第7話:宝石商組合の会頭が、名前を買いに来ました
戸口に紙を貼ってから、十日が経ちました。
仕事は、少しずつ来ております。
留め金の直し。曲がった環の整え。石が緩んだ耳飾り。どれも銅貨の仕事です。五番通りの方々は、表通りの店で銀貨を払うくらいなら壊れたまま使う、という暮らし方をしておられます。ですから、銅貨で直る場所ができたと分かると、思い出したように持ってこられます。
十日で、銅貨が七十二枚たまりました。
部屋の隅の壺に入れております。リタが毎日中を覗いて、「増えた」「今日は増えてない」と報告してくれます。
炉のことは、まだ考えておりません。
考えても、答えが出ないからです。
◇
その方がいらしたのは、昼を少し過ぎた頃でした。
馬車が五番通りに入ってきたので、何事かと思いました。この道幅では、車輪が両側の壁を擦ります。実際、擦っておりました。
降りてきたのは、樽のような体格の男の方でした。
仕立てのいい外套。指という指に、大ぶりの指輪。全部で六つ。うち四つは、石と座が合っておりませんでした。石を主役にするための座ではなく、指輪を大きく見せるための座です。
「ここかね、石の女ってのは」
「石を直しております」
「なるほど」
その方は、戸口の紙を見て、笑いました。
「名前が書いてない」
「はい」
「面白いね。名前のない店に、王都で一番の噂が立ってる」
その方は、部屋の中へ入ってきました。
レンフォード様が幾度いらしても入らなかった戸口を、この方は一度でくぐりました。そして仕事台の前の椅子に、勝手に座りました。
「ボルツだ。宝石商組合の会頭をやっている」
わたくしは、頭を下げました。
名前は存じておりました。父が帳面をつけながら、何度か口にしたことがございます。良い言い方ではございませんでした。
「レンフォードの若いのが、指輪を直したと言ってな。石が生き返ったと。あの家は北で堅い商売をしている。あそこが騒ぐと、話が早い」
「騒がれましたか」
「騒ぐというほどではないが、あの手の人間が一度言ったことは、消えない。ゆっくり広がる。もう組合の連中は全員知っている」
ボルツ様は、部屋の中を見回しました。
仕事台。道具箱。壁に立てかけた板。壺。
「炉は」
「ございません」
「炉のない職人が、水抜きをやったのかね」
「三番通りの炉をお借りしました」
「オルストの」
その方の目が、少しだけ細くなりました。
「刻印は」
「押されました」
「オルストの刻印が」
「はい」
「ふうん」
ボルツ様は、指を組んで、腹の上に置きました。
「なるほど。それで、あんたの名前はどこにある」
わたくしは、答えませんでした。
「どこにもないんだろう」
その方は、笑っておられました。目だけが、笑っておられませんでした。
「うちに来ないかね」
◇
「組合には、刻印がいくつかある」
ボルツ様は、そう言われました。
「もともと持ち主がいたものだ。畳んだ工房、跡継ぎのいなかった工房、借金の形に置いていった工房。全部で十四ある」
「……買い取られたのですか」
「買った。正式にな。証文もある」
その方は、指輪だらけの手を広げました。
「刻印というのは、要するに信用の札だ。五十年うまくやってきた工房の札には、五十年ぶんの値がつく。新しく作ったって誰も知らんが、古いのを持ってくれば客は安心する。そういうものだ」
「はい」
「あんたに、その一つをやろう」
部屋が、静かになりました。
窓の外で、リタが動くのをやめたのが分かりました。
「腕は本物だと聞いた。だが腕だけじゃ、五番通りから出られん。銅貨の仕事を千回やっても、銅貨が千枚たまるだけだ」
「……はい」
「刻印があれば、明日から銀貨の仕事が来る。組合が仕事を回す。炉も貸そう。三番通りに頭を下げなくていい」
ボルツ様は、身を乗り出されました。
「あんたが作った物に、刻印が押される。あんたが押す。誰も文句は言わん」
わたくしは、その顔を見ておりました。
悪意のある方ではないのだと、そのとき思いました。
この方は本当に、良い話をしているつもりでいらっしゃるのです。
「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「言ってごらん」
「その刻印には、どなたのお名前が彫ってございますか」
ボルツ様は、一度まばたきをされました。
「……そりゃ、元の工房の名だ」
「では、わたくしが作った物には、そのお名前が押されるのですね」
「そうなるな」
「その工房の方は、いまどちらに」
「知らんよ。畳んだんだ。どこかで働いているだろう」
わたくしは、うなずきました。
「では、その方はいま、ご自分の名前を持っておられないのですね」
ボルツ様の顔から、笑みが消えました。
「……あんた、面倒な物言いをするね」
「申し訳ございません」
「別に責めちゃいない。ただ、勘違いしなさんな」
その方は、椅子の背にもたれました。
「名前に値段をつけたのは、私じゃない。買う側だよ。客が『どこの工房か』で選ぶから、札に値がつく。私はそこに商売があるからやってるだけだ。無くしたきゃ、客を変えるしかない」
……その通りでした。
反論が、一つも思いつきませんでした。
「返事は」
「お断りいたします」
「即答かね」
「はい」
「理由を聞こうか」
わたくしは、少し考えました。
うまく言える気がいたしませんでしたが、言わなければならない気がいたしました。
「わたくしは、十日前に、自分が作った指輪を他人の名前で押されました」
「ああ」
「そのときに思ったのです。ずいぶん、気分の悪いものだと」
わたくしは、頭を下げました。
「同じことを、どなたかにする気にはなれません」
◇
ボルツ様がお帰りになったあと、リタが窓から入ってきました。
しばらく、何も言いませんでした。
それから、壺を覗き込んで、言いました。
「七十二枚」
「はい」
「銀貨だったら、一枚もないね」
「ええ」
「……あんた、馬鹿だよ」
「かもしれません」
「馬鹿だけどさ」
リタは、壺の縁を指で弾きました。
「あの人、また来るよ。ああいうのは、一回断られたくらいじゃ帰らない」
リタの言うとおりでした。
ただ、次にボルツ様が来られたとき、その話をなさったのは、わたくしにではありませんでした。
お読みいただき、ありがとうございました。
【今日の石】指輪を六つ嵌めている方の指輪は、たいてい石と座が合っておりません。石を美しく見せる座と、指輪を大きく見せる座は、作り方が正反対だからです。……どちらが良い悪いではなく、目的が違うのです。
次回、王都の大通りに新しい展示台が出ます。オルスト工房の、三代目の新作だそうです。人がたくさん集まる場所に置かれます。




