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朝練と憂鬱と



「フッ、フッ、フッ、フッ…」


小刻みに弾むテンポの良い呼吸。


グラウンドから早朝にもかかわらず “エーイ、オゥ” “もいっちょイコー、ウィーすっ” といった野太い声が溢れ出ている。


湊は活気の有り余る校庭をフェンスの外から一人でランニングしていた。


サッカー部にラグビー部、陸上の奴らも…

走りながら横目でどの部がいるのか調べてると、ジャージ姿の柔道部が後方から並んで来た。


「よう、和久井。おはようさん」

「おうっ」

先頭を走る主将の権田原ごんだわらの挨拶に素っ気ない湊。

朝から暑いのにまたむさ苦しい奴が来たと腹の中で煙たがっていた。

「なんだ、一人か?」

「体育館行く前の準備運動みたいなもんだよ。お前達こそ畳じゃないの?」

権田原とはあくまで目を合わさない湊。

「朝は稽古よりトレーニング重視。畳は女子部が優先だな」

「へぇ」

「放課後は男が好きに使わせて貰ってる分、朝は女子部に譲るのが当然だ」

「…」

段々言葉数が少なくなる湊。

彼にとって全く興味の無い事だが、その態度が権田原の中で違う方向の勘違いを生む。

「…おい、お前今我々がパワハラで女子を朝に追いやったとか考えとらんか?」

「ん?」

「言っとくがちゃんと話し合いで決めたぞ?人数関係もあるし、それに放課後は我々が畳を独占してる訳では、決してないからな」

「何慌ててるんだ、お前」

「あ、慌ててなどおらん。朝は完全レディーファースト、女子部が練習のみに集中出来るように、使用後の道場の清掃だって我々が担当しているのだ」

「…(何故聞いていないことを?)」

「いやぁ実はそれが俺らの唯一の楽しみなんすよ、和久井の旦那」

「?」

「き、貴様!小此木おこのぎ何を…」

「いやね、ほら、俺らはわざわざ朝から筋トレでしょ?疲れきった体のまま道場に入ると…そこは100%女の汗の匂いがふわっとしてさぁ。オアシスって言うの?真っ先に畳の上に飛び込んでゴロゴロすんのがたまらないんすよ…それに朝は道場が女子だけだからそこで着替えなんかもするからあわよくばパンティーの一枚でもありゃね、これが最高のご褒美っすよ、ね、主将」

「権田原…お前マジか」

「ババ、バカモーン!小此木、貴様という奴はぁ…」

「だって主将も朝の道場で謎の深呼吸やらキョドって探し物とかやってんじゃないっすか。なぁお前ら」

「ウィースッ」

「ば、馬鹿野郎。俺はそんなやましい気持ちなど…おい、待て、小此木!待たんか!貴様、おい、待てぇ!後で覚えておけぇぇ!」


権田原は後輩を追いかけ猛ダッシュ、湊を置いて走り去って行く。残りの部員達も後に続いて行った。


「…」


なんだか朝から汗臭い物が場を荒らし過ぎ去った、そんな気持ちになる。


だが、何か彼らが羨ましい気持ちにもなった。女子の匂いはさておき、柔道部の “仲の良さ” は湊には眩しく見えた。

柔道部はなんだかんだでまとまりがある。道場を共有する女子部ともそこまで軋轢は無い様に見えるし、うちの部にもまとまりがあればなぁ…


ランニングを再開しながら湊は何か心でブツブツと呟き、走り終えて部室に戻った。


ロッカーを開けるとあらかじめ用意していたタオルとペットボトル、バスケットシューズを手に取る。


「…」

(くせぇ…)


さっきの柔道部の言っていた話しがなんとなく浮かぶ。

気のせいかもしれないが、部室に漂った男の匂いが不快に感じた。男の汗の染み付いた部室が不快なのもあるが、湊はその匂いの奥で今のバスケ部に対する不快さも混じっていた。


