表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
語る脳子と、綴るは我子  作者: 木ノ倉ラ
三節 熱部呪術
25/43

3-2 模倣胎環/パーンリア

Δ



 ラツィオ=メインに対して突き出される剣は魔鉄。脆く、その操者の技量もまた拙い。ラツィオの周囲には五人の剣術士がいた。何れも中級を取得したばかりであろう若人で、熟練の剣士であるラツィオにかかれば一打ちで崩せる若輩者。にも拘わらず、彼は多勢に無勢で追い詰められているように見えた。


 軟弱な地面に足を取られて、ラツィオが体勢を崩す。ここぞ、とばかりに剣術士達が、同時に剣を振り下ろす。だが、それは一対多の戦いでは紛う事なき悪手だ。ラツィオは五本を受け止めて、腹からそれを崩した。若者たちは彼に吸い込まれるように、足を踏み込んでしまう。それがラツィオの狙いだった。


「ぬっ」


 ラツィオが五人全員の剣を一所に集め、一挙に打ち上げた。靈気によって強化された鋼は彼らの剣を大きく宙に跳ね上げる。重く鈍い音と共に五本の剣が、泥の上に転がった。ラツィオ=メインの勝利だった。それを見て、レグルスが怠そうに言った。


「どうだ、こいつらは」

「技はともかく戦い方を知らない」


 集団で一人を嬲り殺す時には、数を恃んではいけない。あくまでも、一対一、あるいは一対二であるという意識を、脳の片隅に置いたままで闘わなければならないのだ。それを忘れて相手を囲めば、待っているのは破滅だ。上級の戦錬士ならば、多勢の相手を一挙に捌く手段を持っている。それくらいのこと、彼らにとっては朝飯前なのだ。レグルスが顔を顰めて、若者達に言う。


「って事だ。諦めて大都市にでも行くんだな」


 この若者たちは、ボダット各地の小都市で修業を重ねた者たちだ。彼らは傭兵、あるいは騎士となることを夢見て剣を振るう。そしてある日、唐突に気付くのである。自分の愚かさに。


 道場で剣を振るうだけの稽古では英雄にはなれない。肩書きだけの剣術士など、戦場では最も馬鹿にされる類の人種である。故に、須らく戦錬士は実戦という場で戦錬をするべきなのだ。


 まぁ、要するに彼らは腕試しがしたかったのだ。自分の剣が上級の魔獣連中に通用するかどうか。それを知りたくなるのは剣術士の性であるといえばそうであるが、そういう命知らずはどんな場所でも現れて、流星の様に命を散らす。彼らにも家族が居るだろうに、功名心に惑わされて、それを忘れてしまうのだ。ラツィオ=メインはそういう馬鹿を、戦場で何度も見てきた。


「レグルスさん納得出来ません! 魔獣と人間は違います!」

「一緒だ。あいつらは図体のでかい異形の人間だし、人間は図体のちっせぇ魔獣だ」


 青年たちは顔を真っ赤にして、レグルスに反抗したが、ラツィオ=メインに負けた彼らには、如何せん説得力がない。所詮、彼らは上級剣術士以下の能力しか持たないのだ。残念ながら、上級位魔獣を相手にしては生きては帰れないだろう。彼ら自身もそんなことは理解出来ている筈なのに、退こうとしない。見かねて、ラツィオ=メインも口を出した。


「上級位魔獣の上という文字はおふざけで付いてる訳じゃない。それにお前達、直に上級剣術士になるなどとほざいていたが、本当は中級になったばかりなんだろう?」


 若者たちは何も答えなかった。親しい間柄のレグルスにはまだ反抗出来たが、ラツィオには出来なかったのだ。圧倒的に格上である上級剣術士、それも自分を負かした相手に対して、子供じみた無謀な言葉をぶつける程、彼らは愚かではなかったらしい。


「パーンリアを仕留めたいんです」


 パーンリア、事の発端はその巨獣だった。象の魔獣バリルやグルエルリルと並ぶ魔獣の一体。酸を吐く異形の魔獣、七つ足のパーンリアである。


 この魔獣は普段、人里には殆ど近付かないのだが、どうやら、今朝はその趣向を変えたらしかった。近くの小都市アルデシアが、パーンリアに襲われたのだ。あの巨獣の前では、農村系小都市など木屑も同然だ。ここに連絡が来る前に街は滅んでしまったらしい。


 アルデシアはエビリシアと違って、傭兵の少ない街だ。あそこには職業宿屋が無い上に、通行手段が獣道しかない。故に、住んでいるのは純粋なボダット人だけだった。彼らは魔獣に対して何の手も打てずに、溶けていったに違いない。


 連絡を受けて、この街の傭兵連中は震えあがった。宿屋の一階がやけに騒がしかったので、部屋から降りてみれば、有象無象の傭兵たちが肩を寄せ合って、作戦会議をしていた。彼ら程度の腕では、パーンリアを仕留めるのは難しい。だから、仇を討つと息巻くものもいるにはいたが、殆どの傭兵は魔獣が去るまでを耐え忍ぼうとしていた。備蓄されている魔晶石を用いて、隠蔽結界術式を張れば、長ければ数時間はエビリシアを外界から隔離出来る。


 結界が上級魔獣にどれだけ有効かは分からなかったが、時間稼ぎは出来るだろう、と傭兵たちは踏んだのである。但し、そもそも術式を実行するまでの時間があれば、の話ではあるが。どうやら、パーンリアは相当近い距離にいるらしい。


 ラツィオが漸く、話の内容を理解した時、奥の席にレグルスが、やはり一人ぼっちで座っているのが見えた。彼は論争を詰まらなそうに淀んだ眼で見つめていたが、数人の若者が先遣隊に志願することを決めた瞬間に立ち上がって、言った。


「お前らじゃ無理だ。やめとけ」


 当然のように青年らは反論した。だから、レグルスは彼らに、ラツィオと手合せするように言ったのだ。宿屋の外、数多の戦錬士が見守る中での比武。その勝者は当然ながらラツィオ=メインであった。敗北し、肩を落とす若者たちにレグルスが言った。


「死者の国へ行けるのは生命を全うした奴だけだ。無謀な戦いで命を捨てた野郎には裁きの神ウルスリノーラの審判と罰神リゲトーメルクの与える苦痛が待っているのだから」


 旧き神話の神々を持ち出して、彼は青年らを慰めた。戦錬士だと言っても、彼らはボダット生まれの人間だ。神話で語りかけられれば、折れるしかなかった。愚かな戦士の霊魂を貪る神、リゲトーメルクの恐ろしさについては、ラツィオも聞き知っていた。勿論、エルトリアムで語られる其れは天獣教の物ではあったが。


 確か、リゲトーメルクは天獣ケインの二つ目の名だった。死した霊を死後も苛み続けるすりこぎ歯の天獣。その存在は憤怒のルンスメーテアと並んで恐れられる。遠巻きに見ていた傭兵の一人が、若者の肩を叩いた。彼は優しく笑いながら言った。


「落ち込むな。これはお前の経験になる」


 そこにレグルスがすかさず言う。


「まぁパーンリアは上級傭兵に任せな」


 レグルスの言葉を聞いて、傭兵たちは微妙な反応をした。その表情は当惑しているようにも、期待しているようにも見えた。彼らの内の一人が言った。


「レグルス殿、手を貸して頂けるのですか」


 だが、レグルスはしれっとした顔でそれを拒否した。首を軽く横に振り、明確に申し出を断る。どうやら彼に手助けをするつもりはないようだ。


「頼みてぇなら俺の雇主に。そこのあほ面の上級戦錬士にでも頼みやがれ」

「何故です? 貴方ならパーンリアでも止められるでしょうに」


 不思議そうに、かつ、困惑した様子で傭兵が再度尋ねる。彼は一瞬だけ、ラツィオの方を見たものの、苛立たしげな眼で睨みつけられて、その視線を逸らした。レグルスはそれを見てから、傭兵の問いに答える。


