第8話:展示台の上で、石が落ちました
「行こうよ」
リタが、朝から言っておりました。
「大通りに台が出てる。オルスト工房だって。三代目の新作、だって」
「そうですか」
「見に行こう」
「わたくしが行っても」
「行こう」
リタは、わたくしの袖を引きました。この子は、こうと決めると引きます。
結局、参りました。
◇
大通りの、噴水の脇でした。
白い天幕を張って、その下に台を三つ。台には、天鵞絨が敷かれておりました。
あの天鵞絨です。
人は、思ったより集まっておりました。三十人ほどでしょうか。前のほうは女の方が多く、後ろに商人風の方々が立っておられます。
アネットが、台の横に立っておりました。
白に近い水色のドレス。髪を結い上げて、耳飾りをつけて。よくお似合いでした。
「——こちらが、今年の新作でございます」
アネットの声は、思っていたよりよく通りました。稽古をしたのだと思いました。
「ヴェルナー伯爵家より、ご婚約の記念にとご注文いただきましたもので」
台の中央に、指輪が一つ。
わたくしは、人の隙間からそれを見ました。
……見た瞬間に、分かりました。
わたくしが組んだ座です。
三年前の秋、注文が流れて売れ残った品。石は薄紅の紅石で、座は爪を五つにしてあります。五つ爪は手間がかかるので普通はやりませんが、この石は角度によって色が変わるので、爪を一本増やして向きを固定したのです。
覚えているに決まっております。五つ爪は、あれ一つしか作っておりません。
「素晴らしいわ」
「三代目は、まだお若いのに」
人の声が、聞こえておりました。
わたくしは、そこを離れようとしました。
リタが、袖を掴んで放しませんでした。
「待って」
「もう十分見ました」
「待って。……あれ、変じゃない?」
リタは、台の上を見ておりました。
「爪の高さ、揃ってなくない」
わたくしは、もう一度、指輪を見ました。
……揃っておりませんでした。
五つのうち、一つだけ。ほんのわずかに、外へ開いております。
わたくしが仕上げたときには、揃っておりました。あれは、あとから誰かが触っております。触って、締めようとして、逆に開かせた跡です。
そのとき、前の女性が手を伸ばしました。
「拝見してもよろしいかしら」
「どうぞ」
アネットが、笑顔で答えました。
女性が、指輪を持ち上げました。片手で。下に手を添えずに。
薄紅の石が、抜けました。
◇
落ちた音は、しませんでした。
天鵞絨が、吸ったのです。
「あら」
「まあ」
「落ちましたわ、石が」
人が、いっせいに台を覗き込みました。
アネットの顔から、笑みが消えました。
「え……」
「どこ、どこに落ちたの」
「見えないわ」
毛足の長い天鵞絨は、そういうものです。小さなものが落ちると、毛の間へ沈みます。上から見ても分かりません。手で探ると、毛に押されて、逆に奥へ入っていきます。
人が、次々に台へ手を伸ばしました。
「触らないで」
アネットが言いました。
声が、震えておりました。
「あの、触らないでください、まだ、探して……」
「どこにあるんですの」
「わたくしの手にも当たりませんわ」
「布をめくったらどう」
「めくったら余計に——」
アネットは、台の縁を掴んでおりました。
わたくしは、その手を見ておりました。
白くて、細くて、綺麗な手でした。台の上を、あちこち意味もなく撫でておりました。
石を探す手つきではありませんでした。
どこを探せばいいのか、分かっていない手でした。
「お義姉さま」
顔が、上がりました。
人の間から、わたくしを見つけたのです。
「……お義姉さま」
三十人の目が、いっせいにこちらを向きました。
わたくしは、その場に立っておりました。
何を言えばよいのか、分かりませんでした。
言うべきことは、たくさんございました。この座はわたくしが三年前に組んだこと。五つ爪はあれ一つであること。爪を触ったのは誰か。天鵞絨を外すよう申し上げたこと。
そのどれも、この場で言えば、ただの見苦しい女の言い分になります。
証明する方法が、ないからです。
ですから、わたくしが申し上げたのは、一つだけでした。
「——右の、奥」
アネットの手が、止まりました。
「台の右の奥です。手前から二寸ほど。押さないでください、毛を分けて、下から掬ってください」
アネットは、しばらく動きませんでした。
それから、言われたとおりに手を動かしました。毛を分けて、下から。
薄紅の石が、出てまいりました。
人が、ほっとしたような声を出しました。
「まあ、よかった」
「……あの、どうして分かりましたの」
前列の女性が、こちらを向きました。
「見ておりましたので」
「見えましたの? わたくしには何も」
「石が抜けたとき、どちらへ転がるかは、爪の開き方で決まります。開いていたのは、右の奥の一本でしたので」
少し、ざわめきが起きました。
「あなた、どちら様」
わたくしは、答えませんでした。
答えても、名乗る名前がございません。
人の輪の後ろで、動いた影がございました。
セドリック様でした。
いつからおられたのかは分かりません。天幕の柱のそばに立って、腕を組んでおられました。
目が、合いました。
その方は、こちらを見て、それから台のほうを見て、また戻されました。
何か言われるかと思いました。
言われませんでした。ただ、口の端が、わずかに下がりました。
……あの顔を、わたくしは知っております。二年のあいだに、何度も見ました。予定どおりに進まないものを見たときに、この方がなさる顔でございます。
その方は、天幕の裏から出ていかれました。
アネットのほうへは、行かれませんでした。
石を探して台の上に手を這わせている女に、声もかけずに。
「行きましょう」
リタが、袖を引きました。
今度は、こちらから引かれるままに歩きました。
◇
通りを二つ曲がったところで、リタが言いました。
「なんで教えたの」
「石が傷みますので」
「え?」
「あのまま何人もの手で探されますと、天鵞絨の毛で石の表が擦れます。紅石は柔らかいのです」
リタは、立ち止まりました。
それから、盛大に舌打ちをしました。
「……あんた、ほんと馬鹿」
「よく言われます」
「あの子、あんたの石で恥かいたんだよ。放っときゃよかったのに」
「石は、悪くありませんので」
わたくしは、そう申し上げました。
実際、そう思っておりました。
ただ、正直に申し上げますと——毛を分けて掬い上げるアネットの手つきを見ていたとき、わたくしの胸のあたりは、ずいぶん静かでございました。
その静かさが、少し、こわいと思いました。
お読みいただき、ありがとうございました。
【今日の石】展示台に毛足の長い布を敷いてはいけません。石が落ちたとき、音がしないからです。……音がすれば、人は落ちた場所へ目を向けます。音がしないと、みんなで探すことになります。
次回は、静かな回でございます。お茶が濃すぎる話と、なぜあの方が十年も石を持ち歩いていたのか、という話を。
【ブックマーク】と【評価】をいただけますと、炉の薪代の足しになります。まだ炉はありませんけれど。




