Ⅸ:魔界と不利益
ガトールークは、姿見の前で、右脚を軸にくるりと回った。
瞬く光が落ち着いたとき、鏡に映るのは、小柄な緑髪の青年ではなく、身丈の高い、栗毛の男の姿だ。
背後で眺めていたセレスティーナが、うっとりと吐息を漏らした。
「さっすが、ガトールークさん!
やっぱりだてに魔法屋やってるわけじゃないよねー」
「へへっ、まあな」
彼は振り返る。
「なあ、服どんなふうにすればいいと思う?」
「うーん…
ちょっと待ってね、探すから」
セレスティーナが、山のように掛けられた衣装を、一枚一枚かき分けはじめた。
「どうしよう、ガトールークさん、どんなの着たい?」
「どんなのでもいいよ、変じゃなければ。
っていうか、着ないし」
…
「…えっ?」
「だってそうだろ?
魔法で事足りるんだから。
とりあえずビジュアルさえあればそれっぽく作れるし、着替える必要もないし」
「えー?」
…セレスティーナが、唇をとがらせる。
「…な、なんだよ」
「いいじゃないたまには、いっつも同じなんだから」
「見た目は変えるよ」
「それじゃつまんなーい!
ねっ、どれにする?
あっ、これがいいかなあ!」
…セレスティーナはいたって楽しそうだ。
よほど自分を着せ替え人形にしたいのだろうと、彼は肩をすくめた。
「ねーえ、ガトールークさんってば、どういうのにする?」
はっきり言って、どういうの?と訊かれても、具体的な像は一切湧いてこない。
彼は少し考えて、
…
「あれば、ちょっと上着の裾が長いのがいいかな。
太股につけてる短剣、隠れる方がいいだろ」
「長めの上着ね?
うん、わかった!」
「…どう?
変じゃないか、俺?」
ガトールークは、鏡から目を離し、セレスティーナに向き直った。
「わあ、いいじゃない!
やっぱり、このオレンジのコート、映えるね!」
「ちょっと襟飾りがでかい気もするけど…」
「そう?
普通くらいだよ」
「ふうん、そっか…
まっ、こんなもんか」
ガトールークは、衣装とセットになっていた、かかとの高い橙のブーツに、ふくらはぎを詰めこむ。
どこからどう見ても、いかにも貴族らしい。
「…なんだか、不思議だなあ」
セレスティーナが、言葉を漏らす。
「ガトールークさんの目線が僕より上だなんて…」
そうだ。
服装なんかにかまけている暇はない。
とにかく、この高さに体を慣らす方が先だ。
「姫様のとこに行こう、セレスティーナ」
「あ、そうだね。
そうしよう」
セレスティーナが衣装室の扉を開ける。
彼に続いて、ガトールークは扉とすれ違い───────
その合間にある、扉を受けるためのわずかな段差に、思いきり、けつまずいた。
「まあ、セレスティーナさん…
…
……
そちらの方は?」
部屋から出てきた姫は、目の前の男に、怪訝な表情を見せる。
茶髪の彼は、答えた。
「姫様、俺です。
ガトールークです」
「…えっ…?
あ、そ、そうよね。
ごめんなさい、わたしが呼んだのに」
「まあ、そう見えなくて当たり前ですよ。
一応、そこを目指して変身するんですから」
姫は、簡素なドレスの長い裾を揺らし、ふたりを部屋の奥に招き入れた。
彼女は後ろ手に扉を閉めて、彼らを長いソファーへうながす。
「ごめんなさいね、わがままを言って…
でもどうしても、伝えておかなければならないと思って───────
…というより、誰かに言わずにはおけないのだけれど…」
姫は、震える両手を組みあわせる。
「…何か、あったんですか」
ガトールークは、おそるおそる、聞き返す。
フランメール姫が、 うつむき、
重たそうに、口を開いた。
「…昨日の夜、ふと、目が覚めて…
そのとき、目の前に、
…大きな人がいたの」
「大きな人?」
「ええ、そうよ。
夢なんかじゃないわ。
暗かったけれど、この目ではっきりと見たもの!
四角い顔をして、ぎらぎらした赤い目で、わたしを見下ろす、男の人。
ああ、思い出すだけで恐ろしい!
