第68話 文化祭初日
「はい、宗春さん、あーーん」
文化祭初日。
中庭の隅に置かれたベンチで、星奈が俺の口元へ細いストローを差し出してきた。
先がスプーンみたいになったストローには、いちごシロップのかかったかき氷がちょこんと乗っている。
「……ここで?」
「ここで、です」
「人、めちゃくちゃいるけど」
「文化祭ですからね」
「そういう意味じゃなくて」
目の前を同じクラスの男子が通り過ぎていく。
そいつは俺たちに気づくと、1度足を止め、にやっと笑ってから親指を立ててきた。
やめろ。
何も応援するな。
「ほら、見られてるって」
「見せているんです」
「もっと駄目じゃん」
「宗春さんには、こんなに仲のいい彼女がいるんですよって、皆さんに知ってもらわないといけませんから」
「もう十分知られてると思うけどな」
「まだ足りません」
何がどこまで広まれば、星奈にとっての十分になるんだろう。
たぶん、校門の前に巨大な横断幕を出しても足りない。
そんなことを考えている間も、星奈はストローを下げなかった。
「あーん」
「…………」
「あーん、です」
「2回言わなくても聞こえてる」
「聞こえているのに、お口を開けてくれないので」
「恥ずかしいんだよ」
「私は恥ずかしくありませんよ?」
「星奈が平気でも、俺は平気じゃないの」
「では、目を閉じておきます」
星奈は素直に目を閉じた。
いや、そういう問題でもない。
しかも、目を閉じたまま俺の口を探しているせいで、ストローの先が頬に当たりそうになっている。
「ちょ、危ない。分かったから」
「本当ですか?」
「食べる。食べるから目を開けて」
星奈がぱっと目を開く。
さっきまでより、明らかに嬉しそうだった。
「では、改めまして。はい、宗春さん、あーーん」
「……あーん」
もうなるようになれ。
俺は恥ずかしさを押し殺し、ストローの上に乗ったかき氷を口に入れた。
冷たいいちごの甘さが舌の上で一気に溶ける。
「どうですか?」
「うまい」
「私に食べさせてもらったからですか?」
「そこまで味覚は変わらない」
「変わってくれてもいいのに」
星奈は少しだけ唇を尖らせる。
「でも、普通に食べるよりはうまいかも」
「本当ですか?」
「たぶん」
「そこは言い切ってください」
「うまい。星奈に食べさせてもらったから、すごくうまい」
「はい。よくできました」
満足そうに笑い、星奈は同じストローでかき氷をすくった。
そのまま、何の迷いもなく自分の口へ運ぶ。
「……それ、さっき俺が口つけたやつ」
「知っていますよ」
「気にならないの?」
「宗春さんと間接キスできるのに、どうして気にするんですか?」
「聞いた俺が悪かった」
「それに、恋人同士なんですから、今さらですよね」
「まあ、そうだけど」
真正面から言われると、まだ慣れない。
星奈は平然としているのに、俺だけが熱くなった頬を手で隠す。
かき氷を食べたはずなのに、全然冷えた気がしなかった。
「宗春さん、もう1口いりますか?」
「いや、星奈が食べなよ」
「欲しかったら全部あげますからね」
「流石に遠慮しとく」
「遠慮しなくていいんですよ?」
「まだほとんど残ってるじゃん。星奈が食べたくて買ったんだろ?」
「そうですけど、宗春さんが欲しいと言うなら、私は何でもあげたいです」
「何でも?」
「はい。かき氷も、今日の残り時間も、私自身も」
「最後だけ急に重いな」
「重いですか?」
「文化祭のベンチで人生ごと差し出されるとは思ってなかった」
「では、家に帰ってから差し出しますね」
「場所の問題じゃない」
俺が笑うと、星奈も楽しそうに笑った。
校庭の特設ステージから、軽音部の演奏が聞こえてくる。
近くのテントからは焼きそばの匂いが流れてきて、廊下の窓からは客を呼び込む声が飛び交っていた。
朝からずっと騒がしい。
なのに、星奈といると不思議とうるさく感じない。
「宗春さん」
「ん?」
「他の出店も周りましょう!」
星奈がベンチから勢いよく立ち上がる。
そして、俺が返事をするより先に手を掴んだ。
「ちょっと待て。かき氷は?」
「持っていきます」
「そんな強く引いたらこぼれるって」
「大丈夫です。宗春さんの手だけは絶対に離しませんから」
「心配してるの、そっちじゃないんだけど」
星奈は俺の言葉を聞いているのかいないのか、そのままずんずん歩いていく。
仕方なく隣へ追いつくと、掴まれていた手を握り直した。
「あっ」
「これなら引っ張らなくても離れないだろ」
「はい!」
