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コートを自在に泳ぐ魚


すごい…凄すぎる…


二階吹き抜けのギャラリーから晶は口を開けっ放しでその練習光景を見続けていた。


凜里花と約束していた日曜日。

彼女と一緒に訪れたのは美魚みわの新しい主戦場、清開せいかい大学の第一体育館。

そこで晶が見たものは高校には無かったひとつ上の大学バスケというものをまざまざ見せつけられていた。



なに、今の切れ込み方、パスミスだと思ったのにそれを決定ボールにするとか考えらんない。


うわっ!

今ダンク(※1)したんだけど?ホントに女子か⁉︎


えぇぇ⁉︎

三人かいくぐってステップイン(*2)かよ、で、今度はフェイドアウェイ(※3)…化け物みたい。



「…」

「…どう?ミハル。大学バスケ」

「すごい」

「…」

「すごいけど…まだ美魚あいつを見てない」

「知ってる?今プレイしてる選手達、これでまだ二軍だよ」

「え!」

「そうね。このレベルだとウインターカップを完勝した龍山高校を30点〜40点は差を付けて勝てると思うよ」

「…うん」

「でもこれくらいのレベルなら、わざわざミハルを連れて観に来る理由はないよ。だってミハルならすぐに追い付けるから」

「これくらいって…え?私が?」

「ミハル。ミハルが想像するミワちゃんはこの人達と同じくらいだと思う?」

「え、ミワちゃんが…」

「…」

「いや…」

「…」

「コートを泳ぐ最速プレイヤーは…こんなもんじゃない。もっともっと私が絶望するくらいじゃないと」

「そうだよ。ミワちゃんはこの人達をもう超えてスターターにも選ばれてんだから。今日はきっとミハルを震え上がらそうとミワちゃん、きっと張り切るかも」

「ミワちゃんが…私を…」


「お願いしまぁす!!」


「!」


突如として響き渡る声。


体育館の扉が開くと気合いを入れて次々と “お願いします” の声と共にやって来る。

清開大学女子バスケ部の一軍メンバー12人がコートの端、一例に並ぶと改めて“お願いします”と一同礼。


その声はコートの空気を一気に冷ます。


それまでコートで練習をしていた選手達もレギュラー陣の元に駆け寄り、同じく“お願いします”と礼をする。

晶や凜里花まで背筋が伸びてしまった。


同じチームなのに、コートの中と外の12人は違う世界の人間に感じた。そしてその12人には美魚みわも含まれていた。


凜里花は小声で晶にコートを指差し聞いてみる。

「ミハル、見てみ?ミワちゃんの位置、どこに居る?」

「…右から7番目」

「この位置、よく覚えておくんだよ」

「?」

「今選手達がそれぞれ並んだけど、この位置は決まってる位置なの」

「決まってるって1年がこことかそんなの?」

「ううん、あれはランキング順。清開大学はバスケ部に入部した時点でランキングを番付されるの」

「え」

「だからミワちゃんの実力は現時点で7位ってとこね」

「ミワちゃんで7位か」

「とは言ってもバスケにはポジションがあるから7番目だからベンチって訳じゃないけどね。現にミワちゃんは既にスターターで出場もしてるし…でも、13番目の選手はベンチにすら入れない」

「…つまりオーバーだけど1番から12番が全てセンターで13番目がガードだとしても、13番目は使って貰えない。この場合は12人のセンターの誰かがガードをする、と?」

