第18話:母上は、直せとは言わなかった
レンフォード様は、ひと月ぶりにいらっしゃいました。
北へお戻りになっていたそうです。年に一度、砦の冬支度を見に行かれるとのことでした。
「茶葉を持ってきた」
「まあ」
「北のものだ」
包みを開けますと、黒に近い茶葉が出てまいりました。葉が大きく、乾き方が強うございます。
淹れてみますと、わたくしのお茶より濃うございました。
「これは」
「どうだ」
「……薪の味がいたします」
「そうだ」
レンフォード様は、満足そうにされました。
「向こうでは、これを一日に六杯飲む」
「六杯」
「冬は八杯だ」
わたくしは、二杯目をいただきました。二杯目のほうが、おいしうございました。
◇
「一つ、話がある」
三杯目を注いだところで、この方はそう言われました。
「はい」
「北で、母の乳母に会ってきた」
わたくしは、急須を置きました。
「まだご存命でいらしたのですね」
「八十を過ぎている。耳が遠い。だが頭ははっきりしている」
レンフォード様は、外套の内から布包みを取り出されました。あの指輪です。
「これのことを訊いた」
「……はい」
「母がどこでこれを手に入れたのか、ずっと知らなかった。父も知らなかった。母は、嫁いでくる前から持っていたそうだ」
「王都の物でございますね」
「そうだ。母は、王都の生まれだ」
この方は、指輪を布の上に置かれました。
淡青石が、窓の光を返しております。
「乳母が言うには、母は十六の年に、王都の工房でこれを作らせたそうだ」
「作らせた」
「注文したのだ。自分の金で。……当時、母は嫁ぐことが決まっていた。北へ行けば、二度と王都には戻れない。それで、最後に何か一つ持っていきたかったのだと」
わたくしは、指輪を見ておりました。
銀の環。五つではなく四つの爪。装飾はほとんどございません。
派手な物を欲しがった方の指輪ではございませんでした。
「乳母は、その工房へついて行ったそうだ」
「……」
「母は、そこで半日いた。石を選ぶのに、半日かかったと」
レンフォード様は、少し笑われました。
「乳母が『そんなに悩むものですか』と言ったら、母はこう答えたそうだ。——『この人が、わたくしの話を聞いてくださるから』と」
わたくしは、顔を上げました。
「職人の方が」
「そうだ。母の話を聞いたのだと。どういう暮らしをするのか、どこへ行くのか、何が心配なのか。……石とは関係のない話を、半日」
わたくしは、祖母の帳面を思い出しました。
『焦って持ってきた。話を聞くのに半刻』
「その職人が、最後にこう言ったそうだ」
レンフォード様の声が、少し低くなりました。
「『この石は、あなたが幸せなあいだは澄んでいます。曇ったら、わたしのところへお持ちなさい』と」
◇
部屋が、静かになりました。
わたくしは、指輪を見ておりました。
石は、青うございます。
「……曇ったのですね」
「曇った」
「北で」
「北で。母は、四十で死ぬまでの二十四年を、あの砦で過ごした」
レンフォード様は、そこで言葉を切られました。
「幸せでなかった、とは言わない。私を産んで、育てて、笑うこともあった。ただ——王都には、一度も戻らなかった」
「はい」
「戻れる立場ではあった。父は行けと言った。母は行かなかった」
「……なぜでしょう」
「分からん」
この方は、首を振られました。
「乳母にも分からんそうだ。ただ、母は毎年、冬の初めに指輪を見ていたと。窓のところで、光にかざして。……何も言わずに、しばらく見て、それからしまったと」
わたくしは、何も申し上げませんでした。
言葉が、見つかりませんでした。
「母が私に言い残したのは」
レンフォード様は、指輪を指で押さえられました。
「『これを直せる者がいたら、その者に見せなさい』だ」
「はい」
「私はずっと、直せる職人を探せという意味だと思っていた」
「はい」
「違ったのだな」
この方は、こちらを見られました。
「母は、あの職人のところへ戻れと言ったのだ。三十年あまり前の約束を果たしに。——曇ったら持って行くと言った、その約束を」
わたくしは、息を吸いました。
うまく吸えませんでした。
「……その方は」
「もう亡くなっているだろう。三十年以上前の話だ」
「はい」
「だから、私は約束を果たせなかった」
レンフォード様は、そう言われて、それから、少し黙られました。
「……いや、違うな」
「はい?」
「果たせなかったのは、私ではない。母だ。母が果たせなかった約束を、私が十年持ち歩いていただけだ」
「……」
「そして、あなたが直した」
この方は、指輪を布に包まれました。
「これでよかったのだと思うことにする。約束の相手ではないが、直った」
「レンフォード様」
「何だ」
「乳母の方は、その職人の名を覚えておられましたか」
この方は、首を振られました。
「覚えていない。工房の場所も、はっきりしないそうだ。……三十年以上前だ。無理もない」
「はい」
「一つだけ、覚えていた」
「はい」
「女の職人だった、と」
わたくしは、碗を持つ手を止めました。
「珍しかったので、覚えていたそうだ。当時、王都で女が炉の前に立っている工房は、ほとんど無かったと」
わたくしは、うなずきました。
うなずくだけで、精一杯でございました。
「どうかしたか」
「……いいえ」
「顔色が悪い」
「濃いお茶を、四杯もいただきましたので」
この方は、それで納得なさいました。
納得なさったふりをしてくださったのかもしれません。
◇
その夜、わたくしは帳面を開きました。
祖母の、四十年ぶんの帳面です。
三十年あまり前。祖母がまだ働き盛りだった頃の一冊。
わたくしは、頁をめくりました。
指が、少し震えておりました。
……ございました。
『冬一。娘御。指輪一。淡青、四つ爪。北へ嫁ぐとのこと。半日話を聞いた。石は本人が選んだ。良い目をしている』
その次の行に、こうございました。
『曇ったら持ってきなさいと言った。約束した』
わたくしは、その頁を閉じませんでした。
閉じられませんでした。
石座の裏の、二本の線。
あれは、祖母の印でございます。
……いま、その指輪は、わたくしの手で直されて、この部屋を出ていきました。
わたくしは、帳面を胸に抱えて、しばらくそうしておりました。
次にレンフォード様がいらしたときに、何と申し上げればよいのでしょう。
あの方の母上が半日話をした職人は、わたくしの祖母でございました、と。
……その一言を言うのが、なぜこんなに難しいのか、自分でも分かりませんでした。
お読みいただき、ありがとうございました。
【今日の石】石を選ぶのに半日かける客を、良い職人は止めません。半日ぶんの話を聞くと、その人の暮らしが分かり、暮らしが分かると、どの石が長く保つかが分かるからです。
……もっとも、それが商売として正しいかというと、たいへん怪しいのですけれど。
次回、政略結婚の指輪を頼まれます。ミレイアは、その依頼をお断りします。




