第64話 愛情を求められる
「宗春さん! 」
バンッ、と勢いよくドアが開いた。
「うおっ!? 」
制服のシャツを脱ぎ、肌着を頭から抜いた直後だった。
当然、上半身には何も着ていない。
「星奈! ノックぐらいしろよ! 」
「しました! 」
「じゃあ返事を待てよ! 」
「待っていられないくらい大切な用事があります! 」
「どんな用事だよ……」
星奈は答えない。
部屋の入口に立ったまま、俺の胸元をじっと見つめている。
「…………」
「…………」
「星奈?」
「な、なんですか?」
「見てるよな?」
「見ていません」
「じゃあ、なんで目を逸らさないんだよ」
「宗春さんが私の視界に入っているだけです」
「それを見てるって言うんだよ」
星奈はようやく顔を背けた。
ただし、ちらちらと横目では確認してくる。
「とりあえず廊下に出てくれ。服を着るから」
「嫌です」
「嫌って……」
「服を着るまで待っていたら、宗春さんに逃げられるかもしれません」
「自分の部屋からどこへ逃げるんだよ」
「窓からです」
「いやいや2階だぞ」
「宗春さんならやりかねません」
「俺をなんだと思ってるんだ?」
星奈は部屋へ入ると、後ろ手でドアを閉めた。
逃げ道を塞ぐためなのか。
そんなことをされなくても逃げるつもりはない。
そもそも今の格好では、廊下にすら出られない。
「それで、大切な用事って?」
「宗春さん」
「お、おう」
星奈が俺の前まで歩いてくる。
そして、両手を胸の前で握り締めた。
「私に愛情を伝えてほしいです!」
「…………」
あまりにも堂々とした要求だった。
「今?」
「今です」
「この格好で?」
「格好は関係ありません」
「俺にはあるんだけど」
「私にはありません」
「なんで受け取る側を基準にするんだよ」
「愛情を欲しがっているのは私だからです」
たしかに、そう言われると間違ってはいない気もする。
いや、やっぱり間違っている気がする。
俺はベッドの上に置いていたシャツへ手を伸ばす。
「あっ、駄目です」
星奈が素早くシャツを取り上げた。
「おい」
「あとです」
「せめて着替えさせてくれよ」
「着替えたら、また話を逸らします」
「逸らさないって」
「今日の帰り道でも、そうでした」
星奈の声が少しだけ低くなった。
そこでようやく、理由に気づく。
「堺さんのことか?」
「……知りません」
「いや、絶対そうだろ」
「私は堺さんのことなんて、一言も口にしていません」
「今、口にしたぞ」
「宗春さんが言わせたんです」
星奈は俺のシャツを抱えたまま、ぷいっと顔を背けた。
「帰り道で少し話しただけだろ」
「楽しそうに笑っていました」
「会話してたら笑うことくらいあるだろ」
「私と話す時より楽しそうでした」
「そんなことないって」
「ありました」
「なかった」
「ありました!」
星奈が振り返る。
その頬は少し膨らんでいた。
「私はずっと隣にいたのに、宗春さんは何度も堺さんを見ていました」
「堺さんが話してたからだよ。話してる相手の顔を見るのは普通だろ?」
「私が話している時は、前を向いたまま返事をすることがあります」
「それは星奈がいつも隣にいるから……」
「いつも隣にいたら、見なくてもいいんですか?」
「そういう意味じゃない」
「では、どういう意味ですか?」
「それは……」
言葉が止まる。
何を答えても怒られそうだ。
星奈は俺をじっと見上げたあと、小さく息を吐いた。
「もういいです」
「怒った?」
「怒っていません」
「怒ってる人が言うやつだろ、それ」
「私は愛情が足りなくて困っているだけです」
「だから、好きだっていつも言ってるじゃないか」
「言葉だけでは足りません」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
星奈は俺のシャツをベッドへ置く。
それから一歩、俺との距離を縮めた。
「行動で示してください」
「行動?」
「はい」
「具体的には? 」
「それを私に聞くんですか? 」
「聞かないと分からないだろ」
「恋人なら自分で考えてください」
「いきなり難題を出すなよ」
「難題ではありません。宗春さんが私を大好きなら、すぐに分かるはずです」
「分からなかったら?」
「堺さんのところへ行きます」
「なんでだよ」
「宗春さんが私に愛情を伝えてくれない、と相談します」
「絶対にやめろ」
「それなら、行動で示してください」
完全に逃げ道を塞がれた。
星奈は強気な顔をしている。
けれど、俺の前で握られた両手は落ち着かないように何度も動いていた。
本気で怒っているわけじゃない。
不安なんだ。
今日だけじゃない。
堺さんと一緒にいる度に、星奈は俺の腕へ自分の腕を絡めてきた。
恋人だと何度も口にしていた。
玄関では、何も言わずに背中から抱きついてきた。
あの時、腰に回された腕は、いつもの星奈からは考えられないくらい弱かった。
「……分かった」
「え?」
「行動で示せばいいんだろ」
「そ、そうです」
俺が一歩近づくと、星奈が一歩下がった。
「なんで下がるんだよ」
「下がっていません」
「下がっただろ」
