ⅩⅡ:魔界へ
ガトールークは、今自分が出てきたばかりの鏡を床になぎ倒し、叩き割った。
「フフ、こしゃくな真似を…」
ガルシアが、血のついた唇の端を手の甲でぬぐう。
「何をするつもりか知らんが───────」
ガルシアは延々講釈をたれている。
要するに、自分のホームグラウンドに帰った今、ガ ールークには万にひとつも勝ち目はないということが言いたいらしい。
その持ち上がった口角に、余裕がにじんでいる。
ガトールークはその間に、この部屋の全貌をだいたい把握した。
書斎だ。
たいして広くもない。
壁を覆うように連なる本棚に詰めこまれているのは、魔法書だ。
それらは、机上にも山と積んである。
家具といっては、それら本棚と立派なデスク、
それから、今使い物にならなくしてしまった、デスクの左斜め後ろの、鏡。
それだけだ。
あとは床に敷かれた絨毯が広がるだけである。
おそらく、ガルシアの隠れ家的な場所なのだろう。
ガトールークは、まだ魔法で戦える可能性を感じていた。
太股に縛りつけられた短剣、
そこから魔力が流れこんでくることは著しい。
空間を移動する、強力な魔法を使ったが、その残響は微塵も体に残っていない。
短剣は彼が失ったエネルギーを補填するどころか、それ以上のものをもたらしていた。
「────まあ、
人間にしては魔法に長けていると見た─────」
ガルシアが、ガトールークに歩み寄る。
「そのお前が、私に敵わないことを理解できないはずはあるまい?」
至近距離だ。
下らないにもほどがある無駄話だが、さすがに彼が息のかかるほど眼前にいる状態で、無視はしきれない。
「勝つか負けるかなんて、
あいにく俺、超能力者じゃないから、やってみるまで結果は見えないよ」
「これは驚いた。
まだわからんと言うか」
「ああ、
でも──────
だいたいお前の言いたいことはわかる」
ガトールークが、右手を振った。
デスクに積まれた魔法書たちが、彼のもとに飛んできて、魔方陣の描かれたページを開く。
「三つに分かれたこの世界で、魔界が闇寄り、天界が光寄り、人間界がちょうど真ん中って、ついこの間覚えたんだ。
魔法も種族も、そこにある属性と一致したものの方が強い力を発揮できるってこともな。
…ここにあるの、みんな闇属性の魔法書だ。
お前は魔族だし、使うの、ほとんどこういう魔法なんだろうな。
だから、お前は、自分に分があると思ってるんだ」
「ご名答。
そこまでわかっていて、なぜお前は私に歯向かおう とする?」
「それは──────」
ガトールークの指が、数多の魔方陣をなぞった。
彼が触れた魔方陣は妖しく紫に輝き、その手に光を収束させていく。
全身を駆け抜けてゆく、魔力。
彼は目を細めた。
「俺だって、お前と同じことができるからさ!」
「え──────っ?!」
セレスティーナは、蒼い目を見開いた。
「ガトールークさん、ひとりで魔界に行っちゃったの─────?!」
フェニックスが、ため息をついて、黒い夜空を透かすステンドグラスを見上げる。
「…四階の角部屋がいいと言っていたのはそういう事か…」
「いや、エンジェルは、あそこにポータルが設置してあるとは思ってなかったみたいだったぜ?」
ゼロシキは、首の後ろに手をやる。
「たまたま壊れた壁の裏側にそれを見つけて…
そっちに行った方がいいって判断した感じだった」
「ええ?