ドアを閉めて体育館に向かう。

「…女子の匂い、か」

ポツリと呟く。


匂い、香り…


ー いやぁ、女子の匂いはオアシスっすよ


ー あわよくばパンティーの一枚でも道場にあればなぁ


パンティー…先輩…三原、先輩…


ふわっと湊の脳裏に映る、春風のいたずら。


‼︎‼︎


バ、馬鹿野郎!俺の馬鹿野郎!何考えてんだ、朝っぱらから三原先輩をけがしやがって。

チキショウ、柔道部のバカのおかげで…


「和久井君」

「!」


体育館の扉に手を触れた瞬間掛かる声。


「先…!」

「せん?」

「⁉︎」


声を掛けたのは真琴だった。

ただ振り返った瞬間の真琴は、ショートカットやら背丈やらが晶と酷似していて、まして変な妄想を振り払った直後。湊は真琴が晶に一瞬本当に見えてしまった。


「…なんだ、犬飼か」

「何、今の間」

「な、なんでもねぇよ」


女バスの奴ってなんでいつも不意打ちしてくるんだ?

湊は微かな舌打ちをした。


「ふーん。てっきり寝ぼけて私をミハル先輩と見間違えたかと思った」

「!」

「…」

ジッと見つめる真琴。それに耐えられなくなった湊は慌てるのを抑え、目を外す。

「そんな訳ないだろ!」

自分がさっきの柔道部と態度が同じになってしまい、いらない事は言うなと心に呼び続けた。

そんな様子を更に真琴はジッと観察していた。

「…(怪しい) ま、どっちでもいいけど…で、今から?」

「俺はランニングしてたからこれからな。お前こそ今から?」

「…寝坊」

「珍しいな、寝坊だなんて」

「なんか最近すごくダルい」

「…念の為に聞くが、病気じゃないよな?」

「まさか。ミハル先輩じゃあるまいし。それとも私を心配してくれるの?」

「嫌味か…ただ、病気ひとつで失うものって結構あるから」


湊や真琴の中には晶が浮かぶ。


晶の腎臓病も元々は、何か怠い。何か疲れる。なんてことはない唯の夏バテような症状だった。それが実は腎臓病で二年近く闘病するとはこの時誰も夢にも思わなかった。

晶の腎臓病をきっかけにバスケ部はより自身の体調管理を徹底することを心掛けている。


「私のダルさは和久井君と同じ。朝練がストレスなの、別の意味で」

「…それな。さて今朝は何人参加か」


真琴の溜息に釣られ湊も溜息を漏らした。


ステンレスが若干錆び付いて擦れるギギィ、という音と共に後ろに観音式に厚い扉が開く。


ファイ、オー!


もうイッポーンっ!


ナイスぅー!


