ふみの手紙とたらクリーム煮・中
「兄ちゃん、これ。ふみちゃんからだよ」
しのは、何だか複雑そうな顔をして俺に封筒を差し出した。受け取った俺が差出人を見ると、それは神戸のふみからだった。
「ふみから? なんで俺に?」
「知らない。あたし宛と、兄ちゃん宛の二通来てたんだ」
そう言って、しのは置いていた割烹着を身に付ける。ふみから俺個人宛に手紙が来ることなんて、今までなかった。
「親戚からか?」
帰って来てから姿が見えなかった吉蔵さんが、額の汗を手拭いで拭いながら厨房に入ってきた。
「しのちゃんのお友達だよ。ほら、たまに来るかよちゃんって子がいるだろ? 尋常小学校で有名な、三羽の小鳥の一人さ。神戸まで奉公に行ってるらしいよ」
「そうだな。三人ともおしゃべりが好きだったもんな」
りんさんが代わりにそう答えると、俺は笑ってしまった。かよもふみも性格はずいぶん違うが、三人は仲が良くて授業が始まるまでよく話し込んでいた。しのが「仲のいい友人」と笑って言える、数少ない学友だ。俺の言葉に、しのは少し顔を赤くしながら頬を膨らませていた。
「かよちゃん……うん、分かるよ。おかっぱが良く似合う、頭がいい子だよな。医者になるって聞いた。ふみちゃんは知らないけど……神戸か、そりゃ遠いところまで大変だな――それより、話の途中でごめん。恭介、薪を貰って来た。小屋に入れておいたよ」
吉蔵さんは、先日かよと会った時を思い出している。でも、その感想以上の興味はないみたいだ。
「薪を? ああ、木っ端と端薪かな。また、手に入ったんだ」
蕗谷亭が出来た時に薬研氏が、薪炭商に薪を持ってきてくれるように手配をしてくれていた。奇数日の朝に、丁稚さんが大八車で運んでくる。この店が薬研製薬のまかない作りを終えてからは、俺との契約に変えてもらった。そして、吉蔵さんが働きだしてからは、彼に薪の管理を任せていた。
「うん。また新しく洋館を建てるみたいで、最近は定期的に長屋の取り壊しがあるみたいだ。まだ入ってくるみたいだから、お願いしておいた」
建て替えや取り壊しの際、木っ端と端薪が出る。これは見た目が悪いから、あまり売りに出ないみたいなんだ。でも、食事処では燃やすだけだし安く手に入るから重宝される。最近は洋風建築が増えているから、薪炭商から手に入りやすいんだ。
小さかった俺たちが店を始めるっていうので、薪炭商の旦那さんは昔から俺たちによく融通してくれていたんだ。その縁が今も続いているのが、うれしい。吉蔵さんはそれを運んでくれていたから、汗を拭いていたんだ。
「朝来た亀坊が、昼頃仕入れるって声をかけてくれてたんだ。台車を借りて、さっき俺が運んできた。今からその台車を返しに行くよ」
蕗谷亭に薪を持ってきてくれている丸木屋の、十二歳の丁稚さんだ。丸坊主で小柄ながらも力があって、いつも鼻の頭に炭が付いているのをからかわれているんだ。吉蔵さんは、弟みたいに亀吉さんを可愛がっている。
「ごめんなさい、吉蔵さんに力仕事ばっかりお願いして」
俺が頭を下げると、吉蔵さんは笑って俺の肩を叩いた。
「今、ほうき星で夜は賑やかじゃないか。桜がこんなに綺麗に咲いているのに、みんな夜更かしして夜空を見上げてさ。今が盛りの桜が寂しいだろうから、ついでに桜を見て来るよ。それぐらいはいいだろう?」
明治の四月は、桜が盛りだ。現代では三月に盛りを迎えるので、四月でも綺麗に咲いている桜の光景に俺は最初びっくりした。
それより、このほうき星事件。ほうき星っていうのは、ハレーすい星のことだ。俺はハレーすい星に特別詳しい訳ではないが、危険なものではないと知っている。でも、明治時代の人々にはまだまだ未知のものらしくて最近はこの話題ばかりだ。
毒素が地球を覆って人類が滅亡するとか、酸素が何分かなくなるとか。でも、意外と冷静な人も多いんだ。天体ショー的な感覚で、今は天体観測が流行っている。五月にかけてもっと見えるようになるみたいで、肉眼でも見えるこの彗星騒動はしばらく収まらないだろう。
吉蔵さんが言うように、今年は花見より夜空が流行りなんだ。確かに、桜が不憫だよね。
「それなら、俺もついて行っていい?」
「恭介が?」
俺の言葉に、吉蔵さんは少しびっくりしたようだ。そんな会話を聞いていたのか、りんさんとしのが俺たちの傍に来た。
「いいね、行ってきなよ。男二人でのお出かけなんて、初めてじゃないかい?」
「うん。兄ちゃんも少し休んできなよ。きっと桜、綺麗だよ」
俺は、尊さんに貰った懐中時計で時間を確認した。
「急ぎで返さなくてもいいなら、昼定食が終わってから一緒に返しに行こうよ。しのとりんさんに、洗い物の残りをお願いすることになるけど」
俺は吉蔵さん、りんさん、しのの顔を順番に見た。りんさんもしのも笑顔で頷いてくれたのを見て、吉蔵さんは少し嬉しそうな表情で頷いてくれた。
「じゃあ、急いで昼定食を仕上げよう。思ったより、時間がかかっちゃった」
今日の昼定食は、牛蒡と長ねぎと焼き豆腐で作った牛飯定食。芝海老と小魚のかき揚げ蕎麦。マグロのねぎま鍋定食。りんさんが率先してかき揚げを調理してくれるから、飯炊きと蕎麦茹でを吉蔵さんが担当。俺としのが牛飯とねぎま鍋の仕上げをすることにした。
「その前に、甘名納糖食べさせておくれよ」
「はいはい、皆で食べよう」
りんさんの言葉に笑ってから、俺はお土産にもらった甘名納糖を開けてみんなに勧めた。吉蔵さんとしのは最初断っていたけど、りんさんが「美味しい、美味しい」と言うものだから、我慢できなくなったしのが手を伸ばして吉蔵さんにも進めていた。
それを見ながら、俺も手を伸ばした。
「美味しいな」
甘いものを食べていて、本当に良かった。その日の昼定食は、本当に忙しくて大変だったんだ。看板を下ろした時に、四人でホッとして顔を見合わせたよ。
「じゃあ、行こう。りんさんとしの、後はよろしく。片づけ終わって昼飯を食べたら、家に帰ってくれていいから」
俺は二人に声をかけて、吉蔵さんと台車を引いて丸木屋に向かった。
参考:ことばマガジン「ハリーのしっぽが怖い!」(http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/mukashino/2013032100001.html)
参考:Wikipedia「ハレー彗星」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AC%E3%83%BC%E5%BD%97%E6%98%9F)
参考:明治43年(1910年)5月19日『大阪朝日新聞』