星奈の返事が、さっきより明るくなる。
それだけで、握ったこっちまで恥ずかしくなった。
「まず、どこ行く?」
「2年3組の射的です。次に体育館のお化け屋敷、その次に恋占いです」
「ずいぶん決まってるな」
「昨日、一緒に回る順番を考えました」
星奈がスカートのポケットから、折り畳んだ校内案内図を取り出す。
開かれた紙には、赤いペンで丸や矢印がびっしり書き込まれていた。
「これ、全部回るの?」
「はい。今日だけでは無理そうなので、残りは明日です」
「明日の予定まで決まってるのかよ」
「当たり前です。文化祭は2日しかないんですよ?」
「家では毎日会ってるけどな」
「家で会う宗春さんと、文化祭を一緒に回る宗春さんは別です」
「俺、何人いるの?」
「私の中には、たくさんの宗春さんがいます」
「ちょっと怖い言い方するな」
話しているうちに、射的の教室へ着いた。
入口には景品の写真が貼られている。
お菓子や文房具に混じって、星と月の形をした2個セットのキーホルダーがあった。
「あれ、かわいいですね」
星奈の視線が、しっかりキーホルダーで止まる。
「欲しいの?」
「いえ、取れたら嬉しいなと思っただけです」
「分かった。取ってくる」
「宗春さん、格好いいです!」
「まだ何もしてないから」
受付で3発分の券を買い、コルク銃を受け取る。
狙うのは、棚の真ん中に置かれた小さな箱。
1発目。
箱の横を抜けた。
「惜しいです!」
「今の、かなり外れてたよな?」
「宗春さんが撃ったので惜しいです」
「判定が甘すぎる」
2発目は箱に当たった。
けれど、少し揺れただけで落ちない。
残り1発。
「宗春さん、頑張ってください」
星奈が俺の腕へぎゅっと抱きついた。
「待って。それだと撃てない」
「応援です」
「なら、せめて撃った後にして」
「分かりました。成功したら抱きつきますね」
「失敗したら?」
「慰めるために抱きつきます」
「どっちにしても抱きつくんだな」
星奈が腕を離す。
俺はもう1度狙いをつけ、引き金を引いた。
飛んでいったコルクが箱の上側に当たる。
箱は後ろへ傾き、そのまま棚から落ちた。
「やった!」
「おお、本当に取れた」
「宗春さん!」
宣言通り、星奈が俺の腕に抱きついてくる。
教室にいた連中から拍手と冷やかしの声が飛んできた。
「だから、人前だって」
「今は文化祭なので問題ありません」
「その理屈、便利すぎない?」
景品の箱を受け取り、廊下へ出る。
中には、金色の星と銀色の月のキーホルダーが入っていた。
「星奈は、やっぱり星のほう?」
「いいえ。宗春さんが星を持ってください」
「どうして?」
「私だと思って、ずっと持っていてほしいので」
「じゃあ、星奈には月を渡せばいい?」
「はい。宗春さんだと思って大切にします」
「俺、月要素ある?」
「夜、隣にいてくれると安心します」
「……そういうこと、さらっと言うよな」
「嫌でしたか?」
「嫌じゃない」
星のキーホルダーをポケットにしまう。
たったそれだけなのに、妙に大事な物を預かった気分になった。
「次はお化け屋敷だっけ?」
「はい。でも、その前に」
星奈が1歩近づき、俺の手に自分の指を絡める。
今度は、ただ掴むだけじゃない。
指と指をしっかり重ねた、いわゆる恋人繋ぎだった。
「中は暗いらしいので、今から練習しておきます」
「手を繋ぐのに練習なんている?」
「必要です。途中で離れたら困りますから」
「怖いんだ?」
「怖くありません」
「じゃあ、離してもいい?」
「駄目です」
即答だった。
しかも、さっきより強く握られる。
「宗春さん」
「何?」
「今日は、ずっと私だけを見ていてくださいね」
「出店を見る暇なくない?」
「私と一緒に見ればいいんです」
「分かったよ」
「約束ですよ?」
「約束」
そう答えると、星奈は満足そうに笑った。
その笑顔を見ていたら、文化祭なんて人が多くて疲れるだけだと思っていた昨日までの俺が、少しだけ馬鹿らしくなる。
「ほら、行くぞ」
「はい!」
今度は俺から、星奈の手を引いた。
すると星奈は、かき氷を持ったまま嬉しそうに隣へ並ぶ。
お化け屋敷に、恋占い。
たこ焼き、クレープ、謎解き、写真館。
案内図についた赤い丸は、まだまだ残っている。
どうやら、今日だけで全部回るのは本当に無理そうだ。
それでも悪くない。
明日もまた、こうして星奈と歩ける理由になるのだから。
そうして俺は、絡めた指を離さない星奈に連れられ、文化祭の出店を片っ端から回るのだった。




