6
俺は頭を抱えていた。
村から視認できないよう、十分な距離を取った浜辺に潜水艦を停めた。夜の闇に紛れて上陸し、徒歩で村まで移動して、門を叩いた。
そこまでは良かった。
問題はその後だ。
咄嗟に自らの出自を旅の商人と偽った。
我ながら苦しい嘘だったと思う。荷も馬車もなく、夜更けに一人で門を叩く商人がどこにいるのかという話だ。
だが、門の向こうから返ってきた声は、予想を裏切るものだった。
「そうか……通って良いぞ。開けてやれ」
老人の声だった。
淡々とした口調で、まるで近所の知人を迎え入れるような気軽さだ。
言語が問題なく通じたことにも驚いたが、何よりも、こんなにすんなりと通されたことに困惑した。
こんなに怪しい人間を、こんなにあっさりと受け入れるのか、と。
門が開き、中に入ると、やけに明るい村だった。
それこそ、前世の記憶にある都市部の繁華街のように、夜だというのに隅々まで光が行き渡っている。
白い灯火が村のそこかしこに設置されており、その光量は想像以上だった。風にも揺れず、一定の明るさを保ち続けている。通常の蝋燭や松明とは明らかに異質な光源だ。
しかし、その明るさとは裏腹に、民家の造りは素朴なものである。
木と土で組まれた質素な家屋。茅葺きに近い屋根。道は舗装されておらず、踏み固められた土がそのまま通路になっている。
明るさと、暮らしの水準が噛み合っていない。
ちぐはぐな印象を受けた。
「ウェル、この商人を宿舎へご案内してあげなさい」
老人がそう言うと(後にこの老人が村長だと知る)、傍に控えていた青年が一歩前に出た。
ウェルと呼ばれた青年に導かれ、村の中を歩いていく。
通りすがる村人たちの視線は感じたが、敵意のようなものは不思議と感じなかった。好奇心と、わずかな警戒。そのくらいの温度だった。
案内されたのは、村の中でもひときわしっかりとした造りの木造の建物だった。
柱も太く、屋根の造りも丁寧だ。俺の観点から見ても、この村の中では上等な部類の建物であることがわかる。
どうやら、来客を泊めるための宿舎として用意されているようだった。
「ようこそヴィソンへおいで下さいました。商人でしたら、明日から取引を行えば良いですね。本日のところはお休みください」
ウェルは丁寧にそう告げると、俺を部屋に通した。
そこからの展開は、あまりに手際が良かった。
あれよあれよという間に布団が敷かれ、そして質素ながらもしっかりとした夕食が運び込まれてきた。
「マジかよ……」
一人しかいない部屋に、感嘆の声が響き渡る。
目の前にあるのは、焼き魚。
秋刀魚によく似た細長い魚が、こんがりと焼き上げられて皿の上に横たわっている。秋刀魚にしては目がやや大きいような気もするが、形状も色艶も似たような物だった。
その隣には、根菜のような芋がごろごろと入った煮物。
さらに汁気の多い雑炊のようなものが椀に盛られ、何かの根の漬物が小皿に添えられている。
どう考えても、歓迎されている。
怪しい。怪しすぎる。
夜更けに現れた自称商人を、ここまでもてなす理由が見当たらない。
そう思って頭を抱えたのだが。
鼻腔を刺激する、焼けた魚の匂い。
塩の香ばしさと、脂の滴る音。
バナナとチョコレートバーしか食べていなかった体が、理性よりも先に反応した。
お盆に添えられた箸を手に取る。
箸だ。
俺の記憶にあるものと、まったく同じ形状の箸。木製で、先端が細く削られた二本一組の食具。
異世界でも食生活や人間の生態というのは似通うものなのだろうか。
類似点が、あまりにも多すぎる。
疑問は一旦棚に上げて、俺は焼き魚に箸で切れ込みを入れた。
白い身を口に運ぶ。
塩が程よく効いている。
魚の脂と塩の塩梅が絶妙で、舌の上で旨味がじわりと広がった。旨い。
根菜の煮物に箸を伸ばす。
じゃがいもとさつまいもの中間のような食感の芋がごろごろと入っており、甘みのある出汁で柔らかく煮込まれていた。腹に溜まる、しっかりとした食べ応えだ。
雑炊はどちらかというとスープのような立ち位置らしく、見た目の素朴さに反してほのかな辛味がある。温かい液体が喉を通るたびに、体の芯まで沁み込んでいくような感覚があった。
漬物も加えて、俺は一人で感動しながら無心で食べ続けた。
その最中に、部屋の扉が横にスライドして開いた。
「――お食事中失礼します」
ウェルだった。
うやうやしく入室してきた青年は、皿の上の料理を凄まじい勢いで平らげている俺の姿を目にして、一瞬目を丸くした。
俺は気恥ずかしさに駆られ、手元の水を慌てて飲み込んだ。
「すみません、あまりに美味しくて――」