まず聞こえるのは多くの掛け声。そして手でボールを弾くバシーンといったものや、シューズと床が擦れキュッキュッと鳴る音。


これは奥で使用している女子バレーボール部から発せられるものだ。


そして手前のコートで使用してるバスケ部からは

「…」

ダンっ…ダン…音が明らかに使用してる球の数が女子バレー部とは違う。


バスケ部は男子も女子もなんとなくシュート打って時間を潰してる様にも見えた。


「あ!キャプテン。おはようございます」

「おはようわんこ」

「おはようです」


「…」

俺らが来て、男女合わせて五人…

言葉は失うが溜息は漏れる。

しかし溜息ばかりではいられない。


「あぁ大丈夫、シューティングしながら聞いてくれ…とりあえず今日は五人だから3対2やるから。犬飼、それでいいよな?」

「いいよ。男子が攻めの時は女子から誰か入れる?」

「いや、俺らだけでいいよ。少ない数の練習も必要だし。基本は女子の攻めを中心に進めよう」

「分かった、じゃ後ほど」

「おう」


今朝の参加は男子二人、女子三人。女子には珠代も居た。

とはいえこの人数ではさすがの珠代も声が少なくなる。隣りのバレー部を見ては止まらない溜息の連続。去年までの光景が嘘の様だった。


桜杏おうきょう高校の体育会の朝は早い。


朝の6:30からグランドや体育館等の施設は解放され部員達は夜の6:30まで毎日トレーニングを行なっている。


桜杏高校は体育会に力を注ぐ私立高校で、体育会の合宿所は校内にあるが寮での下宿は行なっていない。

なので遠方に住んでいる者に朝練となると、とてつもない早起きをしなければいけないのだが、朝に至っては参加は自由で遅刻や欠席も特に連絡を入れる必要は無い。

そして顧問が現れることも滅多に無い。

練習のメニューやノルマも何を課せられている訳でも無い。

つまり何をしても自由。

これは学校の方針でもあった。


そして去年は全国大会まで出場したバスケ部は…出席者は少ない。

男女合わせて70人近く在籍するが朝練に顔を出しているのは平均10人居るかどうかだ。


晶の代では考えられない光景だった。


彼女らが引退し後を引き継いだのが現キャプテンの真琴、男子バスケ部のキャプテンが湊。


三年生が引退した直後まではまだ朝も活気があった。しかし夏を終えて三年生が受験を迎えると何故か参加人数は徐々に減り、真琴らが三年生になると今の状況が定着した。

過疎化した理由は旧三年生に対する反発があった。

自由参加の筈が何故か強制して参加しなければいけない雰囲気があり、そこにストレスを感じていた。だから自分達の代になったらもっと自由にやらせて欲しいといった声が続発し今に至る。


自由と引き換えに失ったものは戦績へ如実に現れた。


真琴達の代になるとバスケ部は低迷を続ける事になる。

秋の新人戦は地区予選準決勝敗退。

ウィンターカップも予選一回戦敗退。


秋の大会はインターハイの結果おかげで準決勝までシードだったにもかかわらず、結果は大惨敗。ウィンターカップもあっさり一回戦敗退。

それは男子バスケ部も似たような結果だった。


この状況に両キャプテンはさすがに危機感を募らせていた。

もっと練習をしなければならない、もっと自分達の修正点を見つけ補っていくべきだと。


だが、それを強く部員達には言えなかった。


言えなかったのには原因がある。


キャプテンを中心とした朝練等の練習改革推進派と、今のままでの保守派、バスケ部は二つの派閥で別れ対立してしまった。


極論の中で最終的に勝ったのは保守派で、保守派が勝つと湊達を押してた推進派の仲間も一人、また一人保守派に移り気付けば推進派は完全少数と化していた。


思いは強くても数には敵わない。湊や真琴は痛感させられた。

それでも自分達はやり続け仲間がまた賛同することを待つしかない。そう感じながらの朝練は憂鬱だったのだ。


「和久井君。1対1付き合って貰っていいかな」


残り時間30分。

朝のメニューを終えると、真琴は最後の仕上げに1対1の練習。朝は決まって湊を指名している。湊も快く引き受け最近はこの光景は定番になっている。


湊は真琴との勝負の中、彼女のプレイスタイルから晶の面影を見ていた。


一昨年の今頃は先輩もバリバリでよく朝練は男相手に1対1してた。あの時は本当にすごい人だなぁって、そんで俺にも声掛けて貰って…

俺は先輩は好きだったけど彼女との勝負は普通に必死だった。女子に負けられないって気持ちの方が強かったし、真剣にやらなきゃ先輩は二度と相手にしてくれないから、浮ついた気持ちは振り払ってやったんだよな。


湊は真琴を通し晶を見ていた。


そして真琴がいかに晶を尊敬しているかもその勝負で知っていた。

ドリブルの仕掛け方、シュートの打ち方、髪型まで晶そのものに錯覚してしまう。

ただ一点違うところ。

「ー どうだった?今の」

ひと勝負終える度に真琴は湊にアドバイスを求めるところ。

とにかく真琴は事細かに聞く。タイミングや姿勢、どうやればもっと向上出来るかなど。湊は少しそれに困ってる部分があり、最近は時々、あー、うん、いいかも、と適当ではないが流し気味になっていた。

