第29話:破られた頁に書いてあったのは
宝物庫は、地下にございました。
石の階段を三十ほど下りて、鉄の扉を二つ抜けた先。
王女殿下がおっしゃったとおりの部屋でございました。棚に、箱が並んでいるだけの部屋。灯りは、入口に一つ。
空気が乾いております。石を置くには、良い場所でございました。
「見なさい」
大公妃殿下は、棚の一つから木箱を出されました。
蓋を開けて、こちらへ向けられます。
中に、指輪が一つ。
金の環に、赤い石。
わたくしは、灯りに近づけていただきました。
……暗うございました。
石は、たしかにそこにあるのに、黒く沈んでおります。
「三代前の王妃の婚礼指輪です」
「はい」
「六十年、ここにあります」
その方は、蓋を閉められました。
「殿下は、この部屋を『暗い』とおっしゃったそうですね」
「はい」
「暗いのです。当然です。ここは物を保つための部屋で、見るための部屋ではありません」
大公妃殿下は、箱を棚へ戻されました。
「ですが、殿下は子供の頃にここを見て、以来ずっと覚えておられた。……わたくしは、それを知りませんでした」
◇
その方は、部屋の奥へ進まれました。
いちばん奥の棚は、他より大きく、鍵がかかっておりました。
鍵を開けられます。
中から出てきたのは、箱ではなく、帳面でございました。
革表紙の、分厚い帳面。
「宝物庫の目録です」
「はい」
「品目、寸法、材質、入庫の年月。すべて記してあります」
その方は、帳面を台の上に開かれました。
わたくしは、覗き込みました。
……ございませんでした。
作った者の名の欄が、どこにもございません。
『金環一、紅玉、寸法……、入庫 王暦四十七年秋、宮廷工房』
『銀環一、淡青玉、寸法……、入庫 王暦五十一年春、宮廷工房』
どの行も、最後は「宮廷工房」でございました。
「……全部、同じでございますね」
「同じです」
「王家に納める物は、すべて宮廷工房が作るのでございますか」
「作りません」
その方は、はっきりとおっしゃいました。
「大きな仕事は、外に出します。宮廷工房だけでは手が足りません。……ですが、帳面には宮廷工房と記します。そういう決まりです」
「なぜでございますか」
「王家の物に、外の者の名を残さないためです」
◇
大公妃殿下は、帳面の頁をめくられました。
四十年ほど前のところで、手を止められます。
「ここです」
わたくしは、その行を読みました。
『王冠一、中央石の座替え。入庫 王暦四十年春。宮廷工房』
「王冠」
「戴冠に用いるものです。二百年前のもので、中央の石の座が傷んでおりました」
「……座替え」
「石はそのまま、座だけを新しく起こし直す仕事です。石を割れば、二百年前の石は戻りません」
わたくしは、その行を見ておりました。
座替え。石を外して、座を作り直して、また嵌める。
……いちばん、失敗できない仕事でございます。
「宮廷工房は、断りました」
大公妃殿下は、そう言われました。
「二百年の石を外す責を、誰も負いたがらなかった。……当然です。割れば、王家の宝を割ったことになります」
「はい」
「そこで、外の職人に話が行きました」
その方は、こちらをご覧になりました。
「四十年前の秋、宮廷の使いが、三番通りの工房へ参りました」
◇
わたくしは、息を止めておりました。
『秋二十。宮廷より使い。話は聞いた。受けるかどうかは明日答える』
あの行の続きが、いま、目の前にございます。
「祖母は」
「受けました」
「……はい」
「二年かかりました。座を起こしては潰し、また起こし。……最後の一年は、宮廷に住み込んでおりました」
二年。
帳面が空いていた、あの二年でございます。
「そして、成りました」
大公妃殿下は、帳面を閉じられました。
「王冠は、いまも使われております。中央の石は、二百年前のものです。座だけが、四十年前のものです」
「……」
「帳面には、宮廷工房と記されました」
わたくしは、その帳面を見ておりました。
「条件が、ございましたね」
「ございました」
その方は、隠されませんでした。
「工房の名を出さないこと。作った者の名を、外へ出さないこと。……そして、その工房の刻印を、次の代で終わらせること」
「なぜ、そこまで」
「二百年の宝を、女の職人が直したという話が残るのを、当時の宮廷が嫌ったからです」
その方は、そう言われました。
声に、感情がございませんでした。感情を入れないようにしておられるのだと、分かりました。
「馬鹿げた理由です」
「……はい」
「わたくしもそう思います」
大公妃殿下は、帳面を棚へ戻されました。
「ですが、約束は交わされました。四十年前に。祖母君は、その条件を呑んで、仕事を受けられた」
「なぜ、お呑みになったのでしょう」
「知りません」
その方は、鍵を掛けられました。
「わたくしがこの部屋を預かったのは、三十年前です。引き継いだときには、もうそうなっておりました。……前任者から言われたのは、一言だけです。『オルストの刻印が三代目に渡らぬよう見ておけ』と」
「……」
「わたくしは、それを三十年、見ておりました」
◇
わたくしは、階段のほうを見ました。
地下の空気が、乾いております。
「なぜ、いま話してくださいました」
「そなたが、王女殿下の指輪を作ったからです」
大公妃殿下は、灯りを手に取られました。
「刻印のない者が作った物を、王女が身につけている。前例がありません。……前例のないことが起きたときは、由来を調べます。調べれば、四十年前に行き当たります」
「はい」
「行き当たったときに、そなたが何も知らないままでいるのは、卑怯だと思いました」
その方は、そう言われました。
「わたくしは決まりを守ります。守りますが、知らせずに守らせるのは、守らせているのではなく、騙しているのです」
わたくしは、頭を下げました。
「……ありがとうございます」
「礼を言われることではありません」
「いいえ」
わたくしは、顔を上げました。
「四十年、誰も教えてくださいませんでした。父も、知りませんでした」
◇
階段を上る途中で、わたくしは一つ、伺いました。
「殿下」
「何ですか」
「祖母の帳面の、その二年ぶんの頁が、破られておりました」
大公妃殿下の足が、止まりました。
「……そうですか」
「破ったのは、宮廷でございますか」
「いいえ」
その方は、前を向いたまま答えられました。
「四十年前、宮廷が求めたのは『外へ出さないこと』です。帳面を破れとは、言っておりません」
「では」
「破ったのは、ご自分でしょう」
わたくしは、階段の途中で立ち止まりました。
「約束を守るために、ご自分の手で破られた。……そういう方だったのだと思います」
大公妃殿下は、そこで初めて、少しだけ振り返られました。
「わたくしは、お会いしたことがありません。ですが、三十年見張ってきた相手のことは、少し分かるようになります」
お読みいただき、ありがとうございました。
【今日の石】座替えは、石を割ったら終わりの仕事です。二百年前の石を外して、座だけを新しくして、また嵌める。……宮廷工房が断ったのは、腕がなかったからではありません。責を負いたくなかったからです。第3話の十一人と、同じでございます。
次回、第1部の最終話でございます。ミレイアが、看板を出します。