「そうね。ポジション争いはベンチに入らなければ、争うことさえ出来ない。12番目を境に天国と地獄、この生存争いこそが清開大の強さの秘密なの」

「うん。なんとなく分かったよ…あっ!ねぇサトちゃん、あの子、10番目の大きい人。あれひょっとして…」

「うん。アニエ・キータ(※4)さんね」

「やっぱり。バスランでミワちゃんの記事にあったから少し気になってたんだ」

「キータさんね、あの試合以降ミワちゃんとすごく仲良しになったみたいで、日本語もバスケも一から徹底的に猛特訓したらしいわ」

「まぁ彼女の実力なら…レギュラー陣でも問題無いか…へぇ…」


そしてレギュラー陣を混じえた本格的なコート練習が始まる。

この時点でフットワーク等の個人の基礎練習はそれぞれ終えている様でコートでは実戦を想定しての内容が主だった。


晶はまたも言葉を失う。

ただしそれは先ほどまでの、誰がすごい、あんな事もやれるのか、などの大学バスケの感想ではない。

真剣にコートへ目を注いだ。


コートには別次元のチームが居た。


もはやインターハイ優勝校を何点差で勝つとかの問題では無い。

自分がかつて負けを認めた徳堂六花との勝負でさえ、彼女らを見学すればどうでもいいことに思えてくる。


晶は今自分が描けるベストな状態をコートにトレースして、何度も頭の中でシミュレーションしていた。

自分と同じポジションの相手にどう切り込むか、どう守り切るか、どこまでこのチームで息を合わせてられるか…


晶は何度も負けた。


負ける度に修正を繰り返す。

次はこう、ならばこう、何度も修正して晶はコートに立ち続けていた。

勿論美魚とも息を合わせようとしていた。対決もした。


そして悟る。


勝てない…


頭の中で勝手に描いてるだけなので少しくらい都合の良い解釈をしてもいいのだが、晶は真正面から現実を受け止めていた。

今の自分では美魚に勝てないどころか、彼女のプレイを殺してしまう事も知った。


リバウンドに参加したと思えばもうスリーポイントラインまで後退している。目を離した瞬間そこから既に逆のハイポスト(※5)に陣取りしている。


コートという海を自在に泳ぐ最速プレイヤー。


確かに、魚みたいだ。

ミワちゃんの周りだけ水があって、彼女はスイスイとその水を掻き分けて行く。人間は絶対に魚より速く泳げない、スピードに乗ったら誰も止められない、美しい魚…ミワちゃんの名前そのものだ。


だけど…


晶は美魚のプレイを見て気付く。


「サトちゃん」

「ん?」

「あいつが全日本に選ばれた理由が分かるよ。多分あと1ヶ月、その時にはミワちゃんのランキングは “最低” でも3番目か4番目。5番目に居たミワちゃんと同じポジションの選手は7番目に入れ替わる」

「…」

「ミワちゃんの動き、まるで魔法のような動きだよね」

「そうだね」

「でも魔法じゃないよね。あれは魔法でもなんでもない。サトちゃん、私ね、ちょっとだけ見えたんだ、コートを泳ぐ魚の正体が」

「ミハル?」

「ミワちゃんのプレイはホントにすごい。さっきまで私が見たすごい選手達が普通に見えたんだもん。でももしそれを本当にコートを泳ぐ魚、魔法使ってるって賞賛したら私はこの先一生ミワちゃんには届かない。だから私は負け惜しみで認めないんじゃなくて、負けた上で見たの。ミワちゃんのラインを」

「…」

「簡単だよ。あれは無駄の無い動きをしてるだけ。例えばAからBに移動するに当たって3択のルートがあるなら普通はそのどれかを選んで移動するでしょ?でもミワちゃんはそれ以外の4つ目のルートが見えていて、それこそが真の正解なの。そしてそこを通れる力があるから魔法かけた様な動きに見える。無理だよ、普通の人には4つ目なんて見えないもん」


