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その幻は誰が為に  作者: 与瀬啓一
第1章~幻視の青年~
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009.助けられてばかりで

 会話の後、シャルルはしばらくの間、アリスたちがいる謎の空間の観察に時間を費やした。炎で壁や床を照らし、顔を近づけ、ときには触れてみて、地面の土をひとつまみだけ取り上げて、その触り心地を確かめるように指先を擦る。小さな土の粒が灯りを反射しながら落ちていく。


 とうのアリスは、邪魔になるだろうと思い彼との問答の後は口も開かず、ただずっと膝を抱えて座っていた。二、三度くしゃみをしたぐらいだ。きっと、服が濡れているからだろう。


 彼が炎を出せるなら、服を脱いで乾かすべきなのだろうが、異性の前で素肌を晒すのはさすがのアリスも恥じらいの方が勝つ。


 肌に纏わりつく重さの方を我慢することにした。


 ただまあ、シャルルばかりを見つめているのもそれはそれで恥ずかしいので、アリスも座ったまま、部屋の様子を観察していた。土でできた壁、天井、床。部屋の形はほとんど立方体に近い。広さは、組合の宿舎の一人部屋が四つか五つ分ぐらいだろうか。それなりの広さはある。出入口らしきものはない。


「うん。ここから出るのは無理そうだね」


 しばらくしてから、シャルルの声が何もない空間の中で反響した。彼の掌の炎が揺れる。


「出られないって……」


 じゃあどうすればいいの、という言葉を飲み込む。それが答えられるのであれば、とっくに脱出できているはずだ。


「待つしかない」


「待つ?」


 シャルルはアリスに背を向けたまま黙って頷く。


「必ず、この部屋に用事がある魔物がやってくる」


「分かるの?」


 アリスの問いに答える代わりに、シャルルは右手で剣を抜く。金属同士が擦れる音が楽器のように響き渡る。


「きみも、武器を手に取って」


 そう言われたアリスは、腰に下げていた剣の柄を握った。右腕を前に引く。剣が鈍い金属音を立てて抜き放たれる。


「この部屋はおそらく食糧庫だ」


 シャルルは言いながら壁に近づく。左の掌に浮かべている炎を握りしめるようにして消すと、そのまま壁に手をついた。


「食糧庫?」


「うん。僕たちの迷宮探索の結果、得られた情報は三つ。一つ、この迷宮に主に生息しているのはあの幼虫であること。二つ、奴らは僕たち人間や、獣人、亜人などを捕食しようとすること。三つ、彼らは土の中に生息していること。

 きみを救ってから、あの幼虫と遭遇しただろう? 一匹は、きみの足元から地上に出ようとしていた。その進行方向にはきみがいる。きみという餌にまっすぐ向かっていたんだ。奴らには、餌のところに寄っていく習性がある。

 では、そんな餌が都合よく落ちてしまったこの部屋は、いったい誰が作ったのか。おおかた、彼らの親でもある成虫だ。才技か何かで出入り口のない空間を作ったんだろう。

 ここからは仮説だけど、僕たちが遭遇した幼虫はほとんど成長しきった個体じゃないかな。自分たちで狩りをできる程度に。ともすれば、そうでない個体もいるはずだ。たとえば、生まれたばかりの幼虫とか。そういう幼虫のために『餌場』を用意する。そういう子育てのやり方とも考えられる」


 どこからともなく地響きがする。アリスもシャルルに倣って、左の掌を壁に当てた。土壁が震えているのが分かった。その振動が徐々に大きくなっていることも。


「そろそろ来るよ。構えて」


 アリスは剣の柄を両手で握りしめて、正面に構える。視線を左右へ流しながら周囲を警戒する。前後上下左右、どこから出てきてもおかしくはない。お互い口を固く閉じて、肌に伝わる振動と鼓膜を揺らす僅かな地響きに集中する。