「買い被るな。俺に上級中位魔獣は倒せん」

「上級傭兵の貴方が何を」


 ラツィオは思う。なんとなく予想はしていたが、レグルスはやはり上級傭兵であった。この熱部ボダットで単独狩猟を行える腕前というのは嘘でないのだろう。


「俺達が手を組めば、パーンリアを倒せないなんてことあるとは思えないが」


 さらに別の男が言った。男は筋骨隆々、脚よりも長い長剣を背負っている。恐らく、海刃流の中級剣士であると思われた。男の後ろには幾人もの戦錬士が並んでいる。彼はこの辺りの傭兵を束ねる傭兵長なのだろう。遠目で見ていても、なかなかの存在位格だった。即ち、彼の傭兵としての位格は強固ということだ。あの男の存在には大方、『強大な』という刻示がされていることだろう。


「レグルス、あんた怖気づいてるのか」


 嘲笑うように海刃の男が言ったが、レグルスは黙したまま、何も言わなかった。見かねて、先程の傭兵が口を挟む。彼は傭兵連中の中でも、比較的、物腰が低かった。傭兵というのは粗暴な奴らだと思っていたので、ラツィオ=メインは少しだけ不思議に思った。


「あんたの力が欲しい」


 懇願。されど、レグルスは素気無く断った。ほんの少しだけ、悪びれる様な陰があった。


「悪いな」


 それだけ言い残すと、レグルスは僅かな荷物を引っ掴んで宿から出る。数人の傭兵が彼を追いかけようとしたが、傭兵長がそれを止めた。彼は無言で頭を振ると、ラツィオ=メインに声を掛ける。ラツィオはそれを予想していた。レグルスが駄目なら、次は上級剣士。これは普通の発想だろう。


 だが、海刃の男の口から出たのは、予期せぬ台詞だった。


「レグルスを頼んだぞ」


 その発言の真意は分からなかったが、ラツィオは頷いた。ローレンからの連絡はまだ来ていない。あと暫くは、この村で機会を伺うつもりだった。ラツィオが思うに、襲撃する絶好の時間は十五時である。皇都エルトリアムで皇貴会議が始まる丁度その時に、アランド=デルフォイの警戒は最低限にまで下がる筈だった。


 ローレンはアランドを過剰とも言えるほど警戒していた。勿論、彼自身はその反応を過剰とは思っていない。乾湿戦争で見たアランドの姿。その凍てつくように機械的な目。ローレンや剣王の冷たい瞳とは異なる、謂わば、異質な冷やかさがそこにはあった。皇王ラハリオにも似た独特の気。それが、王者の素質というのなら、アランドは間違いなく王であった。


 まぁとにかく、レグルスの様子を伺う程度の時間はある。ラツィオが宿を出て言った男を追おうとした時、目の前の男が言いにくそうに言った。


「パーンリアだが、お前さんの手も借りられんかね」


 暫く考えてから、ローレンは首を横に振った。協力したい気持ちがなかった訳ではない。仮にも七日間世話になった村だ。愛着はある。だが、そこまでの時間があるとは思えなかった。自分のする事を見失うつもりはない。ラツィオはあくまでも、ローレンの傍付きだった。



Δ



 宿を出てしばらく歩くと、淀んだ淵がある。この沼はかつて、毒持ちの魔獣を捨てる場所だったらしい。魔獣の持つ毒は土壌まで魔術汚染する。故に、深く重たい底なし沼に封じてしまうのだ。


 いつものようにレグルスはそこに居た。彼は酒を飲んだ後は、何故かここに居るのだ。ラツィオが見れば、レグルスは沼に顔を突っ込んでいた。ごぼ、ごぼと苦しそうな声が聞こえる。レグルスは胃の内容物を、全て吐き出していた。


「大丈夫か」


 近づいて声を掛けると、レグルスはびくりと反応した。だから、直ぐに顔を上げるのかと思ったのだが、彼はどういう訳か、なかなか沼から顔を出そうとしない。ラツィオは痺れを切らして、彼の隣に座る。


「あんた、何を抱えているんだ」


 ラツィオが言うも、レグルスは何も答えない。この男の気持ちがよく分からなかった。本当に、分からないことばかりだ、と思った。


 傭兵というのは、組合に属する流れ者の兵士である。彼らは基本的に一つの国に拠点を定めて、そこを中心に様々な、荒い仕事を行うらしい。例えば、魔獣の討伐、盗賊殺し、護衛、遺跡の探索。雇い主の意向に従って、傭兵は何でもする。


 勿論、良い事ばかりをするとは限らない。雇い主によっては、盗賊紛いの事をさせられるそうだし、遺跡の探索は、しばしば盗掘になってしまう。魔獣や動植物の乱獲も、一時期は社会問題になっていた。それで存在を弱めて国法で禁止された事例もあるらしい。大方の国では、法律はその認識理解をそのまま流用する。それが角の立たない倫理の定め方であるからだ。


 そういう訳で、今の傭兵組合は非常に厳格な組織である。故に、組織の存在位格の強度を弱める者はすぐに排除される。例えば、レグルスのように。そうして、排除された者は卑賤兵や盗賊となる。つまり、狩る側から狩られる側への転身だ。毎年、多くの盗賊が死者の国に帰ると言うのに、その次の年には、雨後の筍の如く、彼らは復活する。


 そういう意味ではレグルスは特殊な傭兵だった。元々、傭兵など安定した職業ではない。引退した後、街中で野たれ死ぬ老兵など珍しくもなかった。そこらの乞食の素性を調べてみれば、昔は大戦争にも参加していた名うての傭兵だった、などという話もある。


 暫くして、レグルスがずぶりと沼から顔を上げた。顔は粘り気のある灰色の泥で覆われている。率直に言って酷い顔である、とラツィオは思った。レグルスは荷物から革袋を出して、それをひっくり返した。中にはよく冷えた真水が入っていた。レグルスは水で、顔を洗いながら言った。


「それはお前も同じだろ」

「何の事だ、レグルス」


 あまりにも間があいた返答だったので、ラツィオは一瞬意味が分からなかった。だが、瞬時に思い出す。パーンリアの件だろう。レグルスは、ラツィオが討伐に加わらないことを責めているのだ。ラツィオが答えずにいると、レグルスは驚くような事を言い出した。


「恍けるんじゃねぇ。このボダットに何を調べに来たのかは知らねぇが、あんたの正体は宮廷剣術士のラツィオ=メインだ。その剣術を見れば流石に見当がつく。大方、デルフォイ家の偵察にでも来たのだろうと思っていたが。まぁ、今朝の反応で確信したぜ」


 ラツィオは思わず、レグルスの泥のついた顔を見つめる。酔いが覚めたのだろうか、濁りのない目がラツィオを貫く。この男、本当はこんな美しい目をしていたのか。それはまるで、純粋無垢な少年のような瞳。何かを底なしに信じている、信仰者の目だった。


 レグルスは見られていることを意にも介さず、言う。その一言はラツィオの現状を言い当てていた。


「当主アランドの居ないうちに事を起こす心算だな」


 別にレグルスに知られたからと言って、困ることはない。されど、ラツィオは顔を背けた。自分が何故に顔を背けたのか、ラツィオには分からなかった。


「ラツィオ=メイン、俺と手を組め」


 レグルスは、ラツィオがその真意を読めぬまま、次の言葉を発したが、手を組む利点があるとは思えなかった。強いて言うならば、彼の口止め程度の意味だろうか。


「お前の存在で考えが変わった。俺はパーンリアを仕留める。お前にはその手伝いをして欲しい」


 手伝い。手を組むとはそういう意味か。であれば、ラツィオがそれを呑む訳にはいかなかった。パーンリアの事は確かに気になるが、デルフォイは捨て置けない。何よりもボダットの森中で暴れれば、間違いなく見つかる。デルフォイに自分の存在を知らせるような真似は出来なかった。


