第30話 ダメですか?
「な、なあ。星奈」
教室を出た廊下。
俺は腕に抱きついて歩く星奈に声を掛ける。
左腕は未だに人生で感じた事のないほど柔らかく包容力の高い感触に包まれる。
「はい?」
星奈は俺を見上げる。
その拍子にさらりと亜麻色の髪が揺れた。
近い。
近すぎる。
肩が触れるどころじゃない。
腕全体が星奈の温もりに包まれている。
制服越しなのに分かる。
柔らかい。
温かい。
そして、いい匂いがする。
シャンプーの匂いだろうか。
甘くて優しい香りがふわりと鼻をくすぐる。
落ち着くような、でも逆に意識してしまうような、そんな匂いだった。
「その……ずっとこうしてるのか?」
「こうしてるって?」
星奈はきょとんとした顔をする。
そして。
自分が俺の腕に抱きついていることに気づいたらしく、小さく首を傾げた。
「これですか?」
「ああ」
「……」
星奈が足を止める。
「おっと」
俺も合わせて止まった。
すると。
「……ダメですか?」
上目遣いだった。
大きな瞳が不安そうに揺れている。
それだけじゃない。
星奈はさらに身体を寄せてきた。
ぴたり。
制服越しに伝わる体温。
柔らかな感触。
距離なんてほとんどない。
近い。
近すぎる。
俺の理性がゴリゴリ削られていく。
何を考えてるんだ?
いや。
こいつ、絶対分かってない。
自分がどれだけ破壊力のある行動をしているのか全く理解していない。
「……いや、ダメじゃない」
結局。
俺は負けた。
こんな顔をされて断れる男なんて存在するのだろうか。
少なくとも俺には無理だった。
それほど星奈は魅力的だった。
「やった♪」
星奈の声が少し上擦る。
嬉しそうだった。
ぱっと花が咲いたみたいな笑顔を浮かべる。
そんなに嬉しいのか。
「それじゃあ、引き続き行きましょう!」
星奈は昇降口を指差した。
「ああ」
俺は頷く。
「レッツゴーです」
星奈は再び歩き始めた。
当然のように腕に抱きついたまま。
俺も諦めて歩き出す。
すると。
「えっ……」
「嘘でしょ」
「また一緒にいる……」
「ていうか、あれ腕組んでない?」
廊下にいた生徒たちがざわつき始めた。
男子も女子も関係ない。
全員の視線がこっちに集まっている。
そりゃそうだ。
学年1(1年の)の美少女が男の腕に抱きつきながら歩いているんだから。
「ふんふん~♪」
しかし。
当の本人は全く気にしていない。
むしろご機嫌だった。
鼻歌まで歌っている。
もし後ろに尻尾があれば確実に振っている。
一方、俺は平静を装うのに必死だった。
おいおい。
勘弁してくれ。
もう少し周りを気にしてくれ。
視線が痛い。
主に男子から。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「えへへ」
「何だよ」
「呼んでみただけです」
「……そうか」
「はい♪」
星奈は満足そうに頷いた。
そして。
ぎゅっ。
さらに腕を抱きしめる力を強くする。
「お、おい」
「嫌でしたか?」
「いや……」
「嫌じゃないなら大丈夫です」
即答された。
しかも満面の笑み付き。
「私、お兄ちゃんとこうして歩くの好きなんです」
「好き?」
「はい」
星奈は真っ直ぐ俺を見つめる。
「だって安心しますから」
「安心?」
「そうです」
星奈は少しだけ頬を緩めた。
「お兄ちゃんの隣にいると、何だか落ち着くんです」
「……」
「だから、もう少しだけこのままじゃダメですか?」
反則だろ。
そんな顔。
そんな声。
そんなお願い。
断れるわけがない。
「好きにしろ」
「本当ですか?」
「ああ」
「やった」
星奈は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間。
周囲の視線なんてどうでもよくなった。
……いや。
やっぱり少し気になるけど。
隣で幸せそうに笑う星奈を見ると、無理に離す気にはなれなかった。
「ふふっ」
「何だよ」
「秘密です」
星奈は悪戯っぽく笑う。
そして。
俺の腕に頬をそっと擦り寄せた。
その仕草に、俺の心臓はまた大きく跳ね上がるのだった。




