うのはどうでしょうか。流石にこれは私の手にも余ります。剣王様、如何なさいますか」


 ルハランが魔獣の身の毛のよだつような肉躰再生を見ながら言う。剣王レアーツは、ここで一呼吸、深く溜息を吐いた。


 これほどの魔獣を敵が使えるのならば、仕方がない。自分ならば三体だろうと相手をすることは容易いが、二手に別れた場合にリアトとローレンだけでは、これを倒せるか。その事を危惧して、レアーツは十界法則に逆らうことにした。


「リアト、悪いが、」

「こんなのを相手にしている暇はない」


 そのレアーツの言葉を断ち切って、リアトが呟いた。彼女の言葉には焦りと、怒りが込められていた。リアトは憎々しげにローレンとレアーツを睨むと、じりじりと三歩ほど、後ろに下がった。


 と、静かに構えていたレアーツの耳は物音を捉えた。それだけではない。感じるのは強大な魔力。振り返れば、魔獣パーンリアが六本の脚を伸ばしていた。直後、復活させられた魔獣の一体が四人目掛けて迫りくる。その速度は速く、動きにも隙がない。


 レアーツは一瞬、リアトから眼を離して、剣を振るった。


 剣刃から伸びる呪刃が魔獣の巨体を、ずたずたに裂く。だが、その剣はリハントラウスの天剣ではなく、ヒャイルで出来た物。その所為なのだろうか、剣王の一振りは魔獣を殺せなかった。表面の針のような毛と、分厚い柔皮を切り裂いたのみ。パーンリアの動きは止まることなく、彼に迫る。レアーツは、仕方なく、靈気弾を左手から放った。回転する半透明の力が魔獣の頭部を弾き飛ばす。そうして、一時的に、パーンリアは動くのを止めた。


 だが、誰もが、魔獣パーンリアに気を取られた刹那、剣王が敵を倒すのとほぼ同時に、もう一つの出来事が起こっていた。迫りくるパーンリアに反射的に眼を向けたローレンの腕をリアトが掴んだのである。ローレンが驚いて、後ろを見たとき、既に剣王と弟の姿は流れ去っていた。



 魔獣の動きを止め、振り返ったレアーツは思わず舌打ちをした。リアトがいない。いや、彼女だけでなく、ローレンもいない。彼に何が起きたのか、直ぐに見当が付いた。リアトがローレンを連れて《速気》を用いたのだ。

あの身体で、もはや限界に近いというのに。


「レアーツ様、リアトがいません!兄上も!」


 ルハラン=ノーランが分かりきっている事を叫んだ。何故かは分からないが、レアーツは頭が痛くなるのを感じた。あの二人だけで、パーンリア級の魔獣に勝てるだろうか。不可能、と彼は結論づけたが、その理由はたった一つ。あの魔獣を殺す為に必要な火力を妹が持っていないからだ。蛞蝓の魔獣アルレーンや不凝躰の魔獣スーマならば殺せるだろう。だが、あの神鋼並に硬い毛とその下の肉を斬る事は難しい。


「さっさと魔獣を倒して、あいつらを追うぞ。急がねばならん」


 レアーツが苦々しい口調で言った。続けて、ルハランが言う。


「パーンリアがリアトを追わなかったのは幸運でしたね。三匹を相手にするのは骨が折れますが、こんな化け物相手では、兄上とリアトではどうにもならんでしょうから」


 この言葉は、レアーツにしてみれば、ただの分かりきった話だったが、実際の所、ある種、ロンティエルの思惑に関しての重大な示唆でもあった。



Δ


 鬱蒼としげる樹木を幾つも越えていく。

 

 そこはつい今朝がたも通った道だったがまるで別物のように恐ろしくみえた。あのパーンリアと戦ったあとでは、なんてことのない森の木々でさえも己の命を握っているかのように感じられた。デルフォイは予想以上の力を有している。油断はできなかった。


 しばらくののち、ラツィオ=メインは再び、デルフォイの隠蔽結界陣に到達していた。その傍には上級傭兵レグルスの姿がある。また、その後ろには海刃流剣術士ガーリオン。彼らはわずか三人でデルフォイ家の門を開こうとしていた。ガーリオンは意外にもデルフォイへの恩義を持ってはいないようだった。この地の傭兵には珍しく、彼はボダット寄りの人間ではなかったのだ。


 とはいえラツィオには自身の正体を明かすつもりはない。故にレグルスが上手くパーンリアの情報を用いて、彼を味方に誘い込んだのである。


「ここだ」


 まだ時刻は十五時になっていないが故に、アランドはまだ会議に出席していないはずだった。彼が野放しになっている状態で屋敷に侵入するなど、普段のラツィオならば絶対にしない行為であったろう。慎重なラツィオ=メインはそんな無謀なことはしない。確かに無謀さは持っているのだが、勝算のない賭けはしない男なのだ。


 仮にアランドと戦うならば、自分もローレンも負ける。それを認識していながら、ラツィオが襲撃を掛けようとするのは何故か。奇妙なことにそれは激しい怒りだった。胸の奥から込み上げるロンティエルへの怒り。それだけが、ラツィオを動かしていた。


「大丈夫なのか」レグルスが問う。

「問題ない。パーンリアの礼くらいはさせてもらおう」


 そう言いながら、ラツィオが懐から取り出したのは銀の術式具。結界術式陣の力を弱める為にローレンから預かったものである。その、まるで万年筆のような銀棒を空間に突き刺す。銀の魔道具はぴしりぴしりと震えながら、空間を抉じ開けていく。まるでパーンリアが結界を破った時のように。ラツィオは同時に純化靈気で以て、隠蔽結界陣を切り裂いた。見えぬ物を切るように怒りに任せて力強く。


 ぱつん、と小気味よい音がして、空間が開けた。

 目の前には真っ白な道。

 これこそがデルフォイの邸宅へと続く小道だった。




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