第13話:「作ってみせて」と言われて
アネットが五番通りに来たのは、雨の日でした。
傘を持たずに来たようで、肩が濡れておりました。ドレスの裾に泥が跳ねております。この道は、雨が降ると水が溜まるのです。
戸口に立って、しばらく黙っておりました。
「どうぞ」
「……いえ」
「濡れます」
「すぐ帰りますから」
アネットは、中を見ておりました。
部屋の中を。仕事台と、道具箱と、板を渡した窓際を。
「ここに、住んでいらっしゃるの」
「はい」
「炉は」
「ございません」
「そう」
それきり、また黙りました。
わたくしは、椅子を差し出しました。アネットは座りませんでした。
「この前は」
「はい」
「……ありがとう、と言うべきなのかしら」
「石が見つかってよろしゅうございました」
「石」
アネットは、そこで少し笑いました。
「お義姉さまは、いつも石ですのね」
「ほかに分かることがございませんので」
「そう」
雨の音が、しておりました。
「意匠図を、出すことになりました」
アネットは、そう言いました。
「王家の」
「はい。お父さまが、ぜひにと」
「そうですか」
「見本の一点も、要るのですって」
「ええ。触書きにございました」
「わたしが、作ることになっています」
わたくしは、アネットの顔を見ました。
アネットは、こちらを見ておりませんでした。窓の外の、雨の落ちる樋のあたりを見ておりました。
「ヴェルナー様が、そうおっしゃったの。三代目の作でなければ意味がない、と」
「……はい」
「お父さまも、そうだと」
「はい」
「わたし、」
アネットの唇が、動きました。
言葉が出てくるまでに、少し時間がかかりました。
「わたし、この十日で、座を四つ潰しました」
◇
わたくしは、椅子をもう一度差し出しました。
今度は、座られました。
「爪が、立たないの」
アネットは、自分の手を見ておりました。
「起こすと、折れるのです。押しているつもりなのに、折れて。……力の加減が、分からなくて」
「木槌は使っておられますか」
「使っています。柄で押すのでしょう」
「柄のどのあたりで」
「……真ん中」
「端でございます」
わたくしは、道具箱から木槌を出しました。
「柄の端を持って、鏨の頭に当てます。真ん中を持つと、力がまっすぐ入ります。まっすぐ入ると、爪は折れます」
アネットは、木槌を見ておりました。
「……そういうことを、誰も教えてくださらないの」
「はい」
「お父さまは、忙しいから、と」
「はい」
「職人の方に訊いても、笑われて」
「はい」
わたくしは、木槌を仕事台に置きました。
「アネット」
「なあに」
「工房で、どなたに教わりましたか」
アネットは、答えませんでした。
しばらくして、小さく首を振りました。
「誰にも」
「一度も」
「一度も」
雨が、少し強くなりました。
「わたし、十四のときにあの家へ入りました。お母さまが亡くなって、お父さまが再婚なさって。……そのときにはもう、お義姉さまが仕事場にいらっしゃったでしょう」
「はい」
「お義姉さまは、朝から晩までそこにいらして。お父さまも、お祖母さまも、みんなそこにいて。わたしは、入っていっていい場所なのか分かりませんでした」
「……」
「訊けばよかったのでしょうね。今なら分かります。でもあのときは、訊いたら『来なくていい』と言われる気がして」
アネットは、膝の上で手を組みました。
白くて、細くて、綺麗な手でした。
「そうしているうちに、お客さまが『三代目の作は』とおっしゃるようになって。お父さまが『そうだ』とお答えになって。……止める機会が、どこにもありませんでした」
「アネット」
「はい」
「いまから、覚えられますか」
アネットは、顔を上げました。
「……え」
「爪の起こし方は、ひと月あれば覚えられます。三年かければ、座も作れます」
「ひと月」
「ええ。ただ、王家の見本には間に合いません」
アネットは、そこで少し笑いました。
泣きそうな笑い方でした。
「間に合わないと、困るのです」
「はい」
「困るのは、わたしではなくて」
その先は、言われませんでした。
わたくしは、木槌を仕事台に戻しました。
「アネット」
「はい」
「一つ、伺ってもよろしいでしょうか」
「なんでしょう」
「ヴェルナー様は、この一月のあいだに、工房へ何度いらっしゃいましたか」
アネットは、答えるまでに間がございました。
「……二度」
「二度」
「いえ、三度です。最初の日を入れると」
「その三度で、あなたが座を作っているところを、ご覧になりましたか」
アネットは、首を横に振られました。
「見せてくれ、とも言われません」
わたくしは、うなずきました。
「そうでございましょうね」
「……どういう意味ですか」
「あの方は、物を見ない方でございます」
わたくしは、そう申し上げました。
「二年間、ご自分の指の石が光を返していないことにも、お気づきになりませんでした」
アネットが、こちらを見ました。
何かを言いかけて、やめられました。
◇
アネットは、雨が小降りになってから帰られました。
傘をお貸ししましたが、要らないと言われました。
戸口を出るとき、一度だけ振り返って、
「あの」
「はい」
「お義姉さまは、なぜ、わたしに教えてくださるの」
と、言われました。
わたくしは、少し考えました。
「爪の起こし方は、わたくしのものではございませんので」
「……え?」
「祖母に教わりました。祖母も、誰かに教わったのだと思います。わたくしのところで止める理由が、ございません」
アネットは、しばらく立っておりました。
それから、雨の中へ出ていかれました。
◇
その夜、リタが戻ってまいりました。
ずぶ濡れで、袖の中から布包みを出しました。
「四枚。これで七枚」
「まあ」
「あと七人。……ねえ、さっきの子、誰」
「義妹です」
「あー」
リタは、髪を絞りながら言いました。
「あの子、泣いてたよ。表の角んとこで」
わたくしは、窓の外を見ました。
雨はもう上がっておりました。樋の水が、まだ落ちておりました。
「……そうですか」
「あんた、何か言ったの」
「爪の起こし方を」
「は?」
「木槌は、柄の端を持つのだと」
リタは、わたくしを見ました。
それから、盛大に舌打ちをしました。
「あんた、ほんっとうに、馬鹿だね」
お読みいただき、ありがとうございました。
【今日の石】木槌は、柄の端を持ちます。真ん中を持つと力がまっすぐ入って、爪が折れます。……これは三日で覚えられることです。教われば。
次回、第2章の終わりでございます。ミレイアは王家の応募について、はっきりと答えをもらいます。