怖くて体は動かないし、声も出なかったわ。
そのうちにその人は去っていったけれど…」
ガトールークとセレスティーナは、顔を見合わせる。
四角い顔に大きな体。
間違いない。
フランケン種の魔物──────
ガルシアとつながっているというそれであろう。
「そのあとは、眠れなくって、
…
部屋にいるのが我慢できなくて、廊下を歩いていたの。
そうしたらね、
…どこだったかしら…
もうそれさえ覚えていないけれど、」
彼女は身震いし、肩を抱く。
「床に、割れた花瓶と、花が落ちていたの…
わたしが応接間に置いた、魔除けのホワイトセージが…!」
ガトールークは立ち上がる。
彼は血の気の失せた頬の彼女を、ソファーに座らせた。
とらわれたようなフランメール姫。
彼は、呼びかける。
「姫様」
「…はい?」
「…お休みになってください。
それから一睡もしてないんでしょう」
「そうだけど…
無理よ、だって怖いもの、目がさえて、眠たくないわ」
「じゃ、横になって目を閉じてるだけでもいいですから。
とにかくちょっと寝ないともたないですよ、体力的にも、精神的にも」
「…
…そうね」
姫の全身が緊張をはらんでいるのが、手に取るように、痛切に感じられる。
彼女を落ちつけるには何をしてやればよいのか。
ガトールークは、少し思案し、
なんとなく気が引け、ためらったが ────────
それを、口に出した。
「…姫様が寝て起きるまで、俺、ここにいますから」
「…本当?」
フランメールが、顔を上げた。
彼女の細い指が、脇にたたずむガトールークの右手を包む。
「必ずよ、絶対、どこへもお行きにならないでね」
「そんなこと、しませんよ。
だから大丈夫、好きなだけ寝ててください」
姫は腰を上げ、
…ふたりに、微笑を向けた。
「…ごめんなさいね、心配かけて…
…でも、ありがとう」
彼女は、寝室に繋がる扉を開けた。
「それじゃおやすみなさい、ガトールークさん、セレスティーナさん」
「お休みなさい」
「お休みなさい、姫様!」
「ふう…」
ガトールークはため息とともに、ソファーに腰を下ろす。
「…案外厄介かもな、そのフランケン」
「うん…」
セレスティーナが、眉を寄せる。
「僕も思うんだけど、
…ガルシアはほら、計算高くてお利口な感じがするじゃない?
…夜中に廊下で花瓶割ったり、フランケンに姫を見に行けなんて命令したりはしないと思うんだよね」
「俺もそう思う。
ガルシアの、食事?を運んでるってことは、つまりガルシアの目的に加担してるんだってのはわかるんだけど…」
目的に、加担している。
ガトールークの中で、なにかが引っかかった。
セレスティーナが、彼をのぞきこむ。
「どうしたのガトールークさん、変な顔して…
苦虫を噛みつぶした、って顔のお手本みたいになってるよ、上手だね」
「…あのさあ、何が嬉しくて顔芸の手本なんかするんだよ…」
彼は髪をかきむしり、
…
そんな顔のまま、こぼした。
「なあ、変じゃないか?
フランケンが、ガルシアに加担するの…」
「ええ?
…どうして?」
「だってガルシアは、わざわざ魔物になってまで、世界征服できるくらいの力を手に入れようとしてるんだぞ?
つまり一般の魔物なんかとうに凌駕して、魔神になろうとしてる。
そんなやつがいたら、怖くないか?
人間界だけで満足するとは限らないだろ?
魔界だって、奴の手に落ちるかもしれない
─────── 俺が魔界の住人だったら、どうにかしてガルシアを強くさせないように…
とか、思うけどなあ」
「あ…確かに」
セレスティーナが、目を見開く。
「そうだよね、よく考えたら、危険因子を排出するのと同じことだよね?
魔界側には別にいいことないのに…
…どうして、そんなこと…」
「そのフランケンに会ってみる必要がある」
ガトールークは、背もたれから身を起こす。
「会って話を聞くんだ。
なにかわかるに違いない」
「でも、どうやって?」
「その、フランケンが出てくる部屋…
四階の角部屋に張ってればいい」
「…僕たち、しばらく動けないじゃない」
「フェニックスを呼ぼう」
ガトールークは、顔を上げた。
「姫は多分この部屋から教会に電話したんだろ?
どこかに電話、あるんじゃないのかなあ」
セレスティーナがあたりを見まわし、
「ねえ、あれじゃない」
ガトールークの肩を叩く。
セレスティーナが指さした先には、
…白いレースの飾りが可愛らしい、桃色の電話機が、壁に取りつけられていた。
「はい、セント=クラッセオ教会」
『フェニックス?
俺だよ、ガトールーク』
「ガトールーク?」
フェニックスは、眉を寄せた。
「どこから電話しているんだ?」
『姫様の部屋。
急で悪いんだけど、ちょっと頼まれてくれないかなあ』
「構わん。
何でも言ってくれ」
『ありがとうフェニックス、助かるよ!』
電話口のガトールークは、切り出した。
『フェニックスに、あの四階の角部屋を見張っててほしいんだ。
フランケン種の魔物を見つけて、捕まえておいて』
「フランケン?
