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その幻は誰が為に  作者: 与瀬啓一
第1章~幻視の青年~
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005.幼虫①

 心地よい揺れを感じる。まるで揺り籠のような、安堵する心地よさ。少しひんやりしていて、でもちょっと温かくて、硬い。


「おや、目が覚めましたかな? 可憐なお嬢さん」


 声が聞こえたので、薄ぼやける目を擦って声の主を探す。とはいっても、探すまでもなく明瞭になった視界の中央に、アリスの方に優しい目を向けた蜥蜴種(リザードマン)がいた。


 揺れの正体は、彼(おそらく彼)がアリスを負ぶっていただけで、冷たさと硬さの正体は彼の赤黒い鱗だったのだ。


「シャルル殿、娘が目を覚ましましたぞ」


 蜥蜴種(リザードマン)が前方に向かって声を上げる。その声を視線で追うと、彼の両斜め前に狼頭種(コボルド)翼腕種(ハーピィ)が歩いており、さらにその奥に、襤褸切れのような外套を纏い、フードで頭部を覆った人物が一人歩いていた。


 確かにその後ろ姿は蜥蜴種(リザードマン)が呼んだとおり、銀階級冒険者、シャルル・ボーンのものだ。ということは、この亜人獣人たちはシャルルのパーティーメンバーというわけだ。


「そうか。よかった」


 シャルルは振り返りもせず、それだけの返事をした。表情を見せるわけでもないし、言葉が多いわけでもないが、どこか安堵したような優しさを纏った一言だった。


「怪我は大丈夫なの!?」


 斜め右前を歩く翼腕種(ハーピィ)が、無邪気であどけない声色で尋ねてくる。振り返ったその顔も可愛らしく、大きな瞳でアリスを見つめていた。歩くたびに鮮やかな萌黄色の短髪が揺れている。


 怪我の話題を出されてようやく、アリスは自分が感じる痛みを自覚した。腕と肋骨の横辺り、それから頭に痛みがある。頭には包帯が巻かれている感触があった。きっと出血していたのだろう。


 ただまあ、大事には至らないはずだ。今は意識もしっかりしているし、何なら立って歩くことだってできるだろう。


「怪我は、大丈夫です」


「そんなにかしこまんなくて大丈夫! あっ、私は翼腕種(ハーピィ)のカーリィだよっ!」


 そんな風に自己紹介をして、カーリィはアリスに満面の笑みを向けて「よろしくねっ」と跳ねるような口調で付け加えた。


「……アリスよ。その、よろしく」


 アリスは蜥蜴種(リザードマン)に背負われながらも小さくお辞儀をする素振りを見せる。


 かしこまらなくて大丈夫と言われたからいつもの口調で挨拶してしまい、失礼じゃなかっただろうかと思ったりもしたが、「アリスちゃん、アリスちゃんね! 覚えたっ!」と、何が嬉しいのか分からないがカーリィは跳ねて喜んでいた。


「そうか、アリスって名前なのか」と、今度は左前を歩く狼頭種(コボルド)が視線だけをアリスに向けている。


「昨日ぶりだな、嬢ちゃん。俺は狼頭種(コボルド)のゲールだ。嬢ちゃんを背負ってんのが蜥蜴種(リザードマン)のシャッテン。そんで、先頭を歩いているのが」


「シャルルさん、よね」


 アリスが言葉を先回りすると、ゲールがその狼頭を頷かせる。


「ところでよ、嬢ちゃんにちょっくら聞きてぇことがあるんだが、今話す元気はあるか?」


「大丈夫よ。なんなら、もう自分で歩けると思うから」


「そりゃいい。歩けるんなら上出来だ。歩けなきゃ冒険はできねぇからな」


 そう言うと、ゲールはシャッテンの前に右腕を突き出して制止した。


 意図を汲み取ってか、シャッテンはゆっくりとしゃがんでアリスを地面に降ろそうとする。アリスも彼の鱗に指を引っ掛けながら、その両足を地面につけた。


 数歩歩いてみると、問題なく歩くことができた。幸い、足には一つも怪我がなかったらしい。あの落下に巻き込まれて、これだけの軽傷で済んだのは幸運だったとも言える。


 アリスの状態を観察していたのか、シャッテンが「無事で何より」と一言呟いて歩き出す。他のメンバーも同様に歩き出した。シャルルでさえも、アリスがシャッテンの背から降りるまで立ち止まって待っていたようだ。


