7
――海の呪い。
ウェルはそう前置きすると、俺に簡単な説明を始めた。
何も知らない俺に、彼は一切疑問を抱かず、丁寧に言葉を紡いでくれた。
この村は、王国に連なる唯一の漁村。
そして古くから、王国には三つの海の呪いが伝わっているのだという。
そのうちの一つは、先代の王が患い、命を落とした。
だからこそ、ただ「海の呪い」という名前と恐怖だけが、王国全土に広がり続けている。
そして、この村ヴィソンには、その三つのうちの一つの呪いが憑いていると古くから伝わっているようだ。
「あぁ……宝海日までは日にちがあるはずなのに――」
ウェルは小さく呟くと、大きく肩を落とした。
「ホウカイビ? なんですか?」
俺が問い返すと、ウェルは説明を続けた。
「一年に一度行う、この村古くからの習わしです。海の幸を捧げ、呪いを鎮めるための日。この日に限っては、呪いが一人歩きすると言われており――誰も名前を口にしてはいけないのです。家族間でさえ」
なるほど、と俺は心の中で頷いた。
あの女が俺に名前を聞いてきた理由が、これでようやく繋がる。
「名前を言ったらどうなるのですか?」
俺の問いに、ウェルは声を低くした。
「名前を呪いに聞かれると――海に存在を取られます」
存在を取られる。
死ぬ、ではない。失う、でもない。「取られる」。何かに名前を奪われ、海の底に持っていかれるということ。
俺は努めて軽い口調で、両手を広げて肩をすくめてみせた。
「まぁ、でも取られてないですね、私。余所者である旅商人は例外なのではないでしょうか」
俺は確かに、あの女に名前を答えた。
ハル、と。
しかしそれは前世の記憶から咄嗟に拾い上げた偽名であって、本来の俺の名前ではなかった事が幸いしたのだろうか。
ウェルは俺の言葉におずおずと納得したように頷いた。
俺が直面したのは、この村でいう「呪い」のうちの一つであることは、ほぼ確定だろう。
しかし、「海の呪い」と言うには――。
とりあえず今日のところは休む、ということになり、ウェルは丁寧に頭を下げて部屋を出ていった。
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
* * *
俺は布団の上に座り直し、誰もいない部屋で小さく呼びかけた。
「――2型」
壁に立てかけられた鈍色の円盤に、すぐに亀裂が走った。
展開された脚が床を掴み、ゆっくりと持ち上がる。座っている俺の前まで歩いてくると、ライトの消えたままの正面部分をこちらに向けた。
「ポンコツ2型とか思って、すまないな」
俺は波打ち際でウロウロしていた間抜けな姿を頭から切り出して、先ほど警告を出してくれた働きに対してそう言葉をかけた。
2型は無言のまま、前足二本を高々と突き上げた。
無音の中で、誇るような仕草。
ライトもないのに、なぜか得意げな表情が伝わってくる。
不思議な機械だった。
ウェルの話を反芻する。
宝海日中の呪いの出現に、前兆はない。
だからこそ、宝海日には大量の海鮮を捧げて呪いを鎮め、名前を呼び合わないのだという。
俺は布団を被り、目を閉じた。
一度潜水艦に戻ることも考えたが、2型がいる。
ここから潜水艦までの夜道を一人で歩く方が、よほど危険だろう。
「警戒は任せたぞ」
そう声をかけると、2型は俺の枕元に陣取った。
ライトを消したまま、しかし正面はしっかりと部屋の扉に向けられている。
意識は、すぐに沈んでいった。
* * *
夜のうちには何もなかった。
警告は出ず、2型が俺を起こすこともなかった。
少し緊張していた影響か、ぐっすりと眠った割に、目が覚めたのは朝の明け方だった。
まだ外は薄暗く、空気は肌寒い。布団から這い出ると、夜の冷気が肩を撫でた。
身支度を整えていると、扉の向こうに足音がした。
「おはようございます」
俺は自ら扉を開けて、宿舎に入ってきたばかりのウェルへ声をかけた。
ウェルは少し驚いた様子で会釈を返してくれる。
「ハル様、おはようございます。お早いですね」
「昨夜は、あれから何もなかったですね」
俺はそう言いながら、自分の荷物を引き寄せた。
2型はすでに円盤の状態に戻っており、俺はそれを脇に抱える。手首のディスプレイには、警告は出ていない。
「おはようございます。早速これから広場へ向かわれますか?」
ウェルの問いに、俺は頷いた。
旅商人としての仕事を、全うするつもりだった。
村は朝早くから動き出していた。
海に近づくにつれて、村の活気が肌で感じられるようになる。
まだ日も昇りきらないうちに小さな船から魚を搬出している漁師らしき男たちが見えた。逆に、これから出航するつもりなのか、網を肩に担いで桟橋へ向かう村人も多い。
ヴィソンの一日は、海と共に始まる。
「ところで、商人とはお聞きしておりますが、何を扱うのでしょうか?」
歩きながら、ウェルが当然の疑問を口にした。
俺は持参していた木箱を地面に下ろし、軽く蓋を開けて見せた。
箱の中には、難破船を解体した時に回収した宝飾品の数々がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
