第23話 銀の狼と黒い猫
【ラウル様、おそらくですが、ラウル様にかかっていたと思われる呪いは、マスターのお力で解呪されたと思われます】
ジェニーさんがそう教えてくれた。身に覚えのないエレナはラウルが呪われていた、ということの方に驚いていたが、ラウルには思い当たることがあったらしい。
「あぁ、お嬢さんが助けてくれて、身を清めてくれた時か」
ラウルのその言葉に、エレナはあの日の午後のことを思い出す。あの日の帝都の孤児院の裏庭では、みんなの楽しそうな笑い声が響いていた――
「うわー、びしょびしょ」
「きゃははははははは」
「リーノじっとしてろ」
最初セルジュは見ていただけだったのだが、いつのまにか腕まくりして参戦していた。エレナが布でリーノの毛を拭いていると、様子を見に来たアルバが妖精魔法を使ってくれた。
『ヴェントゥーレ』
風の妖精魔法だった。ふんわりと温かな風が起こり、ずぶ濡れのエレナとリーノが乾いていった。エレナがお礼を言おうとアルバの方を振り返ると、セルジュが濡れた髪を拭きながら、
「全く、自分の娘には甘いですね、アルバ様」
そうこっそり耳打ちしている声と、アルバがセルジュに向かい、当然だろうと言うように片眉をあげたのが見えた。エレナはこそばゆい気持ちになって、結局お礼を言いそびれた。
「リーノの毛、すごく綺麗になったね」
洗う前はグレーだったリーノの毛色は艶を取り戻し、陽にあたると銀色に輝いているように見えた。
「そうだな、お前、ずいぶん格好良くなったな」
そう言ってリーノの頭を撫でながら、目を細めて笑うセルジュ兄。いつも生真面目そうでクールな表情をしている彼が、そんな風に笑うと少し幼く見えたっけ。
「あの時は、私もセルジュ兄も、ラウルさんの毛の色が変わったなんて、まったく思ってなかったよ。汚れていたのが綺麗になっただけだと思ってた」
あの日のことを思い出したセレナ改め、エレナがそう言うと、ラウルの手がふわりと頭に載せられる。
「ありがとう、君には助けられてばかりだな」
「そんなことない、私の方が助けられてばっかりだよ」
そう返すと、ラウルは目を細めて笑う。
「じゃぁ、今回も『お互い様』だな」
そう言って、ラウルはエレナと目線をあわせ、ウインクをした。
「ねえ、ラウルさん、呪われていたことは判っていたの?」
「あぁ、うん――そうだね」
ラウルの表情が曇る。これ以上踏み込んで聞いてはいけない気がしたセレナは、空気を変えようと試みる。
「あー、早く片付けないと、またお父さんの機嫌が悪くなっちゃうよ」
腕まくりをして海綿で皿を洗い始めたエレナ、あからさまに話題を変えたとバレバレなのだろう、背中越しにラウルがくすっと笑う声が聞こえる。それにも気づかないふりをして、セレナが洗い終えた皿の水を切っていると、スッと手が伸びてきた。
「また、君のお父さんに切り付けられるのは、僕もごめんだ。さっさと終わらせようか」
「遅いぞ」
片付けを終えて、一人で外に戻ったセレナにかけられたのは、ポルタの前に立つサルヴァトーレ改め、アルバのその一言。
「お父さん、いつからそこに居たの?」
「暑くなる前に移動したいからな、行くぞ」
質問を華麗に無視したアルバに助けられながら、セレナが馬車に乗り込むと、アルマとラーナがケラケラと笑っていた。
「トト坊、そんなんじゃエレナがあの部屋に閉じこもっちまうさね、二度と会えなくなっちまってもいいのかい?」
アルバの動きがピタリと止まる。
「そうですよ、アルバ様。エレナは本当は俺たちと同行しなくても、その俺らの見えない扉からデゼルディアに行っちまって、俺らを待ってればいいんすから」
エリオの言葉に、ハッとした顔でエレナを見つめるアルバ。そんな珍しい表情を見たエレナはアルバに笑いかけて言った。
「もう、そんなに心配しなくて大丈夫だよ、お父さん。私が全部荷物を持っているんだし、私を助けてくれたみんなと一緒に行くに決まってるでしょ?」
「いい娘でよかったねぇ、アルバお父さん」
くすくすとラーナが笑いながら言うと、アルバはエレナの知るいつもの顔でエレナを見つめ。
「あぁ、知っている」
そう一言だけ言うと、馬車から離れ、ひらりと馬に跨って指示を出した。
「さぁ、行こうか」
肌を焦がすようなジリジリとした太陽の陽射しが照りつける。大地はカラカラに乾き、風が赤い砂を舞い上げている。アルバがこちらへ向かって来る黒い獣に気が付き、馬上で剣を抜いた。
しかし、よく見るとその黒い獣は、今にも倒れそうな覚束ない足取りでふらふらと歩いているようだ。少しずつ距離が縮まり警戒を高める。しかし、黒い獣は力尽きたように大地に臥してしまった。
「ちょっと先に行って、見てきます」
並走していたセルジュがそう声をかけ、倒れた獣を確認しに駆けて行った。
アルバは、自分たちの後ろをついてきている荷馬車と並ぶように馬の速度を緩め、御者台のエリオに話しかける。
「黒い獣が見えた、セルジュが安全か確認しに行ってるからゆっくり進め」
「了解です」
エリオは短く答えると、少し速度をゆるめた。
荷馬車がゆっくり進んでいると、セルジュが大きく手を振っているのが見える。どうやら安全なようだ。
「何かあったの?」
荷台から、ラーナが顔を出して尋ねてくる。
「いや、大丈夫みたいだ」
荷馬車がセルジュの立っている場所まで到着すると、そこには水を貪るように飲んでいる、幼児位の大きさの黒い猫が居た。
「お水ありがとうにゃのだ、あぁ腹が……減った……」
「エレナ、何か食べるもん頼む」
セルジュが荷馬車の御者台に座っていたエレナに声をかける。
「はーい、これでいいかな? セルジュ兄」
「いい匂いがするのにゃ……」
(わ〜、大きな黒猫さんだ! それにしゃべってる!)
