第65話 髪型変えました!
「私、髪型変えました」
次の日の朝。
教科書を鞄に突っ込んでいた俺の背中に、弾んだ声が飛んできた。
「ん?」
振り返った瞬間、手が止まる。
開けっぱなしのドアの前に、制服姿の星奈が立っていた。
いつもは下ろしている亜麻色の髪が、今日は左右で2つに結ばれている。
星奈が首を傾けると、2本の髪も一緒にふわっと揺れた。
「どうですか?」
「どうって……」
「私、今日からこの髪型で学校行きます!」
星奈はそう宣言すると、その場でくるっと回った。
髪が跳ねる。
スカートも少しだけ広がった。
「ちょ、部屋で回るな。机にぶつかるぞ」
「今はそこを気にする場面じゃありません」
「じゃあ、どこを気にする場面なんだよ」
「私です」
星奈が自分の顔を指さす。
「私の髪を見て、何か言う場面です」
「似合ってるよ」
「本当ですか?」
「本当だって」
「かわいいですか?」
「ああ。かわいい」
答えた途端、星奈の頬が緩んだ。
「えへへ……」
分かりやすいな。
さっきまで胸を張っていたのに、今度は照れたように髪の先を指でいじっている。
「でも、急にどうしたんだ?」
「何がですか?」
「髪型だよ。昨日まで普通に下ろしてただろ」
そう聞くと、星奈の指が止まった。
視線が少しだけ横へ逃げる。
「気分転換です」
「俺の目を見て言え」
「朝から細かいですね」
「絶対、別の理由があるだろ」
「ありません」
「じゃあ、こっち見ろよ」
「今、髪型を確認しているところです」
「壁を見ても確認できないだろ」
「…………」
星奈はしばらく壁を見つめたあと、観念したように俺へ向き直った。
「宗春さんに堺さんを少しでも意識させないためです」
「なんでそこで堺さんが出てくるんだよ」
「出てきますよ」
即答だった。
「昨日、宗春さんは堺さんのことを何度も見ていました」
「話してたんだから、相手の顔くらい見るだろ」
「髪も見ていました」
「髪?」
「銀色で綺麗だから、気になったんですよね?」
「いや、見てた覚えないけど」
「私は見ていました」
星奈の声が少し低くなる。
「宗春さんがどこを見ているのか、ずっと見ていました」
「それ、俺より俺の目を見てないか?」
「当然です。恋人ですから」
「当然なのか……」
「はい。当然です」
そこまで言い切られると、何も返せない。
星奈は自分のツインテールを両手で持ち上げた。
「堺さんの髪が目立つなら、私もいつもと違う髪型にします」
「張り合うところ、そこなのか?」
「大事なところです」
「昨日、堺さんとは距離を取るって言っただろ」
「聞きました」
「星奈が1番だとも言った」
「それも聞きました」
「じゃあ、信じてないのか?」
星奈はすぐには答えなかった。
持ち上げていた髪を離し、俺の前まで歩いてくる。
「信じています」
「だったら――」
「信じていても、不安にはなります」
星奈が俺の制服の袖をつまんだ。
「堺さんは、私よりずっと前から宗春さんを知っています」
「幼なじみってだけだよ」
「2人にしか分からない話もあります」
「それは……まあ、あるけど」
「そういう時の宗春さん、すごく楽しそうです」
「星奈といる時だって楽しいぞ」
「私といる時より笑っていました」
「笑った回数でも数えてたのか?」
「気になるんですもん」
星奈は唇を尖らせたまま、俺の袖を引っ張った。
「だから、今日は私をたくさん見てもらいます」
「それでツインテール?」
「そうです」
「ずいぶん遠回りな作戦だな」
「もう成功していますけどね」
「え?」
「宗春さん、さっきから私の髪ばかり見ています」
星奈が勝ち誇ったように笑う。
やられた。
確かに、いつもと違うせいで何度も目がいっている。
「それは見慣れないからだろ」
「理由は何でもいいんです。今、宗春さんの目に映っているのは私ですから」
「朝から必死すぎるだろ」
「宗春さんのことですから、必死にもなります」
そんなことを真顔で言うなよ。
こっちまで恥ずかしくなる。
俺は逃げるように鞄へ手を伸ばした。
「ほら、もう行くぞ。遅刻する」
「待ってください」
「今度はなんだよ」
「まだ終わっていません」
星奈が俺の正面へ回り込んだ。
逃がさないとでも言うように、両手を広げる。
「前の髪型と今の髪型、どちらが好きですか?」
「どっちも似合ってるぞ」
「それは禁止です」
「なんでだよ」
「どちらか選んでください」
「選ぶ必要あるか?」
「あります」
「じゃあ、今の髪型」
「本当ですか?」
「ああ」
「堺さんの髪よりも?」
「その比較いる?」
「1番大事なところです」
星奈は1歩も引く気がないらしい。
「星奈の髪の方が好きだよ」
「どこがですか?」
「まだ続くのか?」
「具体的にお願いします」
「揺れるところ」
「他には?」
「いつもより元気そうに見えるところ」
「他には?」
「……かわいいところ」
ようやく星奈の追及が止まった。
頬を赤くして、口元を隠している。
「自分から聞いたくせに照れるなよ」
「宗春さんが素直に答えるとは思っていませんでした」
「答えさせたのは星奈だろ」
「もう1回言ってください」
「遅刻するから嫌だ」
「では、学校で言ってもらいます」
「もっと嫌だよ」
星奈は楽しそうに笑いながら、また髪に触れた。