50メートルを最も速く走る為には真っ直ぐのコースを全力で走れば良い。

だがバスケの試合では常に真っ直ぐに走れる状態では無い。妨害する相手を交わし、ボールを持ちながら、パスを受ける状態を作りながら、数々の選択を考え動く必要がある。


晶の指摘は正しかった。


魚を手掴みしようとしてもひらりと避けられ触る事が出来ない。コートの美魚は変幻自在に避け回るから魔法のような動き、では無い。

相手が来たからどう動くのでなく、自分がどこに居れば一番役に立つのか彼女は既にそのラインを見る力と実践出来る力が備わっていた。


晶にはそれが全てでは無いが少しだけ見えていた。


さっきまでは自分がコートの選手なら、どうすれば良いのかだけを探していた。

だが自分がまだそのレベルに追い付けない事を知ると、美魚の動きだけを追う様になった。


自分が美魚ならこのラインに走れる、ここからならこのプレイに移る、と考えた時、自分の理想のラインに美魚が同じ動きへとなり出した。

だからこそ晶は美魚の本当の実力を知る。それは晶には到底導けないラインだった。そしてこの学校でさえ美魚の真の力を解放出来る者はいないとも知った。


晶が見た最も近い全日本の強化選手は、遥か先の霞にボヤけていた。


「サトちゃん。私、ずっとコートに立ってた、頭の中で」

「うん」

「エラそうな事言って、ラインが見えるとか…でも私には無理だった、ミワちゃんどころかレギュラー陣になんて触れもしない」

「ミハルは何番目に並んでる?」

「…17番目。ミワちゃんと10番離れてる」

すると凜里花は背中から晶の両肩を抱き締める。

「すごいじゃん、ミハル」

「え?」

「だってミハルのベストは何年前だ?あの時のミハルがもう清開大の17番目に居るんだぞ?ミワちゃんがそれ聞いたら悔しがるかも。もっと離れてるだろって」

「サトちゃん」

「それによくミワちゃんのライン見えたね…正解だよ」

「!」

「ミワちゃんが言ってた。魔法なんて有る訳ないじゃん、普通にポジション取りしてるだけだって。私には言われても理解出来なかったけど、ミハルにはちゃんと見えてた。それってすごいと思うよ」

