第6話 義妹は俺を助けたかったらしい
キーンコーンカーンコーン。
1時間目の終了を告げるチャイムが鳴り響く。
先生が教室を出ていくと同時に、クラス中が一気に騒がしくなった。
「次の授業なんだっけ?」
「購買行こうぜ!」
「トイレ行ってくるー」
あちこちで声が飛び交う。
だが。
俺――里見宗春の周囲だけは少し違っていた。
「なぁ、やっぱり乾さんって里見と知り合いなんじゃね?」
「朝も完全に里見を庇ってたよな」
「絶対なんかあるだろ」
「え、でも接点なくない?」
ひそひそとした声が耳に入る。
視線も感じる。
男子も女子も。
まるで珍しい動物でも見るように俺を見ていた。
居心地が悪い。
正直、今すぐこの空間から逃げ出したい。
朝までクラスの誰からも興味を持たれていなかったボッチが、突然1年で1番の美少女と謳われる乾星奈に庇われたのだ。
注目されない方がおかしい。
「……」
俺は視線から逃げるように席を立つ。
少し気分を落ち着かせたかったのもあり、トイレへ向かうことにする。
背中に突き刺さる好奇の視線を感じながら教室を後にした。
教室を出て廊下を歩く。
朝の出来事が頭から離れなかった。
義妹の乾星奈が突然教室に現れ、坂田たちを一喝した。
おかげで俺は救われた。
だが、なぜあそこまでしてくれたのか。
その理由が気になっていた。
そんなことを考えながら歩いていると――。
「あっ」
不意に視界の先に見覚えのある姿が映る。
廊下の向こう側。
長い亜麻色の髪を揺らしながら歩いていた義妹だった。
どうやら向こうも俺に気付いたらしい。
ぱっと表情を明るくする。
「あ! お兄ちゃ――」
そこまで言いかけて。
義妹はハッと目を見開いた。
そして慌てて両手で口を塞ぐ。
「んむっ!?」
危なかった。
あと少しで盛大に兄妹関係を暴露するところだった。
周囲をキョロキョロと確認した後、義妹はほっと胸を撫で下ろす。
それから気を取り直すように背筋を伸ばした。
「さ、里見先輩!」
今度はしっかりと言い直す。
しかも嬉しそうな笑顔付きだった。
その様子はまるで褒められた子犬みたいである。
「ああ」
俺は苦笑する。
「さっきはありがとう」
「え?」
義妹がきょとんと目を丸くする。
「教室で助けてくれただろ」
そう言うと、義妹は少し照れたように頬を赤く染めた。
「い、いえいえ。当然のことをしたまでです」
ぶんぶんと手を振る。
まるで大したことではないと言いたげだ。
だが、俺からすれば大したことだった。
もし義妹が来ていなければ、あの場はどうなっていたか分からない。
「それでも助かったよ」
「そう言っていただけると嬉しいです」
義妹はふわりと微笑む。
柔らかい笑顔だった。
だからこそ気になった。
「1つ聞いてもいいか?」
「なんでしょう?」
「どうしてあそこまでしてくれたんだ?」
俺が尋ねると。
義妹は少しだけ目を伏せた。
そして真面目な表情になる。
「……恩があるからです」
「恩?」
「はい」
義妹は小さく頷く。
「私、助けてもらいましたから」
「助けてもらった?」
「はい」
義妹は優しく微笑んだ。
「ナンパから救って貰いましたから」
その言葉に俺は黙って耳を傾ける。
「だから、恩返しです」
義妹の声は穏やかだった。
だが次の瞬間。
その瞳に強い意志が宿る。
「そんな大切な人をバカにされているのを見たら……黙っていられませんでした」
「……」
「許せなかったんです」
義妹はそう言い切った。
その表情に迷いはない。
本心なのだろう。
俺は少しだけ驚く。
まさかそこまで思われているとは考えていなかった。
「そうか」
「はい」
義妹はこくりと頷く。
そして。
「それに……里見先輩は優しいですから」
「ん?」
俺が聞き返す。
義妹はハッとしたように肩を震わせた。
「あ、いえ!」
慌てて両手を振る。
「その……私を助けてくれましたし!」
「別に大したことじゃないだろ」
「私にとっては大したことです」
義妹は即答した。
その声は驚くほど真剣だった。
「だって、あの時の里見先輩……本当に格好良かったですから」
そう呟く。
最後の方は聞き取れないほど小さな声だった。
「ん? 何か言ったか?」
「な、なんでもありません!」
義妹は真っ赤になりながら首を横に振る。
そして無理やり話題を切り替えるように笑顔を作った。
「と、とにかく! また何かあったら頼ってくださいね。里見先輩!」
その言葉に。
俺は小さく笑った。
「その時は頼るよ」
「はい!」
義妹は嬉しそうに返事をする。
まるでそれだけで満足したように。
そして1歩後ろに下がった。
「それじゃあ、私は教室に戻りますね」
「ああ」
「また後でです。里見先輩」
義妹はにこりと笑う。
その笑顔はどこか上機嫌だった。
まるで欲しかった言葉をもらえた子供のように。
そして踵を返す。
長い亜麻色の髪がふわりと揺れた。
数歩進んだところで。
義妹は誰にも聞こえないくらい小さな声で呟く。
「えへへ……」
思わず漏れてしまったような笑い声。
その横顔は幸せそうだった。
俺と話せたことがそんなに嬉しかったのだろうか。
不思議に思いながら、その背中を見送る。
義妹は途中で1度だけ振り返った。
俺と目が合う。
すると慌てて前を向き、足早に廊下の向こうへ消えていった。
「……?」
俺は首を傾げる。
やはり変な奴だ。
だが――。
悪い気はしなかった。
そして。
ふと気付く。
「……そういえば俺、トイレ行く途中だったな」
義妹との会話ですっかり忘れていた。
俺は苦笑しながら再び歩き出す。
先ほどまで感じていたクラスメイトたちの視線も、今は少しだけ気にならなくなっていた。
朝よりも心が軽い。
そんな不思議な気分のまま、俺はトイレへ向かった。