でも、どうして?」
「まあ… 主原因は、エンジェルが、本気で戦えてるわけじゃなかったコトだ───────
一応、周りの環境とかいろんなモノをぶっ壊さねえように気を使ってたらしい」
「…ねー、ゼロシキ」
ゼロシキの頭の上のロコが、不安げに、鳴いた。
「ガトールーク、だいじょぶかナー…?」
「まったく、困った奴じゃのう」
三人は、声の方に目をやる。
ジェニファントと、フランケンだ。
礼拝堂に下りてきたらしい。
「ジェニファントさん…」
「案ずるでない」
老神父は、今にも泣き出してしまいそうなセレスティーナを制した。
「わしも魔法やら何やら難しいことは毛頭わからんがの、そのレードラント王に負けるとは思っとらんよ」
「それは…どうして?」
セレスティーナが、声を詰まらせた。
「ガトールークの方が間違いなく、ガルシアよりも魔法の使用歴が長いじゃろ」
「…使用歴…な」
ゼロシキが、腕組みする。
「じーさん、オレだって、エンジェルが負けると思ってるワケじゃねえが…
“欲望”を持った“魔物”って、結構アドバンテージだぜ?
…使用歴で覆せるかって言ったら、微妙じゃねえか…」
「まだお前も若いからのう、わからんでも無理ないわい」
ジェニファントは、蓄えた白いひげをなでた。
「光る泥団子と同じじゃ。
どんなにセンスがあろうが、素人が一朝一夕に、表面に光沢を持った球体を砂場の泥をこねて作るなんて無理じゃろ」
「やればやっただけ、上手くなる───────
そういうコトか」
「そうじゃ。
わしが見ている限り、ガトールークはあの魔法を日々上達させているからの。
ああなったものは、簡単に折られはせんよ」
「まあ、
…そうかもな」
ゼロシキが、息をついた。
「ねー」
ロコが、セレスティーナの肩に飛びうつる。
「ガトールークのとこ、いこうヨー」
「ロコちゃん…
行くって、どうやって?」
「わかんない!
けど、いこ!」
「無理さ」
ゼロシキが椅子に腰掛け、机のへりにもたれかかる。
「あの部屋にあったポータルは、ぶっ壊れちまったんだから」
「…そうだよね…」
「やだ!
ガトールークのとこ、いくノ!」
…
「あ、あのう…」
ジェニファントの後ろから、フランケンが、おずおずと顔を出した。
「わ、ワタシでよろしければ、
… 開けましょうか、ポータル」
…
「えっ?!
フランケンさん、できるの?!」
セレスティーナが、息をのむ。
「ええまあ…
一応、魔物の端くれですし」
フランケンは小さくうなずく。
「あのポータルの出口は、アトラスの死体が眠る氷山のすぐそばの建物の、ある一室です。
おそらく、おふたりはまだそこにいるでしょう。
まったく同じ部屋というわけにはいかないかもしれませんが、その建物の中のどこかには繋げられると思います」
ゼロシキが、腰を上げた。
「そりゃありがたい!
今すぐ、開けてくれるか」
「ええ、はい」
フランケンは、続けた。
「それにあたってなんですけれど、
…言いにくいんですが、
もし大きな鏡があれば、それをいただきたいのですが…」
彼は決まり悪そうにうつむく。
「…なるほど、鏡は使い捨てか」
フェニックスが、口を開いた。
「鏡やガラスなど、姿を映すものどうしを繋いで開けるポータルは、
…鏡や窓など何でも構わんが、まず人が通れる大きさであるというのが最低限で、
加えて、光の強弱によって映る向きが表裏入れ替わったりする窓などは適切とは言えん。
つまりまともなポータルを開けようと思ったら、大きな鏡があれば最良条件ということ、
それだけは聞いたことがあったが…」
「ええ、ええ。
ポータルは割れるまで、その力を失うことがないんです。
でも、使わなくなったポータルは、治安上壊してしまう方がいいと思うので…
それでちょっと言い出しにくかったんです。
大きな鏡なんて、どこの家にでもあるものじゃないですし、ましてストックなんて絶対ないでしょうし…」
「いいじゃろう、好きに使っておくれ」
ジェニファントの言葉に、フランケンが顔を上げた。
「ほ、本当ですか!」
「ああ。
わしの部屋に姿見がある。
あれなら十分じゃろう」
フェニックスとゼロシキ、セレスティーナが、顔を見合わせ、うなずきあった。
「ねーねー」
ふと三人を呼ぶ、ロコ。
「ひめさま、どうするノー?」
「…あっ」
セレスティーナが口を押さえた。
すっかり忘れていた。
二階のソファーに、姫を寝かせてあるのだ。
気絶したまま、どうするわけにもいかず、結局連れてきてしまった。
「ひとりにしておくわけにはいかないな…」
フェニックスが、腰に手をやる。
「ああ、ならオレが残りゃいい」
ゼロシキがフェニックスに目配せする。
「オレ様はただの武器屋だ。
行ったって、フェニックスやセレスティーナほどはエンジェルを助けてやれねえ」
「そんな事はないだろう」
「いいや。
それにフェニックス、お前は絶対行くべきだぜ?