 ラツィオが出来ない、と言おうとするが、レグルスは言葉が口から出る前に、新たな一手を打った。


「パーンリアはデルフォイの獣。無関係ではない」

「何を言っている?」


 ラツィオが言った。男の言葉はほんの少しだけ剣術士の心を揺らした。この傭兵はあの家の連中に関して何かを知っている。それはとても重要なことであるのだ、とラツィオは思った。レグルスは淀みなく、話を続ける。


「古の呪術師、ラベストリの使い魔の一体。その口腔から吐かれる酸はあらゆる鋼を溶かし、その体毛は黒神鋼に匹敵する強度を持つ。そして胴体下部には六つの柔体の脚があり、上部には巨大な一つの手を生やしている。こいつはロンティエルが復元した模造の人形魔獣だ。彼女はボダットで度々実験を繰り返している。自分の造った魔獣で遊んでいるのだろう。傭兵連中は知りもしないが、俺はそれを知っているのさ」


 率直に言って、ラツィオには突拍子もない話に思われた。では、まさかパーンリアは自分を殺す為にこの地域に送られたのか。いやいや、ラツィオはレグルスの話を鵜呑みにするつもりはなかった。


「信じる要素がない」


「あれはあんたを狙ってる。最初はあんたがこの村を去れば狙われないかとも思ったが、保証のない話、賭けに過ぎない。それなら、俺とあんたでパーンリアを殺した方が良いと思ったのさ。明確にデルフォイ家に敵対するのは避けたい処ではあるがな」


 つまり、彼がパーンリアの討伐を拒んだのは、デルフォイを恐れたからなのか。だが、ラツィオは何故か、それだけが理由ではない気がした。彼はまだ何かを隠している。彼自身に関わる何か。それがひょっとすると、彼が組合から排除された理由なのか。ラツィオには、それを聞くつもりは無かったが。


 今、知りたいのは彼自身の事ではなく、デルフォイとパーンリア、そしてレグルスを繋ぐ糸。その連関的な関係性の、見えない全体像であった。ラツィオが問う。


「何故、それを知っていると聞いているんだ」

「敵討ちだ」


 レグルスは無理やり作ったような笑みを浮かべて、言った。その言葉は意味不明だったが、ラツィオには重大な告白に聞こえた。少なくとも、レグルスはその意味を込めて発していた。故に、呪界を通して、ラツィオは彼の気持ちを知る。激しい憎しみと怒り。爆発的な苦しみと恨み。


 レグルスが、その女に向けている怒りは半端なものではない。すぐにその気配は消えたものの、一瞬、ラツィオは恐怖した。この男は、魔女なる女を殺す為にここに存在するのだ。そして、レグルスは言った。


「ロンティエルは俺の父を殺した」と。



Δ



 汎用術式板が転言を知らせて、ラツィオ=メインはそれを繋ぐ。紡がれる声は主君であるローレン=ノーランのもので、彼の僅かに疲れたような声が、ラツィオを少し焦らせた。


「ラツィオ、困った事になった」

「俺だってそうさ」


 ラツィオが言う事には、彼の居る皇都では『捨剣』のリアトの弟子が攫われ、その問題が予想以上の広がりを見せているらしい。何でも第三皇太子ルハランの敵意を躱したはいいが、口頭誓約を結ばされることになってしまったのだという。


 全く、何をしているんだ、と言いたくなったが、ラツィオはローレンに文句を言える身ではないことを思い出した。自分はレグルスに目的の一部を知られてしまったのだ。その上、真実かも分からないパーンリアの話を信じて、それを討伐するという約束を彼との間に結んだ。


 傍から見れば、馬鹿だろう。今の自分がすべきことは到底、それではないと言うのに。


「パーンリア、という魔獣を知っているか」

「聞いた事はある。熱部ボダットに生息する新しい魔獣だろう。近年の魔獣病の流行に合わせて出現した胎毛獣系の上級魔獣だったと思うが、それがどうしたのだい」


 ラツィオはレグルスから聞いた話をローレンに話す。ロンティエルに纏わる、その話が進むに連れて、ローレンは次第に言葉少なになっていった。怒りや困惑というよりも、それは好奇心であるようだ。彼は間違いなく、パーンリアとロンティエルに惹かれていた。


「ロンティエルか、面白いが、生かしてはおけん」

「十五時に襲撃を行うつもりだ。その時に殺しても良いか」


 ラツィオは言った。友人が興味を抱いている対象を殺すのは忍びないが、この女が生きている事はあまり良い事では無いように思われた。


 ところで、ラツィオはこの時、素朴な疑問を抱いた。術式士であるローレンは、ロンティエルを知らなかったのか。恐らくは、有数の術式士であろう、その女性を。結論から言えば、ローレンは彼女自身を殆ど知らなかった。それは、ラベストリという魔術師の性質に起因するのだが、ラツィオ=メインはそんな事は知らなかった。


「構わない」


 ローレンが答え、さらに話を続ける。彼は何らかの構想を頭の中に抱いているように思われた。ラツィオは注意深く、彼の話に耳を傾ける。


「それとこちらの件だが、琥珀の少女を見かけたら連絡してくれ」

「イルファン」


 その名前に心当たりは無かったが、何故か重要である気がした。イルファン。琥珀の髪を持つ剣士の少女。彼女はどうして、暗殺士の『骸』に攫われたのだろうか。ラツィオには、やはり見当もつかなかった。ローレンが言った。


「デルフォイ絡みの可能性も排除しきれないからな」


 つまり、剣王レアーツを邪魔立てしようとする謀略か。可能性は薄いだろうが、ラツィオは頭の片隅にそれを留めることにした。ひょっとすると、そういう事がないとは言えない。それに実際のところ、ラツィオはローレンの言葉には、必ず何らかの確証めいたものがあると思っていた。つまり、十界法則的なものか、あるいはそれ以外の。


 事実、それはあった。


 切り札。そう、ローレンにはそれがある。ラツィオも知らなかった事実。この国で最大級の犯罪行為。それは即ち、ローレン=ノーランは『脳子』への侵入を度々、行なっているということだ。


 『脳子』エルミスタットはこの国の全てを知る。あらゆる転言術式は彼を通して、検閲発信されるが故に、仮に脳子を思いのままに操ることが出来れば、皇族貴族から市民、商人、軍属までの全情報が手に入る。故に、ローレンはデルフォイの情報を知っている。同じ高位術式士であるロンティエルは巧みに隠れていたらしいが、それ以外の、例えば彼らと他国との繋がりは筒抜けだった。


 しかし、それを法廷で証拠として用いる訳にはいかない。ローレンが情報源を明かすことはローレンの失脚を意味する。『脳子』への不正侵入行為は、死罪なのだ。皇族といえど、何らかの罪に問われるだろう。だから、ローレンはそれ以外の手段を使わねばならない。デルフォイを貶める為には、別の駒が必要だった。


 それが、ラツィオによる強硬手段である。つまり、皇王に邪魔されて出来なかった本邸の捜索。証拠があると分かっているならば、恐れる事はない。神がかりで見つけ出したのだとでも言えば良い。この国の都主はローレンだ。仮に四名家の一つを攻撃しても、それが正なる行為ならば罪は消せる。


「情報を送っておいてくれ」ラツィオが言う。

「任せろ」ローレンが答えた。

「なるべく殺さない様に事を行うよ」

「頼んだぞ。お前だけが私の切れる札だからな」


 ローレンがラツィオにそう言った処で、転言は切れた。呪界が不安定になっている影響であろう。これ程に空間に干渉出来る生命体はそうそういない。パーンリアが村に近づいているのだ。であるならば、猶予はあまりない。十五時までに討伐出来るかは怪しいところだった。