「後ろ」


 シャルルの声とその直後の破砕音が、静寂を食い破る。彼の声を合図に、アリスは後ろへ振り向く。魔物の姿を認める。


 シャルルの推察通りで、姿を現したのは例の幼虫だった。ただ、以前遭遇した個体よりもはるかに小さい。目測で、全長はシャルルと同じぐらい、アリスやカーリィより少し大きい、ゲールやシャッテンより遥かに小さい。そんな感じだ。


 幼虫の頭は真っ直ぐにアリスを向いていて、その短刀を思わせる大顎を開いてアリスに迫ってくる。


 振り向いたときの反動を利用して、アリスは右手の剣を横薙ぎに振り抜いた。刀身の中ほどと幼虫の大顎がぶつかり合う。甲高い衝撃音を放ちながら、幼虫が後方へと弾き飛ばされる。壁にぶつかって落ちる。動きが鈍くなっているのが分かった。


 アリスの足も衝撃を支えきれず後ろによろめく。尻をついて倒れた。


 おそらく、今対峙している魔物がこの迷宮で最も弱いのだろうとアリスは思う。だというのに、自分自身がたった一度の交戦で体力をひどく消耗していることが悔しくてならなかった。幼虫の突進はアリスが受け止めるには重すぎたのだ。腕には衝撃の残像が強く残り、剣を握る握力も弱まった。


 そんな握力で剣の柄をなんとかぎゅっと握りしめ、杖代わりにして立ち上がる。


 シャルルの方を見やる。


 彼の足元には、幼虫だった肉片がいくつも散らばっている。そうしてみている間にも、一匹、二匹、三匹と、土中から飛び出る幼虫を乳白色の肉片へと切り刻んでいる。ときどき、アリスの方に飛び出してくるものにさえシャルルは反応し、対応していた。


 また私は守られているのだと、アリスは実感した。


 視線を、先ほどアリスが弾き飛ばした幼虫に戻す。未だに動きは鈍く、キィキィと甲高くも不快な、悲鳴にも似た鳴き声を上げている。


 アリスは歩み寄ると、剣を逆手に持つ。頭上で構えると、それを目一杯の力で振り下ろした。剣の切っ先が、幼虫の脳天を貫く。緑色の体液が勢いよく吹き出し、そうしてそこにまた一つ、乳白色の肉塊ができあがった。


「上出来だよ」


 アリスがとどめを刺す瞬間を見ていたのか、シャルルがそんなことを言う。


「……私、一匹しか倒していないわよ」


 アリスは足元の肉塊を見下ろしながら言う。


木階級(もくかいきゅう)だろう? それでこの迷宮の魔物を倒せたのなら、数に関わらず上出来だ。と、ゲールなら言うね」


「あなたの言葉じゃないのね」


 顔を上げてシャルルを見る。ふい、とシャルルは顔を逸らし、話題を変えるように「さて」と呟いた。


「これで僕たちは、奴らの成虫にとって、ただの餌から我が子を殺した闖入者になったわけだ。となると、次は成虫自ら僕らを排除しに来るだろうね。ほら、聞こえるだろう?」


 そう言われ、アリスは耳を澄ます。何かが聞こえる。


 細やかな地響きにも似た音。何か硬いものが――、まるで金属と金属が擦れ合うときのような音。例えるなら、アリスが自分の剣を抜いたときに出る音に近い。それが小刻みに震えるように、キリキリといった不快な音がアリスの鼓膜を震わせている。


「……なに、この音」


 途端、大地が揺れる。


「こっ、今度はなに!?」


 揺れのあまりの激しさに立っていられず、アリスはその場にしゃがみ込む。周囲を見ると、四方を囲んでいた壁が後退していき、部屋が拡がっていくのが見えた。天井に目を向けると、パラパラと土埃を落としながら天井が上昇していく。どうやら、部屋全体が大きくなっているようだった。


