第3話 目覚め
帝都から西へ向かう街道沿いで、男二人が野営の準備をしている。平民のような服装をしているが、孤児院を強襲した神官長直属の護衛兵だ。御者台から降りた男が馬車の扉を叩いて、面倒そうにぼやく。
「この娘、山へ捨てろって言われたけど、もうここらでいいんじゃないか? 国境のチェレステ山の麓までは急いでもあと丸二日はかかるだろ」
「だが、周囲に子どもが歩いていける集落がない場所まで連れて行けっ、て言われただろ」
「馬車ん中に居るのは、たかだか十歳の、妖精も持たない子どもだぞ。こっから隣町まで戻るには大人の足でも半日以上はかかる。それによ、その分俺たちがゆっくりしてから帰ればいい、だろ?」
「それもそうだなぁ、そこらへんに転がしておくか」
馬車の中では手足を縛られたセレナが、震えながら会話を聞いていた。
(サルヴァトーレ様、院長先生、誰か助けて!)
ほどなく、セレナは男達に馬車から連れ出され、暗い林の中に無造作に放置された。遠くからは狼のような遠吠えも聞こえてくる。
『ぐすっ、怖いよ、ホームに帰りたいよ』
声にならない声でつぶやいたセレナの目の前に、半透明の四角いものが表示された。驚いてセレナが顔をあげると、それも一緒についてくる。何か記号のようなもの並んでいるが、それが何かは判らない。セレナは体の前に縛られていた両手で、その半透明の四角いものに触れようとしてみた。
右下にある家のような形に手が触れた時、何もなかった空間に、地面の方から徐々に半透明の何かが形を見せ始める。上の端までたどり着くと、それは人が一人通れる位の扉の形になっていた。
(これは魔法? 誰か居るの? 中に入れて、助けて)
セレナの願いに応えるように、半透明の扉がゆっくりと開く。
(開いた!)
セレナは両膝を三角に立てて座り、縛られたままお尻歩きをして扉に近づいてみる。
【△□☆○&□○△%#○$】
目の前の四角の中に何かは判らないが、新しい記号が浮かび上がった。中を覗くと誰も居ない。薄暗いその部屋は、2メートル四方ほどの広さで、部屋の中央にぼんやりと光る綺麗な石が浮かんでいる。良く見ると、その石の下に鞄が一つ置かれていた。
(ごめんなさい、中を見せてください)
セレナはできるだけ急いで鞄の近くまで移動し、必死に縄を切れるものを探す。そして、裁縫用の小さなハサミを見つけた。
「やった!」
ようやく縄から開放され、さるぐつわを外せたセレナ。立ち上がって部屋の中央に浮かぶ、いびつな石を見上げる。
(これ、魔法で浮いているのかな?)
セレナが子どもの旺盛な好奇心を発揮し、浮かぶ石にちょんと手で触れてみると、鋭利に尖った表面で指先に傷がついた。その瞬間、石が強く光り出し部屋も明るさを増す。
「いたっ」
セレナが切れた指先を見ると、その間に浮かぶ半透明の四角の中、さっきまで記号だったものが、読めるようになっていた。
【おかえりなさいませ、マスター】
(あぁ、これはかつての私が知っていた文字だ)セレナはいきなり流れ込んできた情報量にめまいがし、座り込んで両手を床につく。
しばらくうずくまっていたセレナが落ち着きを取り戻し、少し明るくなった部屋を見渡すが、全く見覚えのない部屋だ。部屋の中央に石が浮かぶ部屋など、かつての自分も行った事がない。それに、マスターと呼ばれる覚えも、そのような者になった覚えもない。覚えているのは、あの事故のこと。
――そして、今も命の危機にあること。
(これが悪い夢なら、早く醒めて!)
