第3話:「直せるか、とは訊かない。見てもらえるか、と訊きたい」
「……ここは、石を見る場所か」
低い声でした。
その方は、戸口から中へ入ってきませんでした。枠の外に立ったまま、部屋の中を見回しておられます。
黒に近い外套。留め具は使い込まれて色が変わっておりました。腰の剣は装飾のない実用のもの。手袋を外した手の甲に、古い傷が二本。
貴族の方だと分かりましたが、夜会でお見かけした顔ではございませんでした。
「石を見る場所、というほどのものではございません」
わたくしは立ち上がって、礼をいたしました。
「磨きと、細かい直しをいたします。座を作ることは、いまはできません」
「なぜ」
「炉がございませんので」
「そうか」
その方は、少し考えるような顔をなさいました。
「……座は、要らない」
そして、外套の内側から小さな布包みを取り出されました。
包みを開くのに、ずいぶん時間をかけられました。結び目が固いのではなく、手つきが慎重すぎるのです。
中から出てきたのは、指輪でした。
銀の、細い環。装飾はほとんどありません。中央に、灰色の石。
わたくしは、息を止めました。
灰色ではないのです。
これは、灰色に見えているだけの石です。
「見てもらいたい」
その方は、掌の上に指輪を載せたまま、こちらへ差し出しました。
「王都の職人には、ひととおり見せた。十一人だ。全員が同じことを言った。——この石は死んでいる、と」
わたくしは、その指輪を見ておりました。
受け取ろうと手を伸ばして、途中で止めました。
「お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何なりと」
「十一人の方は、この石のどこをご覧になりました」
その方の眉が、わずかに動きました。
「……どこ、とは」
「表からご覧になりましたか。それとも、外して裏からご覧になりましたか」
「外した者は、いない。誰も、外させてはいない」
「それは、なぜ」
「外して、戻せなかったらどうする」
わたくしは、うなずきました。
「賢明でいらっしゃいます」
それから、わたくしは布ごと指輪を受け取りました。素手で触れないように、布の上に載せたまま、窓のほうへ向けました。
母のルーペを目に当てます。
まず見たのは、石ではありませんでした。
石座の裏側です。
銀の裏に、爪の付け根が四つ。その内側の、ほんのわずかな平らなところ。そこに——
わたくしは、ルーペを持つ手が動きそうになるのを、押さえました。
小さな、線が二本。
交差せずに、少しだけ間を空けて彫られた、二本の線。
……祖母が、いつも入れていた印でした。
誰にも見えないところに、意味のない線を二本だけ入れる。「作った者が自分で分かればいいのだ」と、祖母は言っておりました。わたくしも、同じ癖がついております。
どうして。
この方の指輪に、それが。
「……何か」
「いえ」
わたくしは、ルーペをずらしました。
今度こそ、石を。
「——ああ」
思わず、声が出ました。
「何だ」
「これは」
わたくしは、ルーペから目を離して、その方を見上げました。
「これは、死んでおりません」
部屋が、しんとしました。
窓の外で、リタが身を乗り出したのが視界の端に見えました。
「……何と言った」
「死んでおりません。曇っているだけです」
「十一人が」
「十一人の方が何をおっしゃったかは存じません。ですが、この石は生きております」
わたくしは、ルーペをもう一度当てました。
「死んだ石は、光を返しません。一切です。当てた光を、飲みます。これは違います。返しております。ただ——内側から曇っておりますので、返ってくる光が濁って、外からは灰色に見えるのです」
「……内側から」
「淡青の系統の石は、外からは曇りません。曇るときは、必ず内側からです。ですから、表をどれだけ磨いても変わりません。十一人の方が直せないとおっしゃったのは、たぶん、そういうことでございます」
その方は、動きませんでした。
長い時間、黙っておられました。
やがて、口を開かれました。
「……これは、母のものだ」
「はい」
「母は、死ぬ前に私に渡した。そのときには、もう灰色だった。母は言った。——これを直せる者がいたら、その者に見せなさい、と」
わたくしは、指輪を布の上に戻しました。
「北の砦に十年いた。任地が変わるたびに、その土地の職人に見せた。全員が同じことを言った。石は死ぬ、死んだ石は戻らない、諦めろと」
その方は、そこで初めて、少し息を吐かれました。
「だから、私はもう訊かないことにしていた」
「……訊かない」
「直せるか、とは訊かない」
その方は、わたくしを見ました。
「見てもらえるか、と訊きたい。それだけだ」
わたくしは、その場で頭を下げました。
自分でも、なぜそうしたのか分かりません。ただ、そうしなければならないような気がいたしました。
「見せていただき、ありがとうございました」
「……礼を言うのは、こちらだ」
「いいえ」
わたくしは顔を上げました。
「十一人の方に断られて、それでも布に包んで持ち歩いていらした石です。ずいぶん大事にされてきたのが、包み方で分かります。……あの、それで」
「何だ」
「直します」
その方の目が、わずかに開きました。
「曇りは、内側の層に水が入って起きております。取り除けます。ただし、いったん座から石を外さなければなりません。外して、内側を通して、また嵌め直します」
「……できるのか」
「わたくしが組んだ座であれば、確実にできます。これは違いますので、確実とは申し上げられません。ただ——」
わたくしは、石座の裏を思い出しておりました。
二本の線を。
「この座を作った方の癖は、存じております」
窓の外で、リタが「はぁ?」と言いました。
その方は、しばらく黙ってから、静かに言われました。
「ユリウス・レンフォード」
「はい」
「名を、名乗っていなかった」
「ミレイア・オルストと申します」
「オルスト」
その名前に、レンフォード様は反応なさいませんでした。ただ、覚えたという顔をされただけでした。
わたくしは、それが少し、ありがたく思われました。
「では、お預かりいたします。……一つだけ、申し上げなければならないことが」
「言ってくれ」
「炉が、要ります」
お読みいただき、ありがとうございました。
【今日の石】石が「死ぬ」と「曇る」の見分け方は、実はとても簡単です。光を返すか、飲むか。それだけ。……ただし見分けるには、外して裏から見る必要があります。十一人が断ったのは、腕がなかったからではありません。失敗して戻せない責任を、誰も負いたくなかったのです。
炉のある場所は、王都に一つしかございません。ミレイアが三日前に追い出された、あの工房です。
もし「この石の続きが気になる」と思ってくださいましたら、【ブックマーク】をひとつ。炉を借りる交渉に、ミレイアの心の準備が要りますので。




