第28話:刻印の正統を、問われました
王女殿下は、指輪を両手で受け取られました。
右手で持って、左手を下に添えて。……どなたかに教わったのかもしれません。
窓辺へ持っていかれて、光にかざされました。
それから、窓から離れて、部屋の奥の暗いところへ行かれました。
しばらく、そこに立っておられました。
「……消えないわ」
「はい」
「暗いのに、消えない」
殿下は、そう言われました。
「三つあるからでございます」
「三つ」
「一つでは、消えます」
殿下は、指輪をご自分の指に嵌められました。
左手の、薬指に。
それから、両手を胸のあたりで組んで、そのまま少し目を伏せられました。
わたくしは、その姿を見ておりました。
誓いを立てておられるのだと、分かりました。
……この方の誓いが何であるかは、存じません。婚礼はまだ三月先で、お相手のことも存じ上げません。
ただ、石が澄んでおりました。
◇
「請求書を」
「こちらでございます」
殿下は、紙を受け取られました。
目を通されて、それから、下のほうで止められました。
「ミレイア・オルスト」
「はい」
「……あなた、この欄に名を書くのに、ずいぶん迷ったでしょう」
わたくしは、驚きました。
「なぜ、お分かりに」
「字が、震えているもの」
殿下は、そう言って、少し笑われました。
「金額のところより、こちらのほうが震えています」
わたくしは、頭を下げました。
「お恥ずかしいことでございます」
「いいえ」
殿下は、その紙を丁寧に畳まれました。
「これは、わたくしが持っておきます。会計へは写しを出します」
「殿下」
「原本は、手元に置きます。……そういうことにしておきます」
◇
扉が開いたのは、そのときでございました。
衛士が二人。その後ろに、黒に近い紫の外衣。
「殿下」
大公妃殿下でございました。
王女殿下は、姿勢を正されました。
「叔母上」
「婚礼指輪が仕上がったと伺いました」
「宮廷の工房のものは、来月です」
「では、それは何ですか」
大公妃殿下の目が、王女殿下の左手に向きました。
「わたくしが個人で頼んだものです」
「個人で」
「はい」
「王女が、個人で、市井の者に指輪を作らせたと」
「作らせました」
王女殿下は、はっきりとおっしゃいました。
大公妃殿下は、しばらく黙っておられました。
それから、こちらをご覧になりました。
「工房の刻印は」
「持っておりません」
「では、その物には何の裏づけもありません」
その方は、静かにそう言われました。
「刻印とは何のためにあるとお思いですか。誰が作ったかを示すためではありません。何かあったときに、誰に責を問うかを決めるためです」
「はい」
「石が抜けたら。環が割れたら。王女殿下の指から物が落ちて、それが婚礼の席であったら。——誰が責を負いますか」
「わたくしが負います」
「あなたに何が負えますか」
その方の声は、大きくございませんでした。
「工房もなく、後ろ盾もなく、五番通りに住む者に。……刻印とは、責を負える者だけが持てるものです。だから王家は刻印を求めるのです」
わたくしは、その言葉を聞いておりました。
……正しいお言葉でございました。
◇
「叔母上」
王女殿下が、口を開かれました。
「この者は、宝物庫の話をいたしました」
「宝物庫」
「暗い場所で、石が黒く見える話を。……わたくしが子供の頃に見た、あの部屋の話を」
大公妃殿下の眉が、わずかに動きました。
「殿下」
「叔母上は、あの部屋の帳面をつけておられます」
「つけております」
「箱の中の指輪が、どれも黒く見えたのを、覚えておられますか」
「石は、暗ければ黒く見えます。当然のことです」
「ええ」
王女殿下は、ご自分の左手をご覧になりました。
「わたくしも、そう思っておりました。……この指輪を見るまでは」
部屋が、静かになりました。
大公妃殿下は、王女殿下の指を見ておられました。
長いこと、見ておられました。
「……その意匠は」
その方が、口を開かれました。
「その、三つ並べる形は。誰に教わりましたか」
わたくしは、顔を上げました。
「教わっておりません」
「では、どこで見ましたか」
「見ておりません」
「見ていない」
「はい」
大公妃殿下は、こちらへ一歩近づかれました。
「そなた、祖母の名は」
「ヴィルマ・オルストと申します」
その名前を口にしたとき、その方の表情が、初めて動きました。
……驚かれたのだと思います。
ですが、それは一瞬でございました。次の瞬間には、もとの静かな顔に戻っておられました。
「……なるほど」
「祖母をご存じでいらっしゃいますか」
「知りません」
即答でございました。
あまりに速い即答でございました。
◇
大公妃殿下は、扉のほうへ歩かれました。
それから、振り返られました。
「明日、宝物庫へいらっしゃい」
「……わたくしが、でございますか」
「そなたです」
「なぜでございましょう」
「見せるものがあります」
その方は、そう言われました。
「刻印を持たぬ者が王女殿下の指輪を作った。前例のないことです。……わたくしは、前例のないものを帳面につけるとき、必ず由来を調べます」
「はい」
「調べる前に、そなた自身に見せておきます」
扉が閉まりました。
衛士の足音が、遠ざかっていきました。
◇
「……大丈夫かしら」
王女殿下が、そう言われました。
「叔母上は、厳しい方です。悪い方ではないけれど、決まりを曲げることを、決してなさらない」
「はい」
「明日、何を見せるおつもりなのかしら」
わたくしは、閉まった扉を見ておりました。
「知りません」と、あの方は即答されました。
人は、本当に知らないことを訊かれたときには、あんなに速く答えません。少し考えてから「さあ」と答えます。
速く答えるのは、その質問が来ると分かっていた人だけでございます。
「殿下」
「なあに」
「一つだけ、伺ってもよろしいでしょうか」
「どうぞ」
「王家の宝物庫の帳面には、品ごとに、作った者の名が記されておりますか」
王女殿下は、少し首を傾げられました。
「……どうかしら。見たことがないの」
「そうでございますか」
「なぜ」
わたくしは、頭を下げました。
「明日、それを見てまいります」
お読みいただき、ありがとうございました。
【今日の石】刻印とは、誰が作ったかを示すものではなく、何かあったときに誰に責を問うかを決めるもの——大公妃殿下のおっしゃることは、正しいのです。正しいから、厄介なのでございます。
次回、宝物庫でございます。破られた頁に何が書いてあったのかが、分かります。