「その、助けてくれてありがとう。あなたたちに助けてもらっていなかったら、きっと私、死んでいたわ」


 アリスもシャッテンの横をついて行くように歩き出すと、感謝を述べた。それぐらいはしなくては、人として廃れてしまう。もっとも、シャルルには拒絶されるだろうが。


 彼の方に一度視線を向けるが、何か反応を示す様子はなかった。


「構いませぬ。冒険者は助け合いゆえ、吾輩どもは当然のことをしたまでです」


 シャッテンは目を細めて笑って言った。


「それで、私に質問ってことだったけど、私から一つだけ先に質問していいかしら?」


 アリスは周囲を見渡しながら言う。視線を回すと、ゲールが続きを促すように頷いた。


「ここはどこ?」


 依然として辺りの様子を観察しながら、アリスはそんな短い問いを投げかけた。


 観察した限り、おそらくというかほぼ間違いなく、迷宮の中ではあるのだろう。ただ、ここはどう見てもアリスが先ほどまでいた迷宮ではない。


 アリスのいた迷宮は石造りで、まるで史跡を思わせる風体だった。階層図を見た限りでは、そんな構造が最下層の第十階層まで続いているように思えた。


 だが、今歩くこの場所は、どちらかと言うと洞窟だ。白っぽい土でできた壁に、歩きにくい足元。天井の高さは不均一で、背の高いゲールとシャッテンは時折腰を曲げて歩いている。


 極めつけは、時々地面から生えている謎の青白い鉱石だ。小さいものだと手のひらぐらいの大きさ、大きいものだとそれこそアリスの身長ぐらいはあるだろう。


 どういうわけかそれが自ら光を帯びていて、暗闇であるはずの洞窟に明るさをもたらしている。壁が白っぽいのも、光を反射して明るくしている要因だろう。


 その様相はあまりにも幻想的で、異質だった。


「ここはつい一月ほど前に発生した迷宮だ。名称もなけりゃ、何階層まであるかも分からねぇ。前人未踏の迷宮で、俺たちが一番槍ってわけだ。今は迷宮の七階層。嬢ちゃんを拾ったのが九階層だ。おそらくだが、まだまだ下がある。現状、説明できるのはこれだけだ。今は異常事態っちゅうことで、いったん組合に戻ろうとしてる感じだ」


 アリスは黙ってゲールの説明を咀嚼する。


 つまり、アリスが先ほどまでいた迷宮の罠が、この新しい迷宮に繋がるものだったということなのだろう。


 だが、そんなことはあり得るのだろうか。アリスがいた迷宮は五十年以上前の古いものだ。対して今いる迷宮は発生してからたったの一か月。あまりにも時間差があり過ぎる。


 ゲールが異常事態と言うからには、過去に同様の事例はないのだろう。


「次は、俺の番だ。嬢ちゃんの覚えている限りのことを教えてくれねぇか」


 ゲールにそう問われたアリスは、事の顛末を話す。


 迷宮に一人で挑戦していたこと、その第三階層で魔物を倒した後、足場が崩れたこと、穴を転がり落ちて気がつけば気を失っていたこと。


「それで、あなたたちに助けてもらったっていう感じよ」


 説明を終えてゲールの方を見てみると、なにか考え込むように左手をその長い顎に添えている。少しして口を開く。


「……嬢ちゃんがいたのは『暴食の石棺』っちゅう迷宮だな。駆け出し冒険者がよく行く迷宮だ。まさか、未発見の罠があるとは、驚いたもんだ」


「『暴食の石棺』ってアレでしょ? 私が冒険者になって初めて行った迷宮!」


 カーリィの言葉にシャッテンが頷いた。


「そのとおり。このことも組合に報告せねばなりませぬな。アリス殿のような駆け出し冒険者が、再び被害に遭いかねない」


「シャッテンの言う通りだね」


 アリスよりも少し前、一人先頭を歩いていたシャルルが突然立ち止まり、振り向きながらそう口にした。そしてなぜか、前進をやめてアリスの方に向かってゆっくりと歩き出す。


 気がつけば、少しだけ広い空間に出ていた。高い天井からは例の光る鉱石が幾本も突き出している。


「この迷宮と『暴食の石棺』が繋がっているとすると、こちらの魔物が『暴食の石棺』に移動したっておかしくない。ここの魔物についての対処法は確立されていない。放置すれば多くの冒険者が命を落とす。だから一刻も早く帰らないといけないんだけど――」


 そこまで言って、アリスの眼前で止まる。


 謎の鉱石の光が逆行となって、シャルルの顔に暗い影を作っている。アリスより少し背が高いので顔を見上げているはずなだが、やはり彼の表情は見えなかった。


 シャルルが腰に下げた剣を抜く。装飾のない剣だった。諸刃の刀身、飾り気のない鍔、革の巻かれた柄。


 その剣を逆手に持って振りかぶる。


 仄かな明るさを受けた剣が、アリスの顔に影を作った。


 彼の表情は見えないはずなのに、瞳だけがまるで夜の獣のように不気味に光っている。獲物を仕留める直前の猛獣を彷彿とさせる彼の瞳孔はアリスを捉え、冷気のような視線を突き付けている。


 シャルルがしようとしていることはすぐに分かった。振りかぶった剣を、振り下ろすのだ。


 誰に?



 ――私に?