真琴はしっかりその態度に気付いていた。


「和久井君。見てくれた?今の形」

「見てたよ」

「嘘。じゃミハル先輩と比べてどうだった?」

「なんで先輩なんだよ。お前最近やたら先輩を折り合いに出してないか?」

「いいでしょ?先輩を目標にしてるんだから先輩を超えたいって思うのは当然だよ」

「犬飼」

「…」

「分かるんだけど、でもさ…」


何でそこまで三原先輩にこだわるんだよ。今のお前なら充分並んでるだろ、と言いかけた時。


「チィーっす」

「!」


あくびしながらの間の抜けた声。


「“早起き”したんでシュート打ちに来ましたぁ」


制服のまま体育館に現れた二年生の男子部員。

ウェブかかったパーマはしっかりセットされてるがそれ以外はだらしなく着崩れ、怠そうに踵を履きつぶした上履きで体育館の床を歩いて行く。

背筋は曲がってるが上背はかなり有って麻黒い肌は、柄の悪い輩を連想させた。


郷内ごうない…」

「キャプテンちっす。何かやってました?」

「今はシューティングだけだよ」

「ふーん、そうなんだ」

「お前な、体育館入る時はせめて体育館履きに変えろよ」

「…あ!すんません、すぐバッシュ履くんで」

「…」

彼は悪びれることも無くバスケシューズを見せつけ、上履きから靴紐を緩めたままの状態で履き終えると湊の側に居た真琴に気付く。


「お⁉︎ “わんこ先輩” じゃないっすか。え、何々1on1やってたんすか?イイなぁ俺ともお願いしますよ」

「…」

真琴は腕を組み無言で、明らかに不快な態度を表していた。

湊もこれには口を挟まざるを得ない。

「郷内、いくらなんでも先輩に対してそれはどうなんだ?」

「だって女子はみんな、わんこ先輩言ってっから。ま、いっか、改めて先輩、やりましょうよ、ね」

郷内の言動に頭を掻く湊。

それ以前の問題だろ馬鹿野郎と今にでも怒鳴りたいのを抑えていた。

「…」

真琴も同じ気持ちだった。相手もしたくないので無視を続ける。


「あれ?怒ってんすか?」

何かバカにしたような口調が真琴をイラつかせた。


「ううん、怒ってないよ…無視しただけ。嫌いだから、郷内君の事」

「へぇ…」

「怒った?」

「べぇつに。俺ドMだからそうゆうプレイ大好物」

「…」

腕組みした拳をギュっ握る真琴。


その様子を遠巻きで見てた珠代は二人の間に割って入った。


「あ!じゃあじゃあ、あたし!郷ちゃん、あたしはどうかなっ」

ハイハーイ、と手を上げて珠代は郷内の袖を摘まんだ。

「ナベ」

「…(鍋崎)」

「えぇ⁉︎ ナベ先輩っすか?俺わんこ先輩がいいんだけど」

真琴の時とは随分違い、郷内は珠代には白い目を向ける。

しかし珠代はケロっとしてもう一度郷内の袖を摘まんだ。

「いいじゃん?あたし郷ちゃんのシュートとか参考にしたいからさ、ね、あたしリバウンドするからシュート打ってよ」

「だりぃ」

「いいから、お願い。ねっ」

珠代は目で合図を送ると強引に二人と郷内の距離を離した。

煮え切らない空気ではあるが、湊と真琴は1対1練習をやめて、別々でシュートを打ち始める。


「…」

鍋崎…なんであんな奴がいいんだ?

やっぱり応援は無理だぞ、俺は。


納得のいかない湊のシュートはイライラしてるせいもあり、残り数本ではあるが入る事は無かった。



〜…


2.