「そ、そうかな」

「それに気付かない?ミワちゃんの動き」

「え…」

「…」


晶には何か見え覚えがある美魚の動き…

さっきからセンターというよりはフォワード、いやむしろガードの動きを取り入れてる様に見える。


「…ひょっとして」


「!」

そんな時、ふとコートの美魚と晶は目が合った。

とはいえそれはほんの一瞬で、すぐに美魚は練習に集中する。晶には何かその背中が笑ってる様にも見えた。

直後、美魚は立て続けにゴールを決めた。一本目は得意のハイポストからの反転シュート。そして二本目は晶が得意としたスリーポイントショット。

美魚はこの二本のショットに拳を高く突き上げた、あえてギャラリーの晶に見える様に。


「もう分かるでしょ。ミワちゃんはミハルをいつも見てるんだよ」

「…あいつ…」



休憩の笛が鳴る。


「ミハル、見て」

「ん?あっ…」


再び晶は美魚と目が合う。

が、彼女は何も言わず体育館を出た。


「ミワの奴、完全に無視したよ」

「そう?」

「絶対にそうだよ。ま、あいつは敵だし別にいいけど」

「会いに来たのに?」

「ち、違うでしょ!サトちゃんが偵察ってゆうから仕方なく来ただけであいつに会いたいとか別に…」

「ミハルは本当に子供だね」

「何言ってるのよ、サトちゃ…あ…!」


未だにバスケットランドのインタビューで美魚の “死んだ魚” 発見を根に持つ晶。呆れて半笑いの凜里花に流され様としてる差中だった。


コートから離れた美魚が二人の居るギャラリーへと現れた。


「あ、来た来た。おーい」

近寄って来る美魚に手を振る凜里花。

すると急に恥ずかしさが込み上げ晶は咄嗟に凜里花の背中にかくれた。


「え、ちょっと、呼ばないでよ」

「なんで」

「なんでも何もあいつとは口きかないって言ったのに…」

「ミハル真っ赤だよ、恥ずかしいの?」

「は?そんな訳ないじゃ…」


もたもたしてる内に美魚はどんどん歩いて来る。


そして。


「よお。お嬢様」

凜里花の背中を通し伝わる声。

「!」

久々の声に緊張した。


「おーい、お嬢様」

「…」

晶は一度顔を出した。

「よっ」

「…」

が、すぐにまた隠れる晶。


すると美魚は凜里花の肩越しから晶を覗く。


「何むくれてんだよ、タコ坊主」

「だ、誰がタコ坊主だ!あんたのせいで私は」

「ぷっ」

「サトちゃん!笑わないの」

「だってミハルがタコ坊主って…ぷっ」

「ムぅぅ!」

「あたしが何かしたか?」

「トボけるな。月バスで私をバカにしたくせに」

「うーん?月バス?あたしがミハルに?」

「…し、死んだ魚って言った。あれは名誉毀損…」

「あたしは“三原晶が死んだ魚”とは一言も言ってなんかないぞ、なあ、サト」

「あー、言われてみればそうね、“ミハル” には触れてないわね」

「ちょっと、サトちゃん!」

「あたしは自分のライバルを語ったんだけど…へぇ、随分自覚あるんだな」

「!」

「へぇ、死んだ魚に心当たりでもあるのかな?」

「だ、だって…」

「顔、紅いぜ、お嬢様」

「ち、近いから!」

肩越しだった筈の美魚、気付けば凜里花を回り込み晶を捕獲しつつあった。


「ひゃっ」

「…」

肩を掴まれる晶。

でも美魚は無言で晶を見つめる。

「み、ミワちゃん?」

晶はどうも美魚に正面から見つめられるのが苦手らしく、ドキドキが収まらず視線を逸らしてしまう。

「…」

「ちょっと、何か言ってよ」

「…」

「ミワちゃん!」


すると美魚は静かに口を開く。


「実は月バスで語ったライバルはミハルの事だよ」

晶はそれを聞き一気に表情を変えた。

「やっぱり!」

怒る晶にからかうに違いない!そう思い込んでたのだが美魚は意外な反応をした。


「ごめん」

「え」

素直に謝る美魚に晶は戸惑いを見せる。


「許してくれる?」

「許すわけ、ないでしょ」


晶の肩を掴む美魚の手。だがそれが少しづつ背中にずれて、晶の身体はぐぐっと腕の中に包まれていく。


「じゃ…抱き締めてあげるから」

「だ、抱き締めてるじゃん、既に」

「じゃ、チューもしてあげる」

「チューって…なな何言って」

「チューって言ったらキスに決まってるだろ、クチとクチ」

「だだダメ、ダメ、近い!」

「…」

「ミワちゃん…」

「…」

「(ダメ!)」

「…」

晶は思わずギュっと自身の唇を噛む。


「…!」

迫る晶への美魚の唇だが、彼女の脳天にチョップが一撃。


いたっ!」

美魚が見上げると凜里花が美魚の首根っこを捕まえていた。

「え」

「はい、そこまでぇ」

「もうなんだよ、いいとこだったのに」

「え」

「ミワちゃんの悪い癖。いっつもミハルからかって」

「だってミハル可愛いからつい。サトは全然構ってくれないし」

「え、え」

「彼氏が見たら泣くぞ。ミハルばっかに浮気して」

「それを言うなって。あたしの旦那になるかも知れないんだから」

「え、旦那?結婚の約束でも」

