第15話:買われた名前が、並びました
締切の日、宝物院の東の門には、朝から人が集まっておりました。
最終日に出す工房が多いのです。ぎりぎりまで見本を磨くからでございます。
わたくしは、その門の前に立っておりました。
後ろに、十人。
鍋の修理をしている老人。荷運びをしている男。宿屋の下働きの女。日雇いの石工。みなさん、仕事着のままでいらっしゃいました。声をかけたのはリタで、話をしたのはわたくしです。
「本当に、来ていただけるとは思いませんでした」
わたくしがそう申し上げますと、グリューン工房のご老人が、笑われました。
「来るさ。……こっちは十二年、何も言えなかったんだ」
◇
受付の机には、帳面が広げられておりました。
朱の判が、もう五十以上並んでおります。
その脇に、樽のような体格の方が立っておられました。
「やあ」
ボルツ様が、こちらを見ました。
「刻印を持たない人が、何の用かね」
「応募には参りません」
「では」
「証文を、お持ちいたしました」
わたくしは、布包みを机の上に置きました。
役人の方が、顔を上げられました。
「……何です、これは」
「刻印譲渡証の写しでございます。十一枚」
「はあ」
「本日この帳面に押されている判のうち、七つが、この十一枚の刻印によるものです。宝石商組合の会頭が、七つの工房の名で応募しておられます」
役人の方が、帳面をめくられました。
ボルツ様は、動じておられませんでした。
「正式に譲り受けたものだ。証文もある。そこにあるのがそれだろう」
「はい」
「では何の問題がある」
「問題がある、とは申し上げておりません」
わたくしは、証文を三枚、机の上に並べました。
「役人さま。この三枚を、光にかざしていただけますでしょうか」
◇
役人の方は、怪訝な顔をされながら、三枚を持ち上げられました。
窓の光に透かされました。
「……」
「日付をご覧ください。四年前の春、三年前の秋、二年前の冬でございます」
「はい」
「判の圧を、ご覧ください」
役人の方の手が、止まりました。
紙を近づけたり離したりして、しばらく見ておられました。
それから、四枚目を取られました。五枚目も。
十一枚、全部を並べられました。
「……全部、同じですね」
「はい」
「同じ日に押されている」
「わたくしはそう思いましたが、判断はわたくしのすることではございません」
役人の方が、ボルツ様を見上げました。
「会頭。これは」
「写しだよ」
ボルツ様は、平然としておられました。
「原本は組合にある。写しを作るときにまとめて押したのだろう。何もおかしくない」
「では」
わたくしは、申し上げました。
「原本を、お出しいただけますでしょうか」
ボルツ様の顔から、笑みが消えました。
「……なぜ、あんたに出す必要がある」
「わたくしにではございません。役人さまに、でございます」
わたくしは、後ろを振り返りました。
「それから、こちらの方々に」
◇
十人が、門の前に並んでおられました。
誰も、何も言いませんでした。
言わなくてよいと、あらかじめ申し上げてありました。何か言えば、言い分になります。言い分は、争いになります。争いになれば、証文を持っている側が勝ちます。
ですから、ただ立っていただきました。
その方々の顔を、役人の方が見ておられました。門の前を通る工房の方々も、足を止めて見ておられました。
「……あの方々は」
「グリューン工房、ヴァイデ工房、ケラー工房——十の工房の、元の親方でございます」
わたくしは、机に向き直りました。
「刻印を売られた方々です。売ったこと自体は、責められることではございません。畳むときに、値のつくものは売ります。当たり前のことです」
「はい」
「ただ、その方々は今日ここに立っておられます。ご自分の名前が、今日この帳面に押されるのを、見に来られました」
役人の方は、帳面を見下ろされました。
朱の判が、五十以上。
「……会頭」
「原本は」
ボルツ様が、口を開かれました。
「原本は、組合の蔵にある。持ってくるには時間が要る」
「締切は本日の夕刻でございます」
「間に合わせる」
「では、それまで七件は保留といたします」
役人の方は、帳面に印をつけられました。
◇
その時でした。
門の内側から、人が出てまいりました。
衛士が二人、その後ろに、年配の女性が一人。
黒に近い紫の外衣。白い手袋。髪はきれいに結い上げておられます。
周りの空気が、変わりました。工房の方々が、いっせいに膝を折られます。
「何の騒ぎです」
低い、落ち着いた声でした。
「大公妃殿下」
役人の方が、深く頭を下げられました。
「応募のうち七件に、書面の疑義が出ております」
「疑義」
「刻印の譲渡証の日付と、押印が」
その方は、机の上の証文を一瞥されました。
ほんの一瞬でございました。
「では、七件は無効になさい」
「は」
「疑わしいものを王家の帳面に載せてはなりません。以上」
あっさりしたものでした。
ボルツ様が、口を開きかけて、閉じられました。
大公妃殿下は、そのまま歩き出されました。
わたくしの前を通られるとき、足を止められました。
「そなたが持ち込んだのですか」
「はい」
「工房は」
「ございません」
「名は」
「ミレイア・オルストと申します」
「オルスト」
その方は、少しだけこちらを見られました。
目が合いました。
何の感情も、読み取れませんでした。
「……なぜ、このようなことを」
「あの方々の名前が、勝手に使われておりましたので」
大公妃殿下は、しばらく黙っておられました。
それから、こう言われました。
「名前」
「はい」
「職人の名など、誰も見ておりません」
その方は、証文の束に目をやられました。
「王家の物に、職人の名は要りません。要るのは、物が良いか悪いかだけです。……そなたも、そのうち分かります」
そして、行かれました。
衛士が二人、後に続きました。
◇
その日の夕刻、原本は出てまいりませんでした。
七件は無効となり、帳面から消されました。
組合の会頭が刻印を買い集めていたことは、その日のうちに王都中へ広がりました。
そして、翌朝。
もう一つのことが分かりました。
リタが集めてきた十一枚のうち、一枚を、わたくしは最後まで読んでおりませんでした。
束の一番下にあった一枚です。
工房の名は——オルスト。
署名は、父のものではございませんでした。
セドリック・ヴェルナー、と書いてございました。
お読みいただき、ありがとうございました。
【今日の石】十人は、何も言いませんでした。言えば言い分になり、言い分は争いになり、争いは証文を持っている側が勝ちます。……ただ立っているだけの人が十人並ぶと、証文よりよく見えることがあります。
大公妃殿下のお言葉は、覚えておいてくださいませ。この物語は最後、あの一言に返事をすることになります。
次回、オルスト工房の刻印が、なぜヴェルナー家の署名で売られていたのか。父が知っていたのかどうかを、確かめに参ります。




