第61話 恋人だからできること
いつも通り、俺と星奈は教室に登校する。
「宗春さん」
「ん?」
「今日はそのまま一緒に行きましょう」
「教室に荷物を置かなくていいのか? 」
「はい、今日から直接行くようにします」
「分かった」
教室へ到着する。
最近じゃクラスメイトも慣れてきたのか、「また来てるな」くらいの反応しかしない。
俺は自分の席へ向かう。星奈も俺の後ろを追う。
学生カバンを机の上へ置こうとした、その時だった。
「里見君、おはよう!」
明るい声。
振り向くと、銀色の長い髪を揺らした堺さんが笑顔で立っていた。
「堺さん、おはよう」
挨拶を返して、俺は学生カバンを机へ置く。
「星奈ちゃんも、おはよう!」
「……おはようございます」
星奈は視線を合わせず、小さな声で返した。
あれ?
なんか機嫌悪い?
昨日までは普通だったよな。
堺さんも少しだけ首を傾げている。
「どうしたの?」
「何もないです」
短い。
これは絶対何かある。
俺がそう思った瞬間だった。
「いきなりですけど」
星奈がゆっくり顔を上げる。
「堺さんは宗春さんとお風呂に入ったことありますか?」
「……え?」
教室の空気が止まった。
近くで話していた連中まで会話をやめる。
堺さんも目を丸くしていた。
「お、お風呂?」
「はい」
「それは……ないけど」
「そうなんですね」
星奈は1度だけ頷く。
「ないんですね」
星奈は笑みを浮かべる。
「う、うん」
「私は宗春さんと昨日、入りましたよ」
「ぶっ!」
思わず変な声が出た。
「お、おい!星奈!嘘をつくな!」
教室中の視線が一気に俺へ集まる。
「背中を流しただけだろ!」
「お風呂場に一緒に入りましたから」
星奈は真顔だった。
「同じようなものです」
「全然違う!」
「違いません」
「違う!」
「入りましたよね?」
「それは入ったけど!」
「ほら」
「ほら、じゃない!」
堺さんが「あっ」と何か思い出したように手を叩く。
「し、小学生の時に里見君とプールに入ったならあるよ!」
急に前へ出る。
「何度も一緒に学校のプールに入ったもん!」
「……」
星奈がじっと堺さんを見る。
堺さんも負けじと見返す。
なんだこの空気。
怖い。
「小学生の時の話ですよね?」
星奈が静かに言う。
「え、うん」
「私は昨日の話ですから」
「……っ」
「高校生になってから、男と女で大人の体験をしましたから」
勝った。
そんな顔だった。
口元が少しだけ上がっている。
堺さんが一瞬言葉を失う。
「そ、それは……」
反論しようとしている。
でも言葉が出てこない。
昨日という現在。
小学生という過去。
その差は思った以上に大きかったらしい。
教室の空気も「確かに……」という微妙な雰囲気になっていた。
俺だけが頭を抱えている。
「いやいやいや! 変な言い方するな!」
「変ですか?」
「大人の体験って!」
「間違ってません」
「誤解される!」
「事実しか言ってません」
「言い方!」
俺のツッコミなんて完全に無視だった。
星奈は1歩前へ出る。
「それに私と宗春さんは付き合ってますから、こんなこともできます」
そう言った次の瞬間。
星奈は俺の腕を軽く引いた。
「え?」
振り向いた、その瞬間。
ちゅっ。
柔らかい感触が左頬へ触れる。
一瞬だった。
本当に一瞬。
でも教室中が凍り付くには十分だった。
「お、おい! 星奈!」
俺は慌てて左頬を押さえる。
顔が熱い。
絶対赤くなってる。
「な、何してるんだよ!」
「キスです」
「見れば分かる!」
「付き合ってますから」
「そういう問題じゃない!」
教室のあちこちから悲鳴みたいな声が上がる。
「えええぇぇ!?」
「マジでキスした!」
「見た!?」
「目の前で!?」
「リア充かよ!」
男子は騒ぎ、女子は口元を押さえて目を丸くしている。
目の前の堺さんも両目を大きく見開き驚きを隠せない。
星奈だけが腕を組んで胸を張った。
「これが宗春さんの女だからこそできることです」
その1言は、勝利宣言そのものだった。
まるで試合終了のゴングでも鳴ったかのように、自信に満ちている。
堺さんはその姿を見つめたまま固まっていた。
目は少しだけ見開かれ、口元が引きつる。
悔しい。
でも認めるしかない。
そんな感情が表情からそのまま伝わってくる。
「っ……!」
一瞬だけ眉がぴくりと動く。
肩も小さく落ちた。
そして苦笑いを浮かべた。
「……やるね」
その1言には強がりが半分、素直な敗北宣言が半分。
完全に1本取られた。
そんな空気だった。
星奈は満足そうに小さく笑う。
「ありがとうございます」
「褒めてないんだけどね」
堺さんも笑い返す。
さっきまでの張り詰めた空気が少しだけ和らぐ。
……いや、和らいでない。
「今日は完敗かな」
「はい、私の勝ちです」
「でもね、これで終わるとは思わないでね」
「望むところです」
その宣戦布告を聞いた星奈も静かに微笑んだ。




