1-13 天照大御神
天照大御神といえば、日本人なら知らない人はいないだろう。
日本神話の最高神であり、伊勢神宮に祀られているとても有名な神様だ。
僕だってもちろん知ってる。
そんな凄い神様がいるなんて、そして実際にこの目で見ることができるなんて、胸が躍らない方がどうかしていると思う。
けれど……。
天照大御神様がいるという部屋の前に、おびただしい数のお酒の缶が転がっているのはどういう事だろうか。
それも度数の高いものばかり。
その中を気にする様子もなく、ずかずかと進んでいく紅音さん。
そのままとんとんとドアをノックした。
「おーい、アマちゃーん! 出てきてくれー!」
「アマちゃんって……」
「こう呼べと言われていてな。むしろ呼ばないと不機嫌になってめんどくさい」
神様相手にめんどくさいって、大丈夫なんだろうか。
僕がそんな心配をしていると、ドタドタと騒がしい音が部屋から聞こえてくる。
しばらくして、ぴたりと音が止むとゆっくりと扉が開かれた。
「ひっく。なんだ〜、紅音ちゃんじゃ〜ん。どしたん?」
姿を現したのは、顔を赤くした女性。
長い黒髪を適当に後ろで縛って、よれよれのスウェットを着た、見るからに酔っ払い。
部屋の中からは濃い酒のツンとくる匂いがした。
「以前話してあっただろう? 黒山国土という少年が私達の家に住むことになると」
「そうだったかなあ〜?」
「まったく……、紹介しようこくとくん。このお方が私達日野家を守護してくださっている天照大御神様ーー通称アマちゃんだ」
「よろしく〜! アマちゃんです! ふへへ」
こちらにピースしていくこの女性が、かの天照大御神?
信じられないがしっかりと挨拶はしないといけないだろう。
「はじめまして、今日から日野家にお世話になることになりました黒山国土と申します」
「君が血が流れないのに神器を扱えるっていう子供かあ〜。かったいねえ、もっと気を楽にしていいんだよ?」
「でも、神様なんですよね?」
僕の質問に天照大御神、通称アマちゃんはハッとした顔をした。
「……あ! そうだった、私は神様だ! びっくりだねえ、ねえ紅音ちゃん?」
「酒臭い……」
すり寄るアマちゃんに鼻をつまむ紅音さん。
アマちゃんはそれを気にする事なく、にへらと笑う。
「ふへへへ……ひっく! それで挨拶だけしに来たわけで無いんでしょう?」
アマちゃんが僕の顔を覗き込む。
半分しか開かれてない瞼から覗く瞳は不思議な魅力があった。
「いや、実はアマちゃんにお願いがあってな。こくとくんに加護をつけてやってほしい」
「加護?」
僕は紅音さんの言葉に首を傾けた。
そんな僕に紅音さんは説明してくれる。
このアマちゃん――天照大御神は日野家に先祖代々、加護を与えているらしく、それを僕にも与えたいのだと。
余所者である僕がそんなすごいものを受け取っていいのか戸惑ってしまったが、紅音さんはもちろんだと力強く頷いた。
「君はこれから退魔士として生きていく事になる。それはきっと長く険しい道になるだろう。加護はそんな道を照らしてくれる道標になるはずだ」
「道しるべに……」
「そうだ。加護を受ければ単純に死ににくくなるし、特殊な異能も使えるようになる。いいことばかりだぞ?」
「そうだぞ〜? なんたってこの私が与える加護なんだからねえ。へへへ、光栄に思いなさい〜!」
アマちゃんがえっへんと腰に手を当てて、胸を張る。
しかし、
僕の顔をじっと見てこてんと首を傾げた。
「ん、でもこの子、弟の血が流れていないだよねえ? 大丈夫なの〜?」
「父上が言うには神器が使えるなら加護も受け入れることができるかもしれないと……」
「賭けじゃん! でも――」
「そういうのもいいよね!」
ふふふと笑うアマちゃんはどこか楽しそうだ。
アマちゃんはそのままふらりふらりとこちらに近づいてくると、そっと僕の手を両手で包み込んだ。
近づいて来たからこそ分かる、全身がお酒でできてるのではと思うほどの匂い。
先ほど香ってきたものよりも、何倍も濃い。
だが、それよりも僕が驚いたのはその美しい顔にある涙の後だった。
「それは……」
「さあこくとくん、一発行ってみよおー!」
僕の言葉を遮るように、アマちゃんは声を上げた。
途端、炎の柱が僕たちを包み込む。
視界全てが燃え上がり、見えるのは目の前にいるアマちゃんだけ。
「天照大御神の名において、この者に加護を与えましょう」
静かで美しい声が耳に届く。
先ほどまでの酔っ払いはいない。
目は見開かれ、慈悲深い笑みを浮かべた女性はスウェット姿といえど、たしかに神と呼ばれる威厳があった。
「これは……」
驚く。
僕の中に何が入ってくる。
燃え上がるような熱い、でも心地よい何か。
「受け入れなさい」
僕はアマちゃんの言葉に頷いて、その何かを受け入れようとした。
本当に心地がいい。
失ったものを埋めてくれるような温かい優しいひかり。
『――穢らわしい』
ドンっと心臓が跳ねた。
その瞬間、炎の柱が消え去った。
繋いだ手から静電気のような鈍い痛みが走ったと思えば、目を見開いたアマちゃんが弾き飛ばされた。
ガラガラと激しい音を立てながら、アマちゃんは部屋の壁に打ち付けられる。
僕とそれを見ていた紅音さんは慌てて駆け寄った。
「いててて……」
「大丈夫ですか!?」
「アマちゃん、どうした!?」
「だ、大丈夫だよ〜。でもこれはちょっと予想外かなあ?」
へへへと笑いながら立ち上がろうとするアマちゃんに手を貸そうとすれば、大丈夫だからとやんわりと断られた。
「紅音ちゃん、そこにある缶ビール取ってくれる〜?」
「あ、あぁ……」
紅音さんが部屋に転がっている缶ビールをアマちゃんに手渡す。
ぷしゅりとプルタブを開けて、アマちゃんはこくこくと飲み込んだ。
「ぷはぁ〜、やっぱお酒最高ー!」
「アマちゃん、説明してくれ何が起こったんだ」
「ん、そうだねえ……。結論から言えば加護は無理かな」
アマちゃんは苦笑いしながら、頬っぺたを指でかく。
「紅音ちゃん、人が受け入れられる加護の数は?」
「そんなもの一つに決まっているだろう? それ以上は人の身体が持たない」
「そう、正解〜! じゃあ、分かるよね?」
「まさか……」
紅音さんの目が大きく見開かれる。
「こくとくんにはもう加護がついている……?」
「そうまたまた正解! アマちゃんポイントをあげちゃうよ!」
「そんなことが……」
「びっくりだよねえ。このアマちゃんも驚きすぎて、それを肴にビールをもっと飲めそうだよ! だからさ、聞かせてよ。君は――」
へらへらと笑いながらも、油断なくこちらを射抜くような鋭い目と。
困惑と驚愕が混ざり合った視線。
四つの眼が僕を見る。
「一体、何者なんだい?」




