光差す体育館へ
1.
雨の降りしきる中、桜杏高校の校門前に傘をさして凛里花は一人待つ。
一時間は待っただろうか。
晴れていれば夜は七時くらいまで日は伸びるようになったが雨と梅雨寒のせいですっかり陽は落ちてしまった。
その中で凛里花は一人で待つ、携帯等いじらず傘をさしたまま一点を見つめ続けて。
誰も来なければ良い。誰も来なければ普通に帰るだけ。来なければ…来るな。
去年みたいに体調悪くしてずっとベッドに寝なきゃいけないくらい悪くなって欲しい…無駄ね。あの子、悪い時程嘘ついて無茶するから結局去年だってそれで全て無駄にした。
ミワちゃんを恨むわ…なんで昨日、無理にでも連れて帰らなかったよ。無理させるのは今じゃないのに、なんで…
「サトちゃん…!」
俯いた凛里花の耳に入る聞いた声と足音。
「…」
傘を上げたその前に制服の晶の顔。
金曜日の夜七時を少し回った頃、真琴との勝負の時間にはまだ早いが晶は現れた。
「来て、くれたの?」
「よくミハルのママがOKしてくれたね」
「…合宿のコーチに呼ばれたって嘘ついた」
「…」
やっぱり…と凛里花は溜息を打つ。
「…」
溜息をつきながらも鋭い目で晶の全身をくまなく観察していく。顔色、身体つき、左膝…
「…」
ギリギリ、ってとこか…いやまともに勝負出来る体ではない。去年の制限時間1分よりはマシなだけで…
「…」
多分今なら間に合う。
今なら無理矢理にでも連れ帰って…
「…」
右手が晶の肩を掴みそうになる。
しかしそれを無意識の内に左手が右の手首を掴んでいた。掴む手が強い程唇を噛む力も強くなった。無言で苦り潰した中で出た答えが、
「行くのね」
これがやっとだった。
「うん」
晶は凛里花の目をはっきり見て頷く。
「足は」
「少し」
「腎臓は」
「昨日は少し熱出たけど、今日はなんとか」
「嘘ついてないよね」
「うん」
「分かった、行きましょう」
「いいの?」
その一言に凛里花は叫ぶ。
「いい訳ないでしょ!」
「!」
「…」
「ごめん、なさい」
「それでも行くんでしょ」
「うん」
「行かせたくないから私がミハルについて行くの」
「うん」
「無理は絶対にさせない。その時がきたら無理にでも止める、いいわね」
「ありがと」
「…」
ありがとうなんて言わないでよ。
今の私が一番言って欲しくない言葉なんだから。
凛里花は自分を恨んだ。負けても何でもいいから晶の無事を祈りながらもそれでも晶へ頑張れと思ってしまう自分に。
〜…
2.
約束の時間まで晶と凛里花は教室で過ごす。
三月まで晶と過ごした学舎だが彼女にはそれを懐かしむ余裕は無かった。
今の凛里花に出来る事はとにかく晶を少しでもベストな状態に戻す事。膝のテーピングを貼り直し入念かつ無理のないマッサージやストレッチをサポートしていた。
「どう?動き辛い?」
テーピングを終えストレッチを始める晶に聞いてみる。
「相変わらずサトちゃんの技術は早くて正確。少し制限はあるけど私がやるより10倍いいよ」
「そう」
凛里花はそっけなく答える。
「…」
「…」
「サトちゃん」
「ん?」
晶の身体を解しながら凛里花はそっけない。
「いつもサトちゃんには助けて貰ってばっかり」
「…」
「ウチらが怪我する度に一番で飛んで来てすぐ応急処置してくれて」
「…」
「今日も来てくれたから…」
「…」
「ありがとう」
「…」
「…」
「…まったく」
「?」
「まったくミハルは!」
「サトちゃん?」
「ミハルはいつもそう!苦しい時程頼らないで、自分だけで抱え込んでさぁ!いつもいつも痩せ我慢するから!」
「…」
「…私をもっと頼ってよ」
「サトちゃん」
「…」
「ミワちゃんばかりじゃなくて、私にも」
「…うん」
「ミハル…」
「あのね、サトちゃん。こんな時に言うのもなんだけど。聞いて欲しい事があるの」
「?」
「これはミワちゃんには言えない事で…サトちゃんだから話すけど…」
「…」
「サトちゃんにはこれからも私のマネージャーでいて欲しい」
「なによ、今さら」
「ミワちゃんともう一度勝負する時まで」
「あのね、ミハル。そんなの体が治ればいくらでも」
「私、もうバスケ、出来ないから」
「…え」
「バスケ出来ないって、先生に言われた」
「ちょっと待って。え、何、理解出来ないんだけど」
「…」
「ミハル。病気、やっぱり?」
「違うよ。腎臓の数値は良くなってるし、あと少しでホントに治るんだよ。治れば足だって本格的に…」
「だったらなんで」
