第25話:あの石は、一度も生きておりませんでした
石は揃いました。
三つ、並べて布の上に置いてあります。
あとは、座を起こすだけです。
……なのに、わたくしは三日、手をつけられずにおりました。
◇
「なんでやらないの」
四日目に、リタが言いました。
「石あるじゃん。炉も、お父さんが貸すって言ったんでしょ」
「はい」
「じゃあなんで」
わたくしは、石を見ておりました。
「……これは、婚礼の指輪でございます」
「うん」
「嵌める方が、誓いを立てます。その誓いを、この石が覚えます」
「うん」
「わたくしは」
わたくしは、そこで言葉に詰まりました。
「わたくしは、誓いというものが、よく分かっておりません」
リタは、窓枠に座り直しました。
この子は、こういうとき急かしません。
「ねえ」
「はい」
「前に訊いたやつ、答えてよ」
わたくしは、顔を上げました。
「あんたの石。あの男の指に嵌まってたやつ」
「……はい」
「いつ死んだの」
◇
わたくしは、しばらく黙っておりました。
窓の外で、洗濯物が揺れておりました。
「死んでおりません」
「え?」
「死んでいる、と申し上げましたが、正しくございません」
わたくしは、両手を膝の上に置きました。
「あれは、一度も生きておりませんでした」
リタが、まばたきをしました。
「……どういうこと」
「石が誓いを覚えるのは、嵌めた者が誓いを立てたときです。誓いを立てなければ、覚えるものがございません」
「うん」
「覚えるものが無い石は、澄みません。曇りもしません。……最初から、光を返さないのです」
リタは、口を開けたまま、しばらく動きませんでした。
「じゃあ、あの男」
「はい」
「最初から、誓ってなかったの」
「はい」
◇
「二年前の冬でございます」
わたくしは、そう申し上げました。
「婚約の日に、あの方の指に嵌めました。わたくしが組んだ指輪を、わたくしの手で」
「うん」
「嵌めた、その日の夕方に、見ました」
「……見た」
「光を、返しておりませんでした」
わたくしは、自分の手を見ておりました。
「その日のうちに、分かったのです」
リタは、何も言いませんでした。
「言えばよかったのでしょうね。あのときに。『あなたは誓っておられませんね』と」
「なんで言わなかったの」
「……理由は、いくつかございます」
わたくしは、指を折りました。
「一つ。言っても信じてもらえません。石が光を返さないという話は、言い伝えでございますので」
「うん」
「一つ。婚約が壊れますと、工房が困ります。ヴェルナー家との縁は、父が望んだものでした」
「うん」
「一つ」
わたくしは、そこで手を止めました。
三つ目が、いちばん時間がかかりました。
「……自分が組んだ指輪が、誓われなかったのだと。それを、認めたくございませんでした」
リタは、黙って聞いておりました。
「わたくしは、三年で三百九十七、指輪を組みました。そのうちのいくつが澄んで、いくつが曇っているかは、見れば分かります。分かりますが、見に行くことはできません。人様の指でございますので」
「うん」
「見に行けるのは、一つだけでした」
わたくしは、自分の左手を見ました。
何も嵌まっておりません。二年前も、嵌めておりませんでした。婚約指輪は、あちらの家の習わしで、男の方だけが嵌めるのだそうでございます。
「その一つが、光を返さなかったのです」
「……」
「石は、正直でございます。ですから、わたくしは、それを見ないことにいたしました。二年間」
◇
リタは、しばらくして、こう言いました。
「見ないことにするって、どうやるの」
「簡単でございます」
わたくしは、少し笑いました。
「あの方の左手を、見なければよろしいのです」
「二年間?」
「二年間」
「……できるの、そんなの」
「できます」
わたくしは、そう申し上げました。
「人の手というのは、意識しなければ見ないものです。顔を見て、話を聞いて、返事をして。それだけで済みます。……二年、済みました」
「じゃあ、あの日は」
リタが、身を乗り出しました。
「あの、婚約破棄の日は。なんで見たの」
わたくしは、その質問を、頭の中で二度なぞりました。
良いところを訊く子でございます。
「……分かりません」
「分かんないの」
「はい」
わたくしは、石を見ました。
「ただ、あの日は、もう見てもよいような気がいたしました」
◇
「ねえ」
リタが、窓枠から降りました。
「一個だけ、言っていい」
「どうぞ」
「あんた、悪くないよ」
わたくしは、顔を上げました。
「石が光らなかったのは、あんたのせいじゃないでしょ。あんた、ちゃんと作ったんでしょ」
「……作りました」
「じゃあ、あんたの仕事は終わってんの。そのあと、誓うか誓わないかは、嵌めるほうの仕事じゃん」
リタは、そう言いました。
「あんた、自分の仕事じゃないとこまで背負いすぎ」
わたくしは、その言葉を、しばらく噛んでおりました。
……たしかに、そうでございました。
わたくしの仕事は、座を起こして、石を嵌めるところまでです。誓いを立てるのは、指に嵌める人の仕事でございます。
二年間、わたくしはそれを混ぜておりました。
「ありがとうございます」
「べつに」
「値をおつけになりますか」
「……いい。今のは、ただ」
リタは、そっぽを向きました。
◇
その夜、わたくしは炉を借りに三番通りへ参りました。
父は、何も訊かずに炉に火を入れてくださいました。アネットが、灰をかき出しておられました。まだ手つきは危なっかしうございましたが、順番は正しうございました。
火が上がるのを待ちながら、わたくしは考えておりました。
誓いというものが、何なのか。
石は、それを覚えます。覚えるということは、そこに何かが在るということです。目には見えず、量ることもできず、言葉にすると嘘くさくなる何かが、たしかに在って、石はそれを知っている。
わたくしは、二年間、その「無い」ほうを見ておりました。
……ですから、たぶん、わたくしは知っているのです。
無いということが分かるのは、在るものを知っているからです。
火が、上がりました。
わたくしは、道具を並べました。
鏨、細かいやすり、押さえ、木槌。
三つの石が、炉の光を返しております。
「アネット」
「はい」
「見ておいてくださいますか」
アネットが、顔を上げられました。
「わたくしの手元を。……三日ほど、かかります」
「はい」
「訊きたいことがございましたら、いつでも訊いてくださいませ」
わたくしは、木槌を持ちました。
「三回まではお答えします。四回目からは、黙って見ておりますので」
お読みいただき、ありがとうございました。
【今日の石】誓いを立てられなかった石は、曇りません。曇るには、まず澄んでいなければならないからです。……最初から光を返さない石は、傷みもしません。何も起きないまま、ずっとそのままです。
次回、三晩でございます。この物語で、いちばん静かな回になる予定です。




