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1話 ハーベストムーン

気が付くと見慣れた光があった。


秋は仰向けに崩れ落ちた。


ほんの一瞬だけ意識が飛んでいたらしく、遠心力にさらされたような眩暈がした。


「きれいだな...。」


秋にとっては日常の一コマのような景色に違和感が押し寄せる


月はいつも通りきれいだ、そこに疑いはない


月以外が違うのだ


横たわってるとしたら石畳のはずだ


しかし地面の感触は明らかに土だ。視界の端にちらちらと枝葉が見える


慌てて起き上がると周りは木に囲まれている。


もちろん野上家はない。


「えぇ...。」


何が起きたのかもわからず情けない声が漏れる。


辺りを確認しようと踏み出そうとすると―カランと音が鳴り目をやると

庭で握りしめていたバッドが転がっていた。


拾い上げながら自分に何があったのか思い返していく。


雲に覆われたのか秋の周りが薄暗くなっていく


――ァオオオォーン!!


心臓が思い出したように跳ねるのとほぼ同時にあの時と同じ遠吠えが聞こえる。

庭で聞いたときとは鼓膜に響く迫力が違う。


こちらを確実に認識してるような殺意のこもった雄たけびだった。


「ッ嘘だろ!!」


ほぼ反射的に走り出す。


もはや体は自分が動かしているのかさえあやふやになるほど本能的な逃走


もはや振り返る余裕などなかった。


自分を追いかけ草木をかき分ける音は真後ろだけではなく左右からも聞こえた


運動不足の体が恨めしい。

喉が張り付いて呼吸がヒューヒューと音が鳴った。


右を見るとチラチラと黒い影が並走しているのが見える。


黒い影の奥、琥珀色の二つの光と目が合った


その影はスピードを上げ秋を追い越し体を翻し退路を塞ぐように

正面から秋へ飛びかかってきた。


握りしめたバッドを右から振り回す


タイミングよく狼にあたり左に吹っ飛んだ


空いた右に進路を変え距離を稼ぐ


獣道を外れただけで途端に走りずらくなったが運よく木々を抜けることができた


抜けた先は視界いっぱいに丘陵が広がっていた。


丘のなだらかな傾斜は今の秋には残酷だった

体力の限界をむかえたのか足がもつれ、そのまま転がる。


日本の伝承に送り犬という妖怪の話がある。


夜に歩く人の後ろをついてくる犬や狼のような妖怪で転ぶと一斉に襲い掛かってくるという


話だった気がする。シンプルにニホンオオカミの習性が伝わったのではないかともいわれている。


ちなみに転んだふりや靴ひもを結ぶふりをすれば見逃してもらえるという話もあるが


秋にそんな余裕などあるわけもなく


転んだ勢いのまま襲いかかってくる狼にバッドを振り回す。


体制が悪かったせいで先ほどの威力はなく、狼は空中で翻し四本の脚で着地した。


ほかの狼も2頭、追いついてきて今か今かと狙いを定めながら秋を囲もうとしていた。


「っッ!!」


左肩に鋭い痛みが走る。いつの間にか一頭、後ろに回り込まれていたらしく、

狼が後ろから秋の左肩に食らいついている。


どうやら狼は全部で四頭だったらしい。


秋に食らいついた狼は転んだ秋にすぐに襲い掛かるのではなく後ろに回り込んでいたらしい。


ギリギリと牙を食い込ませ、左右に揺さぶっている


獲物を弱らせる術を心得てるらしい。


抵抗すればするほど痛みで屈服されそうになる


肘で振り払おうとするがひらりひらりと躱されるだけだった


――痛い、いたい、いたいッ!!


痛みで心が折れそうになる


血が滴っていくのがわかる。


ぬるい何かが体を伝って温度を失って落ちていく


――あぁァアアア!!