 ラツィオは術式を懐に入れてから、部屋に掛けた隠蔽術式陣を解除する。ローレンに託された諸々の術式具も袋に入れる。それから、鋼を鋳造した胸鎧を嵌めた。魔獣と戦う準備は万全だった。


 ラツィオの愛用する剣は皇神鋼で出来ている。これは、またの名をヒャイル鋼とも言う神鋼だった。この薄紫の鋼はリハントラウスに匹敵する硬度を誇る。仮令、黒神鋼の毛を持つパーンリアとて斬れるだろう。



 階下では既に、レグルスが待っていた。彼は背に二本と、腰に三本、合計五本の剣を持っていた。なかなか変わった戦闘術を使うのだな、と思ったが、傭兵というのは、複数本の剣を使うことが多いと聞く。本当のところ、これは別段、奇異なものではないのかもしれない。


「もうすぐ十二時だ」


 レグルスが言った。同時に宿屋の転言術式板から『流言』が流れ出す。皇王ラハリオの自信に溢れた声が聞こえた。何処か、その声はローレンに似ていたので、ラツィオは少しだけ、口の端を歪めてしまった。


「ラツィオ、準備は出来たか」

「あぁ」

 

 レグルスの言葉にラツィオは答える。

 

 パーンリア。


 話にだけは聞いた事がある上級中位魔獣。毎年、多くの国属兵を屠る七つ脚の魔獣。だが、その正体はロンティエルの造りし使い魔だという。即ち、魔獣の力は未知数と言っても良い。気を抜けば、死ぬことも有り得るだろう。そんなことを思いながら、ラツィオは宿屋から出た。


 男の様子は極めて普段通りであり、なんら、気負っている様子は無かった。飛び乗る馬は愛馬。泥濘も走れるように特殊な蹄鉄を付けている。ラツィオは馬の腹を蹴った。彼の後ろを、レグルスと数人の傭兵が付いていく。泥を撥ね飛ばしながら進む馬。凄まじい喧騒が、一瞬だけ村を通り過ぎた。



 さぁ、

 それを眺めるは、やはり赤目の兎。かの物には小さな角が生えており、その呪体の奥底からは女の眼が覗いていた。彼女の名はロンティエル。グレオン=ラベストリの技術を受け継ぎし、古の呪術師である。


 そうして、ラツィオ=メインはパーンリアと出会う事になる。それは丁度、イルファンが眠った頃だった。



Δ


 深い森の奥。

 あらゆるものを飲み込む闇の果て。

 光も届かない生命の囁き。

 ざわめきの中から気配がした。


 最初に、その異様な気に気付いたのはレグルスだった。彼はぱっと手綱を手前に引き、自身の馬を止めた。ラツィオも、他の傭兵連中も彼に倣って右手を引く。その中には傭兵長、海刃流の男の姿もあった。


 ここはエビリシア・ボダットから半馬騎。即ち、並足で半刻程度の距離である。深い樹海の奥を探るように見つめて、ラツィオは言った。


「何か、来るな」


 樹海の奥で、呪界を揺らすざわめきを彼は感じた。背中の皮膚が引き攣るような、奇妙な違和感。それは、最初は気配、次には臭いとして現れた。


 腐臭。屍体の積まれた焼場のような臭い。ラツィオはこれを戦場で何度も嗅いだことがあった。魔獣病患者の血を塗りつけた矢に射殺された者、彼らを禁忌である純火葬に処した時だ。病に罹患した者の屍体は∫聖炎では燃えない。彼らの肉を変質させる病の霊は魔力を食うからだ。連中は聖なる魔力をも喰らって、力に変える。


 ラツィオが何人の戦友を純火葬した事か。肉の焦げる臭いと魔獣独特の腐臭が混じり合った其れは強烈だ。森の木々を揺らして、半透明の呪体が見えた。その実界の躰は未だ晒されていないが、振動から大きさは推察出来る。巨体。それも象の魔獣バリルに匹敵する程の大きさだ。推測だが、恐らく、六馬躰以上はあるのではないだろうか。


「レグルス、奴に有効な攻撃は靈気で良いんだな」


 ラツィオの言葉に、レグルスは頷いた。その真剣な眼差しは朝の酔っぱらいと同じ物とは思えない。


「人造の人形だとしても、その模倣元が魔獣パーンリアである以上、靈気は有効だ」


 であれば、ラツィオがすべきことは剣に靈気を纏わせることだ。彼は前方を見据えたまま、馬上で素早く愛剣を抜いた。奇妙なことに、その剣の形状は通常のバルニュスのものではない。バルニュスよりも拳一つ分長く、その分、少し薄い剣。其れはどちらかと言うと、海刃流の扱う長剣に似ていた。


 剣を構成する鋼は、皇神鋼ヒャイル。ノーラン皇国でも最上位の者しか持つことが許されない鋼。薄紫の剣身はラツィオの靈気に反応して、微かに輝く。この魔化金属は、玉魔鋼をさらに神化したものであり、硬度と柔軟性、そして、透靈気性を適度に併せ持っている。将に、どんな使い手にも合わせられる万能の鋼と言えた。


 そして、剣鋼のそのような性質はラツィオに適している。この皇神鋼は万能の剣術士、彼の為にあるような鋼だったのだ。


 森を揺るがす地鳴りと界鳴りが激しさを増すに連れて、集まった傭兵達の間にも僅かな動揺が広がり始めていた。呪界に於いては視えている呪体が、実界では一向に見えないからだ。その薄ぼんやりとした呪体は、まるで巨大な蛞蝓、強いて言うならば、上級中位魔獣アルレーンに酷似している。


 異なるのは、魔獣の上部から天に伸びる一本の巨腕。十二本の指を備えた、人間の腕のような其れは、まるで手招きするようにざわざわと蠢いていた。これは呪体。即ち、魔獣の霊魂の具象化された物である。故にそれと接触することが実界での死を意味するとは限らない。実際、存在する多くの魔獣の呪体は、実界に於いては無害だった。霊魂が極端に弱っている者でない限りは、肉体に大きな影響はない。


 だと言うのに、レグルスは馬から飛び降りて叫んだ。


「十馬長は距離を取れ!!パーンリアの呪体は実体の生をも傷つける!」


 ラツィオは一瞬、困惑するも、指示通りに馬を引いた。彼はあの魔獣に関して、多くの情報を握っている。彼の指示は、恐らく的確であるのだろうと思ったのである。それは適切な判断だった。


 馬を引いた直後、パーンリアの第七腕が呪界に於いて伸びた。その伸身速度は異様に速く、避けがたいものだった。馬を完全に止めていた幾人かの傭兵はそれに対処出来ない。彼らは咄嗟の判断で、馬から飛び降りる。


 同時に、パーンリアの呪腕が、残された馬の頭部を撫でた。腕が触れた一瞬は、何も起こらないように見えたが、乗り手であった傭兵が馬を下げようと、手綱を引いた時、鋼となめし革で作られた丈夫な轡がぽろり、と草上に落ちた。見れば、馬の頭部、その鼻面が黒く腐り落ちている。まるでその部分だけを長い間、酸に漬けていたかのように。


 傭兵も、ラツィオも戦慄した。あれは霊魂を触れ殺す呪腕なのだ。精霊や屍霊系の魔獣でもない限り、呪体はここまでの力を持ち得ない。通常、呪体とは魔獣の身体的特徴の誇張面に過ぎないのである。それが、触れただけで他者の呪体を侵し、実体まで溶かすとは。これは間違いなく、忌み嫌われる呪術、霊魂奪いの業の一種であった。


 霊魂を奪われた肉体が、その身体の統一性を保つことが出来ず、肉で構成された有機物の塊と化してしまう、それである。


「霊魂奪いなのか、こいつは」


 傭兵の誰かが言った。

 レグルスが答える。


「呪面に於ける存在情報の上書き、霊魂浸食と言った方が実態に近い。生という情報を腐食という情報で塗り潰すことで実体を破壊する高等呪術の一つだ。死ぬ気で避けろ」


 その言葉が終わると同時に、呪腕がさらにもう一伸びした。前衛を務めようとしていた傭兵一人の頭部が腕状の空体に飲み込まれる。無論、男の頭部は瞬時に溶解した。肌色の皮膚は瞬く間に黒ずんだ汚泥と化し、被っていた鉄の兜がぐらりと傾ぐ。