「ミハル。実はあたしと彼は恋人っつうか昔から決まってた許嫁なんだ。あたしも彼も実家は旅館だからその繋がりなの。古いしきたりでね…」

「え…ウソ、でしょ?」

「うん、嘘だな」

「!」

「バーカ!嘘に決まってんだろ、なんだ古いしきたりって、ブアハハッハッハァ」

「!」

「ミワちゃん!だからなんであんたはいっつもくだらない事言ってぇ」

いたっ!いやぁ、久々のミハルだからつい、な?」

「…」

「ミハル?」

「…」

「おーい、ミハル?」

「…絶交」

「ん?」

「絶交!」

「…」

「…」

「…」

「…」

「…な、なによ」

「…」

「今度は無視?」

「…」

「もう騙されないんだから!」

「…」


美魚は晶に背を向ける。

そして腰を下ろした。


「…乗るだろ」

「…」

「もっと近くであたしを見なくていいのか?連れてくぜ、乗れよ」

「…」

「仲直り」

「…ズルいよ。いっつも自分だけいいとこ見せて」

「乗るの?乗らないの?」

「……乗る」


晶はその肩に腕を回し、体を預けると美魚は立ち上がりおぶった。

凜里花は後ろからそっと二人の時間を見守っていた。


「はぁ…一年振りか、ミハルをおんぶするの」

「知らない」

「去年のちょうど今頃」

「覚えてない」

「痩せてたよな、お前」

「…」

「マジで心配してたんだからな」

「…」

「どうなの、今は」

「……気分悪い日が随分減った。整体行っても熱が出なくなってきた」

「それで?」

「足だって今日は杖無しだよ、サトちゃんに助けて貰わないで自分で来たんだから」

「そっか」

「うん」

「よく来てくれたね、ずっと待ってた」

「あんな記事とメール読んだら、行くよ」

「まだ怒ってんのか」

「怒ってない」

「…」

「ただ」

「?」

「少しさみしかった」

「…」

「置いていかないでよ、私を」

「…」

「追い付けないじゃん…私の見てる前であんなライン描いて…私、頭の中でさえ勝てなかったよ」

「何回負けた?」

「全部!」

「そうか?あたしはまだお前に勝ってないんだけど」

「え」

「お前が病院のベッドで寝てる間、どうにかお前の癖を見つけようと思ってずっと研究してるんだけど…見つからないんだよなぁ…」

「私よりも徳堂を研究した方がよっぽどいいのに。徳堂はガードを極めたセンターなんだから」

「徳堂?あいつに勝つ意味あんの?」

「何言ってんの。清開大の最大の壁は天王大で徳堂は天王大に行ったんだよ?それに全日本のレギュラー争いだって…」

「天王大に勝つのはあたしじゃなくてチームだろ?全日本のレギュラーを選ぶのは監督だろ?別にあたしじゃなくて徳堂が出てもチームが勝てばそれでいいことだろ?」

「?」

「あたしが勝ちたいのは、お前なの!ミハルに勝つためにこの学校に進んだんだよ、あたしは」

「…」

「この学校ならお前くらいのレベルのガードはゴロゴロ居るよ、清開大うちは特にガードの強さが売りだから。去年約束しただろ?ぐうの音も出ないほどに叩き潰すって。ミハルといつでも勝負出来る様にあたしはここで準備運動してるんだよ」

「ミワちゃん…」

「早くここまで来い、貧弱」

「ミワちゃんこそ…私のライバル名乗るんならランキングの7位なんかで燻らないでよ。先輩おばさんなんかさっさと倒せよ、あんたはデカイしか取り柄がないんだから」

「よし。じゃ、次にミハルがここに来る時までにあたしはもっと番付を上げる。ミハルも身体をもっと良くする。去年からの約束に追加して二回目の約束な、泣き虫」

「……バカ」

「あ、それと」

「?」

「豊胸ブラ着ける暇あったら体重増やせよ、貧乳」

「バカ!」


晶は叫ぶも凜里花の様に叩く事はせず美魚の背中に顔を埋めた。

美魚も何か晶のその行動を可愛く思え、それ以上茶化す事はしなかった。


〜…


2.


「ヤバァ!遅刻だ、ただでさえピリついてるのにまたわんこにドヤされるぅ」


週明け、月曜日の早朝。


一般生徒の代わりに体育会系の部員はグランドも校舎内の廊下でも関係無く走り込んでる姿が目立つ。


“廊下は静かに歩きましょう”


廊下どころか階段も屋上も早朝は男女問わず体育会系部員が走ったりトレーニングをしていて、朝の雰囲気は微塵も無い。


女子バスケ部のマネージャー、雨宮ひかるはそんな体育会系の波に溶け込みながら、廊下をひた走る。女子部のマネージャーは四人在籍していて、朝練に関しては当番制で一人づつ日ごとに参加していた。

月曜日はひかるの番であったが夜更かしがたたり寝坊をしてしまった。

とは言っても、朝練におけるマネージャーの仕事はあって無い様なもの。参加者の確認と負傷した時の手当てや練習前後のモップ掛けの手伝いなど、やろうと思えば選手が全て出来る事なので、果たして自分が出なくても良いのではないかと疑問もあった。まして今の参加人数なら尚更で、体を動かす事も無い朝練は退屈と眠気の闘いだった。


何か自分が必死で廊下を走るのが馬鹿馬鹿しくなったひかるは歩き始める。

“廊下は静かに歩きましょう”