その時、左右の高さが少し違うことに気づいた。
「星奈」
「はい?」
「右、ちょっと下がってないか?」
「えっ?」
星奈の笑顔が固まった。
慌てて俺の机に置いてある小さな鏡を手に取る。
「ど、どちらから見て右ですか?」
「俺から見て」
「こっちですか?」
「反対」
「こっち?」
「いや、今向きが変わったから……貸せ」
俺は鏡を受け取り、星奈の後ろへ回った。
やっぱり少しだけ高さがずれている。
「朝からずっと結び直していたんです」
「何時に起きたんだよ」
「6時半です」
「髪型のために?」
「宗春さんのためです」
鏡越しに目が合った。
星奈は恥ずかしそうに笑ったけど、すぐに眉を下げた。
「変ですか?」
「変じゃない。よく見ないと分からないくらいだよ」
「でも、堺さんに笑われるかもしれません」
「堺さんはそんなことで笑わないだろ」
「宗春さんが堺さんをかばいました」
「今ので?」
「今ので、です」
面倒くさい。
でも、放っておいたら、学校に着くまで何度も気にするんだろうな。
「座れよ」
「え?」
「直すから」
「宗春さんがですか?」
「高さを合わせるくらいならできる」
星奈は目を丸くしたあと、急いで椅子に座った。
「お願いします!」
右側のゴムを外す。
ほどけた髪が指の間をすり抜けた。
思っていたより柔らかい。
「宗春さん」
「ん?」
「今、私の髪だけを触っていますね」
「当たり前だろ。堺さんはここにいないんだから」
「名前を出さなくていいです」
「星奈が先に出したんだろ」
「今は2人だけの時間です」
「はいはい」
「返事が軽いです」
「動くなって。ずれる」
左の高さを見ながら、髪をまとめ直す。
「痛くないか?」
「大丈夫です」
「きつかったら言えよ」
「宗春さんになら、少しくらい引っ張られても嬉しいです」
「変な言い方するな」
「本当のことです」
星奈は鏡の中で、ずっと俺を見ていた。
こっちは髪を結ぶだけで精いっぱいなのに、そんな顔で見つめないでほしい。
「よし。できた」
ゴムを留めて、左右を見比べる。
今度は同じ高さだ。
星奈は髪を揺らしながら鏡をのぞき込んだ。
「綺麗にできています」
「だろ?」
「宗春さんに結んでもらったツインテール……」
「大げさだな」
「今日1日、絶対に崩しません」
「体育があったら崩れるだろ」
「崩しません」
「汗かくぞ」
「それでもです」
無茶を言いながら、星奈は大事そうに髪へ触れる。
さっきまでは堺さんに対抗するための髪型だったはずなのに、もう別のものになったらしい。
「宗春さん」
「今度こそ行くぞ」
「最後に1つだけです」
椅子から立った星奈が、俺の胸元をつかんだ。
そのまま、少しだけ背伸びをする。
「宗春さん、私だけを見ていてください」
いつもの強い声じゃなかった。
俺にしか聞こえないくらい、小さな声だった。
「堺さんより先に知り合っていなくても、昔の思い出が少なくても……これから宗春さんの隣にいるのは、私がいいです」
そんなことを言われたら、冗談では返せない。
俺は星奈の頭に手を置いた。
せっかく整えた髪を崩さないように、結び目の間をそっと撫でる。
「見てるよ」
「本当ですか?」
「朝から星奈しか見てないだろ」
「今日は、です」
「今日だけじゃない」
星奈の目を見たまま、今度は迷わず言う。
「俺が自分から目で追うのは星奈だけだよ」
「…………」
星奈の顔が一気に赤くなった。
胸元をつかんでいた手が緩む。
「それは……ずるいです」
「何が?」
「そんなことを言われたら、もう何も言えません」
「やっと静かになったな」
「今のは取り消してください」
「嫌だよ」
「では、責任を取ってください」
「なんの責任だよ」
星奈は俺の腕に両腕を絡めた。
「今日は学校まで、ずっとこのままです」
「歩きにくいだろ」
「離したら、堺さんを見ます」
「見ないって」
「念のためです」
腕にぎゅっと力が入る。
もう何を言っても離す気はなさそうだ。
「分かったから、鞄だけ持たせてくれ」
「私が持ちます」
「なんでだよ」
「宗春さんの片手を空けるためです」
星奈は俺の鞄を持つと、空いた手に自分の指を絡めた。
「これで完璧です」
「朝から守り固すぎだろ」
「恋人を守るのに、やりすぎはありません」
満足そうに笑った星奈のツインテールが、またふわっと揺れた。
確かに、今日は1日、目を奪われそうだ。
「星奈」
「はい?」
「その髪型、本当にかわいいよ」
「……もう1回お願いします」
「1回だけって言っただろ」
「私は何回でも聞きたいです」
「学校に着くまでに遅刻するぞ」
「遅刻してもいいです」
「よくない」
「では、歩きながら言ってください」
俺の返事を待たず、星奈が手を引く。
部屋を出る直前、星奈は肩越しに振り返った。
「今日、宗春さんが一番最初に見た女の子は、私ですからね」
「そうだな」
「1番長く見るのも、私です」
「はいはい」
「1番かわいいと思うのも?」
「星奈だよ」
今度は間を置かずに答えた。
星奈の顔に、朝1番の笑顔が広がる。
「作戦成功です!」
嬉しそうに揺れる2本の髪を見ながら、俺は小さく息を吐いた。
堺さんを意識しないための作戦だったらしいけど。
どうやら最初から、星奈の思いどおりになっていたみたいだ。