 腐り溶けたと思わしき脳みそが、眼窩や鼻孔から零れ落ち、男の、まだ辛うじて直立している足の先に滴り落ちた。その異様な死に様を見て、数人の傭兵が恐慌を来たす。彼らとて、パーンリアがどのような魔獣であるかは聞いていた。


 そう、この魔獣はボダットでは語り草になっている。街を守る国属兵を狙い澄ましたかのように溶解させる怪物。あるいは、口から強酸を吐くとも言われる胎毛獣。だが、まさかその酸が実体ではないとは。それは流石の傭兵達も想定はしていなかった。


 実体の酸であれば、小盾や鎧で防ぐことも出来るが、高度な呪体攻撃となると先ず防げない。触れられただけで死ぬ。その恐怖が傭兵達の心を縛っていた。ラツィオが不利を悟って叫んだ。


「退却だ、都市まで戻ろう」


 が、傭兵連中は逃げようとはしない。彼らはエビリシアの防御結界の薄弱さを知っていた。旧式、それも簡易的な術式陣ではこの魔獣は止められない。今朝のアルデシアのように、滅んでしまうだろう。


 どうして、この魔獣が突然暴れはじめたのか、傭兵たちはその理由までは知らなかったが、次に狙われるのがエビリシアであると言う事は分かっていた。傭兵の中でも魔法を使える者達が、詠唱して∫水放を撃つ。呪腕は軽々とその魔法を消滅させたが、その間に傭兵たちは体勢を整えた。彼らは馬を引くと、パーンリアを『魔獣の狩場』へと誘導するべく、遠距離法撃で魔獣に軽い魔法を浴びせつつ、森の小道を走った。


 ラツィオも置いて行かれない様に、彼らの後を走る。


 傭兵連中は森の開けた場所へ、移動し、そこに陣を張った。ここが『魔獣の狩場』。上級魔獣を狩る為の場所らしい。仕方なく、ラツィオは馬を降りて、陣の最後列に下がる。後ろから眺めてみれば、確かにここは砦のようにも見えた。


 非常に広い窪地であるこの場所は、三方を崖状の岩に囲まれている。鬱蒼と茂った深緑の木々も、この岩場には生えておらず、戦闘の邪魔になる物は、ぬるぬるとした苔くらいのものであった。


 傭兵らは手近な場所にある木板で簡易の要塞を築いていく。幸いにも、パーンリアとの距離は今しばらくあるようだった。手慣れた仕草で木切れを積み上げる傭兵の姿を見ていると、一人の男、海刃流の傭兵長がラツィオに近づいて来た。


「迎え撃つつもりなのか」


 男は言った。近くで見てみれば、思ったよりもその歳は若い。顎を覆う髭で隠されてはいたが、彼はまだ青年だった。見た所、二十三か四であるように見える。


「ここらの小都市で一番手練れの傭兵が集まっているのが、エビリシアだ。俺達が逃げたら、ボダット小都市群は壊滅してしまうだろうよ。パーンリア相手ではな」


 彼は落ち着いていた。目の前で仲間の一人が死んだと言うのに。いや、それこそが長の資質なのだろう。ラツィオはローレンの事を思い出していた。彼は仲間の死に、人一倍敏感な男だった。それ故に、彼は自身の魔法能力を失い、仲間を失った。やはり、彼は長には向いていなかったのだろう。


 この傭兵長の若者のようには強くはないのだ。人には役割があると、ラツィオは常々思う。ローレンは、夢と野心に溢れていた。されど、国を治める器には欠けていたのかもしれない。そんな事は、本人の目の前では到底、言えないが。ラツィオは目の前の青年に尋ねる。


「何か策はないのか」

「パーンリアは何度も目撃されちゃいるが、基本的に傭兵の前には姿を見せなかったからな。属性魔獣なら対抗属があるだろう。取り敢えずはそれを探らなければならん。だがまぁな、俺が下手な事を考えるよりも、そこの傭兵崩れに話を聞いた方が良いだろうよ」


 そう言って、彼が見たのは、やはりレグルスだった。レグルスは思案気に開けた一方向を望んでいる。その表情は苦悩に満ちていたが、視線を感じて直ぐにこちらを向いた。先ず、レグルスは絞り出すような声で、青年に謝罪した。


「ガー、悪かったな。俺が事前に呪のことを言っていれば」

「過ぎた事だ。レグルス、お前が秘密主義者なのはよく知っている。だから、ここからは必要な情報は隠すなよ。さぁ教えてくれ。パーンリアとは、一体何なのだ?」


 鼻を鳴らして、ガーリオン、つまり傭兵長の青年が言った。名前からしても、やはり彼は大陸熱部の出身であるらしい。レグルスは顔を顰めて、話を続けた。


「パーンリアと言うのは七本脚の巨獣。ボダットでよく知られているように酸を吐く上級中位魔獣だ。だがその酸と言うのは見かけ上だけではなく、呪界上でも酸の性質を持つ。奴がそれだけの呪力を持つのは、あれが呪術士ラベストリによる人造魔獣だからだ」


「人造魔獣?」


 聞き返したガーリオンと同じ疑問をラツィオも抱えていた。実の所、彼が『人形魔獣』や『人造魔獣』という言葉を聞くのは初めてだった。合成された魔獣であるキマイラや融合魔獣に似た語感ではあるのだが。レグルスは重々しく語る。


「ラベストリの後継者が古くに滅んだ魔獣を模倣再生させたのだ。脳子が術式兵器を復元開発したようにな。だから、あれは乾湿戦争中に現れた、若い魔獣と言われている筈だ」


 ラベストリの後継者がロンティエルを指しているのだろう、ということは、ラツィオ=メインにも分かった。だが、レグルスが女の名前を出さぬ理由は分からない。彼はロンティエルという女を表に出したくないようだった。


「模倣再生とは何なのだ」


 ラツィオが問うた。


「仮初の不死。存在の認識面、それを構成する情報を実体的に揃える事で呪術士は滅んだ存在の再現を可能とする。パーンリアも同様に、揃えられた実体を核として再生させられた魔獣風の、再現された情報体に過ぎない。つまり、模倣された空想という訳だ」


 レグルスは淀みなく答えたが、正直な所、ラツィオにはよく分からなかった。ローレンならば、非常に面白がって聞きそうな話ではあったが。呪術士と術式士は基本的に相いれないが、ローレンはそういう類の物も好きだった。あの男は魔術に関わることならば、それに関しては暴食だったから。


「空想ならばこちらの空想次第で勝てるのか?」


 ガーリオンが獣のような笑みを覗かせて言う。こうして見ると、とても若者とは思えない雰囲気があった。当然それが、彼が傭兵長たる所以なのではあろうが。


 ところで、ガーリオンの質問は尤もな疑問だった。このノーラン皇国という場所では認識の力は非常に大きい。極めて物質主義的なクレリア魔法王国と異なり、ノーランの『文化膜』の下では認識は現実と重なり合う。起源としては剣術士に端を発する『文化性質』であるが、時に国々を渡り歩く傭兵にとっては、影響の大きい物だ。


 ある国では通用した剣技が、他国では通用しないということもある。認識で他者を斬る一行流の奥義『無絶』などはその筆頭であろう。ともかく、ノーランでは認識が実体にまで反映される。


 故にパーンリアの呪腕攻撃とて、理論的には対滅出来る筈だった。あの腕の呪が『腐食の情報を上書きすること』だというならば、自身が『腐食していないこと』を強く認識し続けていれば良い。そうすれば、自己の、自覚的な存在知覚の確実性に於いて、自身以上の存在はいないが故に、上書きに負けることはない筈である。