「足は治って6割、良くて7割が限度って言われた」
「…」
「だからプレイヤーとしては…」
「ミハル」
「…」
「…」
「…」
「…だったら」
「?」
「だったらわんことの勝負はする必要がないわ」
「!」
「ミワちゃんと本気で勝負したいのならわんこなんてどうでもいいわ」
「…」
「治ってない体で絶対にあんたは無理をするに決まってる。そうよね?」
「…」
「そうよねっ!」
「…」
「答えて!ミハル!」
「…うん」
「やっぱり行かせられない、帰りましょ」
「…」
「ミハル。帰るわよ」
「だから…必要なんだ、サトちゃんが」
「ミハル?」
「必要なの、私には、サトちゃんが」
「…」
「私、先生にバスケ出来ないって言われた時、不思議と納得出来た。去年のインハイで全部答えは出したし腎臓治って足も半分以上治るんならプレイヤーは無理でもバスケは趣味で楽しめる」
「…」
「でもやっぱり心残りはあるよ。ミワちゃんとの約束。私が復帰した時に一番にミワちゃんとの勝負、ミワちゃんは全力で相手してくれるって言った…こんな私にだよ?あの時したなんて事ない口約束をミワちゃんは本気にしてくれて、たった一年でミワちゃんは全日本の強化選手になって私をずっと待ってくれてる」
「そうよ。だからでしょ、だから今わんこを相手になんて…」
「わんこは許さない」
「…ミハル」
「許さないよ、あいつは。私の事バカにして」
「…」
「許さないけど、さ」
晶は、ふぅと息を吐く。
「今私がやったって勝てないどころか1本まともに出来るかも分からない。これがただの勝負なら…恥を忍んでミワちゃんに代打頼んでもいい。でもこれは私じゃないといけないんだ」
「…」
「ミワちゃんにも昨日怒られた。当然だよね、私だって怒るよ。ある意味私の“最後の相手”、わんこになるかもしれないんだし…だからこそサトちゃんには私がわんことやった後でもミワちゃんと勝負出来る様に手伝ってもらいたいくて…半分の力の私でもミワちゃんと勝負出来るように」
「ミワちゃんは、知ってるの?その事」
「言えなかった。わんことの勝負で約束破った上にバスケ出来ないとか」
「…そうしてまでわんこなのね」
「うん」
「ミハル…」
「色々あいつに貸し作ったから。よく考えたらあいつと衝突した事もなかった。これが最初で最後の姉妹喧嘩、私が先輩として後輩に喝入れる最後の機会だから」
「…」
「あいつには絶対に分からせる。私の全てをぶつけてやる。だからサトちゃん…」
「…」
「…」
「…ミハル。今のあんたは誰よりも弱い」
「…」
「誰よりも脆い」
「…」
「でも、誰よりも愛されてるわ」
「サトちゃん」
「だから私はあんたの味方」
「…」
「去年、病院の先生に言われた言葉、覚えてるわね」
「…」
「ミハルの体は1分しか保たないんだからね」
「うん」
「無理に見えたら今度は絶対に引きずってでも病院に連れてく」
「うん」
「だから」
「…」
「勝つのよ、わんこに」
「うん!」
〜…
3.
体育館の入り口には珠代が一人で待っていた。
晶と目が合うもどう答えて良いか分からずどもりがちの珠代に、晶は特に気にする事も無く中に入ろうとする。
「あ、あの…」
「…」
珠代は晶を中に入れるつもりは無かった。最後の最後でどうにか説得するつもりだった。
しかし…
「体育館に入るんですよね」
「だったら?」
「…」
いざ晶を目の前にした時、彼女の表情を見た時、頭の中が真っ白になった。
「すいません、わんこにやめる様には言ったんですけど聞いてもらえなくて」
「いいよ、悪かったね」
「いえ、あの…」
珠代は言葉を詰まらせる。
「…」
「あの、あたしも一緒に体育館に入ってもいいっすか」
「…」
晶は答えない。
でもポンと珠代の肩を叩いて先に入った。
凜里花はそれを見て珠代の背中をさする。そして一緒に入った。
体育館に入った晶は目が眩んだ。
廊下とは比べ物にならないほどの明かり。それは実際に眩しいのとバスケ部としてここに来た実感とが混ざり合っていた。
辺りを見回す晶。体育館の空気を確認しながらコートに目をやると、センターサークルに真琴が居た。
真琴との隣には湊も居て二人は何か軽く言い争っている様にも見えたが、晶が来たのに気付くとピタリと止まる。
「わんこ」
「よく逃げずに来てくれましたね。勿論信じてましたけど」
「…」
「あれ安里先輩まで…そっかまた先輩言いふらしたんですね」
「わんこ!あなたね、いくらなんでも…」