なんてったって、“不死鳥”だからな」
…
「気づいていたか」
「ああ、すっとびボールに映ってた光でな。
あれだけガルシアとやりあって傷ひとつねえなんて、他に考えられるかよ」
「あのう…」
フランケンが入ってきた。
「ワタシは足手まといでしょうからここに残ろうと思いますが…
このイエローホビットの子供は、連れていった方がいいかもしれませんよ」
「ロコちゃんを?」
「ええ。
行く先の建物は広いですから、ガルシアから多少離れた場所に出たときの保険として重要です。
五感や危機察知能力は鋭敏ですから、頼れるセンサーになります」
「ぼくもいくノ?
わあ、やったー!
ガトールークのとこ、いくー!」
「はいはいロコちゃん、遊びに行くんじゃないんだよ」
セレスティーナが、ロコを抱き上げる。
「それじゃ、魔界へ行くのは、このふたりとホビット一匹でいいですね」
フランケンがうなずいた。
「そうと決まればすぐに行った方がいいじゃろう」
ジェニファントがのそりと腰を上げた。
「フランケン、わしの部屋は上じゃ。
ついてきなさい」
「は、はいっ」
「お前たちも。
ああ、ゼロシキは姫様を見ておやり」
「あいよっ、じーさん」
「そ、それじゃあ、
…失礼します」
フランケンは、姿見の前に仁王立ちになる。
大きく息を吸って、吐いて、
…
構えた両腕の内側に、紫色の光が渦巻きはじめる。
フランケンはそれを、鏡の中へ押しこんだ!
光は鏡一面に広がり、うねり、のたうつ。
やがてその輝きは溢れて、部屋を染めた。
彼の唇が何か言葉をつむぎ、それに導かれて、鏡は自らを変質させてゆく。
幾重にも思える刹那ののち、
──────
フランケンが、肩の力を抜いた。
「さあ、これで大丈夫です。
向こうは、魔界ですよ」
「わー!
フランケン、すごいネー!」
ロコが手を叩いて喜ぶ。
「魔界かあ…
…久しぶりだな…
まさか、ガトールークさんのために行くことになるだなんて思わなかった」
セレスティーナが、腕の中のロコを強く抱きしめる。
「頑張ろうね、ロコちゃん」
「あくまで私たちは何かあったときの補助でしかないが──────
…ひとりであいつを魔界に置いておくというのもしゃくだからな」
フェニックスが、長髪を後ろにまとめた。
フェニックスは、下半身をポータルの中に突っ込み、
「…大丈夫そうだな」
うなずいた。
「行くぞ、セレスティーナ」
「うん!」
フェニックスが、鏡の向こうへ身を滑らせてゆく。
ロコを抱いたセレスティーナも、迷わずあとに続いた。
「─────い、行っちゃいましたね…」
フランケンが、つぶやいた。
「無事に帰ってこられるといいのですが…」
「なあに、心配は無用じゃ。
それより茶でも飲まんかね、フランケン」
「そ、そんな悠長なことをおっしゃって…」
「大丈夫と言っとるじゃろう」
…フランケンが目の当たりにした、
老神父の、笑顔。
深い瞳。
… フランケンは、自分が彼らを疑ったことが、恥ずかしくなった。