皮肉にも目に止まったこの校則の壁紙が、急ぐことをやめる理由になった。


歩き始めると他の部員が走り抜ける姿を冷ややかに横目で流していく。

そんな中ひかるは何処かで見た、見慣れた姿を発見した。


「あれは…え、ウソ?」


部室棟へ向かう直前のひかる。だがその目は体育館へ向かう女子生徒の後ろ姿を追っていた。


ショートヘアに乱れの無い制服。補助杖を使って歩き、第二エレベーターの前で止まると女生徒は横向きに。

その顔でひかるは目を丸くした。


間違いなく晶だった。


晶はエレベーターのボタンを押すと何気にこちらをチラッと見たが、ひかるは知らないふりでソッポを向くと、晶に気付かれないように部室棟へ進んだ。

しかし晶が気になるのか、曲がり角に入ると影からそっとエレベーターを観察する。

晶は特にひかるに気付いた様子は無くエレベーターに乗り込んだ。扉が閉まると急いでエレベーターの行き先を確認。


ー 二階…ギャラリーに行くんだ。


ひかるは晶がバスケ部の見学に来たのを確信した。

三年生の教室へ行くのなら三階だし、わざわざ体育館側の第二エレベーターではなく玄関前の第一エレベーターを使用するのが自然だからだ。


ひかるの中で何か嫌な胸騒ぎが起きた。


晶という存在はトランプで例えばジョーカーに当たる。

真琴や珠代、美魚や凜里花にとっては掛け替えのない存在だが、サイボーグと煙たがっていた後輩達にとっては一番関わりたくない人間。


ひかるは後者だ。


晶が休学を経て復学してるのは知っていたが、バスケ部には一切関わる素振りは見せてなかったので、ひかるは校内で晶を見かけても知らない振りを貫いた。


でも、その知らない振りをした晶がいよいよバスケ部に近づこうとしている。

バスケ部の今の実態を知れば、マネージャーの自分にさえ何を言われるのか恐怖でしかない。


ー うわ…こりゃ益々朝練行くのがめんどくさいかも…とりあえず嘘メールでも入れて…


ひかるは携帯を取り出し真琴宛にメールを打ち始める。


ただでさえ遅刻してるのに、晶に遅れてコートに入る姿見られたら…もう今日はサボろう。そんな思いでメールの内容を考える。


そんな時…


「あーまみぃやセンパイっ♡」


突然後ろから抱きつかれる感触。


「キャッ!んっ!」


やましい気持ちもあってか突然の不意打ちはいつも以上に固くなる。

思わず大声を上げてしまう所で唇に大きな男子の手で塞がれた。


「先輩の捕獲完了」

「…郷内君?」

ひかるを後ろから捕まえたのは郷内だった。


郷内はひかるの力が抜けたのを見て唇に当てていた手を顎へ、更にその下の喉の辺りをサワサワと撫で始める。

「雨宮先輩遅いよ、俺せっかく早く来て待ってたのに」

「ウソ、適当な事言って」

ひかるは郷内の手を退けようとするが、逆に郷内はひかるの手を軽く払う。

「ねぇねぇそれよりさっきの…サイボーグ先輩だよね?この間さ、そっくりな女の子が居たからまさかとは思ったけど…雨宮先輩知ってた?サイボーグ先輩がダブった事」

「…」

ひかるはあえて口を噤む。

ただ、郷内は気にせず喋った。

「わざわざサイボーグ先輩が居るんなら “わんこちゃん” に構う事無かったのになぁ。早く教えてくれれば良かったのにさ。でもわんこちゃんは少しあの人に似てるし、ちょっといじめてやってもいいかなぁ?なんて思ってんだよね、俺」

