↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されましたが、その婚約指輪を作ったのはわたくしです 〜石は誓いを覚えておりますので〜  作者: 瑠璃宮あかり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
30/42

第30話:五番通りに、看板が出ました

 刻印を作るのに、七日かかりました。


 鋼を切り出して、形を整えて、彫る。押す面に彫るのですから、彫りは逆向きになります。左右が逆の絵を彫るというのは、思っていたより難しうございました。三度失敗いたしました。


 彫ったのは、二本の線でございます。


 交差せずに、少しだけ間を空けた、二本の線。


 祖母が、石座の裏に入れていたもの。刻印の裏に、押しても写らない面に彫っていたもの。


 わたくしは、それを押す面に彫りました。


          ◇


「それだけ?」


 リタが、覗き込みました。


「それだけでございます」


「名前は」


「入れません」


「なんで」


「入れなくても、分かる人には分かりますので」


 わたくしは、刻印を布で拭きました。使う前に拭く癖でございます。


「それに、これを押した物が増えていけば、そのうち『あの二本線の工房』と呼ばれるようになります。名前は、あとから付いてまいります」


「めんどくさ」


「めんどくさいのです」


          ◇


 看板は、父が持ってこられました。


 木の板に、彫りが入っております。字ではございません。菱形でもございません。


 二本の線でございました。


「……お父さま、これは」


「彫った」


「彫れましたか。指が」


「三日かかった」


 父は、板を戸口の上に掲げて、寸法を測っておられました。


「線二本なら、彫れる」


 わたくしは、その背中を見ておりました。


「あの」


「何だ」


「オルストの名は」


「入れん」


 父は、板を打ちつけながら言われました。


「うちの刻印は、うちのものだ。お前のは、お前のものだ。混ぜるな」


「はい」


「……ただし」


 父は、そこで手を止められました。


「うちの炉は、いつでも使え」


「お代は」


「取る」


「はい」


「相場でな」


 わたくしは、頭を下げました。


 板が、戸口の上に付きました。


 五番通りに、看板が出ました。


          ◇


 その日、人が何人か来られました。


 アネットが、祖母の帳面を一冊持って。「読み終わりましたので、次を」と。


 東の川沿いのご老人が、杖をついて。「見に来た」とだけおっしゃって、王女殿下の指輪の図面をご覧になって、「うん」と一度うなずいて帰られました。


 洗濯を請け負っている隣の隣の方が、また切れた首飾りを持って。「今度は反対側が切れたよ」と笑っておられました。


 リタは、朝から屋根の上に座っておりました。


 誰が来るかを、上から見ていたのだそうです。


          ◇


 レンフォード様がいらしたのは、日が傾いてからでした。


 戸口の看板を、しばらく見上げておられました。


「……線が、二本」


「はい」


「意味は」


「ございません」


「そうか」


 この方は、それだけで納得されました。


 中へ入られて、いつもの椅子に座られます。わたくしは、いつもの濃さでお茶を淹れました。


「一つ、申し上げなければならないことがございます」


「何だ」


 わたくしは、盆を置きました。


 そして、祖母の帳面を、その方の前に開きました。


 三十年以上前の頁。


『冬一。娘御。指輪一。淡青、四つ爪。北へ嫁ぐとのこと。半日話を聞いた。石は本人が選んだ。良い目をしている』


『曇ったら持ってきなさいと言った。約束した』


 レンフォード様は、その二行を読まれました。


 読んで、動かれませんでした。


「……これは」


「祖母の帳面でございます」


「祖母上の」


「はい」


 わたくしは、そう申し上げました。


「あなた様の母上が、半日話をなさった職人は、わたくしの祖母でございます」


 部屋が、静かになりました。


 窓の外で、リタが屋根から降りる音がいたしました。気を利かせたのだと思います。あの子は、そういうところが妙に大人でございます。


「……いつ、分かった」


「ひと月ほど前でございます」


「ひと月」


「はい」


「なぜ、すぐに言わなかった」


 わたくしは、少し黙りました。


「……言えませんでした」


「なぜ」


「言えば、あなた様が、わたくしをその方の孫としてご覧になると思いましたので」


 レンフォード様は、こちらを見られました。


「そうではないのか」


「そうでございます」


 わたくしは、そう申し上げました。


「ですが、あの石を直したのは、わたくしでございます。祖母ではございません」


 しばらく、返事はございませんでした。


 やがて、この方は、深く息を吐かれました。


「……あなたは」


「はい」


「本当に、面倒な人だな」


「よく言われます」


 レンフォード様は、笑われました。


 声を出して笑われたのを、わたくしはそのとき初めて見ました。


「約束は、果たされたわけだ」


「はい」


「三十年あまりかかって、母ではなく私が、祖母上ではなくあなたのところへ持ってきた」


「はい」


「……ずいぶん、遠回りをした」


 この方は、外套の内から布包みを取り出されました。


 いつもの指輪でございます。


 淡青の石が、夕方の光を返しております。


「これを、あなたに預けたい」


「……え」


「私が持っていると、また曇る。懐に入れて持ち歩くからだ。あなたがそう言った」


「はい、申し上げました」


「ここに置いてもらえるか」


 わたくしは、その指輪を見ておりました。


「……お預かりいたします」


「たまに、見に来る」


「はい」


「週に、二度ほど」


 わたくしは、頭を下げました。


 顔を上げるのに、少し時間がかかりました。


          ◇


 夜、わたくしは仕事台に座っておりました。


 刻印を、灯りの下に置いております。


 二本の線。押す面に彫られた、意味のない形。


 これを押した物が、これから増えていきます。一つずつ。銅貨の仕事も、銀貨の仕事も。


 その全部に、この線が残ります。


 ……祖母は、四十年間、この線を裏側にだけ入れておりました。


 押しても写らない面に。誰にも見えないところに。


 約束を守るために、ご自分の帳面を破った方でございます。


 その方が、それでも消さなかったのが、この二本線でした。


 わたくしは、刻印を布に包みました。


 包みながら、一つのことを考えておりました。


 王冠でございます。


 二百年前の石を、四十年前に、祖母が座替えいたしました。


 祖母は、自分が作った座には、必ず裏に線を二本入れる人でした。レンフォード様の母上の指輪にも、入っておりました。


 では。


 王家の王冠の、中央石の座の裏には。


 ……何が、入っているのでしょう。


 あれは、戴冠のときにしか出されません。宝物庫の、いちばん奥の棚に、鍵をかけて仕舞われております。


 外して裏を見た者は、四十年前から、誰もおりません。


 わたくしは、灯りを見ておりました。


 見に行く方法は、まだ一つも思いつきませんでした。

お読みいただき、ありがとうございました。


【今日の石】職人の印は、たいてい意味のない形をしています。読めないほうが良いのです。……ただ、意味のない形でも、押し続けると意味がついてまいります。「あの二本線の工房」と呼ばれるようになるまでに、あと何年かかるかは分かりませんが。


ミレイアは、まだ何も取り戻しておりません。刻印は自分で作りましたが、それは新しく作ったものであって、奪われたものが返ってきたわけではないのです。祖母の名は、いまも扉から削られたままです。


次回から、第2部でございます。五番通りの工房に、王宮から二度目の呼び出しが参ります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。