表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されましたが、その婚約指輪を作ったのはわたくしです 〜石は誓いを覚えておりますので〜  作者: 瑠璃宮あかり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/18

第12話:「読めないよ。でもこの判子、押した奴の手が震えてる」

 リタが、紙を三枚持ってまいりました。


 窓からではなく、戸口から入ってきました。それだけで、何かあったのだと分かりました。


「これ」


 仕事台の上に、三枚を並べました。


 どれも、同じ大きさの厚紙です。上のほうに大きな字で表題があり、下に署名と、朱い判が押してございます。


「どうなさったのです」


「もらった」


「どなたに」


「……もらった」


 リタは、目を逸らしました。


「返しますよ」


「返す。ちゃんと返す。三日で返すって言った」


「どなたに」


「グリューン工房のじいさん」


 わたくしは、手を止めました。


「……お会いになったのですか」


「探した」


 リタは、椅子に座りました。


「あんた、この前あの太った男に言ってたじゃん。グリューンの人はどこにいるのかって。だから探した。裏の連中に訊けば、たいてい分かるんだよ。畳んだ工房の職人がどこで働いてるかなんて」


「三日、かかりましたね」


「二日と半分」


 リタは、少し得意そうにしました。


「東の川沿いで、鍋の修理やってる。工房の名前で呼ばれるのが嫌だから、名前変えてた」


「名前を」


「うん。いまはハンスって名乗ってる。ほんとは違うんだって」


 リタは、そこで少し口ごもりました。


「あのじいさん、あたしが『グリューン工房のこと聞きたい』って言ったらさ」


「はい」


「『そんな工房はない』って言ったの」


「……」


「三回言った。ないない、って。……でも帰らないでいたら、四回目に『何が聞きたい』って」


 リタは、膝を抱えました。


「あたし、あの言い方、知ってる。裏町にいっぱいいるよ。訊かれたくないんじゃなくて、訊かれたことがなさすぎて、答え方を忘れてるだけの人」


 わたくしは、その言葉を聞いておりました。


 十二年でございます。


 十二年、誰にも訊かれずにいると、人は自分の工房のことを「そんな工房はない」と言うようになるのでしょうか。


 わたくしは、紙を見下ろしました。


「これは」


「じいさんが持ってた。組合と交わした証文の写しだって。……あたし読めないから、あんた読んで」


          ◇


 一枚目を、読みました。


「『刻印譲渡証。グリューン工房の刻印一式を、金貨十五枚をもって宝石商組合に譲る。以後、当該刻印の使用について一切の異議を申し立てない』」


「十五枚って、多いの」


「……安うございます」


 わたくしは、二枚目を取りました。


「二枚目は、ヴァイデ工房。金貨十二枚。三枚目は、ケラー工房。金貨九枚」


「じいさん、三枚持ってたの。自分のと、あと二人ぶん」


「なぜ、他家の写しを」


「みんなで集まって、何かやろうとしたことがあったんだって。でも途中でやめた」


「なぜ」


「勝てないから」


 リタは、そう言いました。


「証文があるからだって。ちゃんと売ったんだから、文句言えないって」


 わたくしは、三枚を並べて見ました。


 たしかに、証文でございました。文面に不備はございません。署名もあり、判も押されております。


「これ、おかしいでしょ」


 リタが、言いました。


「どこがでしょう」


「わかんないの?」


 リタは、身を乗り出しました。


「あんた、石は見えるのに紙は見えないんだ」


          ◇


「あたし、字は読めないよ」


 リタは、一枚目を指でなぞりました。


「読めないから、形しか見てない。……でもさ、これとこれ、同じ手だよ」


「同じ、とは」


「書いた奴。ここの線の払い方、三枚とも同じ」


 わたくしは、身をかがめて見ました。


 署名の部分です。三枚とも、違う名前が書かれております。グリューン、ヴァイデ、ケラー。


 ……たしかに、最後の線の跳ね方が、似ておりました。


「代筆かもしれません」


「うん。だからそこは、まあいいの。じいさん字書けないって言ってたし」


 リタは、それから朱い判のところを指しました。


「見て。ここ」


「判でございますね」


「これ、三枚とも同じ濃さ。同じ角度。同じ強さ」


「……同じですね」


「おかしくない?」


 リタは、わたくしを見上げました。


「別々の日に、別々の人が、別々の場所で押したんでしょ。なのに、なんで三枚とも同じ強さなの」


 わたくしは、答えられませんでした。


「あたし、裏町で判の押し方だけは見てきたの。借用書とか、質の札とか。人が押す判はね、絶対ばらつくの。緊張してる奴は強く押す。慣れてる奴は軽い。年寄りは端が薄くなる。手が震えるから」


 リタは、三枚を重ねて、光にかざしました。


「これ、全部同じ人が、同じ日に、続けて押してる。……三枚めくらいから、ちょっと圧が弱くなってんの。疲れてきてんだよ」


 わたくしは、その三枚を受け取りました。


 光に透かしました。


 紙の裏に、判の圧の跡が残っております。凹みです。


 ……三枚とも、同じ深さでした。


 そして三枚目だけ、右下の角のあたりが、わずかに浅うございました。


「……本当ですね」


「でしょ」


「リタ」


「なに」


「これは、どういうことになりますか」


「わかんないよ、そんなの」


 リタは、肩をすくめました。


「あたしは、押し方が同じって言っただけ。何を意味してるかは、字の読める奴が考えることでしょ」


          ◇


 わたくしは、三枚を並べ直しました。


 もう一度、文面を読みました。


 日付が、書いてございます。グリューンが四年前の春。ヴァイデが三年前の秋。ケラーが二年前の冬。


 三年に、またがっております。


 三年にまたがった三枚の証文が、同じ日に押されている。


 ……つまり、判は後から押されたのです。


 合意はあったのかもしれません。金貨も渡されたのかもしれません。ですが、この証文そのものは、あとから作られております。おそらく、必要になったときに、まとめて。


「リタ」


「なに」


「これは、大変なものです」


「そう?」


「はい」


 わたくしは、三枚を布に包みました。


「ただ、これだけでは足りません。三枚では、たまたまだと言われます」


「あと十一枚あるってこと?」


「……ボルツ様は、十四とおっしゃいました」


 リタは、にやりとしました。


 その顔で、舌打ちを一つしました。石を覗き込むときの、あの癖です。


「じゃあ、探すの、あと十一人」


「わたくしが参ります」


「無理。あんた、裏の人間に口きいてもらえないもん」


 リタは立ち上がりました。


「あたしがやる。——で、いくら?」


 わたくしは、壺を見ました。


 銅貨が、百と十枚ほど入っております。


「全部でいかがでしょう」


「全部?」


「はい」


 リタは、しばらくわたくしを見ておりました。


 それから、笑いました。この子が声を出して笑ったのを、わたくしはそのとき初めて聞きました。


「……あんた、値のつけ方が下手すぎ」

お読みいただき、ありがとうございました。


【今日の石】判子は、押した人の状態を残します。緊張、慣れ、疲れ、年齢。読める人は文字を見て、読めない人は圧を見る。……どちらがよく見えているかは、場合によります。


次回、オルスト工房では意匠図の締切が近づいております。そして誰かが、アネットに「作ってみせて」と言います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