「心の準備をするために距離を調整しただけです」
「愛情を伝えろって言ったのは星奈だぞ」
「分かっています」
もう一歩近づく。
星奈は下がらなかった。
ただ、頬がみるみる赤くなっていく。
「宗春さん」
「なんだ?」
「本当に、そのままでするんですか?」
「今すぐって言っただろ」
「服を着てはいけないとは言っていません」
「シャツを取り上げたのは星奈だろ」
「そうでした」
今さら気づいたらしい。
星奈が恥ずかしそうに俯く。
俺だって恥ずかしい。
それでも、もう引き返すつもりはなかった。
俺は星奈の背中へ腕を回す。
「ひゃっ……」
小さな声と一緒に、星奈の肩が跳ねた。
そのまま身体を引き寄せる。
柔らかな髪が胸元へ触れた。
星奈はしばらく固まっていたけど、やがて俺の背中へ恐る恐る腕を回した。
触れる指が少し冷たい。
俺はその身体を包み込むように抱き締めた。
「星奈」
「は、はい」
耳元へ顔を寄せる。
「大好きだよ」
「っ……!」
背中へ回された腕に力が入った。
星奈は顔を隠すように、俺の胸へ額を押しつける。
「これでいいか?」
「…………」
「星奈?」
「聞こえませんでした」
「嘘つけ。耳元で言っただろ」
「もう一度言ってくれないと、聞こえたかどうか分かりません」
「絶対に聞こえてたよな?」
「分かりません」
顔は見えない。
けれど、俺の胸へ頬を預ける星奈の口元が、わずかに緩んでいるのが見えた。
「大好きだよ」
「もう一度お願いします」
「星奈が大好きだよ」
「もう一度」
「何回言わせるんだよ」
「私が満足するまでです」
「終わらないだろ、それ」
「よく分かりましたね」
星奈が嬉しそうに笑う。
その声が胸へ直接伝わってきた。
「宗春さんの心臓、すごく速いです」
「誰のせいだと思ってるんだ」
「私を抱き締めただけで、こんなにドキドキしてくれるんですね」
「言うなよ。恥ずかしいだろ」
「嬉しいです」
星奈は俺の胸へ頬を擦り寄せる。
さっきまで不満そうだったのが嘘みたいだ。
「私も大好きです」
「うん」
「宗春さんが思っているより、ずっと大好きです」
「それは知ってる」
「知らないです。全部知ったら、宗春さんは驚きます」
「ちょっと怖いこと言うなよ」
「怖くありません。たくさん愛しているだけです」
「それを聞いて少し安心した」
「安心してください。宗春さんを閉じ込めたりはしません」
「少しって言っただろ。残ってた安心まで消すなよ」
星奈はくすくすと笑った。
俺の背中を抱く力も、さっきより強くなっている。
「これで愛情は伝わったか?」
「少しだけ」
「少しだけ?」
「まだ離されたくないので、そういうことにしておきます」
「素直に言えよ」
「宗春さんこそ、素直にずっと抱き締めていてください」
「はいはい」
「返事は一回です」
「厳しいな」
俺は呆れながらも腕を緩めなかった。
しばらくすると、星奈が小さな声で呟く。
「堺さんと話さないで、なんて言うつもりはありません」
「星奈……」
「本当は嫌ですけど」
「嫌なのかよ」
「すごく嫌です」
即答だった。
「でも、宗春さんを困らせるのはもっと嫌です。面倒な女だと思われるのも嫌です」
「そんなこと思わないよ」
「今は思っていなくても、いつか思うかもしれません」
星奈の指が俺の背中をきゅっとつかむ。
「だから、今日みたいに、ときどき教えてください」
「何を?」
「私が一番だって」
胸へ預けられた声が、わずかに震えていた。
外ではあれだけ堂々と、俺の女だと言い切るのに。
堺さんを前にすると、勝ち誇ったような顔まで見せるのに。
本当はずっと怖かったんだ。
俺が曖昧な態度を取り続けているから。
堺さんを傷つけたくない。
友達だから大切にしたい。
そんな言葉を並べながら、一番近くにいる星奈を不安にさせていた。
俺は何をしていたんだろう。
誰も傷つけたくないなんて、聞こえのいいことを考えて。
結局、星奈に我慢させていた。
「宗春さん?」
黙り込んだ俺を不思議に思ったのか、星奈が顔を上げる。
「どうしました?」
「いや」
俺はもう一度、星奈を強く抱き寄せた。
「わっ……」
「星奈が一番だよ」
「……本当ですか?」
「本当だ」
「堺さんよりも?」
「比べるまでもない」
星奈の瞳が大きくなる。
すぐに嬉しそうに細められた。
「では、もう一度お願いします」
「大好きだよ」
「はい。私も大好きです」
星奈は満足したように目を閉じ、再び俺の胸へ顔を預けた。
もう迷う必要なんてなかった。
俺はとっくに選んでいる。
明日、堺さんと話そう。
二人きりで話したり、一緒に帰ったりするのはやめる。
期待させるような態度も取らない。
友達だから。
傷つけたくないから。
そんな言葉で逃げるのも、もう終わりだ。
俺が隣にいてほしいのは星奈だ。
だったら、選んだ相手が不安にならないようにしないといけない。
「宗春さん、もう少し強くお願いします」
「これくらいか?」
「はい」
俺は腕の中にいる星奈を、もう一度強く抱き締めた。
明日から、堺さんとは距離を取る。
今度こそ、曖昧にはしない。
一番大切な女の子を、これ以上不安にさせないために。




