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想ひ出のアヂサヰ亭  作者: 七海美桜
二十三膳目【明治四十三年四月】

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ふみの手紙とたらクリーム煮・下

 赤坂新町にある丸木屋に行くと、すぐに亀吉さんが対応してくれた。

「台車を貸して下さり、ありがとうございます。助かりました」

 俺はさっきみんなで食べた甘名納糖を、少し分けておいた。それを紙に包んで、持ってきていたんだ。

 その包んだ紙を亀吉さんに渡すと、彼はとても喜んでくれた。

「お菓子だ! 貰ってもいいんですか?」

 キラキラと瞳を輝かせる亀吉さんの鼻の頭には、やっぱり炭が付いている。それを見ていると彼が仕事を頑張っているんだと感じて、吉蔵さんが可愛がっている理由が分かる気がする。

「うん。休憩のときに食べてよ、いつもありがとう」

「亀坊、明日もよろしくな」

 俺と吉蔵さんの姿が見えなくなるまで、亀吉さんは手を振ってくれていた。

「吉蔵さん、城のお堀を回って帰りましょう。あそこは、本当に桜が綺麗ですよ」

 俺が明治に飛ばされた年の四月。おっかさんに連れられて、俺としのはここで桜を見た。明治に入ってから植えられたというソメイヨシノが本当に綺麗で、芋粥を食べた時みたいにたくさんの涙が出た。

 俺にとって、特別な桜なんだ。

「将軍様のお城か。いいな、行こう」

 大八車を返したので、俺たちは身軽だ。軽やかな足取りで、同じように桜を見に来たらしい人たちの中に混じって歩く。


「恭介、俺は大丈夫か? お前の期待に添えているか?」

 お堀を歩きながら、俺と吉蔵さんは満開を迎えた桜を静かに見ていた。現代だったら、写真に収めようと思うだろう。でも、今はこの目の前の光景を、俺の心の中に収めておきたいと思った。

 そんな俺の少し後ろを歩いていた吉蔵さんがそんなことを言うから、俺はびっくりして振り返った。

「吉蔵さん、どうしたんですか? 何か心配な事でもあるんですか?」

 俺は立ち止まって、吉蔵さんを見つめた。吉蔵さんは困った顔をして、頭を掻いた。

「恭介が忙しいから、しのちゃんやりんさんが俺に気を遣ってくれているのが申し訳なくてさ。お前とゆっくり話す暇がないから、俺はお前の役に立てているのか――心配で、気になっててさ」

 吉蔵さんって、本当に真面目だな。俺は、まじまじと彼の顔を見つめてしまった。そして――しのを取られてしまうかもって心配が馬鹿らしくなって、思わず吹き出してしまった。

「吉蔵さん、帰ろう! ご飯食べて休んだら、夕飯一緒に作ろう! 今日は、俺と一緒に作ろうよ」

「え? あぁ、うん」

 吉蔵さんの後ろに広がる満開の桜に手を振ってから、俺は吉蔵さんをせかすように蕗谷亭に戻った。


 蕗谷亭に戻って昼飯を食べると、俺と吉蔵さんは薬研氏の秘密の会食の部屋で横になった。大きな窓を開けると風が入ってきて、気持ちがいいんだ。

「そう言えば恭介、手紙は読んだのか?」

 この部屋は板張りなので、少し背中が痛くなる。吉蔵さんが自分の敷布団と、食堂の部屋に置いている座布団を持ってきてくれた。その上に俺たちは並んで寝そべっていた。しのが置いていったのか、ミケも部屋に入ってきて吉蔵さんと俺の間に寝転がった。

「手紙? ああ、ふみの手紙か! すっかり忘れてた」

 その言葉に、俺は起き上がって座布団の上に座り直した。そうして、帯の間に挟んでいたふみの手紙を取り出す。

 封を開けると、気のせいかもしれないけど潮の香りがした気がした。

 便箋を広げると――その隙間から、何かが舞うように落ちた。吉蔵さんが拾って、俺に渡してくれる。

「写真?」

 受け取った俺は、怪訝に思いながらもそれをよく見た。

 少し大人びたふみの写真だった。


 俺はなんだか落ち着かなくて、休憩を切り上げて厨房に向かった。そんな俺を心配したのか、吉蔵さんも付いて来てくれた。ミケも後に続く。

「これは、牛乳から作るのか」

 吉蔵さんが、不思議そうに俺が作ったチーズを見ていた。

「うん。でも、今日はこれが主役じゃないんだ。作る過程でできた、これを使うんだよ」

 俺は、チーズが乗っているざるの下の桶にあるホエーを指差した。吉蔵さんは、ますます不思議そうな顔になった。

「これは、牛乳から分離した乳清(にゅうせい)って呼ばれるものなんだ。乾酪を作った後に残るんだけど、捨てるのはもったいないんだ。牛乳の中にあった栄養も残っているからね」