 だが、レグルスの答えは消極的なものだった。


「あの呪腕は術士の媒体に過ぎない。お前でも高位呪術士の存在欺認には対抗出来ないだろう。その意味であれは上書き作用と言うよりも存在干渉と言った方が良いかもしれん」


「だったら、術士を殺しちまえば良いんじゃねぇのか。組合があれを上級中位魔獣に位置づけた理由は分からんが、あれに操獣者がいるなら、そいつを殺した方が早いだろ」


 ガーリオンが言った。だが、レグルスは首を横に振る。訝しげに、青年が眉を顰めた。


「術士を殺す選択肢はとれない」


 それ以上は言えない、という風にレグルスは指を自身の唇に当てた。正直なところ、ラツィオとしても黙っていてくれる方が有難かった。仮に、レグルスがロンティエルの話を持ち出した場合、芋づる式にラツィオの正体も明かされてしまう可能性があったからだ。


 もしも、流れがそのように傾いたら、ラツィオは遠慮なく場を離れるつもりである。パーンリアの討伐はともかく、傭兵集団まで敵に回すつもりはない。彼らの中には少なからず、デルフォイに恩義を持つ者もいるだろうからだ。


「なら、どうしろってんだ」


「呪腕を切り落とすか、肉躰の模倣再生を打ち破るしかない。具体的には心臓部及び脳部の破壊を行うことになるな。呪腕は『純化靈気』で切断可能だと聞いたことがある」


 純化とは、顕現する靈気をどのように認識するか、という問題である。つまり、通常は第四界から引き出されると考えられる超常の力、其れは、其れを確定させしめる、無数の存在記述に因って与えられている。


 だが、もっと純粋に『文化膜を超えて』、力そのもの自体を認識すれば、それはノーラン皇国や呪術者の認識に捉われない超越的な力を持つ。それが『純化』である。勿論、この技術には幾つかの弱点もままあるのだが、呪体に対しては殆ど確定的な影響を与えることが出来た。


「ともかく、あまり猶予はないらしいな」


 ガーリオンがそう言うと同時に、森の深奥で数本の木々が倒れた。その振動を感じて、傭兵たちが作業の手を止める。彼らは恐る恐る剣を抜いて、狩場の前方に近づいた。途端、隠れていた呪腕が地面から突き出した。ぬかるんだボダットの土でさえもが、瞬時に腐りゆく。腕はその暴虐な死を振るおうとして、


 されど、砦の目前で動きを止めた。この場所に張られている結界術式陣の所為である。半透明の腕が舐めるように陣の表面を這い回る。それは実界においては空気のゆらめきにしか見えないが、放たれる圧力と相まって、強大な存在感を放っていた。


 傭兵らも息を呑んで、その様子を見つめる。と、呪腕はふと動きを止めて、結界の一点を『凝視』した。その動きはまさに凝視としか言いようがなかった。じっと結界の手前で何かを待つように止まる腕。その十二本の指は切なそうに空間を掻いている。


 みちり。


 結界に、極僅かなたわみが生じた。薄まった魔力の壁に波紋のようなざわめきが奔る。途端、呪腕はその手の形を棘のように変化させた。瞬間的に力が結界に注ぎ込まれ、陣は容易く貫通させられる。呪腕が小さな穴から、中を覗くようにして現れる。それはまるで、人間を品定めしているようですらあった。


 ラツィオはすぐさま、剣を構えると、呪腕に斬りかかる。腕は未だ、結界に穴を開けただけ。その行動範囲は大きく制限されている。斬るならば、今がその時だと思ったのである。だが、ラツィオの鋭剣が腕を斬裂く刹那、呪体はその姿を消した。


 臭いもない。気配もない。敵の姿は完全にこの辺りから消えていた。残されたのは、小さな結界の穴だけ。


 穴。


 ラツィオがそれに気付いたのは、彼が上級剣術士だからである。彼は若い頃に、イムファの森の奥で上級魔獣と戦ったことがあった。故に、パーンリアの思惑が読めたのである。


「レグルス、異層反転移動術だ!上から来るぞ!」


 そう叫ぶと同時に、砦上空の空間が歪む。既に結界には穴が開いており、ここは密閉空間ではない。つまり、呪体の侵入を防ぐ手立てはないのだった。歪みから奇妙に縮尺を誤魔化された巨体が現れる。大きさが常に歪んでいて、その正確な体高を推察出来ない。だが、それでも、ラツィオには魔獣の巨大さが分かった。圧倒的な存在の重みが呪界を通して、流れ込んだ為だ。


 呪化されていた肉躰が徐々にその実体っぽさを露わにしていく。薄まっていた体表は、濃い黒色に。それをびっしりと覆う黒色の鋼毛は鋭く、六本の実体の脚はぶよぶよとしていて、何れの脚にも十二本の指があり、それぞれが呼吸しているかのように脈打っていた。


 悍ましい、その魔獣の眼は赤色。厚い毛に隠されている、粘着質な気質を匂わせる目。背筋の逆立つような悪寒がラツィオの全身を走った。傭兵連中も気圧されて、ほんの少しも動けない。その、一瞬を魔獣は見逃さなかった。落下しながらも背の第七腕は振るわれ、四人の傭兵の体が丸ごと飲み込まれる。


 彼らは死んだ。そう思いつつ、ラツィオは走る。背後で魔獣の着地音。

凄まじい衝撃が泥を跳ねあげ、粗雑な木板の砦を破壊する。到底、回避できるような代物ではなさそうだった。ラツィオは素早く振り返って、覚悟を決める。この魔獣を殺さなければ、デルフォイどころではない。いや、あるいはこいつが彼らの刺客だとすると、パーンリアを倒さずにデルフォイには至れないのか。


 ラツィオは剣を振るって、魔獣の体毛に斬りつけた。強大な魔力と靈力の込められた破砕剣。それは真交流の秘技剣術である。


 黒神鋼を思わせる硬質の黒毛が数百本、宙を舞う。手首を返してもう一撃。今度は躰を狙う。奥深くまで突き刺さるようにラツィオは靈気を尖らせる。それが形作るのは長大な靈気の槍。奥義でいうところの《貫》である。が、ラツィオがそれを突き刺そうとした時、呪腕がぐにゃりと伸びて、彼を襲った。


 勢いよく吹き飛ばされるラツィオは闘鎧を必死で固める。闘気によって作られるこれならば、死にはしない筈。事実、呪腕で触れられたというのにも拘わらず、ラツィオ=メインの体には傷一つ無かった。


 彼が少し離れたところまで飛ばされたのを見て、他の傭兵たちが果敢にパーンリアに向かっていく。その中にはレグルスの姿もあった。


「闘鎧でならば、防げるのか……?」


 呟いたラツィオの傍に走り寄るは、ガーリオン。余裕の無さげなその表情は苦悶に溢れていた。無理もない。これで五人の傭兵が死んだのだ。それでも、ガーリオンは平静さを取り繕って、言う。


「あんた、先程の槍をもう一度構成出来るか」


 奥義《貫》のことだろう。ガーリオンにも見えていたらしい。ラツィオは二つ返事で答える。体を起こせば、レグルスがパーンリアと戦っているのが見えた。他の傭兵もそこに加わってはいるが、彼はやはり異質だった。


 その戦い方は、非常に独特なものである。背の二本の剣は奇妙に湾曲した長身のバルニュスであった。それは確か、砂漠の国トルポールで用いられる剣の形態。レグルスはそれを、宙に浮かせたままで振るっていた。


 なんというべきか、それは剣術というよりも魔術。精密な風属魔法制御によって、剣を自在に操っているのだ。回転する剣がパーンリアを切り裂いているところを見るに、剣自体にも強力な魔法を纏わせているに違いない。率直に言って、異端の剣術であった。