「…」

「サイボーグJrだけあって生意気なのも悪くねえし」

「…」

「?」

「…」

「何怒ってんの?」

「怒ってないわ」

明らかに不機嫌であるのは明白だった。

「ん?」

しかし郷内はその不機嫌を煽るように益々ひかるに密着する。

するとその態度が気に入らなかったひかるの怒りは沸点に達し、後ろの郷内をほどいて突き飛ばした。


「…なんで私といるのにわんこや三原先輩が出てくるのよ!」


「気になるから」

ひかるの怒りの瞳にも郷内はニヤっと緩ませ答える。


「やっぱり!どうせ私の事なんか」


目に涙を溜めたひかる。郷内を張り倒してやりたい。そんな気持ちから平手を振り上げる。

だが郷内はひかるの眼前にヌッと顔を差し出した。

さっきと全く違う真顔で迫られると強気だったひかるは萎縮してしまった。


「雨宮先輩が気になるからわざわざやりたくもない朝練来たんだけど。今日は出番でしょ?」

「…私の、為に…?」

「それなのに勝手に遅刻してさ」

「あ、あの、それは…」

言いかけた時郷内は振り上げたままになってる手首を掴み、強い力でひかるを引き寄せる。


「どうなの?そこんとこ、“ひかる先輩ちゃん”」


腰の辺りをぐっと太い腕で抱きしめる郷内はひかるの耳元で囁き、フーッと息を吹く。


「!」

脳天から背筋まで鳥肌が立つ。

ビクビクビクと分かり易い敏感な反応が楽しくて、郷内はまた囁きながら耳に息を吹く。


「はっ…や、ぁ…」

「うーん。朝からいい匂い。ひかるちゃんの首元…食べていい?」

ひかるの髪をかき分け、うなじに鼻を置く郷内。

「だめ。匂い、嗅がないで。誰かに見られたら…」

郷内の吐息が肌に当たる度に、声が漏れるひかるは歯を食いしばって離れようとするが、既に何かスイッチが入ってしまった。

そんなタイミングで郷内はもう一言添えた。


「じゃ、部室に行く?」


「え…」

「ひかるちゃんが悪いんだぜ。俺を待たせてるのに、俺の好きなパウダーつけたり」

「ぅ、ゃ…」

「朝からこんなに俺の気持ち高めたら練習どころじゃねえだろ?」

「…」

「なぁ?」

「あっ!」

「聞いてる?ねぇ?」

「や、ダメ、そこ…」

「俺の気持ち静めてくれるの、ひかるちゃんの仕事っしょ?マネージャーの仕事は選手の管理」

「でも私、女子部の…」


郷内に身体をまさぐられる中でひかるは一瞬の抵抗をした。

すると郷内は意外にも呆気なくひかるから離れる。

郷内の足は部室ではなく体育館に向かった。


「ふーん、じゃもういいや。なら男バスマネの彩芽ちゃんに…」


背を向け歩く郷内はひかるにバイバイと手を振って後にした。

その直後だった。


「ダメ!」

ひかるは郷内の背に飛び付く。

「…」

「ダメ、行かないで」

「…」

「彩芽とかないから」

「…」

「やだ」

「ん?だってひかるちゃんは女子部だろ?」

「…いじわる、しないでよ」

「なら言ってよ。ひかるの仕事は?」

「私は郷内君が…スーちゃんが好き。スーちゃんの好きなようにして欲しい…」


「良い子だね、ひかる」

「…」


「行こっか」

「…うん」


爽やかな朝の香りとは別に陰湿な香りは、これから部室が熟れた性の匂いで満たされる前触れでもあった。





巻末※印のざっくり解説


※1 ダンク

ゴールの上から叩き込で入れるシュート。身長や脚力を生かした力技で主に男子選手が得意な分野。女子選手のダンクはすごい!


※2 ステップイン

ピボット(軸足を地に着けもう片方の足を動かせるステップ)を利用したテクニック。ピボットの幅が広く大股で前方に回る様に切れ込む。


※3 フェイドアウェイ

ジャンプシュートを打つ際に後方へ跳んでシュートする。

シュートの軌道がより遠くなるので守り辛い。


※4 アニエ・キータ

セネガル出身の留学生。

聖エルモア学院高校から清開大学へ。

第四話 “サトちゃん” の回にもチラッと登場。

前作『届け、私の60秒!』でインターハイ地区予選でミワちゃんと大激闘。今回友情出演。


※5 ハイポスト

バスケのゴール付近を囲むエリアの四つ角の一角。フープに近いのがローポスト、遠い方がハイポスト。



次回

『タイトル未定 (R-15指定) 』

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