↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されましたが、その婚約指輪を作ったのはわたくしです 〜石は誓いを覚えておりますので〜  作者: 瑠璃宮あかり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/45

第33話:帳面には、宮廷工房とございます

 名簿は五名になりました。


 グリューンのご老人。ヴァイデ工房の先代——こちらは、存否をいま調べております。それから、ご老人の口利きで辿れた、留め金職人がお二人と、彫りの職人がお一人。


 三日にあげず王宮へ通って、目録と突き合わせてまいります。品目と寸法から手の癖を割り出して、心当たりのある職人を訪ねる。訪ねた先でまた次のお名前を伺う。……地味な仕事でございます。地味な仕事は嫌いではございません。


 その朝もいつものつもりで、帳面部屋の扉を開けました。


 帳面部屋には先客がおられました。


 仕立てのよい濃紺の上着。襟に、金の糸で工房の紋。手袋はしておられませんのに、手が白うございました。


 わたくしは、その手を見ておりました。


 爪のあいだに何もない手でございます。やすりの粉も、炉の煤も、研磨剤の脂も。指の腹にたこが一つもございません。鏨を握る者なら親指の付け根が硬くなりますし、やすりを使う者なら人差し指の横が平らに磨れます。その方の指は、どこも丸いままでございました。


「……これが、例の娘ですか」


 その方は大公妃殿下に向かって、そうおっしゃいました。わたくしに向かってではございません。


「宮廷工房長のハウザーです」


 大公妃殿下が短くご紹介くださいました。


 工房長。


 王都でいちばん大きな工房の、いちばん上の方でございます。


          ◇


「殿下。単刀直入に伺います。名簿とは、何ですか」


「宝物庫の品を実際に作った者の、控えです」


「実際に作った者」


 ハウザー様は、その言葉を、ゆっくりと繰り返されました。


「妙なことをおっしゃる。宝物庫の品を作ったのは、宮廷工房です」


「作っていない品も、あります」


「帳面には、宮廷工房とございます」


 その方は、机の上の目録に、白い手を置かれました。


「王暦二十九年の首飾りも、四十七年の指輪も、宮廷工房。帳面がそう申しております。……帳面より確かなものが、この世にありますか」


「帳面を書いたのは人です」


「帳面を疑うのも人です。殿下」


 ハウザー様は少しも声を荒らげられません。荒らげる必要がないと思っておられるのです。


「よろしいですか。王家の記録が二百年、揺るがずに来たのは、書き直さなかったからです。今日の都合で昨日の行を直しはじめたら、帳面は帳面でなくなります。ただの、声の大きい者の言い分の綴りになります」


「名簿は、帳面を直すものではありません。別の紙です」


「別の紙が、帳面と違うことを言うのです」


 ハウザー様はそこで初めて、少し身を乗り出されました。


「二枚の紙が違うことを言ったとき、人はどちらを信じますか。……古いほうです。人は古い紙を信じる。ならば新しい紙は、古い紙に泥を掛けるためだけにある。違いますか」


 大公妃殿下は答えられません。ハウザー様は、それを同意と取られたようでした。


「外の職人の手を借りたことは、昔から、ままあります。それは否定しません。ですが、借りた手は、宮廷工房の手です。うちの窯で焼き、うちの名で納めた。ならば、作ったのは宮廷工房です。……雇い人の名を帳面に載せる商家が、どこにありますか」


 雇い人。


 わたくしは黙って聞いておりました。


 グリューンの先代は宮廷工房に雇われてなどおりません。仕事を受けて自分の炉で焼いて、納めただけでございます。名前のほうだけが、向こうの窯をくぐったことにされたのです。


