第76話 ケーキ
「あと、さっきお母さんにケーキをもらってきました。部屋から取ってきますね」
星奈は思い出したように手を合わせた。
白いファーのついた袖が、ふわっと揺れる。
星奈は赤いスカートを揺らしながら俺の部屋を出ていった。
「すぐ戻ってきますから、待っていてくださいね」
「分かった」
ドアが閉まる。
廊下を歩いていく足音が少しずつ遠ざかり、向かいにある星奈の部屋のドアが開いた。
「…………」
急に静かになった部屋で、俺はベッドに腰を下ろす。
「反則だろ、あれ……」
亜麻色の髪を下ろし、赤いサンタ帽を被った星奈。
首元と袖口には白いファー。
普段とはまるで違う格好なのに、妙に似合っていた。
しかも、恥ずかしがっているかと思えば、俺がどこを見ているのか確かめるように顔を覗き込んでくる。
あんなの、平然としていられるわけがない。
「宗春さん、開けてもらえますか?」
ドアの向こうから声が聞こえた。
「今行く」
立ち上がってドアを開ける。
星奈は両手で小さなトレーを持っていた。
トレーの上には、ケーキが乗った皿が2枚とフォーク、それから温かそうな紅茶まで用意されている。
「お母さんが、2人で楽しんできたらって」
「絶対、何もかも分かってるだろ」
「何がですか?」
「その格好で俺の部屋へ戻ることも含めて」
「そうかもしれませんね」
「否定しないのかよ」
「お母さんからは『宗春君、喜ぶと思うよ』と言われました」
「そこまで言われたのか……」
「はい。宗春さん、喜んでいますか?」
星奈が首を傾ける。
サンタ帽の先についている白いぽんぽんも、一緒になって揺れた。
「まあ……喜んでる」
「まあ、ですか?」
「かなり喜んでる」
「素直でよろしいです」
「なんで上からなんだよ」
星奈はくすくす笑いながら部屋へ入った。
俺は机の上に置いていた教科書やノートを端へ寄せる。
空いた場所へ星奈がトレーを置くと、甘い匂いがふわっと広がった。
「いちごのショートケーキとチョコレートケーキですね」
「星奈はどっちがいい?」
「宗春さんはどちらが食べたいですか?」
「俺はどっちでもいいよ」
「それが1番困る答えです」
「じゃあ、チョコ」
「分かりました。半分ずつにしましょう」
「聞いた意味あった?」
「両方食べたくなりました」
「だったら最初からそう言えよ」
「宗春さんと分けて食べたかったんです」
さらっとそんなことを言いながら、星奈が俺の隣に座る。
向かいではなく、隣だ。
椅子をぴったり寄せ、肩が触れそうな距離まで近づいてくる。
「近くない?」
「遠いとケーキを分けにくいですから」
「皿を動かせばいいだろ」
「このままがいいです」
「じゃあ、最初からそう言えよ」
「言わなくても、宗春さんなら分かってくれると思いました」
星奈が嬉しそうに笑った。
こういうときの星奈には、何を言っても勝てる気がしない。
「いただきます」
「いただきます」
フォークでチョコレートケーキを1口分切り分け、口へ運ぶ。
しっとりしたスポンジに、少し苦いチョコクリーム。
「うまい」
「こっちもおいしいですよ」
星奈がショートケーキを食べながら頬を緩める。
赤い服に白いファー。
その格好で幸せそうにケーキを食べている姿は、見ているだけでクリスマス感がすごい。
「宗春さん」
「ん?」
「さっきからケーキではなく、私ばかり見ていませんか?」
「見てない」
「見ています」
「その格好が目立つんだよ」
「そんなに似合っていますか?」
「似合ってる」
「ふふっ」
「なんだよ」
「今日は素直ですね」
「クリスマスだからな」
「クリスマスなら、もう少し素直になってもいいんですよ?」
星奈は自分のケーキをフォークで小さく切り分けた。
そのまま食べるのかと思ったが、なぜかフォークが俺の方へ向いてくる。
「はい、宗春さん。あーんしてください」
「自分で食べられる」
「そんなことは知っています」
「じゃあ、なんで」
「サンタさんからの特別サービスです」
星奈がフォークを俺の口元へ近づける。
白いクリームの上には、小さく切ったいちごまで乗っていた。
「早く食べないと、クリームが落ちてしまいますよ」
「分かったよ」
「あーん、は?」
「それは星奈が言う方だろ」
「では、改めまして」
星奈が姿勢を正す。
頬を少し赤くしながら、楽しそうに笑った。
「はい、宗春さん。あーーん」
「……あーん」
恥ずかしさを誤魔化すように、俺はケーキを口へ入れた。
甘いクリームといちごの酸味が広がる。
「どうですか?」
「うまい」
「それだけですか?」
「他に何を言えばいいんだよ」
「星奈に食べさせてもらったから、いつもよりおいしい、とか」
「自分で言わせるのか?」