私とゼロシキが見た映像の中に、フランケン種の魔物が映っていたが…
それの事か?」
『そう、それ。
なんか…裏があるっていうんじゃないけど…
…とにかく、会ってみないといけないって気がするんだ。
五階の、姫様の部屋まで連れてきてよ』
「わかった」
フェニックスは、うなずいた。
「フランケンを生け捕りにすればいいのだろう。
たやすい事だ」
『うん。
それじゃ、悪いけど宜しくな』
「構わんと言ったろう。
すぐに向かう。切るぞ」
フェニックスは、受話器を置いた。
手首につけていたゴムで、夕暮れ色の長髪を手早くまとめる。
少し考えて、
電話機の下の棚から工具箱を出して、まさぐる。
一本の針金を見つけ、
…ちょっと力を加え、
…うなずいた。
フェニックスは、机に腰かけているゼロシキを振り向く。
「少し出てくる」
「おうともよ、だいたいわかったぜ。
ロコとじーさんには俺が伝えとく。
早く行ってやってくれ、フェニックス」
「すまんな、ゼロシキ。
宜しく頼む」
フェニックスは、一階へ駆け下り、城に繋がる扉を、目指した。
四階の角部屋。
扉に耳をつけ、中から物音がしないのを確かめる。
金色のドアノブに、フェニックスは手をかけた。
回すと、引っかかる。
鍵がかかっているのだ。
彼は、ドアノブの下の鍵穴を、食い入るように見つめる。
─────甘いな。
フェニックスは、にやりと笑った。
彼は仮にも、軍国アデリーの兵士長だった男である。
その技術にかかれば、この程度の鍵など、なんでもない。
フェニックスは、握っていた針金を、鍵穴に突っこんだ。
しばらくそれを動かして、
もう一度取り出して、
微妙に先端を曲げ、
再び差し入れて、
──────…、
…軽い、金属音。
いともたやすく、扉は開いてしまった。
彼は室内に入り、戸を閉めて、元の通りに鍵をかける。
すっとびボールを介して見ていたときから思っていたが、この部屋はあまり広くない。
したがって、隠れるところもない。
フェニックスはどうしようか悩んだが、
…
ふと、フランケンは、壁から出てきたらしいことを思い出す。
彼は、白い壁紙のそれを眺めて───────
…いたって、何かあるようには見えない。
フェニックスは、首をひねる。
指先で、壁に触れた───────
─────────まさに、そのときだった。
「…っ?!」
白い壁は、彼の前で、波打った!
慌てて手を引っこめたフェニックス、
その紅蓮の瞳に、
───────青白い肌の、大男が、映った。
小さな赤い目をぱちぱちさせる、その魔物。
フェニックスはとっさに、それの首根っこをつかんだ。
背負い投げて床に張り倒し、男をうつ伏せに転がして、両腕を組み上げる。
刹那の戦闘ののち、ふたたび無音になった空間。
その静けさを、フランケンの背を膝で押さえつけるフェニックスが、破る。
「ガルシアと繋がっているのは、貴様だな」
「…あ、え…」
「とぼけても無駄だ」
「…あ、あのう…
…どこまで、ご存じなんでしょうか」
「…どこまで、だと?
少なくとも、ガルシアがアトラスの力を手に入れ、世界を手中に収めようとしている事は察しがついている」
「ああ、そう、そうです、その通りですっ」
…?
フェニックスは、彼を組み伏せる膝を緩め、その巨大な手を取って、起き上がらせた。
少しばかり頬を緩めた大男の前に、彼はしゃがむ。
「何か事情があると見えるな。
詳しく聞かせてもらおうか」
「あ、ああ、はい…」
床に正座したフランケン、
彼は、ぽつりぽつりと、語りはじめた。
────────
「ははあ…」
フェニックスは、頭をかいた。
「つまりそれが、事の発端…と」
「ええ、ええ、ふがいないやら、面目ないやら…」
頻りに頭を下げる彼の背に、フェニックスは、手を置く。
「…悪いが、今と同じ話を、もう一度してもらわねばならない。
お前と会って話がしたいという奴がいるのだ。
五階に上がるぞ、フランケン」
「ええ、構いませんけれど…」
フランケンは、その巨体に似合わずひどく小心だ。
「ど、どなたなんです、そのお方は…
わ、ワタシの話なんか、信じてくれますかねえ、
…まして、お許しなんかいただけないでしょうし…」
フェニックスは、ため息をひとつついて、腰を上げる。
「案ずるな──────
奴に任せておけば、お前が散々振り回された一国の王が果てるのも、時間の問題だ。
信じろ、フランケン」




