八月に泣き出す恋
――告白の日の直後から、大学は期末試験シーズンに入った。
俺は大学で試験を受け、
図書館や食堂にこもって勉強し、
夜勤のバイトに行き、
家で風呂に入って着替えをして、また大学に行く。
寝るのは、電車や授業前のような隙間時間――とにかく、動いていた。
少しでも止まったら、余計なことを考える。
余計なメールをしそうになる。
ひたすら携帯を確認しそうになる。
――小楠さんに次に会う八月まで、俺はひたすら、動くことにしていた。
***
「早瀬!!」
構内の木陰のベンチで居眠りをしていた俺は、ハッと顔を上げた。
「おー、木島と平野……」
「うわ!何その顔!最高やん!」
急に二人は携帯を出して、俺を挟んで自撮りし始める。
「ハァ?やめ……やめろって……おい……」
写真を見て、二人は腹を抱えて爆笑している。
「早瀬、お前何なん、何があったん!」
「ちょっと前にようやくサッパリしたのに……愉快なキアヌ・リーブスやん!」
「キアヌや!キアヌ!」
「うるせェな……」
二人は俺に写真を見せる。
確かに、溌溂とした二人の間で、無精ひげを生やして髪もぼさぼさの俺は、
今日、期末試験を終えた大学一年生には見えない。
「早瀬もテスト終わったんやろ。学食行かへん?」
「おー。」
俺は伸びをしながら立ち上がった。
「おい!」
急に平野が俺を見る。
「早瀬、ええ身体になってへん?」
俺たちは歩き出す。
「ほんまや!」
「マジか――変わってる?」
思わず俺は、自分の身体を見下ろす。
「肩とか――分からへん、全体的やな。背も伸びてへん?」
「細いのに、ええ身体やん!ジム行ってるん?」
俺たちは学食のドアを開ける。
「いや、倉庫の夜勤が多いからじゃねェかな。」
「何やねん、それ!」
「令和の二宮金次郎やん!」
昼飯を載せたトレイを机に置いて、食い始める。
「豚丼と天ぷらうどんと八宝菜とバナナクレープ……」
「どんだけ食うねん!」
二人に囃されながら、俺はひたすら食う。
「ようやく明日から夏休みやな。
俺もバイト増やそうかな……」
「木島は、安田さんとどっか行かへんの?」
「あー、それはどうやろ……」
「あ!早瀬!」
急に平野が声を上げる。
「明後日のサークル、来るやろ?」
「何かあったか?」
「ちゃんと連絡を見なさいよ……裏山ハイキング!」
俺は、携帯で、サークルの連絡を探す。
「全然見てなかった……」
「サークル放っといて、倉庫でええ身体作るって、なに?」
「早瀬や。これが、早瀬クオリティや。」
「うるせェな。」
あまりにもチャットが多くて、俺は、裏山ハイキングとやらを探すのをやめてしまった。
そうだ。
期末試験が終わって、明日から夏休み――
小楠さんに会う日まで後五日――
あれから、メールのやりとりはない。
もし、全く俺に興味がないなら、俺からのメールを受け取っても迷惑なだけだ。
俺からはメールできない。
小楠さんからメールが来たら……
でも、メールは来ない。
――来ないのだ。
踏切の向こうの、小さな小楠さんの姿
――電車が通り過ぎた後、誰もいなかった踏切の景色が目に浮かぶ。
五日後、小楠さんは来てくれるんだろうか?
胸元が締め上げられる。
俺自身が、八月に返事を聞くと言っておきながら、
今日までの間にメールがないこと、それ自体が答えの気がするのだった。
***
「今、送ったで。裏山ハイキングの連絡。」
俺はハッとして携帯に目を落とす。
――お散歩サークル 夏のイベント第一弾
浮き浮きとした文字が、俺の目の前を流れていく。
「たまには参加せえや。窯パンと倉庫で青春使い果たすな!」
「金は貯まってる。」
「むかつくわ、早瀬のくせに……とりあえず来い!
