第2話:盗人は、盗んだ石を見て「贋物だ」と言いました
王都の五番通りは、三番通りから歩いて二十分ほどのところにございます。
通りといっても、道幅は荷車がすれ違えません。表通りの店が使わなくなった裏の物置を、少しずつ人が借りて住んでいる場所です。魚を焼く匂いと、洗濯物と、子供の声。
わたくしがそこに小さな部屋を借りたのは、婚約を破棄された三日後でした。
持ってきたものは、二つです。
道具箱と、母の形見のルーペ。
やすりも、鏨も、石を押さえる万力も、みんなわたくしが自分の手に合わせて柄を削ったものですので、置いてくる理由がございませんでした。父も何も言いませんでした。
窓際に板を渡して、仕事台にいたしました。ぐらつくので下に石を噛ませました。
炉は、ございません。
炉がなければ、金は溶かせません。溶かせなければ、座は作れません。座が作れなければ、指輪は作れません。
ですから、当分わたくしにできることは、石を見ることと、細かい直しと、磨きだけです。
それでも仕事台の前に座ってみますと、不思議と落ち着きました。三年ぶんの癖がついた道具が、いつもの位置に並んでいるからでしょう。
二日目に、石を三つ買いました。
露店で、一番安いものを。淡青石の欠片が二つと、名も知れない緑の石が一つ。全部で銅貨十二枚でした。
三日目の昼過ぎに、その石が一つ、消えました。
◇
「返しなさい」
わたくしは、窓の外へ手を伸ばしました。
窓枠に足をかけて逃げようとしていたのは、痩せた子供でした。背は低いのに手足が長くて、目だけがやたらに大きい。継ぎの当たった上着の袖から、細い手首が出ておりました。
「離せよ!」
「返してくださいませ。銅貨四枚のものです」
「……はあ?」
子供が、動きを止めました。
「四枚?」
「ええ」
「四枚の石を、こんなとこに置いとくの」
その子は、握っていた手を開きました。掌の上に、わたくしの淡青石。
そして、舌打ちを一つしてから、それを覗き込みました。
「……あんた、騙されてる」
「と、おっしゃいますと」
「これ、贋物だよ。混ぜ物。ほら、この端っこ、色が濁ってんの見えないの。本物の淡青はこんな濁り方しない」
わたくしは、少し驚きました。
その通りだったからです。
「ご存じなのですね」
「知ってるよ。裏で売られてんの、こんなのばっかだもん。あんた、いい服着てんのに石は見る目ないんだ」
「服は古いものです」
「じゃあ石も見る目もないんだ」
なかなか手厳しい方でした。
「あの、一つよろしいでしょうか」
「なに」
「それが混ぜ物だと分かっていて、なぜお取りになったのです」
子供は、口を閉じました。
それから、また舌打ちをしました。
「……売れるから。混ぜ物だって、知らない奴には売れる」
「では、わたくしが知らない者だと思われたのですね」
「思った」
「正しいご判断です。混ぜ物と知っていて買いましたので」
「え」
「四枚でしたから」
わたくしは、道具箱からやすりを一本取り出しました。
「混ぜ物は、練習になるのです。本物より脆いので、力の加減を間違えるとすぐ欠けます。欠けさせずに削れるようになれば、本物は容易いのです」
子供は、しばらくわたくしを見ておりました。
それから、石を仕事台の上に置きました。
「……変な人」
「よく言われます」
「ねえ」
その子は、置いた石を指でつつきながら言いました。
「——で、いくら?」
「は」
「あたしが今、あんたに教えたじゃん。その石、混ぜ物だって。教えてやったんだから、いくら?」
わたくしは、その顔を見返しました。
真剣でした。ふざけているのではなく、本気で値をつけようとしている目でした。
「……銅貨一枚では」
「二枚」
「一枚半」
「半端は無理だよ、割れないもん」
「では二枚で」
わたくしは銅貨を二枚、仕事台の上に置きました。その子は素早くつまんで、袖の中へ入れました。
「リタ」
「はい?」
「あたしの名前。……あんたは」
「ミレイアと申します」
「ミレイア」
リタは、その名前を口の中で二度繰り返しました。それから、少し困ったような顔をしました。
「あんた、なんでこんなとこにいるの。手ぇ見れば分かるよ。それ、遊びでできる手じゃないでしょ」
わたくしは、自分の手を見ました。
親指の付け根の硬いところと、短く削れた人差し指の爪。
「工房におりました」
「ふうん。追い出されたんだ」
「……ええ」
「ふうん」
リタは、それ以上訊きませんでした。
代わりに、仕事台の上に並んだ道具を眺めて、指で一つ一つ触っていきました。触り方が丁寧でした。値打ちのあるものを扱う手つきでした。
「これ、なんて書いてあんの」
リタが指したのは、道具箱の蓋の裏でした。祖母の字で、四文字。
「ミレイア、と」
「ふうん」
リタは、そこから目を逸らしました。
「……字、興味ないから」
そう言いながら、しばらく蓋の裏を見ておりました。
◇
それから三日ほど、リタは毎日来ました。
用があるわけではないようでした。窓の外に座って、わたくしが石を磨くのを眺めて、ときどき「それいくら」と訊きました。
二日目に、最初のお客さまがいらっしゃいました。
隣の隣に住んでいる、洗濯を請け負っている女の方です。手に、切れた首飾りを持っておられました。
「これ、直せるかね」
銀の鎖の、留め金が壊れておりました。輪の部分が開いて、戻らなくなっております。
「直せます」
「いくら」
「銅貨、三枚では」
「三枚」
その方は、目を丸くしました。
「表通りだと、銀貨一枚だよ」
「留め金だけですので」
わたくしは、鎖を光にかざしました。
「……ただ、直しても、また切れます」
「なんでさ」
「ここが薄くなっております。長く使われた鎖ですので、留め金だけが先に減ったのです。留め金を直すと、次はこの隣が切れます」
「じゃあ、どうすんの」
「両方直します。銅貨、五枚で」
「五枚」
その方は、しばらく考えておりました。
「……あんた、それ言わなきゃ三枚で済んだじゃないの」
「はい」
「言うんだ」
「言います」
その方は、笑いました。それから銅貨を五枚置いて、帰っていかれました。
リタが、窓の外から言いました。
「二枚損したね」
「五枚いただきました」
「三枚でよかったのに、って言われるよ、そのうち」
「そうかもしれません」
わたくしは、鎖を万力に留めました。
「ですが、次に切れたとき、あの方は『やっぱり言ったとおりだった』とお思いになります。そのほうが、長い目では安いのです」
リタは、何か言いかけて、やめました。
そして、窓枠に顎を載せて、わたくしの手元を見ておりました。
四日目の夕方、わたくしが磨きの手を止めたのは、手元が急に暗くなったからです。
日が翳ったのだと思いました。
顔を上げますと、リタが窓の外で、口を半分開けたまま固まっておりました。
その視線の先——わたくしの部屋の、戸口。
人が一人、立っておりました。
背の高い方でした。戸口の枠に、頭がつきそうなくらいの。
お読みいただき、ありがとうございました。
【今日の石】混ぜ物の石は、本物より安く、本物より脆く、そして本物よりよく売れます。……理由は簡単で、数が多いからです。
戸口に立っているのは、王都中の職人に断られ続けた男です。次回、この物語で最初に「直せない」と言われた石が出てきます。