 パーンリアはその動きにかなり苦戦しているように見える。レグルスはまるで踊るように、魔獣の突進を避けていた。片方の剣で呪腕を防ぎ、もう一本で体毛を切り裂く。剥き出しになった躰には、腰の薄短剣を突き刺しているらしい。既にパーンリアの肉からは二本の剣柄が飛び出していた。なるほど、上級傭兵というのも頷ける腕ではある。


「だがあれでも、パーンリアを殺すことは出来ないだろう」


 ガーリオンが言った。彼は何かの痛みを我慢するように顔を顰めていた。よく見れば、青年の体中には蚯蚓腫れのような溶解跡が出来ている。恐らくは呪腕の余波を受けたのだろう。


「レグルスは強いが、奴の流派では重要臓器の破壊までは出来ない。ここが砂漠でもあれば話は別だが、湿地である以上は奴の風属魔法も完全には発動しないだろうからな」


 その疑念はラツィオも抱いていた。パーンリアはなにしろ大きい。あれに致命傷を与えるには海刃流の技か、あるいは真交流の剣技が必要となるだろう。


「ガーリオン、だったか。あんた海刃流じゃないのか」

「この腕じゃ斬れん」


 そう苛立たしげに吐き捨てて、ガーリオンは腕を振る。腕にもやはり呪腕による干渉溶解の跡が刻まれていた。一見したところ、癒薬を用いれば治る怪我に思えるが、存在干渉による腐食の影響は見た目よりも酷いのが常である。この手の干渉呪術は幾重にも損壊度を重ねる傾向があるから、剣術士の得意とする靈気による自然治癒も進まない。今すぐに、剣を用いることは到底出来ないだろう。


「だから、あんたに頼みたい。レグルスと共にパーンリアを討ち取ってくれ」


 言われずともラツィオはそのつもりだった。但し、先程と同じ愚を犯すつもりはない。単独で靈槍剣技《貫》を魔獣に喰らわせるのは不可能だ。レグルスか、それに匹敵する傭兵の協力が必要だった。この海刃の傭兵長が剣を用いることが出来るならば、それが最善なのだが。


 と、レグルスが前線を離れて、こちらへと近付いてきた。いや、魔獣パーンリアから離れたのは彼だけではない。戦闘をしていた他の傭兵達も怪物から少し距離を取る。それは傍目には致命的な隙を晒しているように思えたが、よくよく見れば、パーンリアの動きは一時的に停止していた。


「何が起こった?」

「レシードルの木切れを術式陣形に撒いておいた。これで暫くは持つだろう」


 確かに、改めて眼を向ければ、地面に落ちている木々は全てレシードルだった。ここを傭兵連中が狩場にしている理由は、広いからだけではないらしい。魔獣の嫌うレシードルを用いて、その動きを鈍らせる為の場所なのだ。


 だが、戦闘を行いながら、術式陣を木切れで描くなど人間業とは思えない。改めて、ラツィオはレグルスの異常な強さを認識した。一体、この男は何者なのだろうか。風属魔法による曲芸的な剣廻し。そんな技を何処かで聞いた気もするが。


「だが、封じた瞬間に硬質化したらしく、攻撃が通らねぇ」


 レグルスがそう言って、魔獣に眼を向ける。パーンリアは不気味な沈黙を守りながら、石の様に動かない。具に観察してみれば、その異形さはさらに際立っていた。魔虫とも胎毛獣ともつかない奇妙で悍ましい姿。口はぴったりと閉じられており、中は窺い知れない。尾の無いその魔獣は、遠目で見れば猪にも見えた。



§



 ラベストリが最初に現れたのは、八百年前のボダット地域である。当時はバルニア帝国が崩壊してから二百年と経っておらず、この地域は政治的に大変な混乱状態にあったといわれている。特に、エレングル王国へと追いやられたグレルト民族の抵抗は激しく、彼らは幾度となくこのボダットの地へと侵入を試みた。


 この時代には未だノーラン皇国も建国されておらず、ボダットの地に住んでいたのは幾つかの小数部族であった。彼らはグレルト人とノーラン人の混血とも呼べる人種であり、最早遡れぬ程の昔からこの地に暮らしていた。


 彼らの伝統的社会に於いて、中心的な役割を持っていたのは司祭であった。司祭、あるいは呪術士と呼ばれる神秘の支配者である。彼らは自己の存在に、神秘の表われという情報を刻示して、部族社会の中でまさに独裁的ともいえる力を持った。そんな、村ごとに存在した呪術士の一人がラベストリである。


 彼は男であった。


 生まれながらに、豊穣の女神エークレケトスと交わっていた彼は、今でも一部の地域では情欲を司る偉大な人間神として扱われる。さて、ラベストリの得意とする呪術は肉体の変質であったという。元々は雨乞いの呪術士であったラベストリの家系では、その肉体の一部を女神に捧げることによって、雨を乞う。ここには、女神と男に関わる性的暗喩があると考えられるが、ともかくラベストリはその過程で肉体を扱う呪術士となった。


 これはしばしば見られる、性質の変化である。自身の肉体を女神に捧げて、雨を降らせるという行為が、いつしか、ラベストリによる肉体支配の行為と考えられた。肉体を支配するとは、情欲の制御という意味をも持つから、この変遷はある意味では予定的なものだったのかもしれない。


 彼、いや、この時点ではもはや彼らであるが、ラベストリの名を継ぐ血族はこの時、肉体呪術士となった。その強固な存在基盤は、伝統社会における禁忌や信仰に根付く。ラベストリらは認識によって呪術を手にしたのだ。


 それは血に基づく呪いの継承。

 数百年続く其れは、終わることがない。


 肉体呪術士となった彼らは、人間の恣意的進化を志したともいう。即ち、彼らは神的な物により近付く為の呪術的人間創造を志向したのである。その過程で彼らが生み出した技術の一つが『合成術』であった。現在では禁忌とされているこの術は異なる二人の肉体を融合させる。つまり、二つの霊魂と魂を、一つの躰に閉じ込めるのである。この秘技が人間に対して用いられたという話はないが、魔獣に対して、合成術が行われたという伝承ならば幾つも残っている。


 その中の合成獣の一体が『パーンリア』である。この魔獣は魔虫系と胎毛獣系の多種多様な生物の混合物だった。悍ましい異形の生物は、ボダットの守り手として作られ、次第に、獣神として崇められるまでに至ったと言われる。


 奇しくもこの時期に、ノーラン皇国は建国され、周囲の様々な都市国家を呑みこんで巨大化していた。当然、植民地主義者や開発主義者は辺境の開拓に乗り出し、今から四百年前にはボダットにも、その暴虐な手は伸びた。皇王であるロームス=セン=ノーランも開発主義者であり、巨大な農地と湿地、森林を有するボダットの開拓を計画した。


 だが勿論、ボダットの部族社会はこれを認めなかった。彼らは長である呪術士を前面に押し出して、皇王率いるノーラン皇国との戦争を行う事を企図する。ラベストリの血族も祭り上げられた酋長の一つだった。


 しかし、この抵抗運動で呪術士の持つ様々な『退廃技術』が明るみに出たことで、ノーラン人はボダット人に対して、未開の部族と言う印象を持ってしまう。その為に、彼らは積極的にボダット人を迫害し、呪術士を吊し上げた。ボダット人は和解の道を自ら閉ざしてしまったのである。


 ラベストリの一族もそれから逃れることは出来なかったが、幾度かの戦乱の末、彼らは皇王ロームスに多種多様な術式具を献上することで、そのボダットにおける指導者的地位を認められることとなった。この時、あらゆる禁忌の魔術はノーランに奪い取られ、破棄されたという。ラベストリは技術を代償に、その命を長らえさせたのだ。


 だが、呪術士が生き残ったと言う事は非常に重要なことだった。当代の王ロームスは彼らを軽視した為に、殺さなかったのであるが、それは部族社会の真なる王の神性をさらに高めることとなった。