叫びなれてない情けない声だった


食らいつく狼の顔に左手を伸ばし食い込ませる


このまま牙が首に達してしまうのだけは避けたかった


モーションブラーのような視界の中、目の前の黒い影が向かってくるのがわかる。


死を覚悟した


バッドを捨てて膝を落として両手で食らいつく狼を掴み背負い投げてやろう目を閉じ

力をこめようとしたとき


「やめて」


鈴のような声がした


光が丘全体を照らす。左肩が軋轢から解放された


狼が光を浴びて煙のように消えた。


月の光だった。


情けない姿を照らす、何度も見上げてきたやさしい光。


穏やかな夜がかえってきて、全身の力が抜ける。


声の主を見上げた。


丘の上で銀の髪が揺れる。月と同化してしまいそうな長い髪


着物の裾を揺らしながら番傘をさしていた。


目が合った。吸い込まれそうな銀色。


「月はきれいでしょ?(月がきれいですね)」


二人の間を風が吹き抜けた。


見惚れていて言葉にならなかった。

それに気づいたのか美人だったすまし顔は無邪気な子供のようなイタズラな笑顔に変わった


「死んでもよさそ?(しんでもいいわ)」


有名な文豪の告白を文字ったのだろう。

ギャルのような言い方に思わず笑みがこぼれた。


「いや本当に死ぬかと...ありがとうございます。助けていただいたんですよね?