エレナはセルジュに声をかけ、初めて目にした大きな黒い猫に器を渡す。
「はい、これをどうぞ。食べられないものは避けてね」
「うにゃっ! ありがとうにゃのだ。うみゃ〜なのだ」
その黒い猫がガツガツと食べている間に、荷馬車からエリオとラーナも降りてきた。
セルジュはアルバに向かって話しかけている。
「アルバ様、こいつは例の獣じゃなくて、猫人族みたいですよ」
「黒い猫人族が居るとは、聞いたこともないが……」
その会話を聞いていた黒い猫が、ぽつりぽつりと話し始めた。
「おいら、どこに行っても黒いからって追い払われたにゃ、こんなに親切にしてもらったの、こっちに来て初めてにゃ、これ、凄くうみゃいにゃぁ……」
そう話し終えると、その黒い猫は大きな金色の瞳に涙を溜めて、絶え間なくスプーンを動かした。
「ふふーん、でしょぉ? ラーナちゃんの特製スープを食べれば、元気もりもりよ、たくさん召し上がれ」
ラーナはその黒い猫のそばにしゃがむと、初めて見たであろう大きなしゃべる黒い猫に、目をキラキラさせている。そんなラーナの隣に立ったエリオが、スープを食べ終わった黒い猫と、目線を合わせるように座り込んで尋ねた。
「お前、どっから来たんだ? この辺りは集落もなさそうだが」
「んにゃ、おいらあっちの方にある町から追い出されたのにゃ、黒いやつは人を襲う悪者にゃんだって……おいら、人を襲ったりしにゃいのに」
「あーすまねぇ、嫌なこと思い出させちまったな。ほら、これも食うか?」
エリオが頭をガシガシと掻いた後、どこからともなく青いりんごを取り出して黒い猫に差し出す。
「あれ? エリオ兄、それ今どっから出したの」
「へへ〜ん、どうだエレナ? 大分上手くなっただろ?」
エリオは子どもたちを喜ばせようと、エレナから聞いた奇術を練習していたのだ。
「すごい、すごいよ! エリオ兄! 全然どこから出したか分からなかった」
エレナが興奮しているのを宥めるように、アルバがエレナの頭をポンポンと優しくたたく。
「ほら、そこまでにして。みな暑いだろう。荷馬車に戻れ」
「はぁい。あ、お父さん、ちょっとしゃがんで」
エレナはしゃがんだアルバの頭に生成色の布を器用に巻き付ける。
「どうかな?」
「あぁ、これは陽射しと砂避けになるな」
「へへ、ラーナお姉ちゃんとおばあちゃんと一緒に縫ったの」
「ありがとう、エレナ」
アルバが優しい瞳でエレナを見て頭を撫でてくれた。傍ではラーナがエリオの頭に布を巻き付けている。一人立っていたセルジュが、拗ねたようにエレナを見て話しかけてきた。
「俺には?」
「もちろん、作ってあるよ!」
エレナは笑いながらセルジュをしゃがませ、頭に布を巻きつけている。その横でアルバが黒い猫に告げた。
「さ、君も馬車に乗るといい」
「いいのにゃ? おいらも連れて行ってくれるのにゃ?」
「あぁ、もちろん」
アルバは黒い猫の頭を優しく撫でる。
「おいらが一緒にいたら、迷惑がかかるかもしれないのにゃ」
「あぁ、それな。俺たちも追い出された口だからな、それでも構わないなら一緒に来るといいさ」
セルジュが頭に巻かれた布を整えながらそう言うと、エレナは自分の髪を指差して言った。
「黒猫さん、私も同じなの」
荷馬車に乗り込んだ黒い猫を見て、アルマが話しかけた。
「おや、いらっしゃい、おまえさん名前は何ていうんだい?」
「おいら、おいらの名前は――」
名前を言いたくないのだろうか、黒い猫は荷台に座ると、俯いたまま口を閉ざしてしまった。
やっぱり、ノワールに似てるなぁ――エレナはかつての自分がそう名付けていた、黒い猫の人形を思い出していた。すると、俯いたままの黒い猫が、寂しそうな声で呟く。
「おいらの名前を呼んでくれた人は、居なくなったにゃ」