 結局、ボダットはノーランの支配下に治められたものの、伝統的な人々の間では都市群の真の指導者は未だにラベストリであり、その名前をノーランに剥奪され、彼らがデルフォイと化しても、古の人間神である呪術士に対しての畏敬の念は薄れることがなかった。



§



「立て直す!狩りの陣形を取れ!」


 傭兵連中が崖を登り、矢を四方八方から構える。その矢じりには、魔獣の嫌いなニゴテの汁が塗られていた。輪の中心には動かぬパーンリアが鎮座している。それを、まるで眠れる神を起こすかのように、レグルスとラツィオ、それに後二人の傭兵が取り囲む。彼らはガーリオンに匹敵する中級上位傭兵だった。


 手始めにレグルスが甚大な魔力を込めた∫風砲《アネモス/アノータトス》を撃ちこむ。それによって、硬質化していた魔獣パーンリアの体表が弾け飛び、同時に、霊木レシードルによる結界術式も砕け散った。


 パーンリアが激しく身じろぎし、暴れ狂うと、そこに数十本もの鋼の矢がうち込まれる。続けざまに射られた矢は傭兵達が射たものだ。靈気が殆ど込められてはいないとはいえ、それは重い。その重みとレグルスの風魔法による後押しで、矢は肉に食い込んだ。


 魔獣の肉躰を草毒ニゴテが侵していく。どれだけの効果があるかは知らないが、無いよりはましだろう。ラツィオは矢が刺さったのを確認してから、弾かれた様に剣を抜いて、魔獣に斬りかかった。パーンリアの動きは心なしか鈍く、六馬躰の化け物が高速で動き回るということはもはやない。これならば、奥義とて直撃させられるだろう。怖いのはただ一つだけ。あの呪腕。


 だが、それさえも、レグルスが封じていた。彼は第五種魔法∫風殻《アネモス/クラティステス》を用いている。その薄白い空体は、魔獣の呪腕を完全に覆い封じていた。パーンリアの第七腕はもう、ぴくりとも動かない。それを確認してから、ラツィオは魔獣の側面に回り込む。大きく、破砕剣を振りあげての一撃。


 滑らかに、刃はパーンリアを切り裂いた。黒神鋼の体毛が先ほどと同様に空を舞う。すかさず、残る二人の傭兵が闘気を纏った剣で襲い掛かった。一人は黒神鋼のバルニュス、もう一人は魔剣流のレディメであった。その有効範囲は異なるが、流れるような連携攻撃には隙がない。鋭い剣撃と突きが、魔獣の顔面に吸い込まれる。彼らの狙いは魔獣の赤い眼球であった。


 これはガーリオンの発案である。


 彼は呪術士、あるいは操獣士が魔獣の眼を使っているならば、それを最初に潰すべきだと主張したのである。実際問題、それは極めて有効な手段だと思われた。視覚を失えば、操獣者は獣の遠隔操作が出来なくなる。


 だが、突き込まれた二つの剣は魔獣の眼ではなく、がばりと開かれた大きな口中に刺さっていた。その口中はまるで虚空。巨大な牙が見え隠れする暗黒からは、身の毛もよだつ様な異臭が漏れる。ラツィオは知っていた。それは酸の臭いだった。


 間髪入れずに吐き出される酸。それは呪的性質を帯びている。真正面から酸を浴びた一人の傭兵が死んだ。ここでは、どのように死んだかは語らないでおくが、しかし、魔獣の酸は恐ろしい程の溶解力を持っていた。その為に、彼の遺体は∫聖炎で燃やすことも出来なかった。


 残る一人の傭兵が溶かされるのも時間の問題だったが、ラツィオも、その危機から完全に免れていた訳ではない。ラツィオ=メインは開かれた口がこちらを向くのを感じて、反射的に皇神鋼の剣をその中へと投げ入れた。勿論、ただ投げたのではない。それは奥義《貫》であった。


 全身を連動させて放つ短槍投げのような奥義。脚よりも短い長短剣バルニュスがその瞬間だけ伸びる。呪界を震わせながら飛ぶ剣槍は一撃必殺。魔獣は短槍が放たれたと同時に巨大な口を閉じようとする。されど、遅い。その動作は無意味であった。バルニュスの先が、魔獣の巨牙を粉微塵に叩き割り、さらにその奥へ、奥へと執拗に伸びていく。


 ラツィオ=メインは見た。視認不可能な速度で飛来するバルニュスが、パーンリアの喉奥に突き刺さり、それを破るのを。


 そして直後、 

 魔獣の喉奥から、女の手。


 美しい傷一つない其れは、ひらひらとラツィオに振られていた。いや、あるいはそれは、手招きしているようにも見えた。ラツィオは言いようのしれない恐怖を感じて飛び退る。同時に、レグルスの魔力が尽きたのだろうか。魔獣の第七腕が素早く動いて、ラツィオの傍にいたもう一人の傭兵を呑み込んだ。レグルスとガーリオンが、ラツィオを守るように駆け寄るも、その時には既にパーンリアは動きを止めていた。


 赤い目からは生気が消え、呼気が消え、そして、みるみる内にパーンリアの肉体は溶けていく。黒神鋼の毛や六つの柔脚も液体化していった。残されたのは、何とも分からぬ生物の骨と脳みそ。そして、ラツィオのヒャイル鋼の剣だけだった。


「死んだのか」

「いや、術士が模倣再生術を解いたのだろう。あれは原理的には死なん」


 レグルスが、ラツィオの言葉に答えた。この戦いに於ける死者は数多く、何れも再生不可能な状態にまで損壊されていた。その上、彼の言葉を聞けば、とても「勝った」とはラツィオには思えなかった。


 あの腕。手招きするような白い手が頭から離れない。女の、ロンティエル=デルフォイの手。彼女の目的をラツィオは知らねばならなかった。彼は落ちた剣を拾って、一人、歩き始める。レグルスは無言でその後を付いてきた。ガーリオンが腕に癒薬を掛けながら言う。


「どこへ行くのだ」


 時刻は既に十三時を過ぎており、あまり猶予はなかった。ラツィオが言う。


「術者の招きに応じよう」


 自身の目的を見失わぬ事を誓いながらも、ラツィオは、自分が何故歩いているのかを見失っていた。ローレンの為に果たすべきことと、この地の傭兵の為にすべきことが、脳中で混在しているのを彼は感じていた。だが、どちらにせよロンティエルは殺さねばならなかった。



戦錬士、特に魔術に携わる人間について確認しておきます。


魔法士:二十四定式の属性魔法を使用できる人間です。適正があります。

    しかし、ある程度の魔法までなら、誰でも使えます。

    例えば、無属のラモンは魔力さえあれば才能はいりません。

    この才能は、天獣の加護とも呼ばれますが、関係があるのかは不明です。


限定魔術士:属性魔法を無詠唱で完全制御できる人間です。

      努力により、一部の魔法士はこの段階まで到達します。

      基礎魔力量、魔力の可能顕現量が大きく影響します。


魔術士:空想を術化、発動できる人間です。希少です。

    基本的には空界に接続していますが、

    稀に靈気を用いた、魔術を用いる者もいます。

    魔術士はしばしば第六繋者とも同一視されます。


術式士:術式魔導に精通した人間です。科学者に近いです。

    彼らは基本的に呪術を見下し、侮蔑しています。

    術式技術を、実界から違界への有意味な干渉と捉えています。


呪術士:呪術の使い手です。多くは神秘の騙り手でしかありません。

    彼らはしばしば、術式も自身の呪術理論に含めます。

    また、広義では呪界に影響を及ぼせる人間のことです。

    即ち、剣術士もまた、呪術士と見做せます。


剣術士:剣術、それも五大流派とバルニア式剣術の使い手に限ります。


剣士:五大流派以外の剣術の使い手です。


闘術士:剣を用いない靈気の使い手です。数は少ないです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