「私は聞きたいですよ?」
期待するような目で見つめられる。
ここで拒んでも、星奈は絶対に諦めない。
「……星奈に食べさせてもらったから、いつもよりうまい」
「本当ですか?」
「本当だよ」
「では、もう1口いきましょう」
「まだやるのか?」
「特別サービスですから」
今度はさっきより大きなケーキが差し出された。
「それ、1口で食べる大きさじゃないだろ」
「宗春さんなら大丈夫です」
「何を根拠に言ってるんだよ」
「私の愛情です」
「ケーキの大きさと関係ないだろ」
「ほら、口を開けてください」
結局、俺はもう1度口を開ける。
星奈は嬉しそうにケーキを運び、俺が食べ終えるまで顔をじっと見つめていた。
「そんなに見られると食べにくいんだけど」
「宗春さんが私のあーんで食べているところ、好きなんです」
「変な趣味を見つけるな」
「これから毎日してあげましょうか?」
「太るからやめてくれ」
「では、クリスマスだけにします」
「来年もやるつもりなのか?」
「来年も、その次もですよ」
星奈は当たり前のように言った。
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
来年も、その次も。
今と同じように星奈と過ごしている。
そんな未来を、星奈は疑っていないらしい。
「星奈」
「はい?」
「口、開けろ」
俺はチョコレートケーキを1口分取り、星奈の前へ差し出した。
「私にも、あーんしてくれるんですか?」
「嫌なら食べなくてもいいけど」
「食べます。絶対に食べます」
「即答だな」
「宗春さん。早くしてください」
「はいはい。あーん」
「あーん」
星奈が素直に口を開ける。
ケーキを食べた瞬間、星奈は目を細め、頬へ手を添えた。
「おいしいです」
「大げさだろ」
「宗春さんに食べさせてもらったので、いつもよりおいしいです」
「さっきの仕返しか?」
「本当のことを言っただけですよ」
星奈の唇の端に、白いクリームが少しついている。
「星奈、クリームついてる」
「どこですか?」
「そこ」
星奈は指で頬を触った。
「そこじゃない。もっと口の近く」
「こっちですか?」
「逆」
「取ってください」
「ティッシュ使えよ」
「宗春さんが見つけたんですから、宗春さんが取ってください」
「なんだよ、その理屈」
文句を言いながら、俺は星奈の唇の端へ手を伸ばした。
親指でクリームを拭う。
その瞬間、星奈の身体がぴたりと止まった。
さっきまで楽しそうに喋っていたのに、急に静かになる。
「取れたぞ」
「…………」
「星奈?」
「キスして取ってくれてもよかったんですよ?」
「できるか」
「どうしてですか? 今、この部屋には2人しかいませんよ?」
「……そういう問題じゃない」
「私はいつでも大丈夫です」
「ケーキ食べるぞ」
「誤魔化しましたね」
星奈は不満そうに頬を膨らませながらも、すぐに笑った。
それから俺たちは、ショートケーキとチョコレートケーキを少しずつ交換しながら食べた。
どちらのケーキがおいしいか。
いちごは最後に食べるか、最初に食べるか。
サンタ帽の白いぽんぽんが紅茶へ入りそうになって、俺が慌てて持ち上げたり。
どうでもいい話ばかりなのに、笑いが途切れない。
ケーキがなくなっても、星奈は席を立とうとしなかった。
机の上には、空になったケーキの皿。
横には冷めかけた紅茶。
「宗春さん」
「ん?」
「今日、楽しかったですか?」
「楽しかったよ」
「どのくらいですか?」
「かなり」
「ケーキと私、どちらがよかったですか?」
「比べるものじゃないだろ」
「どちらですか?」
星奈が顔を上げる。
答えるまで逃がさないと言いたげな目だった。
「星奈」
「本当ですか?」
「ケーキは来年も食べられるけど、今日の星奈は今日しか見られないからな」
「…………」
「なんだよ」
「宗春さんが、思っていたより嬉しいことを言ってくれたので」
星奈の頬が赤くなる。
衣装と同じくらい真っ赤になった顔を隠すように、もう1度俺の肩へ寄りかかってきた。
「このサンタ服、来年も着ますね」
「今日しか見られないんじゃなかったのかよ」
「来年は、来年の私です」
「それなら、来年も楽しみにしてる」
「約束ですよ?」
「ああ」
「来年も、2人でケーキを食べてくださいね」
「分かってる」
絡められた指に、星奈が少しだけ力を込める。
「宗春さん」
「今度は何?」
「メリークリスマスです」
星奈が俺を見上げ、幸せそうに笑う。
「メリークリスマス、星奈」
ケーキはもうなくなっていた。
それでも俺たちは手を繋いだまま、時計の針が進むのも忘れて、いつまでもくだらない話を続けていた。




