第35話 風呂上がり
「お兄ちゃ〜ん。次、お風呂入れるよ〜」
軽いノックの後、俺の部屋のドアが開いた。
「ん?」
顔を上げる。
そこに立っていたのは星奈だった。
上下ピンク色のパジャマ姿。
風呂上がりなのだろう。
白い頬はほんのり赤く染まり、まだ少し湿った亜麻色の髪の上にはタオルが乗せられていた。
「お、空いたのか」
「はい。お母さんも『次は宗春君ね』って言ってましたよ」
「ああ。すぐ行く」
俺は読んでいたラノベを閉じる。
そろそろ風呂に入るか。
そう思ってイスから立ち上がろうとした。
「あっ!」
その瞬間だった。
星奈がぱっと目を輝かせる。
「なになに!? お兄ちゃんって小説読むんですか!?」
星奈は興味津々といった様子で、机の方へ近づいてきた。
「読むけど?」
「へぇ〜!」
いつの間にか俺のすぐ近くまで来ていた。
「見せてください!」
「おい」
止める間もなく、星奈は机の上に置かれたラノベを覗き込む。
しかも。
ぐいっ。
「うおっ」
やたら近い。
肩が触れそうなほどの距離だった。
いや。
もう少し動けば確実に触れる。
「ふーん。恋愛ものですか」
「悪いか?」
「全然悪くないです」
星奈は楽しそうに笑う。
「むしろ安心しました」
「安心?」
「はい。お兄ちゃんもちゃんと恋愛に興味あるんだなぁって」
「余計なお世話だ」
「ふふっ」
笑った拍子に、濡れた髪が俺の肩をさらりとかすめた。
その瞬間。
ふわり。
甘いフローラルな香りが漂ってくる。
シャンプーか。
それともボディソープか。
とにかく、とんでもなくいい匂いだった。
鼻腔を優しくくすぐる甘い香り。
風呂上がり特有の清潔感のある匂いも混ざっていて、妙に落ち着かない。
本当に俺と同じシャンプーとボディソープを使ってるんだよな?
信じられない。
なんでこんなに違うんだ。
「これ、お兄ちゃんのおすすめですか?」
「ん?」
「この小説です」
星奈はそう言いながら、さらに身を乗り出してくる。
近い。
本当に近い。
耳元で話されているみたいだった。
「まぁ、面白いぞ」
「じゃあ今度貸してください」
「別にいいけど」
「やった!」
星奈は満面の笑みを浮かべた。
「お兄ちゃんの好きなもの、私も知りたいですし」
「なんでだよ」
「好きな人のことは何でも知りたいじゃないですか」
「……」
さらっととんでもないことを言われた気がする。
「お兄ちゃん?」
「え?」
「どうしたんですか?」
「いや、なんでもない」
駄目だ。
このままだと理性が危ない。
俺は誤魔化すように立ち上がった。
「と、とりあえず風呂入ってくる」
「あ」
そのまま部屋を出ようとする。
だが。
ぎゅっ。
「……え?」
突然、右腕に柔らかい感触が押しつけられた。
「私も一緒に下に行きます」
いつの間にか、星奈が俺の腕に抱きついていた。
「お、おい。離れろ」
「嫌です」
「即答かよ」
「だって、お兄ちゃんと一緒にいたいですし」
星奈は当然のように言う。
しかも、抱きついたまま頬をすり寄せてきた。
しかも距離が近い。
近すぎる。
腕に伝わる体温。
風呂上がりのいい香り。
柔らかな感触。
全部が俺の心臓に悪かった。
「……分かったから、とりあえず離れろ」
「やです」
「なんで」
「1階に着くまでです」
「短くないか?」
「短いから我慢してください」
「意味分からん」
「ふふっ」
星奈は嬉しそうに笑った。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「大好きです」
「……急に言うな」
「本当のことですから」
そう言って、星奈はさらに腕にしがみついてくる。
「お兄ちゃんと家族になれて、私、すごく嬉しいんです」
「そうか」
「はい。だから、いっぱい一緒にいたいです」
「……はいはい」
その笑顔を見た瞬間。
無理矢理引き剥がす気が失せた。
「……はぁ」
「行きましょう、お兄ちゃん」
「ああ」
結局。
俺は腕に抱きついたままの星奈と一緒に部屋を後にした。
風呂に入る前だというのに、俺の心臓だけはとっくに熱くなっていた。