正直なにがなんだかさっぱりで....ここはどこなんですか?」


初対面の人にここはどこなんですか?なんておかしなことを聞いていると自覚しているが

目の前の人物には答えをもっているような説得力を感じた


「よっ、と」


銀色の髪の女はぴょん、と飛び上がり傘でふんわり浮かび、秋のすぐ目の前に着地した。


「異世界だよ、薄々気づいていたでしょ?」


――なんだと、、


流石に日本ではない気はしていた。

目の前の景色はモネの『日傘をさす女』のようだとも思ったし

黒い狼を見たときも目の前の現実離れした女を見たときもアニメのようだとも思った。


しかし散々アニメや漫画で見たシチュエーションなのにいざ自分がそうなってみると全然受け入れられる

気がしない。何度も思考が止まりそうになって考えがまとまらない。


何よりこの左肩の痛みは紛れもない現実なのだ。ついさっきまで命のやりとりをしていたからか

アニメや漫画の世界とどうしても結びつかなかった。


疑問が次から次へと生まれていく。


銀髪に銀色の目はいかにも異世界人だ。だがそれならなぜ夏目漱石の一文を知っていたのだろう。


「おーい、聞いてる???」

その声で我に返る。


「すみません、なにがなんだか....」


「秋が庭にいたでしょ?それでまあいろいろあってここに転移したの」


....そのいろいろが聞きたいんだが、と言いたいのを飲み込んで目先の疑問を投げかける


「なんで庭にいたのをしってるんですか?」


銀髪の女への疑いが生まれる。


「だって見てたもん。秋も見てたじゃん」


「庭でですか?見てないですけど。」


「みてたよ!!てゆーかなんで敬語なの!?いつもきれいだねーって口説いてくるじゃんっ!!」


大人っぽい容姿に反し、子供っぽく表情がコロコロ変わる


その言葉で秋はうっすら思っていた核心に問う


「もしかして、月....の神様的な?」


銀髪の女はどや顔で言う


「神様っていうか、月だよ。」


その一言は秋の心が晴れていくのを感じた


目の前に現れた奇跡は秋がずっと望んでいたことだ


元の世界で行き止まりのような感覚を抱えて惰性で生きてきた秋にとって

月を見上げる時間だけが心が休まる瞬間だった


「会えてうれしいよ、たすけてくれてありがとう。」


心からの言葉だった。元の世界のことを含めての感謝だった。


「びっくりしたよぉ、やっとこの姿で秋に会えると思ったら死にそうになってるんだもん!!」


友達のような話し方に秋は心を落ち着けることができた。

秋は何から聞けばいいのか思案しながら尋ねる


「こっちの世界ってやっぱりあんなのがいっぱいいるの?」

秋はそう言いながらその場に腰かけて胡坐をかいた

「そだね、秋たちあ(・)っ(・)ち(・)の世界の人が思い抱く異世界の認識であってると思うよ」


そうなれば秋には聞かなければいけないことがある。


なぜ秋が転移したのか


「俺あっちの世界でしんだとかじゃないよね?」


恐る恐る尋ねる


「もちろん。転移だからね。まあ元の体かどうかは危ういけど」


不穏なことを聞いた気がするが秋の価値観ではそこまで重要ではなかった


「じゃあなんで転移したの?」


秋は一瞬月が転移させたのではと思ったが、月を疑うことはどうしてもできなかった。


「説明するの難しいんだけどこっちの世界とあっちの世界って表裏一体なの。

世界軸が一緒っていうのかな、あっちが滅んだらこっちが滅ぶ,鏡合わせのように存在してる

あっちの世界は魔力がないから世界そのものの在り方が揺らいでいる

こっちの世界は魔力が飽和すると予想されてて、魔物が溢れて人が生きるのがどんどん過酷になるだろうって言われてる。神代のような末路を辿るって。だから二つの世界を繋げて魔力を循環させるしかないねってなってこっちの世界の人が二つの世界を繋げたことで今回の転移が起きたって感じ」


あっちだのこっちだのややこしいが自分の世界以外は異世界なのだ。逆も然り、お互い世界そのものに名称がないのがむしろ自然なのだろう。


「つまり魔力の循環に俺も巻き込まれて流れてきたってこと?」


「いや、人含めて予定通りだと思うよ。あっちの世界にもこっちの世界の人が転移してるはずだし、秋以外にもこっちに転移してきてると思う。秋の転移はなんか変な感じするけど。」


「なんか思ったより壮大で気が遠くなるな...。でもなんとなく元の世界のほうが大変なことになりそうだな」


生きる気力がなく、人より気が滅入りやすい秋は最悪の未来ばかり想像してしまい辟易する


「そうだね、大変なことにならないように世界の知識や転移の経緯を伝える人たちが必要ってのが転移の理由だね。」


「それって割と博打要素が多くない?流石にこっちで転移する人間は選べたとしても言語的に話が通じなかったらどうしようもなくないか?」


「言語は共通だよ。集合的無意識は共有してるからね。秋の世界で異世界ものがすごい勢いで流行ったのもこの転移に備えてかもね」


月がいうならそうなんだろう。集合的無意識とは人種や国境を超えて人類全体に共通して備わっている先天的な無意識の領域だ。太陽や月、神様や幽霊など地理的・文化的につながりがないのに伝承が酷似しているのは集合的無意識が理由と言われている。そうなると転移どころか異世界転生だってひょっとしたらあるのかもしれない。


転移者はあっちの世界でどのように扱われるのだろうか?魔力といういわば資源や燃料といえる存在が

常識も社会も法律も変えてしまうだろう。技術的特異点より深刻だ。異世界シンギュラリティってとこだろうか


考え込む秋に月はさらに告げる

「魔力が生まれるということは魔物が生まれるということだからね。まあそんな一気に流れ込むわけじゃないから、ダンジョン作って魔力の受け皿にするなりするんじゃないかな?生活圏が脅かされることはないと思う。」


秋はもっと最悪の想像していただけに少し安堵する


「そっか。あっちに転移する人間はある程度選べたってことだよな。でもこっちに転移させる必要性あったのか?俺みたいに死にかけるんじゃ、、、」


「さっきも言ったけど鏡合わせのようにお互いの世界が存在してるから等価交換しなくちゃそれこそ世界の均衡が崩れて二つの世界が衝突してなくなっちゃうの。魔力だってそう、ただ渡すんじゃなくて代わりに空(くう)」と交換してるの。」


