第19話:嘘でない誓いを、指輪に入れられますか
馬車が五番通りに入ってくるのは、二度目でした。
今度は、壁を擦りませんでした。御者の腕が良いのです。
降りてこられたのは、年配の女性でした。喪服ではございませんが、地味な色の外出着です。侍女を一人だけ連れておられました。
「こちらに、石を直す方がいらっしゃると伺いました」
「わたくしでございます」
「ホルツ男爵家の者です」
その方は、部屋の中を見て、少しだけ躊躇されてから、入ってこられました。
「娘の、婚礼指輪をお願いしたいのです」
◇
「婚礼は、来月でございます」
男爵夫人は、椅子に座られました。
「相手は、隣領の伯爵家のご次男。……娘とは、三度しか会っておりません」
「はい」
「悪い方ではありません。ただ、娘は」
その方は、そこで少し言い淀まれました。
「娘は、別に想う方がおりました」
「……はい」
「もう会わせておりません。会わせるわけには参りませんので」
わたくしは、黙って聞いておりました。
「婚礼指輪は、伯爵家がご用意くださることになっていました。ですが、先方が『花嫁の家から出すのが習わしだ』とおっしゃって。……急なことで、良い工房はもう手が空いておりません」
「王家の公募がございましたので」
「ええ。どこも、そちらに人を割いております」
男爵夫人は、膝の上で手を組まれました。
「それで、一つ、お願いがございます」
「はい」
「石が、曇らないようにしていただきたいのです」
◇
わたくしは、その言葉の意味を、二度考えました。
「……曇らないように、と申しますと」
「ご存じでしょう。婚礼指輪の石は、誓いが破られると曇るという」
「言い伝えでございますね」
「言い伝えです。信じない者も多うございます。ですが——伯爵家は、信じておられます」
夫人の声が、低くなりました。
「あちらの家では、代々、婚礼の十年目に指輪を検めるのだそうです。石が澄んでいれば、良い縁であったと。曇っていれば」
「……曇っていれば」
「家の恥、ということになります」
わたくしは、仕事台の上のやすりを見ておりました。
「娘は、あの子なりに務めるつもりでおります。逃げるつもりはありません。ただ——十年経って、あの子の指の石がどうなっているかは、わたくしには分かりません」
「はい」
「ですから」
夫人は、顔を上げられました。
「曇らない石を、入れていただきたいのです。加工でも、細工でも、何でも構いません。お代は言い値で」
◇
わたくしは、しばらく答えませんでした。
考えていたのは、方法のことです。
方法は、ございました。
いくつかございます。曇りにくい系統の石を使う。石の裏に薄い金の板を敷いて、光の返り方を細工する。座を深くして、石の下半分を隠す。
どれも、できます。
十年後に検められても、たぶん澄んで見えます。
「お断りいたします」
夫人の顔が、こわばりました。
「……できない、ということですか」
「できます」
「では」
「いたしません」
わたくしは、頭を下げました。
「申し訳ございません」
「なぜです」
夫人の声が、少し高くなりました。
「お代でしたら」
「お代ではございません」
「では、なぜ」
わたくしは、顔を上げました。
「その指輪は、十年後にお嬢さまを助けません」
「……」
「十年後、指輪の石は澄んでおります。伯爵家は、良い縁であったとおっしゃるでしょう。それで済みます」
「ええ。それで結構です」
「ですが、お嬢さまはご自分でご存じです」
夫人が、まばたきをされました。
「その石が、どういう細工でできているかを。ご自分の指を見るたびに、思い出されます。……十年、それを続けることになります」
「……」
「わたくしは、それをお作りしたくございません」
◇
部屋が、静かになりました。
侍女の方が、戸口のあたりで身じろぎをされました。
「では、どうしろと」
夫人が、そう言われました。
「どうしろと。この話を断れと。娘に、逃げろと」
「いいえ」
「では何ですか」
「一つ、ご提案がございます」
わたくしは、道具箱から一本、細い環を取り出しました。
見本用の、石の入っていない環です。
「石を、入れないという方法がございます」
「石を」
「はい。婚礼指輪に石を入れるのは、習わしであって決まりではございません。金の環だけの婚礼指輪は、古い形でございます。田舎の方では、いまでもそちらが多うございます」
わたくしは、環を夫人の前に置きました。
「石がなければ、曇りません。十年後に検められても、何も起きません」
「……それは」
「言い訳が要ります。『古式にならって』とお伝えになるのがよろしいかと。伯爵家が習わしを重んじる家でしたら、古式と申し上げれば、かえって喜ばれるかもしれません」
夫人は、環を見ておられました。
「石がないだけで、貧相に見えませんか」
「見せません」
わたくしは、そう申し上げました。
「彫りを入れます。環の外側に、細かい葉の彫りを一周。内側は磨いて何も入れません。……石で目を引く代わりに、彫りで目を引きます。手はかかりますが、その分お代をいただきます」
「……」
「石のない指輪は、誓いを覚えません。何も残りません。十年経っても、二十年経っても、ただの金の環でございます」
わたくしは、環を指で回しました。
「その代わり、お嬢さまが十年後にご自分の指を見たときに、思い出すものが何もございません」
夫人は、長いこと、その環を見ておられました。
やがて、小さく言われました。
「……娘に、訊いてみます」
「はい」
「あの子が、石が欲しいと言ったら」
「そのときは、普通にお作りいたします」
わたくしは、頭を下げました。
「曇るかどうかは、わたくしの仕事ではございませんので」
◇
馬車が出ていったあと、リタが窓から入ってきました。
「言い値でって言ってたよ」
「はい」
「断ったんだ」
「はい」
「あんた、いつになったら銀貨稼ぐの」
「……いつでしょう」
わたくしは、環を道具箱に戻しました。
「ただ、彫りの仕事になりましたら、それなりのお代をいただけます」
「なるの?」
「分かりません」
三日後、男爵家から使いが参りました。
お嬢さまは、石のない指輪をお選びになったそうです。
彫りは、葉ではなく、麦の穂にしてほしいとのことでした。
……お育ちになった領地の、麦だそうでございます。
お読みいただき、ありがとうございました。
【今日の石】婚礼指輪に石を入れるのは、習わしであって決まりではありません。金の環だけの婚礼指輪は、むしろ古い形です。……石のない指輪は、何も覚えません。それを「寂しい」と取るか「気楽」と取るかは、嵌める人が決めることです。
次回、リタの話でございます。この子が、なぜ字を読めないままでいたのか。