          ◇


「そこの娘」


 ハウザー様が初めてこちらをご覧になりました。


「王女殿下の指輪を作ったそうですね」


「はい」


「見ました。悪くない座でした」


「恐れ入ります」


 褒め言葉ではございません。次に来る言葉の、前置きでございます。


「ですが、あなたのしていることは、職人の仕事ではありません」


 その方は、目録の頁を、白い指でとんと叩かれました。


「昔の帳面をほじくり返して、名前を書き換える。それは仕事ではなく、詮索です。……職人なら、炉の前にいなさい。過去は、あなたの持ち場ではない」


「一つ、よろしいでしょうか」


「どうぞ」


「王暦二十九年の首飾りの、右から三つ目の石の爪が、二本浮いております」


 ハウザー様の指が止まりました。


「宮廷工房の作でしたら、宮廷工房で直せるはずでございます。座の起こしの癖が、図面に残っておりましょうから」


「……直せます。当然です」


「では、お願いできますか。あの座を起こした手の癖のまま、爪だけ立て直すのは、図面がないと出来ない仕事でございます」


 部屋が静かになりました。


 ハウザー様はわたくしを見ておられました。値踏みする目つきでございました。石ではなく人を値踏みする目は、どうしてこう似るのでしょう。ボルツ様も、セドリック様のお父上も、同じ目でわたくしを見ておられました。


「……図面くらい、あります」


「ようございました」


 わたくしは、頭を下げました。


「では、名簿のその行は、宮廷工房のままで結構でございます。直せる方がいらっしゃるなら、名簿は要りませんので」


          ◇


 ハウザー様がお帰りになったあと、大公妃殿下がぽつりとおっしゃいました。


「意地の悪いことを言いますね、そなた」


「事実を申し上げただけでございます」


「それを意地が悪いと言うのです」


 その方は目録を引き寄せられました。


「図面は、出てきませんよ。あの首飾りの図は、宮廷工房にはありません。……あるとすれば、実際に作った者の手元だけです」


「はい」


 大公妃殿下は、目録から顔を上げられました。


「知っていて言いましたね」


「東の川沿いで、拝見してまいりました」


 大公妃殿下はため息とも息継ぎともつかない息を、一つつかれました。


「……ハウザーは、動きます」


「はい」


「あれは、悪人ではありません。ただ、帳面の側の人間です。帳面が正しくないと、あれの足元が崩れる。……崩れる者は、崩す者より速く動きます」


 わたくしはその言葉を持ち帰りました。


          ◇


 帰り道、東の門のところで、後ろから呼び止められました。


 ハウザー様でございました。お一人で、供も連れずに。門番の方が、二度ほどこちらを振り返られました。


「娘さん。一つだけ、教えておきましょう」


「はい」


「私は、あなたの腕を疑ってはいません。王女殿下の指輪の座は、うちの若い者には起こせません。それは認めます」


「恐れ入ります」


「その上で言います。……腕の良い者ほど、帳面には勝てません」


 その方は、綺麗な手を、外套の前で組まれました。


「四十年、五十年経つと、腕は死にます。残るのは紙だけです。紙に残った名前が、その仕事をした者になる。……あなたの調べている職人たちが、いまどこにいるか、よく見なさい。川沿いで鍋を直し、坂の上で金物を売っている。紙に負けた者の、行き着く先です」


「……お言葉ですが」


 わたくしは、頭を下げてから、申し上げました。


「川沿いの方は、五十年前に磨いた石の位置を、いまでも指で示せます。紙は、そこまで覚えておりません」


 ハウザー様は何もおっしゃらずに、行っておしまいになりました。外套の裾が門の向こうへ消えるまで、わたくしは頭を上げませんでした。


          ◇


 夜、写しを取りながらリタが訊きました。


「速く動くって、何をしてくるの」


「分かりません」


「分かんないんだ」


 リタは、写しの行を指で押さえたまま、こちらを見ました。


「分かりませんが」


 わたくしは、筆を置きました。


「あの方の手は、綺麗でした。ああいう手の方が動くときは、手を汚さずに動きます」

お読みいただき、ありがとうございました。


【今日の石】職人の手は、見れば分かります。やすりの傷、炉の火の痕、研磨剤で荒れた指先。……何もついていない手が「作った」とおっしゃるとき、その方が作ったのは、物ではなくて、帳面のほうでございます。


次回、リタの出番でございます。帳面を、写しではなく「手」で読みます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。