8:20になると朝の予鈴が校舎に鳴る。この時間になれば一般生徒も登校して学校はいつもの姿を取り戻す。


予鈴の少し前、湊はそのまま教室には行かず女子バスケ部の部室の前で真琴が来るのを待っていた。


ほどなくして真琴は出てきた。

珠代も一緒に部室から出てくる。


「おっ」

「あっ」


「おつかれ」


真琴と湊、そして珠代。それぞれがそれぞれと目が合って、なんとなく三人は自然と歩き始める。

お互いが何を言おうとしたいのかは朝練の流れから分かっていた。最初に切り出したのは湊だった。


「さっきは悪かった、郷内のバカがナメた態度とってさ」

「私?全然。何とも思ってないし、嫌いだから。てゆうか別に和久井君が謝る事じゃないわ」

「まぁ。でも俺も庇ってやれなかったから。鍋崎もサンキューな、助かったよ」

「あたしも全然」

「ナベ、無理しなくていいんだよ」

「んにゃ、あたしは郷ちゃんとポジション同じだしパワープレイも取り入れたかったからね」

「まぁナベがそう言うなら」

「…」

二人のやり取りで、珠代の気持ちも分かる湊はその場は黙っていた。


「ねぇ、そろそろ予鈴でしょ。晶ちゃん来る頃じゃない?」

歩きながら携帯をいじる珠代は時間に気付く。


「!」

“晶ちゃん” の言葉に反応する湊。

「そうね。そろそろそんな時間か。じゃ和久井君、私は校門行くから」

風紀委員を務める真琴は忙々と胸ポケットから腕章を取り出すと腕にセットした。


「わんこ、あたしも行く。晶ちゃんを迎えにさ」

「お、俺も…」

珠代が言い出した事で湊も乗ろうとした。


「ん?和久井君も?」

ただ湊の不自然な感じに違和感を覚える真琴。


「晶ちゃんがあたしの代わりに学級委員やってくれる事になったからさ。和久井君もやっぱりお礼がてら鞄のひとつでも持たにゃね」

一瞬言葉に詰まった湊だが、珠代は間髪入れず説明のフォロー。


「え?本当に先輩がOKしてくれたの?」

「まあひとえにあたしの人望でしょう」

「なんでお前が偉そうに…痛っ」

「ん?」

「な、なんでも…まぁ同じクラスだし朝の挨拶くらいしに行ってもいいだろ?俺らの先輩には変わりないんだから」

「言われてみればそうね」

「ところで、お前は何、その言わないの?」

「?」

「三原先輩にその…タメ語みたいな」

「ナベじゃないんだし早々に言い慣れないよ」

「だよな!鍋崎が俺、ほんとすげーなって思うよ」

「そう?チャンスじゃん、せっかく晶ちゃんから言ってくれたんだからさ。ここらでウチは一気に距離近くなると思うよ」

「分かってはいるけど…ダメ、私緊張する」

「…」

(犬飼に無理なら俺は更にアウトだろ)


「ほらほらビビってないで、もう玄関着くよ………ん、なんだ?」


目を細め手を額に当て遠くを見る珠代。


「どうした?」

「晶ちゃん…モテモテ…」

「⁉︎」

来賓用のエレベーター前で何やら男子らに囲まれ、少し困惑してる晶がそこにいた。



〜…


3.