 そう思った瞬間、アリスは目を固く瞑った。それと同時に鼓膜をわずかに揺らす、ヒュッという風切り音。直後に金属と細かい粒形の何かが擦れる音。その音は、地面の方に向かって響ているような気がした。


 アリスはゆっくりと目を開ける。


「驚かせたね。気づかれないように殺すには、こうするしかなかったんだ」


 視界の情報を脳が処理する前に、シャルルの優しい声が聞こえた。


 下を向いていたアリスには、自分の足元が映っている。左足のすぐ横に、シャルルの剣が根元まで突き刺さっている。


 地面の中に、何かがいたのだろうか。


 アリスがそう思った刹那――。


「――――――――――ッ!!」


 声と呼ぶことすらおこがましい、耳を劈くような甲高い悲鳴が迷宮内に響き渡った。


「断末魔で仲間を呼んだね。総員戦闘準備」


 シャルルは地面に突き立てた剣を引き抜くと、アリスの横を抜けて歩いて行く。襤褸切れのような外套を羽織った彼の背をアリスは振り向いて見つめていた。


「ゲールはその子をよろしく。カーリィには『才技』の使用を許可する。敵が現れたら叫べ。シャッテンは僕にありったけの強化魔法を。魔物は僕が全部()ろう」


 短い指示の後、各々が返事をして動き出す。


 ひょい、とアリスの体が宙に浮く。


「わりいな、嬢ちゃん。ちっとばかし我慢してくれよ」


 アリスは、自分を小脇に抱えるゲールを見上げると無言で頷いた。それから、周囲の様子を見る。


 カーリィがその萌黄色の羽根に覆われた翼腕を羽ばたかせ空を飛んでいる。小さく口を開けて、ゆっくりと、静かに空気を吸い込んでいた。


 シャルルは彼女に「叫べ」と言っていた。その準備なのだろうとアリスは思った。


 シャッテンの方に目を向けると、先端が宝飾で施された短い杖をシャルルに向け、ぶつぶつと呟いている。


 少しして、シャッテンの奥にいるシャルルの体が仄かに暖かな橙色の光を帯びて、消えた。


「よく見とけよ、嬢ちゃん」


 再びゲールに声を掛けられ、アリスはもう一度彼の狼頭を見上げる。


「嬢ちゃんが惚れた男が戦う姿を、その海みてぇな目に焼き付けとけ」


「べっ、別に惚れてるわけじゃ」


 アリスは頬を染めながらも否定の言葉を足早に口にする。だが、ゲールはアリスの否定などお構いなしに言葉を続けた。


「うちの大将はな、人間嫌いだが人間を恨んでるわけじゃあねぇ。もし嬢ちゃんがあいつの隣に立ちたいなら、あいつより強くなれ。強くあれ。いや、強くあろうとしてくれ。俺はあいつが化け物じみた強さを持ってるのを知ってるが、その代償にとてつもなく弱くなっちまった部分があるのも知ってる。それを補える存在が、人間が、あいつには必要だ。これはただのお節介だ。あいつにとっても、嬢ちゃんにとっても。だから別に俺の言うことは聞かなくたって構わねぇ。だがそれでも言うぜ。あいつの強さを、その目に焼き付けろ」


 ゲールはアリスの方を一度たりとも見ることなく、口を開いている間はずっとシャルルの背を見ていた。その視線に誘われるように、アリスもシャルルの背を見る。


 彼に弱い部分などあるだろうか、というのが率直な感想だった。


 彼の雰囲気は異質だ。他の冒険者と一線を画している。魔王に挑んでいるという白金冒険者――いわゆる勇者の風格さえ感じる。そんな彼が弱い?


 どう考えたってそれはありえないだろう。


 アリスは視線を少しだけシャルルから外す。敵はまだ現れていない。だがどこからともなく地響きが聞こえる。その響きが空気さえも揺らしてアリスの柔肌を撫でている。


 空気の振動は少しずつ、地面の振動そのものに置き換わっていく。肌が感じる微細な揺れが、徐々に体全体を揺らす大きな響きに変わっていく。


 そのとき、何かが地面を食い破って現れた。地面がより一層揺れ、土煙が舞い、空気が波打つ。煙が晴れて、揺れの正体が顕わになる。


 数は三匹。大きさは人間三人か四人分。未だに地面に埋まっており全容は把握できないが、長い体をうねらせている。乳白色の体には節のような凹凸があり、脈を打つように蠢いている。


 頭と思しき部分には体に似つかわぬ小さな顎、その少し下には六本の節足が生えている。


 あまりにも気持ちの悪い見た目に、アリスは思わず口元を押さえた。何かの幼虫だということは一目瞭然だった。それも、とてつもなく大きい。


「嬢ちゃん。耳ぃ塞げ」


 そう言われたアリスはゲールを見上げる。器用に耳を畳んでいるのが見えた。シャッテンも、どこに耳があるのか分からないが顔の両側面に手のひらを当てている。アリスも例に倣って、両手で耳を押さえた。


 その直後だった。


 先刻の幼虫の断末魔よりもいっそう甲高く、不快な叫び声が空間に響き渡った。声の方に目を向けると、カーリィが大きな口を開けて叫んでいた。その叫びはまるで音の波が見えてしまいそうなほどで、空気の細やかな振動が肌の上で踊っている。その時間は僅か五秒。にもかかわらず、アリスはその音で意識を飛ばしかけていた。


 視界が黒くなっていく。黒くなっていく。黒くなっていく。


 意識が――抜け落ちる。

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