金製の指輪、首飾りの金鎖、金の装飾の施された腕輪。色がくすんでいるとはいえ、明らかに加工された貴金属であることは一目でわかる代物だ。
「これは……」
ウェルが絶句した。
言葉を続けようとして、何度か口を開閉する。
「広場で売ろうかと思ってい……たのですが、やめた方が良さそうですね」
俺は静かに木箱の蓋を閉じた。
その顔を見れば、これらを村の広場で広げるのがどれほど無謀かは明らかだった。
貧しい村の朝市に、こんな宝飾品を並べる商人は、いない。
俺たちは踵を返すように、村長の家へと足を向けた。
その瞬間。
俺の手首から、振動が走った。
手首のディスプレイを横目に確認すると、警告色の赤い表示。
昨夜の女と対峙した時と、同じ反応だった。
――やばい。
そう思った直後だった。
背後から、低い位置で何かが俺の膝にぶつかってきた。
予期せぬ衝撃にバランスを崩し、俺は木箱ごと地面に転げる。
「大丈夫ですか?」
ウェルが慌てて駆け寄り、俺の腕を取って起こしてくれた。
木箱は地面に倒れ、宝飾品が幾つか飛び出していた。幸い、そう遠くまで散らばってはいない。
すぐに回収できる範囲だった。
「すげー、キレイ」「お兄ちゃんどこの人ー?」「これもらっていいー?」
ぶつかってきたのは子供たちだった。
四、五人ほどの少年少女が、地面に転がった宝飾品を取り囲んでいた。屈託のない目が、好奇心で輝いている。
目の前にいるのは間違いなく無邪気な子供たちだった。
「コラ! ぶつかっておいて、何をやっているんだ!」
ウェルの一喝で、子供たちは慌てて飛び散った宝飾品を拾い集め始めた。
地面に膝をつき、小さな手で器用に金細工を集めて、俺の前に並べてくれる。
「ありがとうね」
子供のすることなので、俺からは特に注意もせず、そのまま装飾品を受け取った。
「謝りなさい!」
ウェルが重ねて叱ると、体の大きな男の子が代表のように俺の前に進み出て、おずおずと頭を下げた。
「ご……ごめんなさい」
「いいよ」
俺は穏やかに応えた。
その時、ふと視界の隅で何かが見えた。
大きな男の子の体に隠れるようにして、もう一人、小さな男の子が立っていた。
他の子たちよりも一回り幼い。
片手を庇うように、自分の腕に当てている。
俺が「大丈夫か」と声をかけようとした時には、その小さな男の子は他の子たちと共にぱっと駆け出していた。
あっという間に、子供たちの集団は朝靄の向こうへと消えていった。
「全く……申し訳ありません」
ウェルが深々と頭を下げた。
俺は苦笑して片手を上げる。
「気にしないでください。子供のすることですし。盗られてもないですし」
俺は木箱に宝飾品を戻し、改めて村長宅へと向かった。
* * *
村長宅は、村の中央に建てられた、他よりも一回り大きな木造の建物だった。
「これはこれは――」
俺が木箱から宝飾品を並べてみせると、村長は明らかに動揺した。
潜水艦に大量にあった宝飾品の中でも、価値が分かりやすそうな金製のものを厳選して持ってきた甲斐があったらしい。卓上に並んだ品々を前に、村長の指は迷うように宙をさまよっていた。
「一晩の宿のお礼も兼ねて、今回は私も勉強致しますので、非常にお安くいたします。どのぐらいをご所望でしょうか?」
「わ、私が決めていいのですかな?」
「え、えーと。今後も継続して関係性を保ちたいと考えておりますし、何よりも私の商品のほんの一部ですので!」
ガバガバな商人理論だったが、俺は気合いで押し切った。
村長はしばらく宝飾品を眺めた後、苦渋の表情で口を開いた。
「ハル様、私共も是非全て買い取りたいのですが、なにぶん貧しい村でしてね……村に現金がそれほどないのですよ」
そう言うと、村長は奥の部屋から布の袋を持ってきて、卓上に置いた。
量は、決して少なくなかった。
硬貨の種類が分からないため正確な価値は断定できないが、単純な量なら、あの難破船で獲得した硬貨とほぼ大差ない。
この村が用意できる、限界の額。それがこの袋の中身なのだろう。
「これでもまだ足りないと思いますので、不足分は村からの工芸品や保存食などでの交換を希望いたします」
思いがけない取引だった。
むしろ、俺にとっては上々すぎる。
硬貨もありがたいが、何よりも食料品が手に入るというのが大きい。俺にとって、保存食の確保は死活問題だった。
「是非、お願いします」
俺が頭を下げた、その瞬間。
手首が振動した。
目を向けると、今度は警告色の赤ではなかった。
穏やかな青い文字が浮かび上がっている。
【システムメッセージ】
条件を満たした為、購入できる物品と強化項目が追加されました。
画面を呼び出すと、ずらりと新しい項目が並んでいた。
今までに見たことのない品物の名前。さらに、2型の強化項目まで存在している。
俺は内心の昂揚を表に出さないよう、村長に向けて穏やかに頭を下げた。
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