第12話 ロスクリタの洞穴
第二章の始まりです。
セレナがこちらの世界に来た十年前に起こった事件です。
かつて、ヴェルフォーリアの森は、清らかで実り豊かな森だった。
この世に在らざる、闇の魔獣が棲む地下迷宮が現れるまでは――
それは、今から十年前のこと。
ヴェルフォーリア渓流を見下ろす高台を、二人の男が薪を背負って歩いている。薪の上では、この男たちそれぞれの守護妖精が羽を休めていた。空には薄く白い雲がなびき、谷からは涼やかな風が吹いてくる。
やおら背の高い方の男が立ち止まり、腰に下げていた水筒の栓を外して喉を潤し汗を拭う。いつも通る慣れた道、眼下に見える景色に違和感を感じたのだろう、
「おい、あんな所に洞穴があったか?」
その男が、谷の方を水筒を持った手で指しながら仲間に問いかけた。
「いんや、なかったと思うが、ありゃぁ動物の巣じゃねぇんか?」
眩しい日差しを遮るように、額の上に手をかざしながら、もう一人の男が答える。
「こっから見て判る大きさだ、動物の巣じゃなかろうよ」
「んだなぁ、今度降りて見に行ってみっか?」
「そうするか。……いや、おい、あの黒いのは何だ?」
二人の男が目を凝らすと、洞穴の入り口から黒く大きな生き物が出てきている。すると、洞穴の外に出た途端、それは煙のように消えていった。
「お、おい、何だあれ、消えちまったぞ」
「知らねえ。知らねえが、おかしな事が起こっとるんは間違いねえ。とっとと帰って役所に知らせよう」
「んだな!」
この日、ヴェルフォーリアの森の異変がオルキディアの辺境の町に知らされた。
翌日、知らせを受けた町の護衛兵が、木こりたちの案内で現地に行くと、時折黒い獣が洞穴から出てきて、すぐに煙のように消えていくのが確認された。見たこともない異様な光景に怖気付く者もいたが、護衛兵たちの守護妖精に騒ぐ様子はない。
そのことに安堵した護衛兵たちは、夕暮れまで洞穴の外を探索したが、周辺に黒い獣は見つからなかった。たまに洞穴から出てくる黒い獣は、やはり煙のように消えていく。彼らは夜を徹して洞穴の入口を監視することにした。
その夜は、新月だった。
野営の薄明かりの中、黒い猪のような姿の生き物が、こちらへ向かって歩いているのが見える。見張りをしていた護衛兵の一人が慌てて、
『ルストラーレ』
と光の言葉を唱えると、護衛兵の守護妖精の周囲から光が溢れ、その白の光を浴びた黒い獣は空気に溶けるように消えていった。
狼狽えた兵たちは、洞穴の入り口付近を探ってみることにした。洞穴の中は暗く、視界も悪く、じめじめとしている。カンテラの薄灯りを頼りに少しばかり進んでみると、暗がりの中から急に、小さなうさぎ位の黒い獣が飛びかかってきた。
「気をつけろっ!」
先頭に居た兵が、叫びながら咄嗟に剣で薙ぐも手応えがない。後ろに続いていたもう一人の兵は右脚の脛に齧り付かれている。
「おわっ! こいつっ! へ? 触れない? それに痛くないぞ」
獣を引き剥がそうと気を取られている隙に、もう一匹が高くジャンプして彼の守護妖精を咥えた。
『ルストラーレ』
と、殿に居た一人の兵が光の言葉を唱えると、彼の妖精が光を放ち、洞穴内が明るくなる。その光にさらされた黒い獣たちは、光に溶けるように消えていった。脚に噛みつかれた兵に特に怪我はないようだが、光の言葉を唱えた兵は、辛そうに膝に手をつき肩で息をしている。
――そして、捕われた妖精だけが黒い獣とともに消えてしまった。
それから二週間後、オルキディア王国のヴェルフォーリアの森で、黒い獣が湧き出る洞穴が発見されたと、隣国の神聖アルジェンティーナ帝国にも情報がもたらされた。
「その黒い獣に人は傷つけられぬが、妖精は傷つき消えるとは誠か」
報告を受けて皇帝が問う。皇帝の左肩に居る小さな妖精が、両手を腰に当てちょっと偉そうな格好をしてみせる。
「は、オルキディア王国の調査隊が確認したとのこと。黒い獣に有効なのは光の魔法のみということで、我が国へも調査協力の要請が届いております」
親書を見ながら宰相が答える。
「俄には信じられぬが、そのような物が我が国にまで現れるならば一大事だ。神殿の神官長に伝えよ、光の妖精の使い手を選び、護衛兵とともに調査へ向かわせ詳細を報告するように」
皇帝の命により、サルヴァトーレを含む数名の光の妖精の使い手が、オルキディアの黒き獣が湧きでる、ロスクリタの洞穴と名付けられたその場所へと派遣された。
妖精だけが傷ついてしまうとあって、誰もが洞穴の内に入ることに尻込みをしていた時、サルヴァトーレと血気盛んなセルジュは二人だけで洞穴の中へと入って行った。
「暗いな、『ルストラーレ』」
洞穴内でサルヴァトーレが光の言葉を唱えると、彼の白の妖精から眩いばかりの光が洞穴に満ち、あっという間に黒い獣は空気に溶けるように消えて行った。
「やっぱりいつもとは違いますね、こいつぐったりしてる」
セルジュが自分の妖精の様子を見て心配そうに告げる。
「ふむ、やはりこの洞穴の中では、妖精たちが弱るみたいだな、一度戻ろうか」
「はい。あ、そこ、なんか仕掛けがありそうなんで、注意してくださいね」
「承知した」
そうして、何度かサルヴァトーレと光の魔法が使える者たちで洞穴内に調査入り、ルートを確認しながら奥へと進んでいたのだが、急に入口が崩落し洞穴内には入れなくなってしまった。
結局、ロスクリタと名付けられた黒き獣の洞穴は、ヴェルフォーリアの森を擁するオルキディア王国の議会において、監視を置くのみと決定され、サルヴァトーレたちは調査を打ち切り国へ戻ることになった。
サルヴァトーレが国に戻る途中、立ち寄った村で出会ったのが、黒髪の赤子――セレナだった。
次回は現在に戻ります。