困惑するが要するに魔力が無(・)いからといって余白が在(・)るわけじゃないのだ。

仏教に置き換えるなら魔力が空(くう)、魔法が縁起(えんぎ)ということなのだろうか


悟りを開きたいわけじゃない秋はなんとなくで受け入れた。


「まあ俺もこの世界の誰かの席に座ってるし、あっちの世界の俺の席に誰かが座ってるんだな。」


秋に元の世界のことを心配するだけの余裕はないことを知っている。

左肩の痛みが、滴る赤い血がそれを訴えていた。


左腕はだらんとして力が入らなかった。


顔をしかめる秋に気づいたのか


「忘れてた!秋に加護をあげたかったんだ!」


そういって胡坐をかいている秋の頭に手のひらを置く。


秋のからだは光に包まれ、その光は抱きしめるようにからだに溶けていった。


左肩の傷が治っていくのがわかる。


我が子を見つめる母のような顔で告げる


「ごめんね...狼に狙われたの多分私のせい。

ハティっていう狼が私からすべてを奪おうとしつこいの。ほんっとやなやつ。秋に匂いまでつけて...」


はじめて月が暗い顔で唇をかんだ。


「いずれ魔物に襲われてただろうし、助けてもらえただけありがたいよ。

月の加護ってすごいな!傷がもうほとんど治ってる!」


月の悲しい顔を見てしまった秋は左肩をぶんぶん回して明るく振る舞う。


「もう治ったの!?流石に早すぎるよなんでだろう....?秋って瀕死にことあったりする?」


あるわけない、と言いかけて考えを巡らせる。


自分の母子手帳見たとき、心肺停止と書かれていて、それについて母に尋ねたことがある。

秋は未熟児で生まれ、普通の赤ちゃんの半分にも満たない危険な状態で生まれ、

そのまま保育器で育てられたらしい。その過程で心肺停止したのだろう。


そんな危険な状態で生まれたことにより愛着形成が上手くいかなかったのかもしれない。

秋が元の世界で愛着障害気味だったのも無気力になってしまったのもそれが原因なのかもしれない。


「生まれたときに一度心肺停止してるらしい。それが加護に何か関係あるの?」


「月は死と再生の象徴なの。だから普通の人より臨死体験がある人のほうが相性がいいみたい。

あんまり加護を渡すことないから私にもわかんないけど。」


「こんなすごい力もらってよかったの?いかにも異世界って感じでたすかるけど...」


「いいの!そのままじゃ秋なんてすぐ死んじゃうじゃん?不健康だし運動不足だし!

あ、そうだこれも渡せるかも」


再び秋の頭に手を当てる。


「コンタクト外してみて!」


そういわれてぎょっとする。異世界にコンタクトなんてあるのだろうか?ないとしたら一気に

生きているのが大変になってしまう


恐る恐る片方だけ外してみる。

月の顔がよく見える。むしろコンタクトをつけてるほうがぼんやりしてることに気づいて外す


改めて月を見るとときどき透けているように視えた。

本当に人間ではないんだとわかってしまった


月はそんな秋にぐっと顔を近づけて瞳を覗き込んだ


「月暈かぁきれいだね。」


秋の瞳の黒い虹彩の奥の瞳孔が銀色にぼんやりと光を放っていた


「つきがさ?」


「うん。月の眼にはいくつか種類があって月暈はみえないものが視えるんだよ

魔力だって感情とか形のないもの。」


「うーん、今はよく視えるぐらいでわかんないけどなんかよく視えるってだけで

生まれ変わった気分だ」


「まあ、視えても理解するのは時間がかかるのかもね」


珍しくはしゃいでる秋をみて月は微笑む。

山の向こうから朝日が差し込む


「そろそろいかなきゃ。

異世界生活がんばってね!ごはんちゃんと食べるんだよ!あぶないことしちゃだめだよ!

でっかい狼がきたら逃げてね!またね!また満月のよ」


話の途中に朝日に照らされ消えてしまった。


「母親かよ...。まぁ」


明るくなった空のうっすらとした白い月をみて呟く


「こっちの世界で頑張ってみるよ。」


今はもういない心配性の恩人にむけて。

元の世界の家族に。友に向けて。


立ち上がり、ズボンの土を払う。

バッドを拾い上げて歩き出そうとして固まる。


「町の方角くらい聞いとくんだったな、、、生きていけんのかなぁ俺」


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