安田さんと戸塚さんも来るで。」
確かに、期末試験も終わった今、何か動ける理由が欲しい。
立ち止まらず、何も考えずにいられる理由が。
サークルでも、何でも。
「あー、じゃあ、行く。」
「よっしゃ!」
平野は急いで携帯をいじっている。
サークルの先輩に連絡しているのだろうか。
「木島は来ねェの?サークル外も大歓迎らしいぜ。」
木島に話し掛ける俺の顔を、携帯を置いて箸を手に取った平野が凝視する。
「早瀬、お前……ハイキングまでに、髪を切って、服を買え。」
「愉快なキアヌでハイキングもおもろいけどな。」
「あー、逆にええな。やっぱりそのままでええわ、キアヌ。」
「うるせェな、キアヌに謝れ!」
俺たちの騒ぎは、学食のざわめきに溶け込んでいる。
俺は食う。
俺は喋る。
俺は笑う。
しかし、平野たちとどれだけじゃれついても、
後五日間をどうやり過ごすかという抉られるような胸の痛みは、
全く消えないことを発見した。
***
五日後。今、俺は、あのマックの二階に座っている。
二十分も早く着いた。
フライドポテトとチキンナゲットを買って席をとる。
割と人が多く、前に座った席は埋まっていた。
俺は、携帯を取り出した。
今は……今こそは、メールをしたっていいはずだ。
「今、マックの二階にいます」
トトトと指を動かす。
「フライドポテトとナゲットを買ってるよ」
俺はため息をつきそうになった。
もっといい言葉を思いつかないんだろうか。
しかし、思い切って送信する。
人が階段を上がって来る音がするたびに、心臓が飛び上がる。
何気ない振りをする。
飛び上がる、振りをする、飛び上がる……
とうとう、待ち合わせ時間になった。
――来ない。
俺は携帯を見る。
――返信はない。
一分経ち、
二分経ち、
――ポテトが冷えて、
五分経ち、
十分経ち、
――チキンナゲットも冷えて、
十五分経ち、
二十分経ち、
――リンゴジュースの上に溶けた氷の水が張り、
三十分経っても、
小楠さんは来なくて、
返信すらもなかった。
***
俺の世界は全て灰色になり、
俺の身体は端から冷えて凍り付き、
人も、
景色も、
時も、
全てが止まる。
小楠さんがいなくなった世界で、
俺は石のように固まって、
ピクリとも動かなかった。
制服姿の男子と女子が、斜めの席に座った瞬間、
痺れるような痛みが、俺の全身を貫く。
急に、俺の身体に、妙な熱が戻ってきた。
鼻が痛い。
喉の奥から何かが込み上げてくる。
(俺……小楠さんに振られたのか……)
目の周りが熱い。
俺は震える唇を噛みしめる。
(俺……やっと小楠さんに見てもらえたのに……)
胸が痛ェ。
めちゃくちゃに、
めちゃくちゃに、痛ェ。
こんなにも……
こんなにも痛ェなんてアリかよ。
(何が駄目だった?
――俺が、俺だから――?)
向かいの高校生の男女が一袋のポテトを
(小楠さん……)
分け合って食べ始める姿が霞んでいく。
(小楠さんに
――会いたかった)
その瞬間、俺はリュックに思い切り顔を突っ込んだ。
ボロボロボロボロ、涙がこぼれ出る。
やべェ……
止めらんねェ……
俺は、リュックの底でクシャッとなっていたマスクをつける。
隠れるように、袖で涙を拭くと、うつむいて立ち上がった。
機械的な動きで、淡々とトレイを片付ける。
冷たくなったフライドポテトとチキンナゲットが、
ゴミ箱の蓋に吸い込まれる。
ジュースの氷が、飲み残しを入れる銀色の円錐でガラガラと音を立てる。
俺は階段を降りる。
俺の隣を笑いながらすり抜ける、大学生くらいの男女。
――胸の中に分厚い氷が張っている。
店頭の自動ドアが開くと、冷え切った俺の前に、
八月の暑い空気が壁のように立ちはだかる。
「ありがとうございました」という店員の朗らかな声が、
平野たちに引きずられて買いに行った、
新しい服の背中を、虚しく押し出す。
外に出た俺の頭はがらんどう。
午後の暑苦しい空気に浮かんでいるようだ。
マスクの中が息苦しいのに、
胸だけが異様に冷たい。
ゆらゆらする景色の中を、足だけを交互に出して、
駅に向かって歩いて行った。
***
その時、駅の階段の上から黒い靴のつま先が見えた。
次の瞬間、必死に、
滑るように階段を走り降りる、
小楠さんの全身が飛び出てきた。
マックの方角に顔を上げて、
手にした携帯を見て、
前を見て――
俺を見ると、アッと叫んで立ち止まった。
俺は何も言えない。
何が起こっているのか、
全く分からない。
「ごめんね!やっと動いて……あの……」
「動いて……?」
「メール、届いてない……?」
俺はポケットから携帯を出して、目を疑った。
小楠さんからのメールが何通かたまっている。
「乗ってたC線が、沿線火災でトンネルで止まっちゃって……
メール送ろうとしたんだけど、電波が悪過ぎて……」
(C線が止まっちゃった。再開までの時間が分からないみたい。)
(電車の中で立ち往生、どうしよう。早瀬君、もう着いてるかな……)
(電波悪いみたい。このメール届いてるかな……?)
(あ、動いた!良かった!)
(S駅着いたから、後10分くらいだけど……早瀬君、もう帰っちゃった?)
一通一通に殴られ、血が身体に戻っていく。
「今見た……たぶん……全部、さっき届いたんだと思う……」
「ごめん……」
「小楠さんは悪くないでしょ……小楠さんは……俺……」
「マックに……戻る?」
「俺……」
俺はマスクを外した。
小楠さんは、俺を――俺の泣き顔を見て、目を見開く。
「俺、小楠さんがもう来ねェと思って。」
俺は半袖で目をこする。
「ハハ……クソだせェ……でも……
答え、まだ聞いてねェし……」
少し強い風が吹いてくる。
その風に乗って、小楠さんの芯のある優しい声が聞こえた。
「線路の方、行こう。日陰多いし。」
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※完結まで執筆済み。
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