セレナはぎゅっと目を瞑って、祈るように手を合わせた。
「ピロン♪」
【(警告)入口付近に接近あり】
急に響いた音と、目の前に表示された警告に驚いてセレナが顔を上げると、いつの間にか閉まっていた扉の向こう側が、半透明に透けて見えている。
(夢じゃない。あの二人にここが見つかったらどうしよう)
セレナは慌てて隠れるように扉の横へ移動する。くぐもってはいるが、外の二人の男の会話が聞こえてきた。
「おい、あの娘がいないぞ」
「大方、そこらへん樹の裏にでも隠れてんだろ、足を縛ってるんだから遠くまでは逃げられんさ、それに」
「それに?」
「居なくなっても構わん。だろ?」
「ちげえねぇ、手間が省けたってもんだ」
ガハハと笑いながら、二人は薪と水を持って通り過ぎて行く。
セレナはほっとしたのも束の間、じわじわと怒りが込みあげてきた。
「あー、なんか腹立つ。今すぐ出ていって『あっかんべー』してやりたい。って、子どもか私。うん、子どもだったね」
(――今は十歳、なんだっけ)
自分の小さな手を見つめるセレナ。家族同然に育ててくれた孤児院のみんなやサルヴァトーレの顔が頭によぎる。きっと自分のせいで、みんなにも迷惑をかけているのに、何もできない申し訳なさで一杯になる。
かつての世界でも、生活魔法位しか使えない実務労働者だったセレナ。こちらの世界では妖精を授かれず、その生活魔法すら使えない、加えて、戦う術も持たないただの小娘だ。今出て行っても、すぐに彼らに捕まるか、野生動物の餌食になるか。
それに――
「帰っても、迷惑かけちゃうよね」
セレナがぽつりとこぼした時、また警告音が鳴った。
【召喚獣・個体名:リーノ(仮称)が入室を求めています。
入室を許可しますか? 許可する・許可しない】
(へ? リーノってあの小犬? 召喚獣ってどういうこと?)
セレナが慌てて半透明に透けた扉を見ると、小犬のリーノが扉のある箇所を前足で掻いている。セレナは『許可する』の表示を触ってみた。
「きゃうん!」
開いた扉をくぐり、リーノがセレナに駆け寄ってくる。
「リーノ、どうしてこ……」
セレナが言い終わらない内、セレナの腕に抱かれたリーノから強い風が渦巻いた。あまりの激しさにセレナはリーノから手を離し、目をつぶって顔をそらす。風が収まり、そうっと目を開けたセレナの視線の先にはカーゴパンツを履いた人の脚が見えている。
不意にセレナの頭上から甘さを含んだ低い声が降ってくる。
「We meet again, my lady.」
〔またお会いしましたね、お嬢さん〕
見上げると、絹が最後に見た銀髪の男性に似た人がそこに立っている。
「へ? リーノは?」
リーノはどこに居ったのだろうと、セレナがキョロキョロとリーノを探すがどこにも居ない。目の前の銀髪の男性はその様子を見て、楽しそうに笑っている。
「ふふっ、リーノをお探しですか? お嬢さん」
「へ? リーノはどこ? あなたは一体誰?」
「リーノなら目の前に居ますよ、セレナお嬢さん」
「なんで私の名前……。もしかして、本当にあなたがリーノ?」
とまどうセレナの前へひざまずき、セレナと目の高さを合わせる男性、よく見ると左頬に薄く傷跡がある。
「お嬢さん、僕がリーノだ。本当の名前はラウルという。あの日、街中で君に助けてもらえなければ、この世界では魔力が尽きてどうなっていたか判らない。君に最大の感謝を」
そう言ってセレナの手をとり、手の甲に口付けるラウル。
「ひゃぁ」
セレナは慌てて手をひいた。その様子を見て、いたずらが成功した子どものような笑顔でウインクまでしてみせるラウル。気障なセリフも態度もさまになっていて、なんだか負けた気になるセレナ。なぜ彼がこの世界に居るのだろうか。
「本当にあの時のローラシアの憲兵さん? どうしてここに……」
「あぁ、それは」
そう言ってラウルは左頬の傷跡を指先でトントンと二回叩く。
「迷宮コアにこの世界に呼ばれたんだ、君とおなじくね」
情報量の多さに処理落ちしたセレナ。しばらくポカンとラウルの顔を眺めていたが、急にラウルの顔が近づいて我に返る。
「大丈夫かい?」
「わぁ」
のけぞるセレナを見てくすくすと笑っているラウル。
(もう、本当ならこっちが年上のはずなのに!)
悔しくなったセレナは、姿勢を正し、できる限り落ち着いた調子で話しかけた。
「あの、ラウルさん? いろいろ聞きたいことがあるんですが、まずは、なぜ小犬の姿に?」
「あぁそれは」
ラウルは一言だけ発すると、大きな狼に姿を変えた。