ウェルは両手を前に突き出すようにして、いやいやと首を振った。
「お気に召したようで大変良かったです。して、お酒はどうされますか?」
「お酒は大丈夫です。明日もこちらでお仕事をさせていただきますので」
ウェルは丁寧に頭を下げて、部屋を出ていった。
その背中を見送りながら、俺は箸を止めた。
――これだ。
俺が最大の違和感を感じているのは。
頭の下げ方。
扉の開け方。
この少し和を感じさせるような建築様式。
全てが、俺の記憶の中にある文化をなぞっている。
完全に同じではない。だが、根底にある作法や感覚が、酷似している。
類似し、近似しているもの。
この世界は一体何なのだ。
そもそも俺は一体――。
考え事をしながら残りの食事を食べ進めていた、その時だった。
手首から、赤い光と共に振動が走った。
咄嗟に手首を確認すると、ディスプレイが自動的に展開されていた。
表示されている文字は、これまでに見たことのない色だった。赤い。警告色だ。
【警告】
敵性存在有
俺の目が、部屋の隅に置いてある銀色の円盤へと向いた。
――ポンコツ2型。
そう思った瞬間。
ウェルが閉めたはずの扉が、開いているのに気がついた。
開かれた扉の足元に、黒い髪の女性が一人、座り込んでいた。
正座のような姿勢で、両手を膝の上に揃えている。
顔を深く伏せており、表情は窺い知れない。黒い髪が顔の両側から垂れ下がり、その奥にある目元を完全に隠していた。
「ようこそ、おいで下さいました」
静かな声だった。
抑揚が少なく、感情の色が薄い。だが、敵意も悪意も感じられなかった。
「枕を、お渡し忘れておりまして。参りました」
顔を伏せたまま、女性は傍らに置いてあった枕を両手で俺に向けて差し出した。
俺は立ち上がり、女性の前まで歩いていった。
差し出された枕を受け取る。綿が詰められた、やや硬めの枕。確かに、布団には枕がなかった。
「わざわざありがとうございます」
礼を言って枕を受け取った。
だが、女性は動かなかった。
顔を伏せたまま、正座の姿勢を崩さず、扉の前に座り続けている。
俺が「どうかされましたか」と声をかけようとした、その時。
女性はゆっくりと、扉に手をかけた。
閉めかけた扉の隙間から、声だけが滑り込んできた。
「――お名前を、お聞きしておりませんでした。良ければお教えして頂けませんか?」
俺は明確に一瞬、言葉に詰まった。
過去の記憶は断片的に存在する。
食事の作法。言語。文化。
そういった知識や技術は頭の中に残っているのに、自分自身に関する記憶だけが断片的に欠落していた。
名前も、その一つだ。
しかし、ここで沈黙すれば、俺の怪しさに更に拍車がかかる。
商人を名乗っておいて名前を答えられない人間など、どう考えても異常だ。
どうしよう。どうしよう。
焦りの中で、頭を必死に回転させた。
浮かんだのは、あの潜水艦だった。
操縦席。計器。ディスプレイ。
そして、船体。
ハル。
Hull。船体を指す単語。
前世の記憶から、咄嗟に引っ張り出した言葉だった。
「ハ、ハルです。自分の名前はハルです。よろしくお願いします」
声が少しだけ上擦った。
扉の向こうで、女性が僅かに間を置いた。
「ハル様ですね……良いお名前です」
そう言って、女性は完全に扉を閉めた。
足音は聞こえなかった。
俺は枕を布団の上に置くと、残り少なくなった夕食をしっかりと食べ終えた。
手首の警告は、いつの間にか消えていた。
食事を終えてしばらくした頃、再び扉が開いた。
「申し訳ございません、枕を忘れておりました」
ウェルだった。
手に枕を持って、慌てた様子で入ってきた青年は、俺の布団の上に既に枕が置かれているのを確認すると、怪訝な表情を浮かべた。
「先ほど、女性の方が渡してくれましたよ」
俺がそう言うと、ウェルの顔から表情が消えた。
数秒の沈黙の後、ウェルは静かに口を開いた。
「――お名前を聞かれましたか?」
その声には、先ほどまでの丁寧さとは異なる、切迫した何かが混じっていた。
「ええ、お名前を名乗っていませんでしたね。遅ればせながら私はハルといいます」
失礼だったと思い、俺は立ち上がって自己紹介をした。
ウェルは俺の自己紹介にはほとんど反応を示さず、布団の上の枕を見つめていた。
やがて、ウェルは視線を上げる。
真っ直ぐに俺の目を見て、静かに、しかしはっきりと言った。
「この宿舎には、現在私しか任されておりません。非常に申し上げにくいのですが――ハル様は、海の呪いの一つに取り憑かれております」
ここまで読んで頂き誠にありがとうございます。
良ければ前作である『只人の召喚魔法運用法』もよろしくお願いします。




