第二章 収束しない放課後の距離
翌週、僕を待っていたのは、確率論的にも「最悪」に近い不運だった。
学級日誌の担当、および放課後の図書室清掃。そのペアが、出席番号順のせいで一ノ瀬澪と僕になったのだ。
放課後を告げるチャイムが鳴り響く中、僕は重い足取りで図書室に向かった。
入口の引き戸を開けると、そこにはすでに澪がいた。彼女は窓際に立ち、春の入り口の少し冷たい風に黒髪をなびかせている。
「……遅い。アンタ、掃除当番だって忘れてたわけ?」
澪はモップを杖のようについて、これ見よがしに深いため息をついた。
「統計的に言えば、三十五人のクラスで特定の二人組ができる確率は約一・六パーセントだ。意図的に遅れたわけじゃない。ただこの低い数値を引き当てた事実に、少しばかり脳の処理が追いつかなかっただけだよ。」
「……何それ。アンタのそういう、人間味のないところが嫌いだって言ってるのよ」
彼女は吐き捨てるように言うと、乱暴にモップを動かし始めた。
『嫌い』。
その三文字は、僕の胸の奥にある論理回路に、鈍い痛みとなって蓄積される。不快なノイズのような感覚だ。
僕は一ノ瀬の対角線上の位置をキープしながら、本棚の埃を払っていく作業に入った。二人の間には、静まり返った図書室特有の、紙の匂いと重苦しい沈黙だけが流れていた。
ふと視線をやると、澪が少し高い棚に返却本を戻そうとして、背伸びをしていた。
彼女の細い指先が、目当ての背表紙に触れるか触れないかのところで、ぷるぷると震えている。制服のスカートがわずかに持ち上がり、彼女の華奢なラインが夕闇に溶け出す。
「……一ノ瀬、貸して」
「っ!?びっくりした……!」
僕が背後から手を伸ばしてその本を代わりに取ると、彼女は跳ね上がるようにして振り返った。
あまりに急だったせいで、僕たちの距離は数センチまで縮まる。彼女の瞳の中に、動揺する僕自身の顔が映り込んでいるのが見えた。ふわっと、彼女の髪から甘いシャンプーの匂いがして、僕の思考エンジンが一時停止する。
澪の頬が、夕焼けを反射したように、みるみるうちに赤く染まっていくのがわかった。
「……っ、余計なお世話よ!私一人でできたし!」
「でも、効率を考えれば清朝のある僕がやったほうが早い。君が無理をして転倒し、怪我をする確率は―」
「確率、確率ってうるさいわね!アンタは私の心配より、自分の鈍感さを計算し直しなさいよ!」
彼女は僕の胸元を力いっぱい突き飛ばすと、逃げるように図書室の奥へと走っていった。
突き飛ばされた場所が、じんわりと熱い。
僕は一人、取り残された図書室で、彼女が落としていった小さなハンドタオルを拾い上げた。
そこには、僕が去年の誕生日に「実用的だから」という理由で贈った、味も素っ気もない紺色のタオルに、彼女自身の手で丁寧に刺繍された小さなイニシャルが入っていた。
「……なんで、まだこれを使ってるんだ?」
僕の脳内シミュレーターが、致命的なエラーを吐き出して停止した。
嫌われているはずの人間から贈られたものを、なぜこれほど大切にカスタマイズして使い続けているのか。
この「矛盾」を解く公式を、僕はまだ知らない。