「サトちゃん!大丈夫、大丈夫」
「ミハル」
晶は凜里花にうなづく。
湊が駆け寄って来ると凛里花に会釈し晶に事情を説明する。
晶も湊が審判する事を思い出した。
「そっか。審判してくれるんだっけ」
「先輩…犬飼にも言ったんですけど、今からでもいいから1本勝負にしましょう。先輩の活動制限考えたら1本だけなら全力でも耐えられる。絶対そうするべきです」
「湊君…ありがと」
「いや、その…じゃ俺、あいつに言って…」
安堵の表情を浮かべた湊を見て、晶は真琴を呼ぶ。
「わんこ!」
「なんですか」
「ルールは最初に言った通りで始める、それでいいんだよね」
「ええ」
「先輩、いや、ちょっと…」
あんた一体何考えてんだ!と湊は喉まで出かかった。
「…」
晶は少し俯いた。しかしすぐ湊を見て微笑んで頷く。
晶は何も言わない。
言わなかったからこそ湊はそれ以上被せて止める事は出来なかった。
「ナベ」
「は、はい」
「ボール、ちょうだい」
「あ、はい」
珠代は走って晶の元までボールを渡した。
革の感触をまずは手で確認。
両手でグッと押さえたりパンパンと叩いてみたり、ボールを頭上に投げてはキャッチを繰り返す。
「少し準備するから」
晶は真琴が返事をしないうちにドリブルをして地面との相性も慎重に取り始める。
そしてそれを終えると適当な場所からシュートを打ち始めた。
「…」
体育館は誰も口を開く事無く晶のシュートを一挙手一投足、それぞれの思いで見つめていた。
始めは軽く手打ちで近レンジから、そしてジャンプシュート、一本一本を足の状態を見ながら黙々と打っていく。
フーッ、フーッと肩で息を吐きながらシュートを打つ晶を見て珠代や凜里花は止めたい気持ちでいっぱいだった。しかしシュートが外れる度にグッと歯を噛んでその気持ちを抑え見守る。そしてシュートが入ると拳を握りよしとうなづいていた。
最後に晶はドリブルからレイアップを放つ。
晶の手からふわりと放ったボールは惜しくもリングに当たりゴールに嫌われた。
「…」
肩で息をする晶。
床に座り込むまでではないものの、太ももに手を置いて頭垂れる姿は誰が見ても早くも疲労してる様に見えた。
たった12本のシュート。
入ったのは2本…全盛期からは程遠い。
「ミハル」
凜里花はたまらず晶の元に。
「…サトちゃん」
「身体は⁉︎ 足は⁉︎」
「…テーピングのおかげでなんとか」
「本当に⁉︎ 痛くない⁉︎」
「…ホント言うとレイアップの着地の時、少し違和感あった。でもサトちゃんのテープのおかげでこれだったらイケると思う」
「…」
「サトちゃん、ありがとう」
「ミハル…行ってこい」
「うん」
凛里花からタオルを受け取ると顔を拭いて、もう一度深く深呼吸を繰り返す。
そして真琴の元まで歩き始めた。
「…お待たせ」
「なんか既に疲れてません?」
「ハンデ」
「…」
真琴は目が釣り上がるもすぐに呆れ笑いに変わる。そして湊を見た。
湊はギリギリまで葛藤していたが二人がやると言う以上自分が審判を放棄しても勝負は始まる。だったらせめて自分が見届けて何かあった時すぐに晶をられるようにしようと考え、不本意ながらに勝負の開始を宣言する。
「そしたらこれから始めるけど、もし先輩の体調が崩れたら残り何本あってもそこで勝負は打ち切りにする。絶対にそれは俺が認めない、犬飼も…先輩もいいですね」
「はぁい」「ええ」
「ルールは攻守交替の5本。基本はオーソドックスだが先輩が攻める時は時間は無制限。犬飼は24秒ルール、シュート一本でも外せばその時点で負け、守りもファール一発でその時点で負け。それでいいんだよな」
湊は最後にもう一度ルールを確認する。
「勿論」
真琴も異論無く涼しく流す。
「よし、じゃどっちが先攻で」
「先輩、お好きな方どうぞ」
余裕ある真琴は晶に選択を譲る。
「…後攻」
「じゃ私が先で。お手柔らかに」
「…」
後攻を決めたのに特に理由は無かった。
ただ最初の一本、真琴はどんな攻めを見せるのか知りたかった。
バスケサイボーグと呼ばれた晶の代わりになるべく、遂にはミハルJr.とまで言われた真琴。晶のスタイルで立ち向かうのか、それとも手を抜いたプレイでおちょくるのか、今はまだ予想出来ない。
ただ、最初の一本。この一本目の真琴の攻めによってなんとなくではあるが勝負の流れがどのようになるのか、そこらはぼんやりと晶の脳裏に描かれているのだった。
次回、晶と真琴、激突!
『痛くなんかない!』