 広がった部屋の壁にはいつの間にか人間が一人通れる程度の穴が複数出来上がっていた。例のキリキリといった音が、その穴の奥から聞こえてくる。


 何かが来る、と直感的にアリスは感じ取った。なにか、身の毛もよだつようなものが大量に――。


「伏せろッ!!」


 そんなシャルルの叫び声が耳に届いたときには、それはアリスの眼前に飛んできていた。液体のようなもの。刺激臭があって、それだけで危険なものであると分かる。


 伏せる間もなく、アリスの眼前に迫る。


 冒険者としての経験があまりにも浅いアリスには、それを避けきるほどの技量も技術もない。


 死を覚悟した。どうなってしまうかは分からなかったが、それが顔にかかってしまえば死んでしまうような気もした。


 目を閉じて、少しでも被害を軽減できるように両腕を眼前に持ってきて防ぐ態勢を取った。避けるためにお尻から落ちるように体を後ろに逸らそうとする。


「……ッ! 土の壁を(ノート・ロゥ)!」


 シャルルの詠唱が反響する。それと同時に、アリスの正面に生えた土壁が液体の行く手を阻んだ。


 ジュッ、という音と共に土壁に穴が開く。


 シャルルはもう一度同じ呪文を唱える。土壁がアリスの四方から伸びて覆い囲む。小さな土の鳥籠に押し込められたアリスの耳にシャルルの声が届く。


「そこで待っていて」


 たったそれだけのことを言った。アリスは彼に自分の姿が見えないにも関わらず、うんうんと大きく首を縦に振っていた。


 壁の向こう側で何が起きているのか分からない。シャルルがどんな魔物と一人で戦っているのか分からない。魔物の数も分からない。分からないが、耳に届くカサカサという大きな足音と、奴らの威嚇音、地面の揺れ具合から、相当な数がいることだけは何となく分かった。


 彼の剣が魔物を切り裂く音が聞こえる。剣を振り空気を裂く音が聞こえる。彼の息遣いが聞こえる。


 何もできない。何もできないまま、彼の戦う音だけが時間を進めている。



 そうしてどれぐらいの時間が経っただろうか。


 土壁の一部が崩れて、青白い光が差し込んだ。膝を抱えて目を閉じて俯いていたアリスの瞼を刺激する。顔を持ち上げる。


 青白い光を逆光に、シャルルの姿が見えた。傍らには一匹の大きな蟻が、頭と胴と腹に綺麗に切り分けられて転がっていた。


 ガラガラと音を立てて土壁がすべて崩れる。


 いつの間にか様変わりしていた部屋の壁のいたるところには、例の光る鉱石がいくつも生えている。そして、シャルルのすぐ横には石でできた台座があり、その上には深紅色の宝石のようなものが置いてあった。


「魔結晶だ」


 シャルルはそれを手に取ると、頭上へ放り投げる。ぶら下げるようにして右手に持っていた剣を、一瞬だけ空中で滞空した魔結晶めがけて振り抜いた。刃が結晶にぶつかり、綺麗な音を立てて砕ける。


「魔結晶は五階層ごとに設置されている。僕たちがゲールと離れたのが第七階層だから、おそらく今いる場所は第十階層といったところかな」


 剣を鞘に納めると、足元に散らばった魔結晶の欠片を拾い集めながらシャルルが言った。


 そんな彼の向こう側に、さらに下の階層に続く階段がある。


「今日は引き上げるよ」


 アリスが階段の方に視線を向けていることに気づいてか、シャルルは突然そんなことを言った。拾い集めた魔結晶を革製の袋に詰める。


「今の僕の仕事は、きみを無事地上に送り届けることだ。魔結晶を破壊した今、魔物の活動は一時的に収まる。深追いはする必要はない」


 そう言いながら、シャルルはアリスの横を通り過ぎていく。「多分こっちだ」と呟く声が聞こえる。


 アリスは立ち上がると、彼の後に続いた。


「……私、また助けられちゃったのね」


「気にすることはない。仕事だから。それに、今回は不測の事態があったわけだから仕方ないよ。僕がついているというのはあるけど、木階級(もくかいきゅう)でこの迷宮から生きて帰られただけで十分さ」


 助けられてばかりで気落ちしているアリスに対する慰めなのだろう。アリスは頷くでも声を上げるでもなく、静かに下を向いた。


 出口へ向かう二人の足音だけが、迷宮内に響き渡っている。

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