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婚約破棄されましたが、その婚約指輪を作ったのはわたくしです 〜石は誓いを覚えておりますので〜  作者: 瑠璃宮あかり


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25/28

第25話:あの石は、一度も生きておりませんでした

 石は揃いました。


 三つ、並べて布の上に置いてあります。


 あとは、座を起こすだけです。


 ……なのに、わたくしは三日、手をつけられずにおりました。


          ◇


「なんでやらないの」


 四日目に、リタが言いました。


「石あるじゃん。炉も、お父さんが貸すって言ったんでしょ」


「はい」


「じゃあなんで」


 わたくしは、石を見ておりました。


「……これは、婚礼の指輪でございます」


「うん」


「嵌める方が、誓いを立てます。その誓いを、この石が覚えます」


「うん」


「わたくしは」


 わたくしは、そこで言葉に詰まりました。


「わたくしは、誓いというものが、よく分かっておりません」


 リタは、窓枠に座り直しました。


 この子は、こういうとき急かしません。


「ねえ」


「はい」


「前に訊いたやつ、答えてよ」


 わたくしは、顔を上げました。


「あんたの石。あの男の指に嵌まってたやつ」


「……はい」


「いつ死んだの」


          ◇


 わたくしは、しばらく黙っておりました。


 窓の外で、洗濯物が揺れておりました。


「死んでおりません」


「え?」


「死んでいる、と申し上げましたが、正しくございません」


 わたくしは、両手を膝の上に置きました。


「あれは、一度も生きておりませんでした」


 リタが、まばたきをしました。


「……どういうこと」


「石が誓いを覚えるのは、嵌めた者が誓いを立てたときです。誓いを立てなければ、覚えるものがございません」


「うん」


「覚えるものが無い石は、澄みません。曇りもしません。……最初から、光を返さないのです」


 リタは、口を開けたまま、しばらく動きませんでした。


「じゃあ、あの男」


「はい」


「最初から、誓ってなかったの」


「はい」


          ◇


「二年前の冬でございます」


 わたくしは、そう申し上げました。


「婚約の日に、あの方の指に嵌めました。わたくしが組んだ指輪を、わたくしの手で」


「うん」


「嵌めた、その日の夕方に、見ました」


「……見た」


「光を、返しておりませんでした」


 わたくしは、自分の手を見ておりました。


「その日のうちに、分かったのです」


 リタは、何も言いませんでした。


「言えばよかったのでしょうね。あのときに。『あなたは誓っておられませんね』と」


「なんで言わなかったの」


「……理由は、いくつかございます」


 わたくしは、指を折りました。


「一つ。言っても信じてもらえません。石が光を返さないという話は、言い伝えでございますので」


「うん」


「一つ。婚約が壊れますと、工房が困ります。ヴェルナー家との縁は、父が望んだものでした」


「うん」


「一つ」


 わたくしは、そこで手を止めました。


 三つ目が、いちばん時間がかかりました。


「……自分が組んだ指輪が、誓われなかったのだと。それを、認めたくございませんでした」


 リタは、黙って聞いておりました。


「わたくしは、三年で三百九十七、指輪を組みました。そのうちのいくつが澄んで、いくつが曇っているかは、見れば分かります。分かりますが、見に行くことはできません。人様の指でございますので」


「うん」


「見に行けるのは、一つだけでした」


 わたくしは、自分の左手を見ました。


 何も嵌まっておりません。二年前も、嵌めておりませんでした。婚約指輪は、あちらの家の習わしで、男の方だけが嵌めるのだそうでございます。


「その一つが、光を返さなかったのです」


「……」


「石は、正直でございます。ですから、わたくしは、それを見ないことにいたしました。二年間」


          ◇


 リタは、しばらくして、こう言いました。


「見ないことにするって、どうやるの」


「簡単でございます」


 わたくしは、少し笑いました。


「あの方の左手を、見なければよろしいのです」


「二年間?」


「二年間」


「……できるの、そんなの」


「できます」


 わたくしは、そう申し上げました。


「人の手というのは、意識しなければ見ないものです。顔を見て、話を聞いて、返事をして。それだけで済みます。……二年、済みました」


「じゃあ、あの日は」


 リタが、身を乗り出しました。


「あの、婚約破棄の日は。なんで見たの」


 わたくしは、その質問を、頭の中で二度なぞりました。


 良いところを訊く子でございます。


「……分かりません」


「分かんないの」


「はい」


 わたくしは、石を見ました。


「ただ、あの日は、もう見てもよいような気がいたしました」


          ◇


「ねえ」


 リタが、窓枠から降りました。


「一個だけ、言っていい」


「どうぞ」


「あんた、悪くないよ」


 わたくしは、顔を上げました。


「石が光らなかったのは、あんたのせいじゃないでしょ。あんた、ちゃんと作ったんでしょ」


「……作りました」


「じゃあ、あんたの仕事は終わってんの。そのあと、誓うか誓わないかは、嵌めるほうの仕事じゃん」


 リタは、そう言いました。


「あんた、自分の仕事じゃないとこまで背負いすぎ」


 わたくしは、その言葉を、しばらく噛んでおりました。


 ……たしかに、そうでございました。


 わたくしの仕事は、座を起こして、石を嵌めるところまでです。誓いを立てるのは、指に嵌める人の仕事でございます。


 二年間、わたくしはそれを混ぜておりました。


「ありがとうございます」


「べつに」


「値をおつけになりますか」


「……いい。今のは、ただ」


 リタは、そっぽを向きました。


          ◇


 その夜、わたくしは炉を借りに三番通りへ参りました。


 父は、何も訊かずに炉に火を入れてくださいました。アネットが、灰をかき出しておられました。まだ手つきは危なっかしうございましたが、順番は正しうございました。


 火が上がるのを待ちながら、わたくしは考えておりました。


 誓いというものが、何なのか。


 石は、それを覚えます。覚えるということは、そこに何かが在るということです。目には見えず、量ることもできず、言葉にすると嘘くさくなる何かが、たしかに在って、石はそれを知っている。


 わたくしは、二年間、その「無い」ほうを見ておりました。


 ……ですから、たぶん、わたくしは知っているのです。


 無いということが分かるのは、在るものを知っているからです。


 火が、上がりました。


 わたくしは、道具を並べました。


 鏨、細かいやすり、押さえ、木槌。


 三つの石が、炉の光を返しております。


「アネット」


「はい」


「見ておいてくださいますか」


 アネットが、顔を上げられました。


「わたくしの手元を。……三日ほど、かかります」


「はい」


「訊きたいことがございましたら、いつでも訊いてくださいませ」


 わたくしは、木槌を持ちました。


「三回まではお答えします。四回目からは、黙って見ておりますので」

お読みいただき、ありがとうございました。


【今日の石】誓いを立てられなかった石は、曇りません。曇るには、まず澄んでいなければならないからです。……最初から光を返さない石は、傷みもしません。何も起きないまま、ずっとそのままです。


次回、三晩でございます。この物語で、いちばん静かな回になる予定です。

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