 俺はよく知らなかったんだけど、この時代は病気も多かったんだ。脚気(かっけ)や結核、くる病とか。医学的なことは分からないけど、俺は食事でみんなの身体を支えることぐらいはできるんじゃないかなって思ってる。

 毎日、たくさんのおかずを並べるわけにもいかない。でも、出来る限り偏らないように気を遣っている。朝の白米を麦飯にしたり、夕飯は麦を混ぜたり。塩分が強いものもなるべく減らして出汁を強くした。

 今はまだ、牛乳より乾酪は高い。少しの量でいいから作れるようになれば、これから開く洋食屋の助けになるはず。だから、せっかくのホエーも無駄にしたくないんだ。


「本当に、恭介は物知りだな。年下なのに、本当に尊敬ばかりだ」

 魚屋が持ってきてくれていた鱈が、水を張った桶の中に入っている。吉蔵さんに魚を捌く練習をするために、今夜の献立にしていたんだ。

「俺は、竈の火を上手に調整できる吉蔵さんを尊敬してるよ。洗い物も率先してやってくれるし、重いものも進んで運んでくれる。俺たちは、一緒に働いてるんだ。出来ることが違っても、協力すればみんなに喜んでもらえるんだ」

 そう言って俺が笑うと、吉蔵さんは少し力が抜けたような表情を浮かべた。

「吉蔵さんは、これから洋食をたくさん覚えてくれたらいいよ。りんさんもしのも、知識は同じくらいだ。みんなで協力して、東京で一番の洋食屋さんになろうよ!」

「そうだな。うん、俺、頑張るよ」

 

 俺と吉蔵さんは、並んで夕飯のメインを作り始めた。吉蔵さんは自信なさそうに包丁を握っていたけど「煮込むから気にしないで!」と励ました。

 鱈を捌いて切り分け、塩と胡椒をかけて休ませる。水分が出てきたら、それを綺麗な手拭いで拭いてからメリケン粉をまぶす。菜種油を引いた鍋で、軽く焦げ目をつけるように焼いて一度鍋から取り出す。続いて椎茸と白菜、玉葱を吉蔵さんに切ってもらい、俺が鍋で炒める。とろみ用のメリケン粉も入れて、ダマにならないようによく混ぜた。

「その鍋に乳清を全部入れてください」

 吉蔵さんにホエーを入れて貰って、俺は缶に入れて常備している粉にした昆布を入れてうま味を足した。そして、少しの白味噌も忘れずに。

 煮立ってきたら、鱈を鍋に戻して残していた牛乳とチーズを入れた。仕上げに、塩コショウで味を調える。

「できた! たらのクリーム煮だよ。俺と吉蔵さんで作った洋食だよ!」

 俺は汁用の椀に入れて、吉蔵さんに差し出した。

「食べていいのか?」

 俺が頷くと、吉蔵さんは匙に乗せたたらを食べた。それから、よく吹いて冷ましたスープを飲んだ。少し赤い頬は、その表情で「美味しい」と教えてくれている。

「美味い! 魚臭さがないな。牛乳ってあんまり馴染みないけど、汁の味が深くなってる気がするな。コクっていうやつか?」

 吉蔵さんの顔が輝いた。吉蔵さんって、最初は腹を満たすためにたくさん食べるって印象だったけど、最近は味わって食べることが多い。それだけ、生活や気持ちが安定して来たってことかな。たくさん食べるのは、変わらないけどね。見ていて気持ちいいよ。


「――俺さ、恭介の飯を食ってきて思ったことがあるんだ」

 汁椀を両手で支えるように持って、吉蔵さんが言葉を続けた。

「美味しいのは勿論だけど、優しい……ホッとする。懐かしい味、とかさ。恭介の飯を懐かしいって言うのは変かもしれないけど、そうとしか言えないんだ。幸せになる味なんだ」

 それは、おっかさんも言ってくれた言葉だ。幸せになる味――その言葉が、俺も幸せにしてくれるんだ。


 嬉しくなった俺も、味見で椀に入れて食べた。俺と吉蔵さんはこれの応用にはどんな具材がいいかなんて話していたら、いつの間にか眠ってしまったらしい。

 遠くで、楽しそうなしのとりんさんの声が聞こえたんだ。

「ゆっくり寝ててね、兄ちゃん」

 起きようとしたんだけど、しのの優しい声を聞いたら俺はそのまま朝まで寝てしまったんだ。起きた俺の体には、吉蔵さんの布団が掛けられていた。隣では、吉蔵さんも寝ていた。


 ――五月十九日は、ほうき星の毒でみんな死んでしまうそうです。恭介くん、あたしに会いに来てくれませんか


 ふみの手紙に、どう返事をしようか。

 俺は、綺麗に片づけられた蕗谷亭の食堂を眺めて、小さく息を吐いた。

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