「…」


打って変わった景色がそこにあった。

湊達は昨日と違う教室の雰囲気に入り口で戸惑っている。


晶の席は既にクラスの女子が彼女を囲んで質問攻めとなっていた。

その質問に晶はひとつひとつ答えていた。


「今日は杖は使わないんですか?」

「体調がいい時はリハビリ兼ねて使わないようにしてるんです。でも携帯式なんで鞄にはありますよ」

「タクシーで来たけど、いつもなんですか?」

「あれはパパ、いや父がタクシーやってるから…」

「パパ⁉︎ 三原さん、お父さんの事パパって呼んでるの?」

「いや、あの、それは」

「三原さん顔真っ赤」

「!」

「なんか年上だけど三原さん可愛いですね」


きゃっきゃと弾む晶を囲む会話。

それに圧倒されるかの様に三人は教室の端で見ていた。


「…誤解が解けて人気が出るとは思ったけどまさかここまでとは」

「先生が助けるようにって言ったのもあるけど、エレベーターでの男子の点数稼ぎにはちょっと引くかな。どうせ鞄待ちますとかだろうけど」

「…さすがにあの輪に入るのは勇気が必要だな」

湊の席は晶の隣でその席には既に晶を囲っていた女子が占拠していた。

「そんな事言わずにほら行ってこい!」

「バ、押すなって」

「いいからほらほら。はいはーい学級委員の和久井君が通りますよぉ」

「だから押すなって」


湊と珠代の妙な距離感。

真琴には何か掴めないモヤモヤが生まれる。


「…(あんなに仲良かったっけ?あの二人)」


珠代に背中を押された湊はそのまま女子の輪に突入し、晶と目が合った。


「おはよっ、和久井君」

晶は特に気にするでもなく挨拶をする。


「あ、おはようございます」

和久井君と呼んでくれた事にドキっとした。

「おっはようございまーす」

湊の背中からひょっと顔を見せた珠代。

だがその声と顔に晶の態度は一変する。


「ナベ!お前!」

「え、なんすか朝一から」

「学級委員!私に押し付けて」


女子は一斉に珠代を見た。


「ええ⁉︎ 学級委員ってあんたじゃなかった?」


珠代が学級委員に駄々を捏ねていたのは知っていたが皆の中では、なんだかんだで鍋崎がやる、といた見識でまさか本当に交代をするとは誰も思ってなかった。

(知っていたのは真琴と湊。担任も知っていたが晶が断った時は必ず珠代が就任することと約束はしていた)


「いやいや違うって。考えてみなよ?あたしは学級委員って柄じゃないし、あたしより晶ちゃんがクラスの中心になってまとめてくれた方が絶対良いと思ったんだよ。亀の甲より年の功ってやつよ。分かるか皆の衆」

「…確かに言われてみれば…ってナベ、何?“晶ちゃん”って」

「お?気付いたかね、ミハル先輩は先輩って呼ばれるのが嫌だから新しい呼び名を考えたのよ。勿論本人公認でござるよ」


「ホント⁉︎ 三原さん!」


「…」

(ナ・べ・ザ・キ!またお前は余計な事)


「!」

(ヒィィ)


珠代は晶を見ずともその空気を感じとっていてその目を決して合わせようとはしなかった。


「どうしたの?ナベ、なんか固まってるけど」

「いやいや決してそんな、ね、ねぇ晶ちゃ…」

「…」

(無視はやめて!ホントに怖いんだってば)

「ねぇ、それより私も三原さんの事、晶ちゃんって呼んでもいいですか?」

「え、あ…その」

「私も呼びたーい!だって三原さんより晶ちゃんの方が可愛いもん」

私も、私も、と声が飛ぶと珠代はチャンスと睨む。

「あ、でもやっぱ馴れ馴れし過ぎかな?バスケ部じゃないし嫌ですかね?」

「何を仰るウサギさん達!友達ってやつに部活や学年は関係ない!みんな仲良くみんな平等、ですよね、晶ちゃん!」

強引にまとめ込もうとする珠代は晶の手を取る。


「…」

無視する晶だが右足の踵は貧乏揺すりを始めていた。

その揺れに気付いた珠代は握った手をすぐに離す。

嫌な空気になる手前だがまた救いの一言も生まれる。


「そうなんですか?ウチらも呼んでいいんですか?」


ナイス援護射撃。

晶ちゃんの弱点はバスケ部以外には強く言えないとこだよね。

珠代は小さくガッツポーズを取る。


「う…ま、まぁ一応。普通で、普通でいいんで…」


「じゃ晶ちゃんに決定!」

「よろしく晶ちゃん!」


フーッと肩を撫で下ろした珠代。晶が困惑してる内にスーッと気配を消してその輪を外れた。


教室から出た珠代を真琴が追った。

「まったくナベったら、ヒヤヒヤしたよ」

「や、これもウチらの為、晶ちゃんの為なんだよ。わんこだってもっと仲良くなりたいっしょ?晶ちゃんがクラスのアイドルになればウチらも距離が近くなる、でしょ?」

「それはもちろんだけど…」

ただ真琴はそれ以外にも何か魂胆がある様にも見え、それを問いただしたいのもあった。

そんな時。


「犬飼」

「?」


真琴と珠代に割って入る声。


「ちょっと話しあるけどいい?」


声を掛けたのは女子バレー部、バトミントン部の両キャプテンだった。


「なに?もうホームルーム始まるけど」


「…そうね。とりあえずまた昼に来るけど…今言っておくわ」

「…」

「朝練の体育館、譲って貰えないかな?バスケ部のスペース」


「!」


真琴はその言葉に固まった。

ただ彼女の中ではいつか言われるだろうな、と予測していた言葉でもあった。




次回『切ないベクトル』

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